第三十三編 十三夜牡丹・中二
時を同じくして、一つの影がオリヴァの居城へと近づいていた。
その接近は衛兵たちに素早く察知され、城内には緊張が走る。しかし、ほどなくしてその正体が判明すると、彼らは即座に警戒を解いた。
来訪者には門が開かれ、城の中へと迎え入れられた。その報が玉座へと届いたとき、オリヴァはその面会を待ちわびるように、愉快そうに口元を歪めた。
「──さて、今日は何の用だ?
できれば、使い走りは色男ではないほうが、私は嬉しいのだがな……」
足元に跪く来訪者に向けたその変わらぬ軽口に、俯く顔はピクリとも動かない。いや、むしろ今その言葉は、彼には重く響いた。
「……ヴァーキサル様。本日は、一つの報告と、一つのお願いを持って参りました」
来訪者は跪いたまま顔を上げ、その声にかすかな緊張を滲ませる。
「また随分と仰々しいが、まあいいだろう。お前に貸した借りを返そうじゃないか、ダリアン──」
オリヴァは楽しげに笑い、玉座の上からその姿を見下ろした。
久方ぶりの再会に、オリヴァは殊の外、機嫌が良いように見えた。この時が止まったような闇の城に籠り、退屈を持て余していたのだろうか──その胸の内は、ダリアンには確かめようもなかった。
今の彼には、そんな事はどうでもよかった。
ダリアンがここへ来たのは、彼自身が抱える問題の解決先が、他になかったからだった。
起こったことは、変えられない。そして、これから起こることも、止められない。
だがそれでも、最悪の結末を回避できるとしたら──オリヴァに頼る以外、手は残されていなかった。
「──先日、水龍の棲む霊峰にて、ヴェルドールの死体を発見致しました。
四元龍に致命傷を与えた傷は、剣によるものでした。おそらくは、人間の勇者の手に掛かったと思われます」
その報告に、玉座の間は一斉にざわめいた。
ヴェルドールを討ち果たしたなどという話に、誰もが耳を疑った。それは、今までいかなる者も成し得なかった武功であり、居並ぶ者の中には、ダリアンへ懐疑の視線を向ける者までいた。
だが、騒めく中で、オリヴァが関心を向けたのは、別の点だった。
報告を聞いた彼の口元からは、先ほどまで浮かんでいた笑みが、いつの間にか消えていた。
「なぜ、貴様がそれを知っている?」 ダリアンに、鋭く問いかける。
「実は……、その場に、我々の司書もおりました。ヴェルドールの亡骸に並ぶように……」
ダリアンは一瞬だけ言葉を選んだが、隠すことなく真実を告げた。
「なるほどな……」 オリヴァは、ただそれだけを発した。
彼は、このやり取りだけで全てを察したようだった。
”リアラは止められない──ならば、彼女が勇者を殺す前に、別の手で始末をつける”
リアラが持っていった禁術書『十三夜牡丹』は、己の身を犠牲とする呪いの禁術。だがそれは、勇者と接触しなければ発動できないものだ。
できれば、リアラにあの禁術は使って欲しくない──それがダリアンの考えだった。
果たして、この行いがリアラのためなのか、それとも自分自身のためなのかすら、彼には定かではない。
仮に、すべてが成就したとして、それでもリアラが救われるかは、彼には分からない。
それでも、一縷の望みをかけて、彼はやって来た。アルテアには頼れない。だが、自分の力では、勇者には太刀打ちできない。そうである以上、彼が頼れる別の手は、オリヴァしかなかった。
「つまりは──貴様は我らに勇者を討ち取れと」
オリヴァは冷徹にダリアンを見据える。この様な要求が、下級悪魔から上級悪魔になされるなど、本来なら許されるはずはない。
だから、ダリアンは「お願い」という言葉を使うことで、「借りを返す」という言質を狙った。
ただ、それは何の保証にもならない。オリヴァは約束のために自分の命を差し出すような愚直な男ではないのだから……。
しかし、互いの利害が一致していないわけではない。
オリヴァとしても、魔界に侵入した勇者を無視はできない。それは、ダリアンに言われるまでもないことだった。
だが、彼の勢力をもってしても、勇者相手に勝算があるかは未知数。いや、ヴェルドールを撃破した戦力と考えれば、不利であると考えられた。
しばらく沈黙したのち、オリヴァはダリアンに、一つ問う。
