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第二十三編 寂音蟇目鏑・上

 魔王アクレオスの動乱から、長らく空位であった玉座に新たな魔王が選ばれた。魔界はようやく、混迷を脱し新たな秩序を築こうとしている。

 そのような外界の状勢に左右されることなく、ネクロハイヴ禁術書館には、いつもと変わらない日々が続く。変わらぬ静寂と、禁術書の香りが満ちるこの場所だけは、世界の流転とは無縁だった。


 しかし、その変革の波は、来訪者たちが抱える目的の変化という形で、書館に波紋を広げる。書館の所蔵する禁術には何の変わりはなくとも、時代の大きなうねりの中で、野心のため、あるいは保身のために、彼らは魔王の禁術を求めるのだった。

 そして今宵──たったふたりの客が起こしたさざ波が、ひとつの大きな流れへと変わり、静かにダリアンを呑み込もうとしていた。


「……まあ、そう肩に力を入れるな。取って喰おうなどとは思っていない。

それに……美女にならまだしも、男にそんな視線を浴びせられても嬉しくはないからな」

 いつものように応対するダリアンにとって、目の前の男はもっとも向き合いたくない相手だった。軽口めいた声音とは裏腹に、緊張と困惑が胸の奥で絡まり、言葉が詰まる。


──なぜ、オリヴァがここに?

いや、彼がネクロハイヴ禁術書館に足を運ぶこと自体は珍しくない。

だが、いつもならセレヴィア様が応対するはずだ。それなのに、よりにもよって自分が相手をする事になるとは……。

セレヴィア様が何か都合が悪いにしても、マクス、あるいはリアラに任せた方が、この男は喜ぶのでは……何故俺なのだ?


 そんな疑問が、ありありと顔に浮かぶダリアンを前に、オリヴァは小さく笑い、言葉を続けた。

「なに、そう心配するな。今日は私の用件で来たわけではない。……ただの子守りだ」

 そう言って、視線を隣に逸らした。その先には、一人の少女が控えていた。


 ダリアンは、その少女の名を書館に入った時点で、確認していた。

 エリサル・シャ・クレヴィオン──人間と見紛う外見でありながら、魔族の名を持つ少女。その存在は、ダリアンの胸に興味と警戒を同時に灯した。


「戦闘中に扱えるような禁術を、この半魔の娘に見繕ってほしい」

 隣の少女を親指で示しながら告げるオリヴァは、どこか気だるげで、どう見ても乗り気ではない。

 だが、その態度とは逆に、彼の要求はダリアンにとって厄介極まりないものだった。


 禁術は戦闘中に扱うのは相性が悪い。

 事前準備として仕込むのならば、まだ有効性はある。しかし、代償がついて回る以上、それが戦闘時に枷となるのは免れない。

 大体、それを問題としない魔力があるのならば、禁術ではなく、魔術で攻撃すればよいのだ。わざわざ回りくどい戦い方をする必要などない。


 にもかかわらず、オリヴァは「娘に禁術を見繕え」と言う。それは、何故だ──?

 敵を殺さず、生け捕りにするための手段として求めているのか。

 それとも……この少女に枷をはめたいのか──。

 疑念は拭えない。かといって、オリヴァの要求を無視するわけにもいかない。その立場にいるダリアンは、言われた通り、ひとまず”戦闘向け”と言えそうな禁術を選び出した。


「では、こちらの『呪鎖(じゅさ)の鎌』などはいかがでしょうか」

 ダリアンは、いくつかの禁術書を積み上げ、一冊ずつ説明を始める。

「これは影を武器の媒介とする禁術です。

発動すれば、術者の影は意思を持った鎖となって敵を拘束し、鎖の先に結ばれた大鎌は、あらゆるものを両断するでしょう」


「この大鎌は物理的な質量を持たず、影の性質そのものを鋭利に研ぎ澄ませた刃です。

その刃は物質を断つのではなく、触れた影を切り裂きます。そして、斬られた影の姿が、その持ち主に反映される。

鎖による拘束と、大鎌の一撃から自身の影を守り切ることは、相当な手練れでも厄介なことでしょう」


「しかし、その影はあなたの分身であり、魂の延長ともなります。

ゆえに術の発動中、鎖や大鎌が傷つけば、あなた自身の肉体も損傷を負うことになる。もし、影が大きな傷を負えば、あなたも生涯癒えぬ傷を負うことになりましょう」


 ダリアンは続いて、別の禁術書を取り出す。

「あるいは、こちら『禍刃(かじん)破槍(はそう)』。この禁術は、あなたの手元に一本の折れた戦槍を授けます。

その槍は、刃は半ばで砕け、柄はひび割れ、今にも崩れ落ちそうなほど脆い。たとえ全力で突いたとしても、相手に傷を負わせることすら難しいでしょう」


「ですが、槍は一切の殺傷力を持たない代わりに、術者同士の戦いにおいて、部類の強さを発揮します。

この槍に突かれた術者は、精神・魔力・術式の連携に亀裂が生じ、魔術の動作そのものが停止してしまうのです」


「しかし、代償もまた大きい。この槍を握っている間、術者自身の魔力系統も強制的に封じられ、術を使うことはできなくなります。

あなたは、この朽ちた槍一本と、己の肉体のみに命を預けて戦わねばなりません」

 

