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第二編 記憶移植術

 まだ、息をしている。血は巡っている。

 それだけの事実が、ダリアンには現実として新鮮に映った。

 体には冷たさも、痛みも、残っている。それらは”生きている証”であると同時に、”死を越えた痕跡”でもあった。


”墓とは、死者のためでなく、還るために造られる”


 ダリアンは、待つことを望んだ。再びアルテアが還るまで、ここで待ち続けることが、彼の生きる目的となった。

 あの透明な声は、もう聞こえない──それでも、今もなお彼の胸の内に留まり続けている。


 ダリアンは、ネクロハイヴ禁術書館に戻った。

 あらゆる所に書が敷き詰められた城の天井を見上げる。

 それらすべてが禁術書。神の理を犯す禁忌が記された魔書。そのいずれもが、魔族すら呑み込むような魔性の気配を放っている。

 死を求め、死を操り、死に魅入られた魔導の館。

 その場所に、生きる目的を手に入れたダリアンが戻ったのは、運命の皮肉といえるかもしれない──


「──ということでございます。

それでは、ダリアンさん。改めまして、よろしくお願いいたします」

 ダリアンは、再びマクスの前に招かれ対面していた。しかし、その立場は前回とは違う。

 彼は、この書館に住まうため、ここで生きるために、それにふさわしい者とならねばならなかった。


「こちらこそ、お願いします」

 ダリアンは深々と礼を返す。その立場の逆転は、彼の見せることのなかった面を裏返す。毒気を抜かれ、殺意を向けることも無くなった彼の態度は紳士的で、その声音は、かつての穏やかな日々の中にいた頃を、取り戻そうとしていた。


