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第1話「21,837という数字」

黒板に大きく書かれた「21,837」。

それは、2023年に自ら命を絶った人々の数だった。

「数字の向こうにあるのは、一人一人の人生」――。

政治と経済が、命とどう結びついているのか。

青春と社会をつなぐミステリー、第5巻第1話。

# 天野先生の政治経済教室


## 第5巻「数字が泣いている〜生命と政策〜」


### 第1話「21,837という数字」


-----


新学期が始まって一ヶ月。


放課後の教室で、葵は何かの記事を読んで眉をひそめていた。


「先生、これって本当なんですか?」


天野が近づくと、葵のスマホには厚生労働省の発表記事が映っている。


「2023年の自殺者数、21,837人か」天野は記事を読み上げる。「残念ながら事実だ」


健太が席から振り返る。「21,837人って…すごい数ですね」


「一日あたり約60人」怜が計算する。「1時間に2〜3人」


遥が暗い顔をする。「なんか、重すぎる話になりそう…」


天野は穏やかに答えた。「重い話題だが、避けて通れない現実でもある。今日から第5巻、政策と生命の関係について考えてみよう」


葵が心配そうに言う。「でも、自殺の原因って個人的な問題じゃないんですか? 政治と関係あるんですか?」


「それを検証してみよう」天野は黒板に「21,837」と大きく書いた。「まず、この数字をどう捉えるかから始めよう」


健太が手を挙げる。「多いのか少ないのか、よく分からない」


「国際比較してみよう」天野が説明を始める。「日本の自殺率は人口10万人あたり約18人。OECD平均は約11人だから、確実に高い」


遥が驚く。「そんなに高いんですか?」


「韓国が約24人でOECD最高、アメリカが約14人、ドイツが約9人、イギリスが約7人。日本は上位グループに入ってしまう」


怜が分析的に言う。「でも昔と比べてどうなんですか? 増えてるのか減ってるのか」


「それが複雑なところだ」天野は時系列のデータを口頭で説明した。「1998年に急増して3万人を超えた。その後しばらく3万人台が続いて、2012年頃から減少傾向。でも最近また増加に転じている」