 どちらの禁術にも、エリサルはほとんど反応を示さなかった。いや、そもそもダリアンの説明が耳に届いているのかすら怪しいほど、興味の色が薄い。

 対照的に、オリヴァは顎をわずかに突き上げ、次を出せと言わんばかりの無言の合図を送ってくる。


「では、こちらなどはどうでしょうか」

 ダリアンはふたりの無礼な態度にも眉ひとつ動かさず、三冊目の禁術書を静かに卓へ置いた。

「こちらの禁術書は、『寂音(じゃくおん)蟇目鏑(ひきめかぶら)』。

世界から”音”を奪い、静寂の中に唯一、自分の言葉だけを響かせる禁術です」

 その禁術書の表紙は深い墨色をしており、光をほとんど反射していなかった。指先で撫でても摩擦音は一切せず、まるで周囲の音を吸い込んでいるかのような静けさが漂っていた。


「術者の声が届く範囲で、あらゆる音、言葉、呪文を沈黙させます。人間が扱う神への祈りなども遮断されますから、法術対策としては、これ以上のものはないでしょう」

「ただし、同じくこの術にも代償があります。本来存在したはずの“音”の残滓が亡霊のようにあなたの傍へ付きまとうのです。亡霊たちは、ある筈のない声を囁き、あなたを惑わし、心を掻き乱し続けるでしょう」


 しかし、エリサルの反応は依然として薄かった。その無関心さを気にも留めず、あえて無視するかのように、オリヴァは口を開いた。

「ふん……新魔王の権威を示すために、戦を起こすのだそうだ。……お前はどう思う? ダリアン」

 ここまでの禁術の説明を断ち切って、唐突に差し挟まれた問いかけに、ダリアンは言葉を詰まらせる。

 そして、答えが返ってこない事を見越していたかのように、オリヴァは吐き捨てるような嫌悪を混ぜて話しを進めた。


「まったく……馬鹿げた話よな。魔王の権威とは恐怖、剣で振りかざすものではない。

そんな真似をせねば保てぬというのなら、それこそが資格の無さの表れに過ぎん、ハッ……!」

 オリヴァは指先で机を軽く叩く。音と共に皮肉が深まる。


「とはいえだ……」

「人間が幅を利かせる世に比べればな、まだ公爵(馬鹿)どもの世の方が、扱いやすいというものだ」

 彼の諦観した言葉の中に、悪魔的な嘲笑が滲む。

「──今の魔王に、地図を塗り替える力などない。勝てぬ戦など、やるだけ無駄よ。命を掛ける価値などない」


 そこで一度、視線がエリサルへと流れた。感情の読めぬ赤い瞳を一瞥したあと、オリヴァは話を続ける。

「……ならば、我々は負けぬように戦うだけよ。

精々、相応の戦果を挙げて見せさえすればよい。どこからも文句が出ぬ程度のな」

 その傲慢に聞こえる最後の一言の中に、今日ここに来た理由が込められていた。


 オリヴァの魔界における立場は、確かに微妙な状態にあった。

 彼はあえて新魔王派の派閥に与せず、距離を置いたことで、権力闘争からは逃れていた。だが、その選択は同時に、大規模な戦が始まろうというときに、根回しが行き届かない弱点にも繋がっていた。


 彼とて無敵の軍隊を有しているわけではない。くだらぬ戦で配下を消耗させることなど、望むわけもない。

 しかし、名家の名を有するがゆえに、戦果を挙げねば怠慢として罵られ、より一層立場は揺らぐ。それはやがて、身内からの突き上げ、あるいは裏切りとなって現れるのは目に見えていた。

 ゆえにオリヴァは、此度の戦を最低限の戦果だけを残し早々に撤退し、短期間で引き上げる腹積もりでいる。

 戦で得る物などなくてよい、むしろ今は、何も失わない事こそが肝要だった。


 今日、エリサルを連れてきたのも、その一環にすぎない。

 彼女がどこまで戦力として計算できるのか──くだらぬ戦いではあったが、それを確かめるにはこの上ない戦場となることは違いなかった。ただ、それだけの理由だった。


「──貴様が魔王城で言ったあの言葉は、まだ生きているのか?」

 再び差し挟まれた唐突な問いかけは、口元で笑いながら、見据えるその目は鋭く輝いていた。その眼差しは、答えを求めるものではなく、まるでダリアンの反応そのものを品定めするかのようだった。