「貴方の教育は、リアラに一任いたします。

私の方からは、このネクロハイヴ禁術書館の注意事項を、いくつかご説明しておきましょう」

 マクスはゆるりと話を始める。

「まず、何か手に余る問題に遭遇した場合は、リアラか私に報せてください。

特に、セレヴィア様は忙しい方です。くれぐれも、貴方の方から彼女に声を掛けるなどなさらぬように。

──逆に、ロロ君から声を掛けられたら、ご注意を」


 穏やかではありながら、重みのある声で話すマクスの口元は、最後に少し緩みをみせた。しかし、それもすぐに戻ると、指を一本立てる。

「もう一つ、書館内での暴力は、いかなる理由があっても絶対に禁止です。

たとえ、来館者様に暴力を振るわれたとしても、です。守れますか?」

 その魔界ではありえないルールに、ダリアンは困惑したが、遅れて「はい」と答えた。


「よろしい。では、何か質問はありますか?」

 その返答に笑みを浮かべるマクスに対し、ダリアンは、その説明の中で意図的に無視され、消されたような存在について疑問を投げかけた。

「あの死神のような方は、一体誰なのでしょう……」

 その質問に、マクスは目を細め、笑みを消す。


「──死神ですか……、ふむ……。いえ、言い得て妙だと思いまして……。

そう、認識されているのなら、その認識のままでおられた方がよろしいかもしれませんね」

 マクスは、珍しく言い淀んでいるように、ダリアンには見えた。

「そのように、なるべく顔を背け、視界から外し、目を合わさないようにするのが賢明かと……。

幸い、あの御方、アルテア様は、お部屋に籠り外に出られることは滅多にありません」


 ──その名に、ダリアンは息を一瞬止めた。

 マクスの口からこぼれた、その亡き恋人と同じアルテアという名に、視線を逸らす。

「興味を惹かれましたか? ですが……、行動に移すのは控えた方がよろしいかと思います」

 ダリアンの動揺を見逃さないマクスは、最後に一言を添えた。

「──殺されますよ、セレヴィア様に」

 マクスの一切笑みの無い顔は、それが一片の冗談ではないことを、ダリアンに警告した。


 マクスとの会話のあと、ダリアンは、ネクロハイヴ禁術書館の第六席としての地位を与えられた。そして、その一つ上のリアラゼルが彼の指導を任された。

「改めまして、ダリアンさん。私は、リアラと呼んで結構ですよ」

 リアラは、書館に客として訪れていた時と、同じ温度の変わらぬ笑みを向けてきた。

 その裏表のない飾り気のなさはダリアンの胸に刺さる。その優しい声と、包み込むような振る舞いは、今の客ではない立場の自分には、気恥ずかしい。


「こちらこそ、改めまして、お願いします」

 その少し照れを残した声に、リアラは微笑みながら話を続ける。

「私が、あなたの担当として指導、教育をさせて頂きます。といっても、私から新参の方に守って頂くことは、たった一つだけです」

 リアラは人差し指を口元に近づけて囁く。

「決して禁術書を開けないでください」 そしてもう一度。

「決して、禁術書を、開けないでください」

 リアラは二回、言った。その子供に言い聞かせるような物言いは、逆にダリアンを戸惑わせた。


「いえ……、念を押して二回言いますのは、これまでの方々は、中々子の言いつけを守って頂けませんでしたので……。

もし、ダリアンさんまで守ってくださらないときは、次からは三回、言わなければいけなくなります」

 煩わしさと、少しの嫌味を含めたその言葉は、ダリアンの背筋をなぞる。

 その回数には、ダリアンの知らない過去が秘められている。それは、これまでのただの優し気なお嬢さんという姿に、ここに席を置く者がそれだけの訳が無い、という解答を彼に教えた。


「ダリアンさんはこういった書館での御経験や、書に関する知識はありますか?」

 そんな前置きをしたあと、リアラは世間話でもするかのように、ダリアンに尋ねた。

 しかし、そんな自然に問われた彼女の求める『知識』がどの程度のものか、ダリアンには計りきれなかった。

 ヴァンパイアとして闇の術理に関わるものに理解はあれど、それがこの魔王の書館で求められる水準にある自信など無い。それに加えて、前の会話がけん制となって、彼の言葉を後退させた。


「……。いえ……全くありません」

 ダリアンの謙遜に対し、リアラはその姿勢を褒めるように続けた。

「構いませんよ。むしろ、その方が多分よいです。

これまでに魔導書士を名乗ってやって来た方々は皆さん、例外なく禁術書に取り憑かれてしまいました。

私たちは忠告し、警告もしましたが……誰ひとり抗えなかったのです」


「中途半端な知識は慢心を招き、探求心は禁術のよい餌となることでしょう。

ですから――どうか、書への好奇心や憧れは捨ててください。まずそれが、あなたの身を守る最初の術です」

 リアラは務めて無表情を装っていたが、その瞳の奥には、書士たちの悲しみと痛みの色が揺れていた。その濁った藍色は、ダリアンを脅すのに十分な腐毒を持っていた。


「禁術書の扱いについては、その都度、一つずつ学んでいきましょう。ですので、くれぐれも勝手なことはなさいませんよう」

 最後にリアラは笑顔を見せたが、それは先輩としての威厳をダリアンにしっかりと示すものだった。

「はい、リアラさん。よろしくお願いします」

 ダリアンは深く頭を垂れ、その声に決意を込めた。


 その後。ダリアンはリアラのもとで、禁術書館のいろはを身につけていった。禁術書の扱い方、性質の理解、禁術の構造とその代償、覚えることは山ほどあったが、それは山ほどある禁術書の、まだほんの一部に触れているに過ぎなかった。


