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第十六編 綟組紋様羅・下

 魔王ザルヴァス・アルタゼル・クレヴィオン──彼もまた、不老不死に手を伸ばした魔王の一人であった。

 力ある者がその夢に焦がれるのは、栄華の終焉を恐れるゆえか──。

 それとも、永遠という名の虚無への憧憬ゆえか──。

 彼の内奥の真意までは、今となっては誰にも分からない。


 魔族は死しても、魂は地に残る。そして新たな器を見つけ、魔族は蘇る。

 だが、魔王ほどの魔力を宿す器となれば、容易に顕現するものではない。

 ゆえに、死した魔王は魂のまま、千年、万年という果てなき時を、ただひたすら待ち続ける。


 ザルヴァスは、その停滞に対抗する策を編み出した。

 肉体の死に抗うのではなく、死から再生へ至るまでの時間を極限まで短縮する──

 死した後、必要となる次なる魔王の器をあてにはせず、手ごろな器に生前の力を注ぎ足すことで、魔王たりうる器を完成させる。

 それこそが、彼が叶えようとした「疑似的な不老不死」であった。


 そして、その力を注ぎ足す杯として選ばれたのは──人間だった。


 人間を使ったのは、その繁殖力と、偽装のため。

 来るべき時に器に注ぐ生贄とするべく、彼はその血脈に自らの魔を潜ませておくつもりだった。


 だが、ザルヴァスの誤算は、その人間を囲う行為自体が、同族たちから激しい反発を招いたことにあった。

 人間を用いるという発想そのものが、魔族の誇りを穢す行為として、多くの者たちの怒りを買った。


 皮肉なことに、永遠を欲したその手こそが、己を玉座から引きずり下ろすのに一役買ってしまったのだった──。


 魔王ザルヴァスが、叛逆によって討たれた時、彼の計画はまだ半ばだった。

 その発端となった囲われてた人間たちには、魔族に抗う力など無く、悉く狩り尽くされた。

 女も、幼子さえも、魔族の浄火の名のもとに焼かれ灰となった──そう、ザルヴァスの夢と共に……。


 だが、二人──いや、ただ一人。この業火の中を、生き残った者がいた。


 その者は、魔族の血が薄く、まるで使い物にならなかっため、その災禍が訪れる前に、魔王の元から追放となっていたのだ。

 しかし、叛逆の兆しを察知した魔王派の配下によって、追放されるはずだった子は、密かに別の子とすり替えられていた

──。


 それから時は過ぎ、新魔王が統治する世となった。

 唯一逃げ延びた子供は、名も知られぬ地で、人の目を避けるように静かに生き延びていた。

 魔界の地で、彼女には人並みの自由など無かったが、それでも、彼女はひとときの平穏を手に入れた。


 だが──その平穏も長くは続かなかった。

 次代の魔王もまた、アクレオスの手によって討たれると、魔界の秩序は乱れ、再び混沌が支配する世へと傾いた。

 玉座に座るアクレオスの力に誰もが跪いたが、彼はそれらを統べ王となろうとはしなかったのだ。


 そして、そのような秩序の乱れを、快く思わなかった者がいる。

 オリヴァは、魔族の世界を支配するのは常に「力による恐怖」であると信じて疑わない。魔界の世が乱れるのは、偏に支配者に純粋な力、恐怖が足りないのだ。

 恐怖がなければ秩序は生まれぬ。畏怖こそが群れを統べ、沈黙こそが秩序を築く。

 彼はアクレオスの魔界の王たりえない弱さを見抜いていた。


 そこで、オリヴァは早々に独自の次期魔王候補の選定に乗り出した。

 その中で見つけたのが、魔王ザルヴァスの忘れ形見──エリサル・シャ・クレヴィオンだった。


──いつからだろう。

 あの魔族が私の生活を奪ったとき──

 それとも、魔王の子として生まれたとき──

 いいえ、もっと別の……きっと、あの声は──。


 あれからまた時が経ち、エリサルがオリヴァの攻撃に倒れることがなくなった頃──転機が訪れた。

 魔王アクレオスが討たれたのだ。それを境に、オリヴァはしばらく闇の城に姿を見せなくなった。

 エリサルには外の事情など一切知らされなかったが、それは彼女には退屈な日々をもたらした。

 オリヴァの教えを受けて力を得た彼女にとって、代わりの者たちでは、もはや相手にもならなかったのだ。ひとりとして、彼の不在を埋められる者などいなかった。


 それでも、エリサルはこの闇の城から逃げ出そうとはしなかった。

