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第二十九編 真秀良供犠・上

 ここはドレッドホールド──魔王軍の侵攻を受けた最前線の町はずれ。

 人間たちはここで、魔族を相手に勝利をもぎ取った。だが、それと引き換えに大きすぎる代償も払っていた。


 風が吹くたび、砕けた石畳が鈍い音を立てる。

 そこにあったかつての賑わいは影もなく、住む人を失った家々は倒壊したまま放置され、灰色の空の下で音をなくして沈んでいる。

 生き残った者たちは、崩れた塔の陰に身を寄せ合い、雨風をしのいでいた。家族を失い、家も焼かれ、ほかに行く当てもなくここに集まった人々だ。


 戦は終わった。ただ、それだけが救いで、その先にどんな明日があるのか──誰にも想像できなかった。


 焚き火にできる薪はとうに尽き、湿った枝からは綿のような白い煙が立ち上る。

 子どもがひとり、その煙にむせながら泣き声をこらえた。母親は焦げたマントをかけて抱きしめるが、その腕にも疲れが滲んでいた。


 勝利とは、どちらのものだったのだろう──生き残った彼らは、そんな声を上げる力もなかった。


「リュア・セレス・ヴァン・アシェル、エイン・マルタ・ノク・リュディエル──

澄みゆく息よ、壊れた血路をつなげ。深き傷に眠る痛みを赦し、生命の炎を再び灯せ」


 突然、清らかな言葉が、瓦礫の街に鳴った。その声に人々は一斉に顔を上げる。

 いつの間にか、崩れた広場の中央に白いローブの女性が立っていた。その人が細身の杖を高く掲げると、中央にはめ込まれた水色の宝石に光が集まる。

 次の瞬間、杖の先から眩い光が弾けた。

 柔らかな白金の粒子が綿毛のようにあたりへ散り、人々の肩や手に、ふわりと落ちてゆく。


「おお……」 人々から声が漏れる。

 触れた場所から痛みが和らぎ、傷口はゆっくりと閉じていく。光はそのまま体の中に入り込み、心の震えを鎮めていった。

「もう大丈夫ですよ。さあ、あちらに──」 癒しを与えたその女性は優しく微笑んで、手を差し伸べた。

 差し出された手の向こうには、ようやく到着した援助隊の姿があった。


「──さあ、並んだ、並んだ。食料は十分にある。慌てる必要はないぞ」

 炊き出しの陣頭に立ち、鍋の湯気を背にして集まった人々を誘導しているのは、大柄な男だった。

 その大きな体と大声は、よい目印となり遠くからでも良く分かる。声は荒々しいようでいて、どこか不思議と安心感があった。そのおかげで、混乱が起きることもなく、皆は言われた通り列を作った。