 この書館は、ダリアンが見てきたどの世界とも異なり、世界そのものが歪んでいるかのようであった。

 書架の影から微かな囁きが漏れ、紙の擦れる音に生物の呼吸が聞こえる。その得体の知れない気配は、ひとを無意識に禁術書へと誘う。

 知を求める欲求を、この禁術書館そのものが喰らい、引き込もうとしている――そんな感覚に陥る。


 たとえ、ヴァンパイアのダリアンでも、禁術書に魅入られれば無事では済まない。

 だがそれでも、不思議と嫌悪は湧かなかった。むしろその異様さの奥に、抗い難い心地良さをダリアンは感じていた。


 ──そして、そんな日々がしばらく続いたある日、ネクロハイヴ禁術書館にある男が訪れた──


 その男は、黒銀の角と深紅の瞳を持つ悪魔だった。

 ダリアンはその男が何者かなど知りもしなかったが、リアラに付いてその男を迎え入れた。


「ネクロハイヴ禁術書館によく御出で下さいました。

ヴォルカン・ゼラム・グラウロス様。今宵は、何を御所望ですか?」

 リアラの横で首を垂れるダリアンの姿が、その男の目に留まる。

「おや……知らぬ顔が増えているな。ふん、ヴァンパイア……か。まあ、いい。──マクスに会いに来た」

 しかし、その男には目に映ったというだけで、特にダリアンに興味も示さず、リアラに用件をだけを伝える。

「はい。ではこちらへどうぞ」

 それを受け、リアラはダリアンを無言で制し、マクスの部屋へと案内した。


 その間、ダリアンはその男について考えを巡らせていた。

 漂う風格と、それに見合う威圧的な魔力。暴力的な力を持ちながら、高い知性を感じさせる品位は、彼の魔族の格を物語る。確実に、自分よりも上級の悪魔であるに違いなかった。

 だから、自分が下に見られるのは理解できる。しかし納得がいかないのは、この館の誰よりも強大な力を持つような存在が、わざわざこの禁術書館をなぜ訪れたのかだった。


 そして、戻ってきたリアラは、そのダリアンの疑問に答えるように、早々に答え合わせを始めた。

「あのヴォルカン様は、現魔王軍直属の精鋭部隊を率いておられる方です。

万が一、怒らせるようなことをすれば、私でも庇い切れません。言動には気を付けてくださいね」

 いつもの表情で笑みを浮かべながら、忠告するリアラを前に、ダリアンはまだ解けていない疑問を口にする。

「そんな方が、マクスさんに何の用なのでしょう?」

 その疑問は、リアラの笑みを深くさせた。

「誰であろうと、招かれた方に禁術書をお渡しする。それが私共の職務です」

 その回答は、ダリアンに聞き方がまずかったことを気付かせる。だが、リアラはそれをも承知の上で続けた。


「ヴォルカン様のお選びになる禁術書は、いつも決まっておられます」

 その声には、淡い含みと、わずかな緊張が混じっていた。

「『記憶移植術(エクス・メモリア)』――その禁術以外を所望なさったことは、一度もありません」

 空気が、わずかに張り詰める。だがリアラは、そんな気配を破るように、いつもの口調で問いかけた。

「……丁度よい機会ですし、記憶移植術がどのような術なのか、少しお勉強してみませんか?」

 そうして、リアラの講義が始まった――


”記憶とは、神が与えた魂の履歴である。

しかし、記憶に宿るのは、ただの過去の情報ではない。

神はそれによって万物の理を解き明かす術を授け、自由意思を認めながらも、未来を定める運命を魂に刻み込んだ。


そして、神はその神聖なる刻印を、ひとの手で弄ぶことを許しはしない。

その刻印を偽造、改竄、複製する行為は、神の領域を犯す禁忌である。

記憶の改変は「魂の再定義」とみなされ、魂そのものの意義を否定する所業と断ぜられる。


この禁術、記憶移植術は、対象の記憶を禁術書を媒介として術者の魂へと転写し、共有する術である。

それにより、対象が生きてきた過程で蓄えた情報、知識、経験、感情その全記憶を、術者は手に入れることができる。


この禁術の代償は、主に二つ。

一つ目は、この術を使用している間、魔力は消耗し続けるということ。

移植対象の数、記憶の密度に比例して、その消耗は指数関数的に増大していく。だが、これ自体は、禁術の代償とは言えない。魔術の行使に魔力が必要なのは、魔術体系における普遍の理だからだ。

