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第八編 卒都婆玉兎・上

 魔王カイリス──その名は、ネクロハイヴ禁術書館を築き上げた魔王の名。そして、そこに収められたすべての禁断の書を、たったひとりで書き上げた魔王の名である。

 もう一つ──その名には、特別な意味がある。

 魔王カイリスは歴代の魔王の中で、この人魔の両世界を死と闇に落とし、統一を果たした唯一の覇者である。


 ──カイリスが生を受けたのは、古代期の混沌に覆われた闇の時代。

 その出生地は魔界の奥深く、瘴気が覆い、邪悪な力が絶え間なく渦巻く暗黒の森であった。


 カイリスの母は、その森で孤独な出産を迎えた。カイリスが産み落とされ、その産声が響いた瞬間、森は恐怖に凍りついた。木々は呻くように軋み、大地は凍結し、空気そのものが息をすることを拒むかのように冷え切った。

 それは祝福ではなく、世界そのものが新たな災厄の誕生を拒絶するかのような兆しだった。


 だが、母の腕に抱き上げられたその赤子には、母の腕の温もりさえも呑み込み、世界を覆い尽くす破滅の意思が、すでに潜んでいた──


 カイリスは生まれながらにして、自らの力が同族のヴァンパイアや、他の闇の種族の中でも突出していることを理解していた。

 母はもちろん、手を差し伸べてきた同族、あるいは襲いかかってきた敵ですら、カイリスの目には取るに足らぬ塵芥にしか映らなかった。


 年月が経ち、カイリスの成長と共に芽吹いた闇への探求心が、さらに途轍もない存在へと進化させていった。力は常軌を逸して増大し、知識と共に黒き闇を纏い、やがて誰ひとりとして比肩する者のいない領域に至ったのである。

 カイリスの力に気付いた他のヴァンパイアたちは、その力に畏怖と崇拝の念を抱いた。彼らはカイリスの異能と、飽くなき探求に魅了されたかのように、やがてヴァンパイアの王として戴くに至った。


 しかし、その中にはカイリスの持つ邪悪な力に深い懸念を抱く者もいた。

 だが、すでに圧倒的な力を振るうカイリスに、もはや逆らえる者はいなかった。反対の声は沈黙し、カイリスの野望を表向きは支持しながら、その一方で怯えと恐怖にかられ、傍らで密かにただ黙するしか手は無かった。