葵が気づく。「1998年って、何があったんですか?」


「経済危機だ。アジア通貨危機の影響で、日本でも大手金融機関が破綻し、失業率が急上昇した」


健太が理解する。「つまり、経済状況と関係があるってこと?」


「少なくとも無関係ではない」天野は慎重に答えた。「ただし、経済だけが原因ではない」


天野は自殺の背景について説明を続けた。


「警察庁の統計では、動機を健康問題、経済・生活問題、家庭問題、勤務問題などに分類している。最も多いのは健康問題だが、経済・生活問題も大きな割合を占める」


遥が暗い顔で言う。「お金の問題で亡くなる人がいるなんて…」


「でも」怜が別の視点を提示する。「健康問題が一番多いなら、医療の問題じゃないですか?」


「鋭い指摘だ。実は健康問題と経済問題は密接に関連している」


天野は両者の関係を説明した。


「うつ病などの精神的な病気は、失業や経済的困窮によって引き起こされることが多い。逆に、病気になることで働けなくなり、経済状況が悪化することもある」


葵が理解したように頷く。「悪循環になってるんですね」


「そうだ。そして、この悪循環を断ち切るのが政策の役割でもある」


健太が疑問を呈する。「でも政策って、そんなに個人の生活に影響するものなんですか?」


天野は具体例を出し始めた。


「例えば雇用政策。正規雇用が減って非正規雇用が増えれば、生活が不安定になる人が増える。第2巻で学んだ通りだ」


「社会保障政策も重要だ。生活保護の申請が困難だったり、失業保険の給付期間が短かったりすれば、困窮した時の支えがない」


遥が心配そうに言う。「確かに、将来への不安は大きくなりそう」


「医療政策も関係する」天野が続ける。「精神科の受診に対する偏見があったり、医療費が高すぎたりすれば、必要な治療を受けられない人が出てくる」


怜が整理する。「つまり、個人の問題のように見えても、実は社会全体の仕組みが影響している」


「その通りだ。では、これらの政策を改善すれば、自殺者数は減らせるのだろうか?」


葵が前向きに言う。「減らせそうですけど…実際はどうなんですか?」


天野は成功例を紹介した。


「実は日本でも、一定の成果が出ている取り組みがある」


「2006年に自殺対策基本法が制定された。その後、自殺対策の予算が増額され、相談体制の整備、うつ病対策の強化、経済支援の充実などが行われた」


健太が興味を示す。「効果はあったんですか?」


「2012年頃から自殺者数は確実に減少した。3万人台から2万人台前半まで減った」


遥が希望を感じる。「政策で人の命が救えるんですね」


「ただし」天野は現実も指摘した。「完全に解決したわけではない。コロナ禍以降、また増加に転じている」


怜が分析する。「経済的な打撃や社会的孤立が影響したんでしょうか?」


「その通りだと考えられている。特に女性と若年層の自殺者数増加が目立つ」


葵が心配そうに言う。「私たちの世代も影響を受けてるってことですか?」


天野は統計を説明した。


「15歳から39歳の死因の第一位が自殺という状況が続いている。これは先進国でも珍しい」


健太が驚く。「病気や事故より自殺の方が多いんですか?」


「残念ながらそうだ。若い世代にとって、社会環境が非常に厳しいことを示している」


遥が不安そうに言う。「就職も大変だし、将来への不安も大きいし…」


「その不安は正当なものだ」天野は生徒たちの気持ちを受け止めた。「でも同時に、状況を改善する方法もある」


天野は海外の事例を紹介した。


「フィンランドでは、1990年代に自殺率がピークに達した後、包括的な自殺予防プログラムを実施した。医療従事者への教育、メディアガイドラインの策定、社会保障制度の充実などを組み合わせた結果、自殺率を大幅に減少させることができた」