これが代償と言われるのは、二つ目の代償に起因する。


二つ目は、この禁術は、一度発動すれば解除できない。

術によって記憶を共有された者は、自我と記憶の境界を奪われたまま固定される。

元に戻す術は存在せず、この術を受けた者たちは、術者と記憶を混在させたまま生きることとなる。


この術は、神が禁じる悪魔の所業、魂を蹂躙し隷属させる術である。

記憶移植術とは、魂を資源とみなす、まさしく魔の知性の象徴と呼ぶにふさわしい術といえる。”


 リアラの講義が終わる頃に、ヴォルカンはマクスの部屋から出てきた。その手には、禁術書が握られている。ヴォルカンはマクスと二、三会話を交わすと、そのまま書館の出口へと向かった。

 それに合わせてマクスたちとヴォルカンを見送るダリアンは、彼から感じる気配に違和感を覚えた。


 それは、些細な事だった。

 ヴォルカンは決まって記憶移植術の禁術書を書館から借りていく。そうならば、すでに彼は常に魔力を消耗してる状態にあるはずだった。だが、そのような気配は感じ取れなかった。

 限られた相手に限定して、ほんの僅かな記憶だけを共有している。そうすれば確かに、魔力の消耗も微細なもので、感知できない程度に抑えられるのかもしれない。だが、魔王直属の精鋭部隊長である彼が、そんな些細な事のために、わざわざこの禁術書館にまで足を運ぶ理由が、腑に落ちなかった。


 ダリアンはその疑問を口には出さなかった。

 しかし、彼を見送ったあと、リアラの講義を引き継ぐように、マクスはヴォルカンについて語り始めた。

「ヴォルカン・ゼラム・グラウロス──私は、彼ほどの武人を他に知りません」

 しかし、その口から漏れた言葉は、余計にダリアンを惑わせた。


 ──ヴォルカン様は、一人で戦場に立っています。

彼がこのネクロハイヴ禁術書館に訪れる時、それは彼の戦いの幕開けを意味します──


 ヴォルカンは魔王軍の精鋭部隊長として、選び抜かれた二百の兵を率いています。そしてその先頭には、比類なき魔力を有する自らが立ち、血路を開き敵を討ち払ってきました。

 彼はその全兵士に記憶移植術を施している。

 この禁術によって、すべての兵士の状態、知覚している情報、それらを元に判断された対応策、あるいはその行動と結果、といったものが全て、ヴォルカンに集約される。


 そして彼は、その情報を元に戦術的判断を行い、再び術を介して、即座に兵士たちに共有させる。

 その行動に、伝令も必要なければ、兵が迷いを持つこともない。これによって、一つの生命体の反射行動のような、正確かつ迅速な動きを可能としている。


 ──禁術の力によって、一切の無駄がなく、常に最善手を選ぶ彼の戦術の前には、並みの軍など成す術もなく蹴散らされることでしょう──


 ──遥かな戦場にて、人間の軍を相手に、戦いの幕は上がる。

 広大な戦場を見下ろすヴォルカンがその姿を現した瞬間、彼の軍勢はまるで一つの生命体であるかのように一斉に動き出した。地を揺らし進軍する先陣は、緻密に編まれた陣形を寸分の狂いもなく前進する。


 そして、先陣が敵軍と接触したその時、側面に潜んでいた伏兵が強襲する。何の合図もなく、しかし完璧な間合いとタイミングで姿を現した彼らは、側面から敵を切り裂いた。敵の視線が前方と側面に泳ぎ定まらぬ中、ヴォルカンを筆頭とした前衛が息を合わせて突撃する。