 オリヴァの鍛錬は辛かったが、それだけの事──魔王の子、ましてや半魔である自分が魔界で生き残るには、強くあらねばならないことを、彼女は誰よりも理解していた。

 エリサルは、オリヴァに恩義すら感じていた。


 ──その頃、オリヴァは、アクレオス亡きあとの混乱を鎮めるために奔走していた。

 魔王軍の再編、情報統制、人間側への干渉──魔界の秩序を保つため、片付けねばならぬ問題は山のようにあった。

 彼自身この事態を望み、そしていくつもの布石を打ってはいたが、現実はそれよりも数手先を行き、すでに彼の備えを追い越していた。


 本来、ザルヴァスの術式は、一杯の杯で完結するものではない。

 エリサルの様な系譜をいくつも用意し、その力を重層的に注ぐことで、完全な魔王の器として完成するのだ。

 だが今や、その杯はエリサルただ一人しか残っていない。となれば、器も何でもよいという訳にはいかなくなる。

 たった一つ残されたその杯から、魔王へと昇華できるだけの器でなければ、ザルヴァスの復活に到底耐えることなどできないだろう。


 オリヴァはその器選びに苦戦していた。

 信頼する部下たちが連れてきた魔王の依り代たる候補者たちは、誰ひとりとして彼の求めるものではなかった。 

 ただ魔力の強いものを作り上げればよい、というわけにはいかないのだ。

 魔王たる資質を持たぬ者に力を持たせたところで、それはアクレオスと何ら変わりはないのだから……。


 想定外のことが次々と起こり、次期魔王の選定が差し迫る中、ザルヴァスの術式の完成は、到底間に合うものではなかった。

 しかしだからといって、公爵どもが選定する魔王に期待などできるわけもない。

 彼にとってこの状況は何とも歯痒いものだったが、焦りから身を亡ぼすほど愚かでもなかった。


 オリヴァといえど、人為的に魔王を作り出すことなどできるはずもない。だからこそ、魔王ザルヴァスは、この様な術式を手間をかけて仕込んだのだ。

 他に手も無くなった彼は、最後にネクロハイヴ禁術書館を訪れた──


「オリヴァクス・タウリク・ヴァーキサル様。今宵は、何を御所望ですか?」

 彼の前に、セレヴィアが立つ。以前と変わらず彼女の表情は凍てついていた。


「……そう、怖い顔をするな。今日は、お前と腹を割って話そうと思ってな」

 いつになく厳しい顔つきで、意外なことを口にしたオリヴァを前に、彼女の瞳は一瞬揺らいだ。


 セレヴィアに、禁術書に関係ない応対をする義務はない。

 しかし、だからといってオリヴァが引き下がるわけもない。

 互いにそこまで分かっている上での、彼の言葉を拒否する権利は、最初から彼女には無かった。


「──魔王の器。

それを禁術によって作り上げるなど、できるはずもあるまいよな」

 セレヴィアの返事を待たず続けられた言葉には、諦めが滲む。


 それは、セレヴィアには否定できない問いだった。

 魔王アクレオスを生み出した禁術書『核融合切縫ソーレ・ロヴェシャート』。これを使えば、厳密には異なるがそれに近しいものを作り上げることは可能だろう。

 しかし、それとオリヴァの望みが同じであるとは考えにくい。なぜなら、それで良いのであれば、彼がアクレオスに嫌悪を抱くことはなかっただろう。

 それはたとえ別の禁術であったとしても、禁術という代償を孕む魔王など、彼の求める魔王であるはずがなかった。


 彼女は答えよりも、オリヴァからその問いを投げられたことに、視線を下げた。


「そうよな……。たとえネクロハイヴの禁術だとしても、無駄、か。

私に、その代償を払うつもりなど無いのだから……」

 セレヴィアが彼を警戒し、嫌悪する理由を自ら口にする姿は、らしからぬ焦燥を匂わせた。

 本人の口からは笑みが漏れるが、それを嗤うものは誰もいない。


 しばしの沈黙──そして、それを破ったのも、またオリヴァからだった。

「──あの、ヴァンパイアの……、名を何と言ったか。

あの男を私に預けたアルテアの魂胆──あれは確かに私の助けになっていた訳だ。

余計な邪魔が入ってしまったがな……」


 セレヴィアはオリヴァを好いてはいない。だが、情はある。それが分からぬ畜生ではない。

「望まれるなら、お呼びしましょうか?」


「──フッ! フフ……、ハッハッハッ──!!」

 セレヴィアが吐いた言葉に、オリヴァは肩を震わせて大いに笑った。


