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第三十九編 女王遊戯挟・中

 勇者の聖剣は、光り輝く。

 勇者アレインの力は神の加護を受け、深淵を前にして真価を発揮する。

 その聖剣の只一振りの剣閃は、死者の軍勢を薙ぎ払ってみせた。


 だが、闇に侵された大地から軍勢は何度でも立ち上がり、押し寄せる。

 勇者は再び剣を振るい、斬られた骸は砕け散る。だが、倒しても倒しても、終わりはなかった。

 いくつもの低く唸る声が、地獄から這い出る地鳴りのように周囲を震わせる。勇者を呪うその声は、軋む音を立てながら、闘うほどに肥大した。


 勇者は広がる深淵を前に、眼前で聖剣を握り締め、天へと掲げる。

「リュア・アイン=オル・ル=セファル──」 それは、聖剣の持つ力を解放する祈り。

「名を呼ぶ。始まりに在りし光よ。血と肉と魂を貫き、敵を赦せ」

 その声が天に届くと同時に、聖剣は煌めく光に包まれた。


 鋼の冷たさが、生きているように脈打つ。内側から滲み出すように、淡い光が金属そのものを透かし始める。

 聖剣の輪郭は曖昧に、そしてそのまま、光は勇者を呑み込んだ。


 光の中で、勇者は確かに声を聴いた。 ”──闇を滅せよ”


 光の鼓動は結晶化し、新たな形を纏わせる。天啓を全うせよと、勇者の元に遣わされる。

 その証、鍔に刻まれていた古き紋章が、光の中に浮かび上がり、新たな姿に刻印された。


 光の中から姿を現す聖剣は、もはや剣とは呼べない姿をしていた。

 剣身は勇者の身の丈を超え、刃と柄の境が消えた一本の細長い輝きが、天と地を結び立ち上がる。

 それは切るための剣ではなく、裁き、赦す、世界秩序の顕現だった。


 聖剣と一体化したアレインは再び、腕を振るった。それは、斬撃ではなかった。

 剣閃そのものが、戦場を薙ぎ払う。逃げ場のない光爆に、闇に侵された大地が、悲鳴を上げる。

 死者の軍勢は光に呑まれ、骨も瘴気も、存在の痕跡すら残さず消し飛ばされた。


 その瞬間、大地は光に満たされた。否、地だけではない、闇に閉ざされた魔界の天すら光が満ちる。

 勇者の聖剣は、死を繋ぎ留めていた禁術の糸を、問答無用で断ち切った。戦場は光に溢れ、死を呼ぶ闇を光は完全に飲み込んだ。

 その一瞬に、勇者は駆けた。この死の禁術の中心地、魔王オリヴァの元へ。死者の軍勢が開けた空白を、勇者アレインは駆け抜ける。


 だがその中で、オリヴァだけはなお黒い魔力を纏い続けていた。

 周囲で渦巻く負の瘴気は、光と接し紫苑の火花を散らす。禁術書『女王遊戯挟(エレシュ・エシェメン)』は、オリヴァの命すら呑みこみ、死の深淵へと到達していた。


 勇者は、魔王へ向けて、その死に向けて、聖剣を振り上げる。

 そこには、迷いなど一切あるはずもなかった。この腕が降りた時、それはこの戦いの終わりを意味した。


 だが、その一撃に呼応するかのように、魔王の足元から噴き上がる瘴気が、獣のように咆哮を上げた。

 闇は幾重にも重なり合い、うねりながら激しく逆巻く。練り上げられた巨大な暗黒は嵐となり、迫る勇者を迎え撃つように、その口を大きく開いた。

 そしてその闇の最奥から、二つの影が形を成し吐き出された。


 闇から這い出たその影たちは、勇者の前に立ち塞がった。

 ただ、それだけのことだった──たったそれだけの影二つが、勇者の腕を止めさせた。


”──……エルマ……キース……”


 そこにあったのは、かつて幾度も背を預け合った戦友の顔だった。

 勇者の脳裏に焼き付く記憶が、こんな時に、こんな時だからこそ、呼び起こされる。

 キースは良い奴だった。あんなに大きな体をして、誰よりも繊細に仲間を気遣った──。

 エルマは誰より明るい子だった。魔導の厳しい訓練にも、笑顔を絶やさなかった──。


 勇者の記憶が、今の姿を上書きする。映る姿を濁らせる。

 責めるでもなく、怨むでもなく、ただそこにいる影たちは、血に(まみ)れ、眼光には生が無い。それなのに、もうあのときとは違うのに、かつての姿を蘇らせた。


 これこそが、マクスがオリヴァに授けた勇者を殺す秘策だった。

 時間にしてほんの僅かな躊躇いに、オリヴァの闇は、聖剣の光よりも早く、勇者を貫いた──


 勇者は闇に呑み込まれた。

 ──失いたくなかった。 ──失わせたくもなかった。 ──でも、守れなかった。

 何も見えない闇の中、キースとエルマが、ゆっくりと歩き出す。勇者へ向かって、かつてと同じ距離を、同じ歩幅で。

 その足取りを見せているのは、勇者の記憶。闇の中、心の中にだけ、その光景が完璧に再現されていた。


 闇の奥で、オリヴァの残骸が低く笑った。

 魔王オリヴァはすでに女王遊戯挟に取り込まれ、闇そのものと一体化し、元の形を留めていない。

 彼程度では魔王カイリスの秘術を使いこなせない──それは、オリヴァ自身が誰より分かっていたことだった。だが彼の心には、後悔など微塵もなかった。


 勇者は、動けなかった。 ──二人を斬りたくなかった。 ──斬れなかった。

 オリヴァの闇の中で、勇者はどうすることもできなかった。

 だが、聖剣は煌めいた。 ”──闇を滅せよ”