「──アルテアは何と言っている?」
ダリアンは即答する。 「本日は、私の一存で参りました」
司書を殺されたところで、アルテアは何もしない。その姿勢は、オリヴァの解釈と一致する。
だが、この目の前の男ならどうだろうか──短い思索がオリヴァに過る。そしてそれは、次の言葉を生み出した。
「ん? アルテアを、聖剣の前には出せんか……。
お前はまだ、何も知らんのだな。それとも知った上で──か?」
偽りも、間違いもないはずのダリアンの返答に、オリヴァは怒気を一瞬混ぜた。
それは、オリヴァではなく、彼を取り巻く周囲の気配を変えさせた。
ダリアンは逡巡する。何がオリヴァを怒らせたのか。だが、その胸の内など分かるわけもなかった。
言葉は出ず、ただ空気だけが緊迫する。
しかし、オリヴァは張り詰めた沈黙の底で、欲しかった答えを掴んだ。――この男は、何も知らない。
では、それは誰の意向か。セレヴィアか、それとも、あの男か。いずれにせよ、何も知らぬこの男を問い詰めたところで、事は一歩も進まないだろう。
ふと、既視感が過る。
思えば以前にも、この男には同じことをしたと、思い出す。その追憶は、凍てついた空気の中、オリヴァの口元をわずかに歪ませた。
その時──その空気を破るように、兵士がひとり、慌ただしく玉座の間に駆け込んできた。
兵士は玉座へ近づくと、声を潜めて耳打ちする。それを聞いた瞬間、オリヴァは眉をひそめた。
「──今日は来客が多いな。ダリアン、お前との話はまた後だ。今は下がれ」
その言葉が言い終わらないうちに、入口の方から、場違いなほど高らかな声が響いた。
「これは、これはオリヴァ殿。お元気そうで何より。ご無沙汰しておりました」
数名の配下を引き連れ、客は軽く会釈する。その声音には、隠す気もない機嫌の良さが滲んでいた。
だが、その機嫌の良さはかえって、オリヴァの不快を誘った。
「何をしに来た、サリエント。人間どもの相手は、もう終わったのか?」
魔界へ侵攻した人間の軍を鎮圧するため、サリエントが出撃したことは、すでにオリヴァの耳にも入っている。
そして、たった今ダリアンから受けた報告が、その人間が何者だったかを明らかにしていた。
その二つの情報は、この場にサリエントが姿を現すことがいかに異常であるかを、オリヴァに伝えていた。
「実は──本日はその件で参ったのですよ」
オリヴァの問いに、口元は笑みを残しながらも、その眼には赤々とした光が宿る。
サリエントの話は、オリヴァにとってよくないものだと予感させる。
「どうか、私を助けて頂けませんか?」
しかし、同じ上級悪魔である者からの意外な「お願い」は、オリヴァにその話を聞く気にさせた。
オリヴァの機嫌を伺いながら、サリエントは話し出す。
「……私は、人間側の追撃軍を迎撃するために出撃しました。
偵察からの報告を受け、すぐさま敵軍の元へ向かったのですが、その先で──人間の勇者と遭遇しました」
「そこで、我々の軍は勇者と熾烈な戦いを繰り広げました。
そして、我が軍の半数の犠牲と引き換えに、敵を退けることに成功しました」
サリエントの話には嘘がある。虚実を搦め巧妙に、決して露見しないと確信をもって、偽りを述べている。
「ですが──残念ながら、まだ勇者は生きています。すぐに態勢を整え直し、また再侵攻を始めるでしょう」
のうのうと嘘を垂れ流しているにもかかわらず、彼には一切の動揺も緊張も見られない。その言葉の中に辻褄の合わぬ点を見抜けなければ、嘘を見破ることは難しいだろう。
「その勇者に対抗するため、恥を忍んでお願い申し上げます。
──どうか、私と組んで頂けませんか?」
サリエントは配下の前で、深く頭を垂れた。だがそれは懇願のためではなく、己の表情を少しでも隠すためのものだった。
しかし、オリヴァの視線は、すでに別の思索を映していた。
ヴェルドールの霊峰は、軍隊規模で越えられる山ではない。
では、勇者だけが山越えをし、その後正面から魔界に入って来た追撃軍と、途中で合流したというのか──そんな馬鹿なことをする道理はない。
つまり、追撃軍など最初からいなかったのだ。サリエントは、嘘をついている。
では、なぜサリエントは嘘をつく?