 大地を震わせる進軍は、まるで後ろに目があるかのように、後方支援の動きと呼応して、敵陣の急所を的確に見定め、中央から引き裂いた。


 攻撃と攻撃の間には一瞬の間すら存在せず、その連携はあたかも一つの生き物のように滑らかだった。個々の兵が常に次の手を知っているかのように動き、打撃の合間に別の兵が割り込んで補完する。敵兵は、たった二百のヴォルカンの軍勢に、無限の恐怖を味合わされた。


 敵の前衛は、為す術もなく圧倒された。陣形はあっけなく瓦解し、動揺する指揮官の命令が届く前に、すでにそれを聞く兵はいなくなっていた。人間の軍は、誰一人置かれた状況を認識できぬまま、鮮やかに切り刻まれ、次第に動く者を失っていった。

 それはもはや戦いではなく、一方的な蹂躙だった。逃走する者たちには、容赦のない追撃が加えられ、残存する抵抗を確実に、徹底的に潰して平らげた。


 味方の損害をほとんど出すことなく、敵を完膚なきまでに叩き潰したその戦いは、禁術の力を証明する見事なものだった。


 ──これは禁術を使ったヴォルカン様の初陣でのお話。

 ですが、このままでは禁術の代償によって、彼は魔力を消耗し続け、疲弊しきってしまうのは火を見るよりも明らかでした。

 ですので、私の方からヴォルカン様に、一つご提案をさせて頂きました──


 ──この禁術には、解呪方法はありません。ですが、死者に魔力を奪われることはございません──


 ヴォルカンは今、最も苛烈な戦場に立っている。たった精鋭二百名を引き連れて、それを遥かに上回る敵を相手に、それでも勝利をもぎ取り帰還を果たしている。

 彼の戦場で生き残るのは、今やたった数名のみ。

 それだけの数の精鋭を死に送り、それでも彼が赦されるのは、それ以上の死体を積み上げ、魔王に絶対の勝利を約束するからだ。

 ゆえに、皆は彼をこう讃える、勝利のヴォルカン、と──


 ──数日後、ヴォルカンは再びネクロハイヴ禁術書館に訪れた。

 ネクロハイヴ禁術書館の禁術書は、貸与されるものだ。しかし、返却期限はない。術を使用したあと、速やかに返却することを推奨されるが、術の性質によってはそれが出来ない事もあるからだ。

 しかし、今回のヴォルカンの様子は、前回とは少し異なっていた。


「──この禁術書、再び貸し与えてはくれまいか」

 書館のマクスの部屋にて、ヴォルカンは落ち着いた様子で、マクスにそう切り出した。

「……相変わらず、律儀な方ですね。そう望まれるのなら、こちらに御出でにならなくとも、そのままお持ちいただいて構いませんでしたのに」

 ヴォルカンは、これまで戦いが終わる度、必ず禁術書を返しに来た。そしてまた新たな戦いが始まると、記憶移植術を借りる為に書館を訪れた。その振る舞いは、ヴォルカンの性分でもあったが、それ以上に、禁術書の力を彼がどう考えていたかを表していた。