 その声は、聖剣をさらに強く輝かせる。その力は、勇者であっても抑えられないものだった。


 勇者の指が、わずかに震えた。

 違う──これは自分の力ではない。

 斬るべきものは闇。闇にあるものは、すべて敵。聖剣には名も、顔も、記憶も区別がない。

 だめだ──聖剣を握るその手から、感覚が遠のいていく。

 聖剣の光は勇者を守り、その痛みと苦悩すら、不要なものとして削ぎ落としていく。

 やめてくれ──声にならない祈りが、喉の奥で潰れる。

 

 正義は迷わない。神に疑いはない。そのすべては、勇者の定めだった。


”……やめろ” だが──聖剣は闇を切り裂いた。

 闇の中のキースとエルマの死体ごと、そのすべてを光は裁いた──。


 もはや、魔王オリヴァには、一兵たりとも残されてはいなかった。勇者の次なる一撃を、耐えられる力も尽きていた。

 だが、彼は最後まで笑っていた。

 それは、カイリスと同じ深淵に到達した喜びか。勇者、あるいは自分自身への嘲りか。

 その意味は、もう誰にも分からなかった。


 決着はついた。魔王オリヴァは勇者に敗北した。

 すべての闇が霧散し、戦場を覆っていた死の瘴気も、嘘のように薄れていく。

 聖剣はその役目を終えたかのように光を鎮め、元の形へと戻り、静かに勇者の手に握られていた。


 だが、その重みは、これまでとは違っていた。

「ハァーー……、ハァーー……、ハァーー……、ハァーー……」

 かろうじて漏れる息は、肺が空気を求め、必死に収縮を繰り返す証。

 勇者の心臓は、生きるために激しく跳ねていた。他に動くものがなくなった大地に、その鼓動だけが異様なほど大きく響いた。

 ――勇者といえど、人間だった。

 聖剣の真なる力の行使によって、肉体はその限界を超え、悲鳴を上げていた。力の抜けた指先から、聖剣が滑り落ちそうになる。

 そのときだった。


 ロメリアが駆け寄り、力を失くした勇者の身体をそっと抱きしめた。満身創痍のその身は、彼女の腕の中で、驚くほど軽かった。

 虚ろな勇者の瞳に、淡い光が滲む。ロメリアの紡ぐ治癒魔法の詠唱紋が、広がっていく。癒しの波長が、乱れた呼吸を整えた。激しい呼吸は徐々に落ち着き、張り詰めていた神経が、ようやく現実を取り戻していく。


 勇者アレインは聖剣に視線を向ける。勝利の証であるはずのその剣は、今はただ、沈黙している。

「アレイン。帰りましょう……」

 勇者を腕の中で抱きながら、ロメリアは一緒に帰ろうと、優しく声を掛けた。

 もう勇者たちを追ってくる魔族の影はどこにもない。戦いの果て、勇者は仲間を失いながらも、魔界の壊滅という偉業を成し遂げていた。


「それは……、できないよ。ロメリア……」 だが、勇者はそれを拒否した。

「あんなことが、許されるわけがない。あんなことをした魔族を許してはいけない」

 ロメリアの腕の中で、勇者は身を震わせる。

 仲間の死を踏みにじった魔族に向け、勇者の内で怒りは烈火となって噴き上がった。

 その元凶たる魔王はすでに討ち果たしたというのに、その炎は鎮まるどころか、なお激しく燃え盛っていた。


「アレイン……。あなたの気持ちは分かります。でも、今はそれでも、赦さなければ……」

 ロメリアは壮絶な戦いを生き延びたこと、その価値と、これ以上の戦いに意味はないことを諭す。


 だが、勇者はロメリアの腕を乱暴に振りほどいた。

「こんなことをされて、魔族を赦せというのかっ!」

「僕は殺したくなど無かった……。なかったんだよ、ロメリア……」

 勇者の目から涙が零れる。行き場のない怒りに、身を震わせる。流れる涙はとめどなく、胸の奥で焼け爛れるような痛みが疼いていた。


 ――自分の意思ではなかった。

 ――それでも、この手が斬った。

 キースも、エルマも、とうに死んでいた。その死体を魔王が操ったに過ぎない。だが、その感触は、呪いのように勇者に染みついていた。


”──闇を滅せよ” 神の声は消えることなく、勇者の意識の底に刻まれていた。

”──闇を滅せよ” ”──闇を滅せよ” ──五月蠅い。もう敵は倒した、戦いは終わったんだ。

 勇者は、聞こえぬ声に抗う。勇者としての使命と、アレインとしての感情が胸の中で弾ける。


”──闇を滅せよ” ”──闇を滅せよ” ”──闇を滅せよ” ”──闇を滅せよ”

 ──ああ、そうかぁ。なら、最初から闇を生む原因を滅してしまえばいい。

 胸の奥で、何かが崩れ落ちていく音が、声に紛れて掻き消えた。


 アレインは、聖剣に視線を向けた。そして、ロメリアを見つめた。

 彼女はその視線から逃げなかった。勇者を信じ、疑うことを知らず、どこまでもついて行く従順な目をしていた。

 だが、その目は勇者を映したまま凍りつく。

 雷に打たれたかのような一瞬の驚きを映し、理由を問う言葉さえ浮かばぬまま、涙があふれ、そして──血に染まった。


 怒りではない。悲しみでもない。これは赦しだった。

 勇者は、もう一度だけ聖剣を見た。血に染まる剣身は、光り輝き、すべてを優しく光に包んだ。


 ──最初からこうすれば良かった。そうすれば、こんなことは起きなかったんだ。


 魔王オリヴァは勇者アレインに敗北した。だが、その心は、破壊していた。

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