 その少し離れた場所では、腹を満たした子供たちの前で、小柄な少女が音楽を奏でていた。

 笛の音に合わせて、その足元で小石同士がコツン、コツンとリズムを刻む。少女の周りには水の粒がふわりと浮かび、調べに合わせてシャボン玉のように光を散らして弾けた。


「わぁ…………」

 子供たちは目を輝かせ、その幻想的な少女の魔法に夢中になった。

 それは、あり合わせで用意したものに過ぎなかったが、恐怖と飢えに耐えていた子供たちから、笑顔を取り戻すには十分だった。


 そして、彼らのさらに向こう側では、剣を携えた一人の若者が援助隊の隊長と話し合っていた。

「被害の規模は想定以上ですね。それでも……この街は、まだ軽い方でしょうか」

 若者は瓦礫に沈む街並みを見渡し、隊長に問いかけた。


 隊長はわずかに目を伏せ、言葉を探すように間を空けた。

 これまで巡って来た土地で見てきた光景を振り返り、歯切れ悪そうに答える。

「……ええ。悲しいことですが、そう、ですね。ここは……まだ希望が残っています」


 その言葉に若者は小さく息を吐き、頷いた。

「──私たちは、明日には旅立ちます。ここまで同行していただき、本当に助かりました」


「やめてください、勇者殿」

 隊長は首を横に振り、悔しさを滲ませて言う。

「本来ならば、我々も共に戦線に加わらねばならないところなのに……」


 勇者は微笑みながら、まっすぐに隊長を見た。

「あなた方がこうして街を救い、守ってくれるから、私たちは前へ進める。だから……」

 その瞳に宿る光は、勇気に満ちたまさに『勇者』のものだった。

「このような悲劇を、もう二度と繰り返されないために、我々は行くのです」


 勇者は剣の柄を軽く握りしめ言い切った。

「ええ、必ず魔王の首を持ち帰る。そして、その目にこの光景を見せて、懺悔させてやる……」

 その声音には燃え上がる怒りと同時に深い哀しみが、そして、失われた命への誓いが宿っていた。


 その殺気に気圧された隊長の背筋に、冷たい汗がひと筋、伝い落ちた。

 彼の脳裏に蘇ったのは、ドレッドホールド城で見た光景だった──


 あの日──魔族が攻めて来るまでは、私は幸運にも大きな戦場に立つことなく過ごしてこられた。

 だが、その最初の戦いで、私はいきなり生きるか死ぬかの戦場に立たざるを得なくなった。

 人間を紙くずのようになぎ倒していく魔族の群れを前に、足はすくみ、武器を握る手は震え、私は一歩も動けなかった。


 その時だった──魔族が踏み鳴らす地響きをもかき消すほどの雷鳴が、空を裂いた。


 稲妻が落ちた瞬間、その雷光が魔族の群れを弾き飛ばし、黒い身体を紙吹雪のように舞い上げた。

 耳をつんざく衝撃と、焼け焦げた臭い。私がこれまで見たどんな体験よりも強烈で、そして何より恐ろしい現象だった。

 その雷撃が、勇者が聖剣をもって放った力だったと知ったのは、戦いが終わった後のことだ。


 彼らはその攻撃を呼び水に、たった四人だけで迷いなく、魔族の群れに切り込んでいった。

 戦士の振るう一撃は、巨木を薙ぐかのように多くの魔族を一度になぎ倒し、魔術師が詠唱を口にすると、灼熱の火球が流星の群れのように降り注ぐ。

 神官の張り巡らせた防壁は、迫り来る刃も魔族の呪詛もすべて覆し、その身に触れさせもしなかった。


 目の前の光景は、同じ人間の仕業には思えなかった。彼らの力は、魔族以上に常軌を逸したものだった。

 私はその光景を、恐怖なのか、安堵なのか、自分でもわからない感情に押しつぶされながら見つめていた。


 ただひとつだけ、確かなものがある。それは、彼らが戦場に残したものは絶望ではなく──希望だった。


「……勇者殿、ひとつ確認してもよろしいですか」

 声をかけると、勇者が顔を上げる。その人間らしい表情に、隊長はわずかに安堵した。


「正面から魔族の領地、魔界に入るのは勇者と言えど危険過ぎます。ですが、迂回する山岳の道には、邪龍ヴェルドールが棲むとも言われています。

どちらの道を行かれるおつもりで?」

 隊長の言葉を聞いた勇者は沈黙した。

 

「──四人なら、滅多なことをしなければ、敵に発見されることはないかしら」

 その会話に、演奏を終えて戻って来た魔術師が割り込んだ。

「けど、魔界にどんな仕掛けがあるかわからないし、見つかって大軍に囲まれでもしたら……」

 魔術師は、勇者と隊長の間をわざと割って入るように体を滑り込ませた。

「その時は、この大魔導士エルマ様の魔法で焼き払ってあげる」

 そして、勇者に余裕の笑顔を見せる。それは、これまで凄絶な戦場を潜って来たとは思えない、屈託のない少女のものだった。


「ねぇ、ロメリア。あなたはどう思う?」 エルマは視線はそのままに、気配に向けて言葉を投げる。

「──邪龍ヴェルドール……、もっとも恐ろしい四元龍と言い伝えられています。

ですが、あなたの聖剣に、斬れぬものなどありません」

 その場にゆるりと現れた神官が、意見を添える。淡々とした口調の裏に、勇者と聖剣、そして仲間への信頼が滲んでいる。


「──俺ぁどっちでも。勇者アレインの行く所ならどこにだってついて行くぜ」

 仕事を終え、肩を鳴らしながら最後に入って来た戦士は、そう言って勇者の肩を叩いた。

 その大きな手と眼差しは、いかなる苦難に落とされようと、決して諦めず這いあがる意志を証明していた。


 アレインは、そんな三人を見渡し、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「キース、みんな。実は……、僕はもう決めているんだ」