「なあ、それならば──カイリス(お嬢さん)に、魔王になってもらえんか。

そうすれば、公爵(馬鹿)どもの相手などせずに済むのだがな」

 らしさを取り戻し、笑いを抑えながら吐くその懇願に、セレヴィアは冷たい視線を送る。


「──クククッ……、ああ、そうだな。再びその世となるまで、待つのもいいか……」

「デュヴァイネル、今日はお前の冗談を聞けただけでも、来た甲斐があった」


 結局、オリヴァは望むものを何一つ手に入れられなかった。だが、それ以上の収穫を得て、彼は上機嫌にネクロハイヴ禁術書館を立ち去る。

 その後ろ姿を見送るセレヴィアの口元は、ほんの小さく緩んだ。


 オリヴァはその足で闇の城へと戻った。

 器がまだ定まらぬ中、杯だけ用意しても意味がない。

 ならばいっそ──ザルヴァスがそうしたように、あの杯を繁殖でもさせて、来るべき時に備えておくか。

 気の進まぬ悪趣味と、らしくない緩慢な計画に、彼は顔を歪めながらも城の扉を潜った。


 だが──その瞬間、オリヴァの表情は一変した。


 扉を開いた瞬間、鼻を突く血の匂いが城の闇を満たしていた。

 壁を伝う黒い染みはまだ乾いておらず、魔力を帯びた残滓が匂いに混ざり空気に漂う。


 オリヴァは眉をひそめた。

 こちらの計画に気づいた敵対派閥、あるいは人間側の刺客──これを行った賊の正体を瞬時に巡らせる。

 それと同時に、二名の側近が、彼を護るように前へ出た。


 血は、廊下の奥、玉座の間へと、幾重にも重なった赤く濡れた足跡となり続いている。

 導かれるままその足跡を辿り、玉座の間へと入る。そして、その階段の上にいたのは──エリサルだった。


 その姿は訓練の時のまま、何も持たず、何も言わず、裸足のまま立っていた。

 だが、その血に染まる手足と、足元に転がる死体が、この惨劇の犯人を如実に物語っていた。

 

 その光景は、オリヴァの胸をざらつかせた。

 しかし、その間もなく、彼女の前に、側近が剣を向ける。

 それに対し、エリサルは構えるでもなく、逃げることもなく、ただ、その罪を受け入れているようですらあった。


「……この有り様はどうした?」 驚きも、怒りも押し殺した声で、オリヴァは問う。

 エリサルは澄んだ声で、淀みなく即座に答える。

「裏切り者を粛清しました。他の者はそれを信じず、剣を向けてきましたので、仕方なく」

 そして、逃げ出さずにここにいる──それが嘘でない何よりの証だった。


 死体の顔には、オリヴァにも思い当たる節がある。しかし、他陣営からの間者など、逆に利用すればよいと放置していた。

 こいつは、エリサルを自陣に引き入れようとしたか、あるいは、抹殺を試みたか。いずれにせよ、エリサルの力を見誤った。

 しかし、それも無理からぬことだった。

 彼女がここまで強くなっていようとは、オリヴァ自身、想像もしていなかったのだから。


 オリヴァが手をかざすと、側近たちは剣を収めた。

 そしてその手を前に、エリサルはゆっくりと膝をつき、頭を垂れる。


「杯が、器を超えるか……」 血の匂いが二人の間を通り過ぎる。

 オリヴァはそのまま深く息を吐くと、彼女の肩に手を置いた。


「なあ、半魔のエリサルよ。お前は、人もこのように殺せるのか?」

「はい。お望みとあれば、いくらでも」

 エリサルのその足元で、血溜まりが真円の波紋を描いた。


 ──使い捨てるはずだった半魔の襤褸(ボロ)が、魔族の血を吸い、見たことのない紋様を織り出す。

 それは、求めるものにはほど遠く、何とも歪で、悪趣味な出来損ないだ。

 だが、オリヴァはその紋様をいたく気に入った。


「……よかろう」

 低く呟くと、オリヴァは手を掲げ、残る兵に命じた。

「以後、この女は我が側に置く。この者の声は、我が声と心得よ」


 身を潜めていた侍女たちの間に、ざわめきが走る。

 だがその中心で、エリサルは微動だにせず、その命を受けた。


 ──半魔の女が授かった破格の地位は、やがて内外にほつれを生み、数多の糸を絡ませる。

 だが、彼女の忠誠の糸だけは、鉄よりも固く結ばれ、誰にも断ち切ることは叶わない。


 闇の城の主と、その陰に従う女。

 その運命を生み出したのは誰か、真実は誰も知らない──


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