 あの時のやり取りは、ダリアンも忘れてはいない。

 だが、その後の顛末をみれば、オリヴァがあれを虚言と見抜いていないはずがない。それをこうして今、唐突に蒸し返す意図に、ダリアンの胸はざわつく。

 あの嘘と引き換えに、頭蓋を割られ殺されかけて、どう見ても割に合わなかったのは、こちらなのだから。


「……どうでしょうか? 返事があまりにも遅いので、ここの湿気にも慣れてしまいました」

 ダリアンは、オリヴァを見据え、淡々とした声音で返した。抑え込んだ感情の底に、微かな棘が混じっているのは自覚していたが、取り繕う気もなかった。

 それが挑発と取られてもおかしくはない。だがオリヴァは笑うでも、怒るでもなく、言葉を続ける。


「貴様のことは、あれから少し調べさせた。

確かに、裏切り者であることに偽りはないようだ。だが、動機が分からんな。同族を殺しておいて、何故ここで司書などやっている?」

 その問いかけは明らかに、興味を持っている証だった。

 本来ならば、上級悪魔の彼にとって、ヴァンパイアの若造の一匹など、塵ほどの価値もないはずだ。わざわざ手を割いて調べ上げる意味すら無い。

 にもかかわらず、何故彼は自分に興味を持つのか──ダリアンには理解しがたかった。


「──ですから、復讐を恐れ、身を隠しているのです。ここでひっそりと、誰の目にも触れぬように……」

 ダリアンは、自分の矮小さを改めて強調するように答えた。しかしそこには、半分の嘘が混じる。


「ふん……、まあいい。エリサル、どの禁術書でもいい、好きに選べ」

 自分から話を振っておいて、まるで興味など初めからなかったかのように、オリヴァは唐突に話題を本題に戻し、目をエリサルへ向けた。

 その視線に促されるように、エリサルはようやく小さく口を開く。

「よろしければ……『寂音蟇目鏑』を、お預かりしたく思います」

 ようやく聞こえた声は、やはりまだ幼ささえ残る少女のものだった。それだけに、なぜオリヴァがこの少女を重用しているのか、ダリアンには計りかねたが、深入りするほど愚かでもなかった。


「ん? お前には破槍の方が似合っていると思ったが、まあいい。好きにせよ」

 オリヴァはエリサルの返答に少し予想外だった反応を見せたが、構うこともなく、これで用件は終わりだと言わんばかりに席を立った。

  

 その背を見送り、ようやく彼の束縛から解き放たれたダリアンは、何事もなく済んだことに胸を撫で下ろした。

 ──だが、その安堵はほんの一呼吸の間しか続かなかった。

 オリヴァは背を向けたまま、ある言葉を放った。その一言が放たれた瞬間、ダリアンは地獄へと突き落とされた。

「さて、お前も来るのだよ。ダリアン」


 その一言は、背後から氷の刃を当てられたかのように、ダリアンの全身を固まらせた。

「ここの司書は、禁術の行使の支援もするのであろう?

ああ、お前にはしっかりとエリサルの手伝いをしてもらう。

なに、お前の戦闘力などあてにはせん。ただ、戦場である以上、自分の身は自分で守ってもらうがな」


 背を向けたまま、肩越しに視線を送るその目には、嘲りとも侮りとも受け取れる輝きが浮かぶ。

 その目と、最初からそのつもりでなければ成立しない、なんとも意地の悪いやり口は、ダリアンの胸の内を激しく苛立たせた。

 しかし、反発の感情がいかに胸を満たそうとも、それを表に出す権利も力も持たないことを、彼は痛いほど理解している。

 ネクロハイヴ禁術書館の司書である以上、正当な求めに応じなければならない。それだけが彼に残された唯一の道理だった。


 それに、彼は憤りを感じながらも、ある考えも浮かんでいた。

 そうこれは、最初からそのつもりでなければ成立しない──つまり、オリヴァの応対を任された時点で、こうなることは織り込み済みだったのではないか。

 セレヴィアか、マクスか、それともアルテアか。誰の意向が働いたにせよ、いずれにしても敷かれた道を歩かされているのだと、薄々悟った。


 逃げ道などどこにもない諦めと、それすら受け入れる覚悟をもって、ダリアンは立ち上がる。

「わかりました。しかし、私の職務は禁術の支援。つまり、エリサル様以外の命は聞きません」

 彼のせめてもの反抗は、オリヴァにただ、一笑をもたらすだけだった。


 結局のところ、オリヴァの真意は一切読めないままだった。明確な目的を持っているのか、それとも、ただ己の気まぐれに任せて場を弄んでいるだけなのか、それすらも見当がつかない。

 だが、問いただしたところで、答えが得られるわけもないことだけは、痛いほど理解している。

 与えられた道を歩きながら、ダリアンはわずかでも突破口が見つかることを願いながら進むしかなかった。


 ──こうして、ダリアンは魔王城の時のように、再びオリヴァと行動を共にすることになった。

 しばしの間、一つの席の空白だけが、書館の奥で時を止めたまま、静寂だけを残していた。

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