 ──彼らはカイリスを王と仰ぎながら、その胸中で「この王こそ、いつか我らすべてを滅ぼす」と予言していた。


 やがて、カイリスを頂点とする闇の勢力の支配は魔界の隅々にまで及び、その名はもはや魔界で知らぬ者はいなくなった。

 その過程で、強大な力を前に屈した者たちの中には、カイリスを利用しようと陰謀を巡らす愚か者も現れた。彼らは己の野望のために魔王の手を操ろうと画策した。

 一方で、カイリスを絶対的に崇拝する者たちは、そうした不穏な動きを激しく糾弾し、組織内部には亀裂が生まれた。


 だが、カイリスにとっては、そのどちらも、取るに足らない塵芥であることになんら変わりはなかった。

 その眼差しはただひたすら、より深く黒い闇の力の探求へと向けられ、他者を振り返ることなど一度もしなかった。

 そして、いつしかカイリスは、魔王と呼ばれるに至っていた。


 ──ある日、忠実なる配下のひとりが『月霊の杖』と呼ばれる品を献上した。

 それは、貢物と呼ぶにはあまりに質素な、ただの棒切れにしか見えぬ杖であった。だが、その者は言った。

「この杖には月の精霊が宿っております。選ばれし者のみが、その真の価値を知るでしょう」 と。


 カイリスがその杖を手に取った瞬間、その言葉は現実となった。

 闇に包まれたカイリスの心に、月霊の囁きが流れ込み、深淵の影を照らす虚ろな月光が交錯した。

 杖はカイリスをさらなる闇の奥底へと誘い、そしてカイリス自身もまた、歓喜して身を投じていった。


 ──その瞬間から、月霊の杖はただの道具ではなく、カイリスと共に在り、世界を闇に堕とすための導き手となったのである。


 その日より、カイリスは執拗にその力を振るい始めた。

 元より世界の支配、いや──自分以外の存在に価値を見出していなかったカイリスが、杖の力を振るうためだけに、血塗られた戦場に赴いた。

 そして、未だカイリスを王と認めぬ敵の前に立つと、杖を高く掲げ、闇そのものと融け合い一体となったのだった。


 深淵は心を塗り潰し、その吐息すら冥界からの呼び声のように戦場へ響き渡った。その囁きに応えるかのように、血に沈んだ死者たちが軋む音を立てて立ち上がり、敵味方の区別なく、操り人形となって蘇った。

 カイリスが初めて他者を必要としたのは、死骸と怨嗟の呪縛、その生贄のためだった。


 カイリスは冷ややかな微笑を浮かべ、死者を矢のごとく敵へと差し向けた。

 かつての同胞が同胞を襲う光景は、敵の心を打ち砕き、戦意を絶望へと変えた。その恐るべき力は、あらゆる敵を死者へと変え、その魂を無慈悲に引き裂いた。


 その力の前では、生者も死者も等しく意味を失った。人々は死者の軍勢を前にして成す術なく、恐怖の嵐に呑み込まれた。

 かくして、カイリスは死をもってこの世界を平らげ、唯一の王として君臨するに至った──


 王となったカイリスの周囲には常闇が蠢き、耳を澄ませば、死者のため息が聞こえるかのようだった。

 玉座に座るカイリスは、傅く配下の心の内でさえ、死霊によって暴き立てた。その氷のような眼差しに射抜かれることは、敵ばかりか味方にさえ不可避な運命を告げる凶兆となった。


 その恐るべき姿は、まさしく死神そのものであり、一度でも目にした者は恐怖に憑りつかれた。その存在そのものが、深淵の底から邪悪な魂を呼び寄せる灯火となり、さらなる闇を引き寄せた。

