19.私は、シルヴァン様の婚約者ですもの。
馬車が屋敷の前で止まった。
扉が開くのを待つのももどかしく、自分で押し開けて外に飛び降りる。
足元の砂利が鳴った。
空は、もうすっかり暗い。
灯りのともった屋敷の玄関から、アダンが出迎えに出てくるのが見えた。
私はその姿を認めるなり、駆け寄る。
驚いたように口を開きかけたアダンより先に、私は尋ねていた。
「シルヴァン様は」
「お、お庭に」
やっぱり。
胸の奥がきゅっと締まる。
私はドレスの裾を持ち上げ、そのまま庭へと走り出した。
月明かりに照らされたラベンダー畑が、静かな海のように広がっている。
その中に、ひとり座り込んだ人影があった。
「シルヴァン様!」
声を張り上げると、その人物ははっとしたように立ち上がり、こちらを振り返る。
駆け寄る私を見て、目を見開いた。
「シェリー嬢……」
「どうして、こんなところで待ってるんですか! 寒いのに!」
思わず声が大きくなってしまい、シルヴァンがびくりと肩を揺らす。
次の瞬間、彼は慌てたように自分の上着を脱ぎ、私の肩に掛けてきた。
「違います、そうじゃなくて……っ」
私はその手を、咄嗟に掴んだ。
冷たい。
相変わらずの優しさが切ない。
「私が寒いんじゃなくて……っ」
そのまま、彼の手を握りしめる。
「朝食のあとから、ずっとここにいたんですか?
私が出掛けたこと、知らなかったんですか?」
つい、詰めるような言い方になってしまう。
春とはいえ、ここは緑に囲まれた小高い山の中だ。
夕方を過ぎれば、肌寒くなる。
冷たくなった手が、長い時間、彼が外に居たことを物語っていた。
シルヴァンは少し言いづらそうに視線を逸らし、やがて口を開いた。
「……少しして、あなたが出掛けたと、アダンが伝えに来た」
「じゃあ、どうして屋敷に戻らなかったんですか」
「考え事をしていたら……いつの間にか、空が暗くなっていて」
そう言って、彼は夜空を見上げる。
それから、私の手に握られているもの――
折り畳まれた手紙へと、視線が移った。
「それに……」
言葉を選ぶように、一瞬だけ間を置いてから。
「待っていると書いた以上、
あなたが戻ってきたとき、ちゃんとここに居たかったので……」
その一言で、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
誠実を通り越して、馬鹿真面目すぎる。
後回しにしないで、すぐに手紙を読めばよかった。朝の自分を責めたくなる。
「……手紙、読みました」
そう告げると、シルヴァンは私の顔を見て、はっとしたように表情を引きしめた。
何か言おうとして、口を開きかける。
けれど、その前に、私は首を振った。
「待って。謝罪はいりません」
思っていたより、声は落ち着いていた。
シルヴァンが、言葉を失ったまま私を見る。
「そんな言葉を聞きにきたんじゃないんです。
だって……貴方は悪くない。謝る必要なんて、ありません」
一瞬、彼の目が見開かれた。
「……私が、あなたを傷つけたことは事実です」
「でもきっと、貴方のことを知れていれば、傷つく必要なんてなかったことです!」
その言葉に、シルヴァンの息が詰まるのが分かった。
私は、彼の冷たくなった手を、もう一度そっと握る。
「だから、教えてください。貴方のことを、ちゃんと知りたいんです」
もう、誤解したくない。
逃げ場を与えないように、それでも責めるためではなく。
私は、まっすぐにシルヴァンを見つめた。
しばらくして、彼はゆっくりと息を吐く。
重たいものを、ひとつ降ろすみたいに。
寄せられた眉のまま、
私が握ったままだった彼の手を持ち上げ、その甲に、そっと額を当てた。
「……どうして……」
絞り出すような声だった。
私は、ほんの一瞬だけ迷ってから、答えた。
「……私は、シルヴァン様の婚約者ですもの」