 だが、返却と同時に貸与を申し出たことは、今回が初めてだった。


「ええ。構いませんよ。そのままお持ちください。

移植された記憶に貴方の精神が汚染され、乗っ取られる──そのような欠点は、魔王の禁術書にはございません。

ですので、安心してお使いください」

 そのヴォルカンの変化を感じつつ、マクスは彼の申し出に快く応じた。

 それを受け、筋を通したヴォルカンは黙って立ち上がる。見送る間際、マクスは彼の背中に言葉を添えた。


「──そう確かに、魔王の禁術書には欠点など無い、完璧な物でございます。

ですが、この禁術には、貴方を無敵にする力もなければ、勝利を約束する力もございません。

それは、お間違えの無いよう……」

 その言葉を、マクスの目を見ることなく、ただヴォルカンは背中で黙って聞いていた。


 それから、皆でヴォルカンを送ったあと、マクスは予言めいた一言を呟いた。

「今日訪れたのが、彼の意志であるならば、それも良いのでしょうが、さて……」

 その言葉の意味を、ダリアンにはまだ知ることは出来なかった。


 ──そして、ヴォルカンは、再び戦場に戻ってきた。

 ヴォルカンは、記憶移植術を発動し、二百の兵と命を共にする。それはいつもと変わらぬ戦場だった。

 そう、ヴォルカンには、この戦場は同じ結果をもたらす数多の勝利の一つに過ぎなかった。


 しかし、ヴォルカンにとっては同じ勝利に過ぎなくとも、戦場が変われば、戦う相手もまた変わる。そんな当たり前のことに、いつしか彼は頓着しなくなっていた。ただ、敵をうち滅ぼす。それだけが己の存在理由となっていた。

 禁術の力によって無類の猛将と化す彼は、地に転がる敗北者などには、一片の興味すら抱かない。果たしてそれは、ヴォルカンの戦士の矜持なのだろうか、それとも、禁術書に魅入られた結果なのだろうか─…


 一方、この戦場の人間たちは、考えていた。

 ヴォルカンの勝利のために踏みにじられた同胞たちを生贄に、彼の持つ力と性質、その戦術と戦力を研究してきた。そして、禁術書の存在までは分からぬまでも、ヴォルカンの戦い方の特性をほぼ正解に近い形で暴き出していた。

 そして今、人間たちはその全てを懸けて戦場に挑む。死を積み重ねてきたその執念を、たった一度の勝利という結晶に変えるためだけに……。


 そのことに、人間たちを見ていないヴォルカンが、気づくはずはなかった。変わらぬ戦場。変わらぬ敵。変わらぬ勝利。ヴォルカンは、この戦いをそう信じて疑わない。

 だがそれは──真実からは遠かった。


──この戦場は、ヴォルカンを仕留める為に人間たちが仕掛けた、罠──


 ヴォルカンは、進軍を始める。対して人間側に変化はみられず、いつもの愚鈍な相手だと彼に認識させた。

 そして、その戦端が開いた時、ようやく人間たちは動き始める。彼らは愚かにも、ヴォルカンの軍勢を前に、自軍を三つに分けた。

 その狙いは明白だった。ヴォルカンに目標を絞らせず、彼の少ない軍勢を敵に合わせて、さらに分割させることだった。

 ヴォルカンは、そんな誘いには乗らず、分かれた敵軍の各個撃破へと動く。その進攻は烈火のごとく、瞬く間に一つの部隊を飲み込んでいった。

 だがそれは、人間側が仕組んだ一つ目の罠だった。


 人間側は見抜いていた。

 ヴォルカンの力は、敵兵の心を読む類のものではない。あくまで、与えられた戦況を正確かつ迅速に読み解き、最適解を選び出すものだ。言うなれば、盤上競技の類まれなる天才が魅せる技と等しい正確無比な『予知』だ。

 それとわかる囮を用意したところで、ヴォルカンには容易く看破される。安易な陽動に意味はなく、ただ手を悪くするのは明らかだった。それでも人間側は、あえて自軍を三つに分けて迎え撃った。


 それは囮ではなく餌だった。獲物に喰らいつかせるため、できるだけ美味くみせた餌だった。

 喰いつかせるに足るだけの犠牲を支払い、その僅かな時間に、残された二部隊が動き出す。ヴォルカンの軍勢を左右から挟撃する二部隊の動きは、ヴォルカンの軍勢に匹敵するほど静かで、そして速かった。

 それは、周到に準備してなければ不可能な行動、そして、二つ目の罠だった。


 ヴォルカンは選択を迫られた。挟撃する二部隊に対して、再び各個撃破にでるか、それとも自軍を合わせて割るか。

 この時、ヴォルカンは戦場で初めて迷いを持った。

 再びの各個撃破で何の問題もない筈だった。しかし、禁術によって集約される情報がその判断に歯止めをかける。この状況を待っていたかのような敵の動きが、こちらの行動が読まれていると警告する。