 月霊の杖の力がカイリスを包み込むたびに、その姿は一層歪み、世界に恐怖を撒き散らす悪霊そのものへと変貌していったのだった。


 この世の支配者となったカイリスの力と野望が頂点に達した時、月霊の杖にもまた闇が満ち溢れた。

 その時、杖に秘められし真なる禁術──禁忌の極みにして、触れてはならぬ儀式の封印が解かれた。


 カイリスはその禁断の儀式『卒都婆玉兎(ストゥーパシャシャ)』によって、己を完全なる不死へと昇華させた。

 不死となった魔王カイリスの姿は、永遠の支配と暗黒の未来を予感させた。誰もがその終わりなき恐怖を悟り、そして絶望した──。


 しかし──歴史が示すように、魔王カイリスの支配は、決して永遠には続かなかった……。


 そして今──時は流れ、魔界には新たな魔王アクレオスが誕生した。

 魔王アクレオスはまだ若き王でありながら、その名はすでに魔界を震わせ、伝説となって広がっていた。

 彼の力は、かつての魔王カイリスに匹敵すると囁かれ、ある者はその再来を恐れ、ある者は新たな覇道の始まりを待ち望んだ。


 魔界が大きな転換点を迎えようとするその最中、ネクロハイヴ禁術書館に、とある魔族が来訪した。

 その者は異例の待遇で迎えられ、応対に立ったのは他ならぬセレヴィア自身だった。


「オリヴァクス・タウリク・ヴァーキサル様。今宵は、何を御所望ですか?」

 彼女の声は美しく澄み渡り、禁書館の石壁に柔らかく反響した。だがその調べが途切れるより早く、男は言葉を被せた。

「デュヴァイネルちゃんは、相変わらず見事な髪をしている。──だが、それほど長ければ、手入れも骨が折れるだろう」

 馴れ馴れしくずけずけと踏み込む声音には、セレヴィアの質問に答えようする意志はまったくなく、嘲弄と戯れが入り混じっていた。

 それでもセレヴィアは、眉一つ動かさない。彼女の沈黙は拒絶でも苛立ちでもなく、研ぎ澄まされた刃のように冷ややかで、逆に男の無礼を際立たせていた。


「今日は──アルテアちゃんは御出かな? できれば彼女にも同席して頂きたいのだが……」

 誰にも咎められぬことを知っているかのように、男の無遠慮は際限なく続いた。

 だが、アルテアの名が軽々しく口にされてもなお、セレヴィアの声音は一片も揺らぎなく、氷のように澄んだ声が返る。

「ヴァーキサル様、まずは御用を。──その上で、私からアルテア様にご報告いたします」


「うーん……仕方ない。まあ、同じことだろうがな……」

 肩をすくめて笑う男の顔には歪みが浮かぶ。

「ところで──いつになったら、私をオリヴァと呼んでくれるのかな?」

 からかい半分の声音の裏に、妙な執着が滲んでいた。その不躾な戯れを切り上げるように、オリヴァはようやく腰を落ち着け、わざとらしく溜息を吐いた。


「さて……では、本題に入ろうか。今日ここを訪れたのは他でもない──魔王アクレオスを殺す為だ」

 その瞬間、空気が変わった。軽薄な笑みは消え、冷えた刃のような声音が場を貫く。オリヴァの態度に全く反応しなかったセレヴィアの氷のような瞳でさえ、わずかに揺らいだ。


「あのような魔族がどこに潜み、力を蓄えていたか皆目見当もつかないが……あの力は途轍もなく厄介だ。

前魔王ですら抗うことを諦め、首を差し出したほどの圧倒的な魔力量。いや……、それよりも──

どうやっているのかは知らんが、火と水という相反する属性をひとつの身に封じ込み、触れたものを例外なく消滅させる、あの不条理な力……」

 先ほどまでの軽薄さは跡形もなく、オリヴァの声音は鋭く研ぎ澄まされていた。引き締まった表情で、魔王の力を分析していた。


「セレヴィア──あの力に、ここの禁術書で対抗する術はないのか?」

 それは、このネクロハイヴ禁術書館のルールを熟知する聞き方だった。セレヴィアに、この問いを拒絶する権利はない。


 彼女は一拍置き、静かに言葉を紡ぐ。

「……たとえ、どれほどの犠牲を払っても、確実に葬り去ることを望まれますか?

