21.……やっと、聞けました。(2回目)
シルヴァンの笑顔を見て、
温かいもので胸がいっぱいになっていた――そのはずだった。
けれど、そこでふと、引っかかる。
(……あれ?)
言葉が、頭の中で一度止まる。
(ちょっと待てよ……?)
胸に広がっていた温度が、すうっと引いていく。
「……言葉は、反対になるんですよね?」
自分でも驚くほど、冷静な声だった。
その一言に、シルヴァンがはっと息を呑む。
私の表情が変わったのを悟ったのだろう、慌てて言葉を重ねた。
「待っ、誤解しないでくれ! ラベンダーの香りには、呪いを抑える作用がある。
だから……今、この場所で口にした言葉は、私の本心だ」
必死さが滲む声音だった。
――そういえば。
ソナが、そんなことを言っていたのを思い出す。
私は小さく息を吐いた。
胸に張りつめていたものが、ほどけていく。
心に今度こそ致命傷を負うところだった。
「……よかった。
そういえば、ソナの呪いもラベンダーの香油で収まってましたね」
その言葉に、今度はシルヴァンの肩からも力が抜けた。
誤解されずに済んだことに、彼自身もほっとしたのだろう。
シルヴァンは、ゆっくりと視線を上げ、庭いっぱいに広がる紫を見渡す。
「ただ、……私の呪いは、ソナのとは少し違う。
生きた花の香りでなければ、ラベンダーの効力が安定しない。
切り花や香油が、まったく効かないわけではないが……かえって混乱を招くこともある」
たしかに、効いているのかどうかが曖昧なようでは、より対応が難しくなる。
すべての言葉が一律に逆になるわけでもない――そんな性質も相まって、
彼の呪いは、想像以上に複雑のようだ。
ただ「逆の意味として受け取ればいい」という単純な対処では、どうにもならない。
シルヴァンが今まで沈黙を選び続けてきた理由が、静かに胸に落ちた。
月光を受けて、ラベンダーがさざめくように揺れる。
その紫の海の中で、シルヴァンは言葉を続けた。
「この花は……使用人たちが、私のために植えてくれた。
ここは、私が唯一、自分の気持ちを……安心して言葉にできる場所だ」
一拍。
「だが、夏が来れば花は散る。
……その前に、どうしても伝えておきたかった」
低く、静かな声だった。
抑え込んできた時間の重みが、そのまま滲んでいるように思えた。
「あなたは、謝罪はいらないと言ったが……それでは、私の気が済まない。
たとえ呪いのせいだとしても、私が酷い言葉をかけた事実は変わらない」
彼は、一度言葉を切る。
「私は……あなたが王都へ戻るまで、沈黙を貫くつもりだった。
呪いのことも、明かすつもりはなかった」
そして、視線を落としたまま、続ける。
「けれど……言葉の表面だけで判断せず、
私の気持ちを汲み取ろうとしてくれていた。その優しさが……嬉しくて……」
苦しそうに、目を伏せる。
「……私は甘えていたんだ。言葉を、安易に零しすぎていた。
だから――呪いのせいじゃない。
私が悪い。非礼を、詫びたい」
小さく息を吐き、はっきりと言い切った。
静かな告白だった。
夜風がひとすじ抜けていく。
花がこすれ合う微かな音が、遅れて耳に届く。
胸の奥で熱が灯り、
ゆっくりと、じんわりと広がっていく。
私は、ただ彼を見つめていた。
……。
が。
次の瞬間――両手で顔を覆う。
(……真面目すぎて、尊い……!!!)
ほんの一瞬の猶予の後、烈火のごとく感情が燃え上がった。
こんな大事な場面で、頭の中がヲタク色の濃い感想で埋まるのはどうかと思う。
思うけれど――これは無理だ。無理すぎる。
(どうやったら、こんなにも真っ直ぐな性格に育つんですか!
清すぎる、まじで尊い……!!!)
嬉しい? 感動? どういう感情なのか、自分でも分解ができない。
尊いという言葉はなんて偉大なんだろう。
怒涛の勢いで押し寄せる感情の全てを、たった二文字にまとめてくれるなんて。
滾る感情が、尊いという語彙なくして抑えられない。
顔を隠したまま、肩がわずかに震える。
その様子を見て、シルヴァンが心配そうに近づいてくる気配がした。
その仕草すら、もう、愛おしい。
そこで、はっとする。
(――好きだ)
言葉にしたわけでもないのに、
その感情は、すとん、と胸の奥に落ちた。
顔を上げる。
ラベンダーの海を背に、月明かりに照らされたシルヴァンが、目の前にいる。
伸ばされた手が、そっと私の頬に触れた。
あたたかい。
血の通った、人の体温。
文字の羅列で描かれたキャラクターなんかじゃない。
彼は、ここで、生きている。
――人だ。
そう思った瞬間、
今、生まれたばかりの想いが、急に現実の重みを持ち始めた。
シルヴァンの事が、好きだ。
私はしばらく、彼の赤い瞳の揺らぎを見つめていた。
夜の静けさの中で、感情が、胸の奥で静かに形を整えていく。
その輪郭を確かめてから――ようやく、口を開く。
「そこまでおっしゃるなら……謝罪を受け入れます。
――代わりに。三つ、私のお願いも聞いてください」
シルヴァンが、息を詰めたまま私を見る。
逃げ場を失ったような、それでいて真剣な眼差し。
私は、彼の前にそっと人差し指を立てた。
「一つ。私のことは――シェリーと呼んでください。
嬢も、様も……いりません」
私はそのまま、もう一本、指を立てる。
「二つ。普段も、私に対して言葉を我慢しないでください。
信頼関係があれば……きっと、なんとかなります。――してみせます」
そして、最後。
「三つ。私は、王都には帰りません。お側に、置いてください」
言い切った瞬間、
シルヴァンの目が、はっきりと見開かれた。
一瞬、確かに――光が宿る。
けれどそれはすぐに、影を帯びる。
「ここは、国境沿いだ。いざというとき、真っ先に犠牲になる土地でもある。
……シェリーが、居るべき場所ではない」
低く、噛みしめるような声。
それは拒絶ではなく、必死に、私を守ろうとする言葉だった。
「私にとって……もう、とても大切な存在なんだ。
だからこそ、貴方に相応しい場所で、幸せな道を歩んでほしい。……そう、願っている」
声が、わずかに揺れる。
私は、間を置かずに答えた。
「居るべき場所は、私が決めます」
静かな声だった。
けれど、揺らぎはなかった。
その一言に、シルヴァンが息を呑む。
私を見つめる赤い瞳の奥で、
迷いと、決意と、そして確かな想いが、ゆっくりと、ひとつに収束していくのが分かった。
私は、促すように彼の手を握る。
シルヴァンの、言葉を待つ。
彼は一度、深く息を吐いた。
覚悟を整えるための、短い沈黙。
そして――
「私と、結婚してください」
低く、静かな声。
けれど、その一言には、
今まで彼が飲み込んできた想いのすべてが、込められていた。