 決断の期限が迫る中、ヴォルカンは最善手を選択した。


 人間側は、もう一つ見抜いていた。

 ヴォルカンの軍勢の恐るべき連動性は、兵士個々の能力を強化することで成し得ているのではなく、意識を共有するようなネットワークを構築することで実現している。その個々の知覚は単独で機能していながらも、その判断には明らかに外部からの指示がみられる。

 そして、その判断の集約と指揮を担っているのが、ヴォルカンである。


 このネットワーク構造において、ヴォルカンは単なる個々の上位者ではなく、あらゆる判断の中枢であり、命令の生成源である。彼の軍勢の枝葉にあたる兵たちは幾らでも代えがきくが、その幹たる存在に代わりはない。ヴォルカンが失われれば、共有された意識は即座に断絶し、軍勢は連動性を喪失するだろう。

 つまり、この戦いは、まさに盤上競技であるように──王さえ獲れば決着となる。


 禁術が選ぶ最善手は、ヴォルカンの軍勢を二つに割る。

 まさに、その時だった──

 その時とは、数多の屍を築いたヴォルカンに、更なる餌を貢ぎ上げ、人為的に造られたほんの一瞬のことだった。


 ヴォルカンの軍勢が動き始めるその足元には、打ち倒したばかりの敵軍が眠る。もう価値の無くなった敗北者、その喰い散らかした餌の中には、僅かに生き残った者がいた。その者たちは、絶対に気取られぬように、死者の中に戦力を秘め、この瞬間を待っていた。

 ヴォルカンを仕留めるのは、どの餌の喰い残しでもよかった。ただそれだけが、生き残った者の使命だった。ただそれだけの意地と執念だけが、この刹那の結晶を創り上げた。


 ヴォルカンの軍勢が、禁術の力でどれほど高い連動性を誇ろうと、同じ瞬間に、異なる行動を取ることはできない。そして、どれほど速く情報が伝わろうと、それが兵士の行動を上回ることもできない。

 目標の変更指示、兵士の軸足の移動、隊列の隙間、その隙とも言えぬ間隙を縫い、その刹那に全てを賭けて、死者の影に潜む刺客たちが、ただヴォルカンを獲りに来る。


 何人も成し得なかった、ヴォルカンの手の及ばぬ瞬間を突くその一手──それは、恐怖すら伝達する時間を与えず、一瞬のうちに突き抜けた。

 魔王の禁術書に欠点は無かった、だが、ヴォルカンを無敵にする力もなかった……。


 その戦いからしばらく経ったある日、ネクロハイヴ禁術書館に男が訪れた──


「……相変わらず、律儀な方ですね。こちらに御出でにならなくとも、禁術書の回収は私たちにお任せいただいて構いませんでしたのに」

 マクスは自分の書斎にて、その男と語っていた。

 その男は、記憶移植術の禁術書を、ただしばらく見つめていた。そして、重い口を開いた。


「──戦いとは、死を代償にして勝利を得る、一大術式のようなもの」

「兵士とは、その取引に使われる金。

意味もなくひたすらに浪費する者は阿呆だが、使わぬなど只の愚鈍。

俺は、そのようなものに成りたくなど無かった……」


 誰よりも金に魅入られていた男は一転して、穏やかな視線を向けた。

「だから、この禁術を使ったことに後悔などないし、まして、恨みなどあるはずもない。

ただ……、一つだけ、思い違いをしていたな。金の価値は、魔族も人も全く等しい。

人間とはあの有様でなんとも、侮り難い相手よな……──


 男の口元から、これまで見せることのなかった笑みがこぼれる。そして──そのまま、最後の言葉を残し、消え去った……。

「……そうですね。私も、元人間として、それはよく理解しております」

 マクスは静寂に言葉を送り、その男を弔った。


「ヴォルカン・ゼラム・グラウロス。またのお越しをお待ちしております」

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