それとも──犠牲を避け、時をかけて殺すことがお望みですか?」


 現魔王の暗殺を口にするなど、本来であれば許されぬ禁忌にほかならない。しかし、このふたりの間には、歪ながらそれができる関係性が確かにあった。

 互いの打算に彩られた黒い欲望が、危うい均衡を築いていた。


「『鏡写(きょうしゃ)銀環(ぎんかん)』か。あれならば確かに、あらゆるものを葬り去れるだろう……。

だが、魔王との心中は御免被る。もっとも──事を為したのち、この書館でセレヴィアと生活を共にできるというのであれば、話は別だが……」

「それと──時間をかけるなど論外だ。あの魔王はどうにも好かん。

あれは脆い、強さに確固たる意志が感じられん。あれで、セレノストラの再来などとは、笑わせてくれる」

 オリヴァの言葉に、再び軽さが戻ってくる。だが、その慧眼は魔王アクレオスの虚飾を剥ぎ取り、その本質を正確に射抜いていた。

 セレヴィアは黙してその言葉を受け止める。眉目を曇らせぬまま、わずかに呼吸を深めた仕草が、彼女の内心の動揺を物語っていた。


 ネクロハイヴ禁術書館における禁術書に関わるすべての記録は、例外なく秘匿される。

 誰がいつ、どの書を手にし、どのように行使したか──その記録は館の深奥に封じられ、外部に洩れることは決してない。


 セレヴィアは、オリヴァが果たしてどこまでを見抜いているのか、心中で慎重に測っていた。

 禁術書に関わる記録は分からずとも、蔵書に通じ、禁術の理を熟知する者であれば、目の前で起きた事象が禁術によるものかどうかを見破ることはできる。


 オリヴァクス・タウリク・ヴァーキサル──この魔族は、前魔王の側近でありながら、変わり身の早さで、現魔王アクレオスにも表向きには殉じている。

 だが、その真の姿は別にあった。この悪魔は、かつて魔王カイリスの治世にも仕えていた、数少ない古代の上級悪魔のひとりである。

 名こそ広く知られてはいるものの、その真の姿を知る者は、今やほとんど残されていなかった。


 セレヴィアの視線は、一介の客に対してではなく、時代を跨いで魔王に仕え続けた異端の悪魔を映していた。


「では、封印術などはいかがですか?

ただ、魔王の封印ともなれば、相応の代償を支払うことにはなるでしょうが……」

 代替案を提示するセレヴィアの口元を、オリヴァは冷めた目で眺める。そして、ひとつ長い息を吐き出した。


「あれがもし──禁術によって生まれたものであるのなら、あの危うさも頷けるのだがね。

デュヴァイネルちゃんの口からは、その答えは聞けないか……」

 軽口の中には深い洞察が感じ取れる。それを証明するように、その眼差しの奥底には鋭利な輝きが潜んでいた。


「まあいい。ここの司書たちが職務に忠実なのは承知している。責めるつもりは毛頭ない。

ただ……偽物が王座に座っているのが気に食わん、それだけの話さ」

 ふっと笑い声を洩らしながら、オリヴァは続ける。


「ならば、その苛立ちを晴らすために、目についた司書をひとりふたり血祭りにあげたとて……別に差し支えはないだろう?」

 飄々とした声音の奥に、刹那だけ濃厚な殺気が混じった。だがそれは次の瞬間には霧散し、何事もなかったかのように笑みだけが残る。それが本気であるのか、冗談であるのか、どちらにも取れるように送った、セレヴィアへの脅迫だった。


 上級悪魔とて不死ではなく、永遠には生きられない。その体は悠久の時を経て、いつかは崩壊する。

 だが、魔族の魂は地に残り続ける。そして、来るべき時に顕現した肉体に乗り移り転生する。

 今のオリヴァもまた、その幾度目かの転生を経た姿である。原初の姿はとうに失われて久しいが、その魂に刻まれた知識と経験は途方もない。そして、そうとは思えぬほど、今の姿は若々しく、鍛え抜かれた肉体を纏っていた。


 そんな存在の脅迫に表立って逆らっても、セレヴィアに勝ち目はない。そして、そのオリヴァですら、現魔王アクレオスには遠く及ばない。

 この危うい力の均衡こそが、彼をしてネクロハイヴ禁術書館に頼らざる負えない理由だった。

 そして、セレヴィアもまたそれを知るがゆえに、この歪んだ天秤はかろうじて保たれていた。


「──それが望みですか?」

 長く沈黙していたセレヴィアが、わずかに視線を上げる。その瞬間、オリヴァの背後から、消え入りそうな囁きが響いた。

 不意の気配に全く気付けなかったオリヴァは、反射的に振り向く。そこにあった白磁のようなその面影を目にした途端、先ほどまでの険は跡形もなく消え去り、彼の顔に朗らかな笑みが浮かんだ。


「まさか! そのようなこと、私にできるはずがない。

ただ……私はあの魔王に抗する手段を、いざという時のために備えておきたいのです」

 つい先ほどまで司書を脅すような言葉を口にしていたとは思えぬほど、オリヴァの声音には柔らかさが宿っていた。アルテアの前では、彼の軽薄ささえも恭順に転じ遜っていた。


「魔王に備える?」 オリヴァの言葉を受け、アルテアはかすかな声で問い返した。


「──いや、これは失言だったな。魔王に備えるなど、愚にもつかぬ話。我ら魔族は、ただ従うのみ……」

 軽く首を振り、笑みを浮かべながらオリヴァは続けた。

「私が懸念するのは、ただ一つ。このネクロハイヴ禁術書館を、魔王アクレオスが許すのか否か……。それだけのことですよ」

 先ほどまでの強硬な物言いを打ち消すような調子でオリヴァは話す。その声音には、まるで冗談めいた軽さの裏に真意を隠すかのような薄気味悪さが漂い、本心がどこにあるのか誰にも掴ませなかった。