勇者と結託し、魔王亡きあとの地位でも約束しているのか──あり得ない。そのような交渉が成り立つわけがない。
破綻しているサリエントの行動は、オリヴァを悩ませた。
今、この場でサリエントの嘘を糾弾することに意味はない。その嘘を根拠に、裏切り者としてこの場で処刑することはできるが、問題は残る。
勇者と繋がりがあるこの男が消えたところで、勇者は止まらないだろう。
ならば──こちらが嘘を見破っていることを悟らせず、奴の算段を利用すればいい。
「──いいだろう。しかし、勇者にどう対処する?」
オリヴァは伏せるサリエントに、冷徹な眼を向ける。
サリエントからはその眼は見えていないはずだが、上げた顔には、隠す気の無い愉悦が漏れていた。
「御心配には及びませんよ。対処しないで頂きたいのです。魔王が倒されるまで──」
あまりにも明確な裏切りの宣言は、オリヴァをこの上なく不快にさせた。
オリヴァは知っている。
かつてのサリエントは、この様な大胆な行動に出る男ではなかった。己の野心のために、命を賭しはしない奴だった。
その男がみせる今の姿には、およそ真実と呼べるものがない。打算と欺瞞にまみれながら、自らの野心に身を燃やし、それを楽しんですらいる姿は、たまらなく不快だった。
サリエントの狙いは、勇者が魔王を仕留めるまで、オリヴァの動きを止めておくこと──こちらの嘘に、オリヴァが気付こうと気付くまいと関係なかった。
サリエントは知っている。
勇者と、魔王と、我々と、それぞれの勢力が拮抗する中で、ここで互いに争うことは、他を助けるだけで意味がない、と。そして、それをオリヴァも悟っている、と。
ならば、オリヴァが取る選択肢は限られる。この男は、愚かな選択を嫌う。
「実は──勇者には、私を殺せない『呪い』を施しておきました」
サリエントは、オリヴァの知らない情報を与える。それはオリヴァをこちら側へ引き込むための餌であり、また、彼の口から語られる数少ない真実でもあった。
もっとも、それが嘘か真かに、もはや価値など無かった。オリヴァには確かめようがないのだから。
しかし、その真偽不明の一言こそが、オリヴァにとって重要だった。
魔王を倒したあと、勇者の聖剣がこちらに向けられない──その保証なくして、サリエントの裏切りには未来がない。
『呪い』の正体は分からない。だが、それに類する何かが仕込まれているのは明らかだった。
皮肉なことに、価値など無いはずの真実が、オリヴァにサリエントを理解させた。
「──ここでお前を殺し、魔王と共に、勇者を殺す。それが正道だとは思わんか?」
オリヴァは最後に、全ての疑義を凝縮し、単刀直入に問う。
「前魔王アクレオスであれば、貴方は迷うことなく、その道を選んでいたでしょう。
いや──であれば、私も行動を起こすことはなかった。……それが答えですよ」
サリエントはその問いに完璧に答えてみせた。
相容れぬ存在であるオリヴァとサリエントには、共通点があった。
互いを嫌悪しているがゆえに、互いの欠点を、誰よりもよく理解している。
それは、敵として相対したならば、致命的な急所となるが、もし味方となるのであれば、その欠点は補い合うための材料にもなり得た。
そこに信頼など最初から存在しない。あるのは、互いに利用できるという冷徹な認識だけだった。
──これは自分だけの問題ではない。サリエントはどこまで見据えているのか知らんが、どちらを選んでも、魔族には冬の時代がやって来るだろう。
私の手駒であるエリサルは力を持ち始めているといっても、まだまだ私にすらほど遠い。
冬を終わらせるには、また、強き魔王が生まれるまで、待たなければならない──
オリヴァは屈したのではない。彼は賢くも、冬に耐える道を選んだのだった。
だが、その選択は、ダリアンにとっては紛れもない絶望だった。
リアラを救う手立てを失っただけではない。ダリアンは、魔王への叛逆の場に立ち会ってしまったことで、事が終わるまで拘束されることになった。
ただ、その行為は、ある重大な情報を覆い隠した。
オリヴァは知らない。サリエントも知らない。
勇者を狙う存在が、まだ別にいる事を──。