 その落ち着き払った声に、三人は軽く頷く。そこに疑問などあるはずもなく、ただ絶対の信頼があるだけだった。


 そんな彼女たちの姿に、隊長は唇を噛みしめながら、深く頭を下げた。

「……どちらを選ばれても苦難の旅です。ですが、勇者殿。せめて今日だけは、我々にもてなさせてください。

あなた方の旅路が、少しでも軽くなるように」

 勇者は小さく微笑み、その申し出を遠慮なく受け入れた。


 その夜──わずかな焚き火の下で、ほんのささやかな宴が開かれた。

 それは宴と呼ぶにはあまりに質素だったが、エルマの奏でる音楽に合わせて大人たちは踊り、子どもたちは援助隊の兵士に肩車をされて、楽しげな笑い声を上げていた。


 戦いから遠い、穏やかなひととき──

 アレインは、火に照らされるその光景を静かに見つめていた。

 明日もまたその日を迎えるために──勇者が歩みを進めるこれ以上ない理由が、ここにはあった。



「……やあ、久しぶりだね、ヴェルドール」

 かつて、ダリアンとリアラを連れて訪れた霊峰に、ロロは一人でやって来ていた。 


『──二度と来るな、と言ったのを忘れたのか愚かな魔族よ……。

性懲りもなくやって来るとは呆れた小僧だ。今度こそ、この山の底に沈めてやる……!』

 水龍ヴェルドールは荒い息を吐き、岩肌を震わせるような声で吼えた。

 だが、ロロはその激しい言葉の意味を、一切違えず理解できていた。


 禁術『祈言訛僻言(テフィル・アラル)』にかかった龍の言葉は、祈りが呪いへと転じる。

 心からの歓迎も、再会の安堵も、救いを求める叫びすら、すべて反転して響かせる。


「うん。そうだね、もう何度目になるだろう……。でもね、きっと今日が最後になるよ」 

 嵐の様な言葉を浴びせられながらも、それでもロロは笑みを崩さなかった。

 これまでヴェルドールの呪いを解こうと、何度も解呪に挑んでは失敗してきたが、その笑みは、今日こそは上手くいくという自信に溢れたものだった。


 ロロは外套から手を伸ばし、その小柄な体の何倍も上のヴェルドールの顔へと手を掲げた。

『……また無駄骨を折るつもりか。あきらめろ……いっそ、我がその身を砕いてやろうか……!』

 その小さな手を見て、ヴェルドールは唸る。


「うん、そうかもしれないね。ありがとう」 ロロには、恐れも焦りもない。

「……ヴェルドール。君は、『呪い』ってなんだと思う?」

 ロロは、ゆっくりと語り始めた。


「僕はね……長いあいだ、多分思い違いをしていたんだ」


「禁術っていうのは、世の理に背く禁忌を犯す術法で、それを使えば、その反動として呪いが生まれる──ずっと、そう考えていた。

……うん。そこまでは、間違っていないんだ」


「でも、ある時、ふと疑問に思ったんだ。──じゃあ、『誰が』呪っているんだ? って」


「──禁術を使った術者は、必ず禁忌を犯した代償を支払う。命を削って、魂を摩耗させて、時には呪い以上の罰を受けることだってある。それなのにさ」


「どうして、術者が死んだあとも、呪いは残り続けるんだろう?

その呪いの力は、いったい、どこから来ているんだろう?」


「術者自身ですら、一度発動した呪いを解呪できない。どれだけ願っても、無かった事にはできない。

どうして──?」


「僕はね、やっと分かったんだ……その疑問の答えがさ。

呪いを生み出しているのは、禁術じゃないんだよ。禁術はただ、鍵を作って回すだけ」


「その扉の先で、呪いを生み出し、執行しているのは──神、自身なんだよ」


 ヴェルドールは、ロロの語りをただ静かに聞いていた。

 太古の四元龍である彼は、人魔が生まれるより遥か昔から生きている。当然、彼が積み重ねた年月は、あの魔王カイリスよりも長い。

 その誰よりも神に近い存在が、ロロの言葉をただ黙して聞いていたのは、発する言葉が呪われているからだけではなかった。


「──そこで、僕からの提案、っていうか質問なんだけど……。

ヴェルドールは、神に赦しを乞うのがいい? それとも、神を欺く方がいい?」

 ロロはヴェルドールを前に、その小さな体には不釣り合いな、大それた提案を持ち掛けた。

 

 沈黙を守り続けた彼の口がようやく開く。

『……愚かな話だ。

神を欺くなど、許されるはずがない……できるはずもない。

そのような卑劣な真似を……この身が断じて、許すものか!』

 その龍の口元は、しかし、笑っているようでもあった。


 その言葉に、ロロは今日一番の笑顔を見せる。

「──そう言ってくれると、思っていたよ、ヴェルドール。

僕は魔族だからね、実は……神に赦しを乞う方法なんて、知らないんだ」


 冗談めかして笑いつつ、ロロは外套の内から、一冊の魔書を取り出した。

「これはね、今日この時のために、僕が作った禁術書──『真秀良供犠(まほろばくぎ)』」

 ロロは誇らしげに続ける。

「アルテア様が作ったものじゃない。誰かの写しでも、借り物でもない。正真正銘、僕が一から書き上げた禁術書だよ」


 その小さな体に浮かぶ笑顔は、無垢で、屈託がなかった。

 まるで──遊びに誘う子供のように。


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