 その二枚舌に踊らされぬよう努めながらも、決して表には出さぬセレヴィアの胸の奥には、不愉快な小さな波紋が広がっていた。

 一方でアルテアは、凍りついたような沈黙をもってオリヴァを見据えていた。その眼差しの冷淡さは、彼の軽薄な仮面を残らず剥ぎ取っていくようだった。


「──セレヴィア、ダリアンをこちらへ」

 唐突な指示が飛ぶ。その声音には感情の揺らぎが一切なく、ただ部屋の空気を切り裂いた。セレヴィアは、何も問わずに部屋を後にし、オリヴァもまた、意味深な笑みを残しながら、黙ってその背を見送った。


 やがて、ダリアンを伴って戻ったセレヴィアを一瞥すると、アルテアは再び口を開いた。

「貴方に彼を預けます。それで事足りるでしょう」


 それは、まるで未来を見通す預言者のように、必要以上の言葉を重ねることを拒む声音だった。そして次の瞬間には、アルテアの姿は霧のように掻き消えていた。

 その場に残された者たちに、その真意を理解できる者はいない。ただ、その言葉に逆らう権利もまた、誰も持ち合わせてはいなかった。


 その結末を前に、セレヴィアにはもはや語る言葉はなく、ダリアンは状況を呑み込む事すらできていなかった。

 見ず知らずのヴァンパイアの若造を任されたオリヴァは、前言の通り羽虫のごとく握り潰しもできたが、それをしなかったのは、アルテアの言葉がただ、可笑しかったからだ。まるで意味の分からぬその言動に、不快か喜悦か判別できぬまま、ただその口元だけを醜く歪めた。


 オリヴァはダリアンを伴い、魔王城へと舞い戻った。

 この優男に魔王を打ち倒す力があるとは、どうひいき目に見ても思えない。アルテアの真意は、オリヴァにすら見通せなかった。

 ならば、いっそ無策にも魔王の前に立たせてみるのも一興か──そう考えかけた矢先、脳裏に浮かんだアルテアの凍りつくような眼差しが、その思いつきを咎めた。

 オリヴァはダリアンをどのようにも扱えたが、彼に魔王城での自由を与え、好きにするように伝えた。ダリアンなどに蚊ほどの期待もしていなかったが、アルテアの予言には期待せずにはいられなかった。


 一方、ダリアンもまた、アルテアの意図を測りかねていた。

 自分の力など、魔王アクレオスどころか、融合前の精霊を宿すカレンやナイアスにさえ及ばない。小細工を弄したところで、どうなるものではないことを、誰よりも理解しているのは他ならぬ彼自身だった。


 ただ一つ、出立前にマクスから命じられた役目があった。

”融合体となったアクレオスは禁術書を所有する権利を失った。よって、直ちに回収すること”

 その職務こそが、いま彼に課せられた唯一の責務である。だが魔王を前に、それをどう果たすべきか──思い描く絵はまだ白紙のままだった。


 ダリアンにとっても、魔王アクレオスとの対峙はあまりに危険だった。

 アクレオスがダリアンを覚えている保証などどこにもない。──いや、覚えていない方が、まだ救いがある。

 カレンとナイアスの故郷を滅ぼしたアクレオスの目的が、過去の抹消である場合、全てを知るダリアンは確実に亡き者とされるだろう。


 アクレオスの内心がまるで読めず、それを探ること自体に命を掛けねばならない状況は、ダリアンに別の選択を選ばせた。

 それは──オリヴァとの対峙である。


「ヴァーキサル様。私から貴方に、一つご提案がございます」

 その声音は静かでありながらも、張り詰めた糸のような緊張を孕む。

 ダリアンのオリヴァを見据える目には、確かな覚悟が宿り、その提案を聞くだけの価値を、オリヴァに認めさせた。


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