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15.ここは、夢の中なのでしょうか。


「……やっちゃった」


結局、あまり眠れないまま朝を迎えてしまった。


昨晩のハーブティーの香りはとてもよく、心はたしかに落ち着いた。

けれど、飲み干してベッドに入った途端、またいろいろと考え始めてしまって駄目だった。

ごろごろと無限に寝返りを打ち続けているうちに、いつの間にか空が白み始めていた。


「……昨日は一睡もできなかったんですか?」


そんな私の顔を見て、朝の支度を手伝いに来たエマが、開口一番そう言った。


「私、そんなにひどい顔してる?」

「目の下に、しっかり隈ができてますよ……」

「最悪……」


そう言いながら、私は鏡の前の椅子に腰を下ろす。


「お可哀そうに、お嬢様……やっぱり、エマがこの屋敷を燃やすしか――」

「やめなさい」


エマは口を尖らせながらも、すぐに私の後ろへ回り、髪をとかし始めた。

一体いつから、こんなに口の悪い子になってしまったのだろう。

もしも私の影響だったら、少し申し訳ない。


「あ。すみません、忘れるところでした」


櫛を動かしながら、エマが思い出したように言う。


「実は、ここに来る途中で……シルヴァン様から、お嬢様にお預かりものが」

「預かりもの?」


そう言って、エマがエプロンのポケットから取り出したのは一通の封筒だった。


(ハーブティーの次は、手紙……)


中から便箋を取り出すと、一枚きりの紙に、丸みのあるなだらかな文字が並んでいた。

シルヴァンの――少しいびつだけれど、どこか真面目さの滲む字だ。


公的な書類の類ではなさそうだった。ただの私宛の手紙のようだ。

宛名と書き出しの数行に目を通したところで、私はそっと紙を折りたたんだ。


「お気持ち表明文かぁ……」


うっかり現代用語を使ってしまい、エマが首を傾げる。


「……大丈夫ですか? もしかして、ひどいこと書かれてました?」


「ううん、違うの。まだ冒頭しか読んでないんだけど……急ぎの内容ではなさそうだから、あとで、ゆっくり読もうかなって思って」


正直なところ、寝不足で回り切っていない頭に、シルヴァンの“いびつな文字によるお気持ち長文”は、少し重い。


書き出しの雰囲気からして、昨日のことを詫びるような内容なのだろうという予想はついた。

一生懸命書いてもらったところ悪いとは思うけど、移動時間の長い馬車の中で読ませてもらうことにする。


私は便箋を封筒に戻した。


「クリーニングに出してるドレスは、まだ戻ってきてないの?」

「はい。今日の午後には届くと思うのですが」

「そう……」


鏡越しに、クローゼットの方へ視線をやる。


残っているのは、落ち着いた色合いのドレスばかりだったはずだ。


(別に……シルヴァンの好みに合わせなくてもいいんだけど)


自然と脳裏に彼の顔が浮かんでハッとする。

合わせる必要なんかない。ないものは、仕方がない。


「お嬢様。屋敷のメイドから聞いたのですが、馬車で一時間ほどのところに美味しいタルトのお店があるそうなんです」

「タルト?」

「ええ。気分転換に、いかがでしょう? このお屋敷に来てから、まだ一度も外出されてませんし」


たしかに。

ここへ来てすぐは、王都からの移動の疲れで何もできず。

その後も、荷物の整理や屋敷の確認で、気づけば数日が過ぎていた。


「……そうね」


そう言うと、鏡越しに見えるエマの表情がぱっと明るくなった。


「行きましょう! 行きましょう! お支度が終わったら、アダンさんにお伝えしてきますね」

「ありがとう」


エマは嬉しそうに頷き、櫛を持つ手を少しだけ弾ませる。

その様子を見て、胸の奥に溜まっていた重さが、ほんのわずかにほどけた気がした。


その後、私はシルヴァンと一緒に朝食をとった。


――といっても、会話らしい会話はほとんどなかった。

食器の音と、給仕の足音だけが、やけに大きく感じられる食卓。


互いに何かを言うでもなく、視線が合えば、どちらからともなく逸らす。

昨夜の出来事を、触れてはいけないものとして、二人とも黙って抱えたまま。


私は逃げるように自室に戻り、しばらくベッドに倒れ込む。


味は……あったはずだ。

でも正直、パンだったのかスープだったのかすら、あまり記憶にない。


寝不足に、過度なストレス。

そのうえ朝っぱらから、ろくに噛みもせず胃に放り込まれた食べ物たちを、私の胃が必死の形相で消化していた。

苦労をかけてすまない、私の胃。


しばらく身動きせず、そのまま大人しくしていると、ようやく内臓たちが落ち着いてきた気配がした。


それから一時間ほど休んで。

身支度を整え、私はエマと一緒に馬車へ乗り込んだ。




---




屋敷を出てからおよそ一時間。

道は舗装されているとは言いがたく、所々で馬車が揺れる。


「……やっぱり、お尻が痛い」


王都からここへ来たときの、何時間にも及ぶ移動に比べれば、まだずっとましだ。

それでも、揺れに慣れるというものはなく、私は何度目かの体勢調整を試みる。


「大丈夫ですか? お嬢様」

「うん。覚悟してた分、心のダメージは少ないかな……」


そんなことを言い合いながら、窓の外に目を向ける。


国の端っこ、辺境の地――

もっと荒れていて、活気のない場所を想像していた。


しかし、実際にみる街並みは、思っていたよりずっと穏やかだった。

人通りは多くないけれど、寂れているわけでもない。


畑や農場が点在し、作物もよく育っているように見えた。

手入れが行き届いていて、生活がきちんと続いている土地だ。


(……のどかで、いいところだな)


目に映る景色の中には、人々の生活の気配があふれている。

ロマンチックな恋愛小説の裏側に、こんなにも厚みのある日常が広がっているなんて、いったい誰が想像できただろう。


頬をなでる風。

しめった土の匂い。

五感で感じるすべてのものが、この世界が確かに「存在している」ことを、静かに教えてくる。


(……なのに、ずっと不思議な気分なんだよね)


転生者としての記憶が、この世界を、どこか夢の中の出来事のように感じさせる。


すべてが、大筋のストーリーに沿って作られただけの、書き割りの舞台なんじゃないか――

そんな疑念が、ふと胸をよぎる時がある。


(もし夢だとしたら……どっちが夢で、どっちが現実なんだろ)


……いけない。

異世界転生ジャンルで、転生の原理だの謎だのを気にし始めたら、精神崩壊一直線だ。

考えてはならない。


人間、メンタルが沈むと、今まで気にも留めなかったことまで考え始めてしまうものだ。


余計な思考を振り払うように、私は小さく首を振った。


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