怜が興味深そうに言う。「どんな政策が効果的だったんですか?」


「まず、精神保健医療の充実。うつ病の早期発見と治療体制を整備した」


「次に、失業者への支援強化。職業訓練だけでなく、心理的なサポートも提供した」


「そして、社会的孤立を防ぐためのコミュニティ活動の促進」


葵が感心する。「総合的なアプローチが必要なんですね」


「一つの政策だけでは解決困難な複合的問題だからだ」


健太が現実的に聞く。「でも、そういう政策って予算がかかりますよね?」


「確かにかかる。でも、自殺による社会的損失と比較してどうだろう?」


天野は経済的側面も説明した。


「内閣府の試算では、自殺による経済損失は年間約1兆9千億円とされている。失われた労働力、医療費、遺族のケア費用などを含めた計算だ」


遥が驚く。「そんなに大きな損失があるんですか?」


「人の命を経済的価値で測ることには抵抗があるが、政策立案の際には必要な視点でもある」


怜が冷静に分析する。「つまり、自殺対策にお金をかけても、長期的には社会全体の利益になる」


「そういう計算も成り立つ。ただし、何より大切なのは人の命そのものの価値だ」


葵が深く考え込む。「でも、なぜもっと積極的な対策が取られないんでしょう?」


天野は政治的な課題を説明した。


「一つは、自殺の問題が『見えにくい』ことだ。交通事故と違って、事件として大きく報道されることは少ない」


「もう一つは、『自己責任論』の問題だ。個人の問題だと考える人が多く、社会全体で取り組むべき課題だという認識が薄い」


健太がため息をつく。「結局、政治の優先順位が低いってことですか?」


「残念ながら、そういう面もある」天野は認めた。「でも、変化の兆しもある」


「どんな変化ですか?」遥が尋ねる。


「若い世代を中心に、メンタルヘルスに対する意識が変わってきている。心の病気を恥ずかしいものと考えず、適切な治療を受けるべきだという認識が広がっている」


葵が希望を感じる。「確かに、私たちの周りでも、そういう話をオープンにする人が増えました」


「企業でも、従業員のメンタルヘルス対策を重視するところが増えている。人材不足の中で、従業員の健康管理が経営課題になっているからだ」


怜が前向きに言う。「社会全体の意識が変われば、政治も変わる可能性がある」


「そうだ。そのためには、私たちが問題を正しく理解し、声を上げることが重要だ」


天野は生徒たちに向き合った。


「21,837という数字は、単なる統計ではない。一人一人が大切な存在だったし、周りには悲しむ人たちがいる」


健太が静かに言う。「重い数字ですね」


「重いからこそ、軽く扱ってはいけない。でも、絶望する必要もない。適切な政策と社会の支援があれば、多くの命を救うことができる」


遥が決意を込めて言う。「私たちにもできることがありますか?」


「ある。まず、この問題について関心を持ち続けること。友人や家族が困っている時に手を差し伸べること。そして、自殺対策を重視する政治家を支持すること」


葵が付け加える。「自分自身の心の健康も大切にしないといけませんね」


「その通りだ。助けを求めることは恥ずかしいことではない。むしろ勇気のいることだ」


天野は最後のメッセージを伝えた。


「次回は、子どもの貧困について考えよう。こちらも政策と直結する生命に関わる問題だ」


時計を見ると、いつもより長い時間が経っていた。


「今日は重いテーマだったが、君たちなりに考えてくれたと思う」


生徒たちが帰り支度をする中、葵が静かに言った。


「21,837人…一人一人に人生があったんですよね」


「そうだ。だからこそ、この数字を忘れてはいけない」


健太が真剣な表情で付け加える。「でも、変えることもできる」


「変えるための努力を続けよう」怜が締めくくった。


夕暮れの校舎を歩きながら、生徒たちはそれぞれ考えていた。


政治や経済の話が、こんなに身近で、こんなに重要な意味を持つなんて。


数字の向こう側には、いつも人の命がある。


そのことを忘れずに、より良い社会を作っていかなければならない。


-----


**〈第2話へ続く〉**


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### 【この話で学んだポイント】


**自殺統計の現実**

日本の自殺者数は年間約2万2千人で、OECD諸国の中でも高い水準にある。1998年の経済危機以降に急増し、対策により一度減少したが、コロナ禍で再び増加傾向。


**政策との関連性**

自殺の背景には経済・雇用問題、医療・社会保障制度、社会的孤立など、政策が関わる要因が多数存在。個人的な問題に見えても、社会システムの影響を強く受けている。


**対策の可能性**

自殺対策基本法制定後、包括的な取り組みにより自殺者数は実際に減少した。フィンランドなど海外でも成功事例がある。適切な政策により改善は可能。


**経済的側面**

自殺による社会的経済損失は年間約1兆9千億円。対策費用を上回る損失であり、経済的観点からも対策の重要性が裏付けられる。


**意識の変化**

メンタルヘルスへの社会的理解が向上し、企業でも対策が重視されるようになった。若い世代を中心とした意識変化が政策にも影響を与える可能性。


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### 【実際のデータと根拠】


**自殺統計**

厚生労働省「自殺対策白書」、警察庁「自殺統計」による公式データ。国際比較はOECD Health Statistics。


**自殺対策の効果**

2006年自殺対策基本法制定後の自殺者数減少は統計的に確認可能。内閣府自殺対策推進室の分析。


**経済損失試算**

内閣府「自殺対策に関する意識調査」における経済的影響の試算。


**フィンランドの事例**

WHO等の国際機関による自殺予防成功事例として広く紹介されている実例。


**重要な注意**

この物語では自殺という重いテーマを扱っていますが、絶望感を与えることではなく、社会的取り組みの可能性と希望を示すことを目的としています。もし読者の中で深刻な悩みを抱えている方がいらっしゃいましたら、専門の相談機関(いのちの電話:0570-783-556等)にご相談ください。


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*命は何よりも大切です。一人で悩まず、周りの人や専門機関に相談することを忘れないでください。*

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