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第十三編 祈言訛僻言・上

「なあ、ダリダリよ。君は僕に借りがあるよね」


 あのアクレオスの動乱から間もなく、落ち着きを取り戻したネクロハイヴ禁術書館にて、ダリアンはロロに絡まれていた。

 尊大な態度で迫るロロに、ダリアンは困惑した。

 おかしなことを言ってくるのはいつもの事。だが、何の事だか思い当たる節が無い。

(もしかして、魔王城でのことを言っているのか? いや、でもあれは──)


 ダリアンが考えを巡らせている最中、ロロは構わず言葉を続ける。

「その借りを返すってことでさ、僕の仕事手伝ってくんない?」

 無いものを有ることにされて腑に落ちないままだったが、ダリアンは一息ついて、嫌そうな顔を隠しながら尋ねた。

「それは、どんな仕事ですか?」


 ロロは尊大な態度を崩さぬまま、その問いが来るのをわかっていたかのように言葉を返す。

「うん、実はさ……ドラゴンのいる所に一緒に行って欲しいんだよね」

 その無茶な頼みごとに、ダリアンは嫌な顔を隠さずに即答した。 「嫌です」


「え~~。どうしてー、ねぇーいいじゃんよー」

 ロロは途端に尊大な態度を改めると、今度は子供の駄々をこねてダリアンに迫った。

「何故、ドラゴンなんですか? また血を集めているんですか?」

 ダリアンは、そんなロロの変化を意に介さず、その目的を淡々と尋ねた。


「そうじゃないんだよ、今度わー。ちょっと禁術と関係あってさー、どーしても、ドラゴンに会いに行かないといけないんだよー」

 ロロはお小遣いでも強請るように、ダリアンの足元で服を引っ張りながらせがんだ。

 ダリアンは大きくため息をつく。

 ドラゴンになど、まったく関わり合いになりたくはなかったが、禁術が関わっているなら無視はできない。そんな諦めの気持ちが、気分を暗くさせていた。


 ──ドラゴンとは、特別な存在である。

 大空を自在に翔けるその巨躯は、神の僕とも、異界の悪魔とも言われ、畏怖の象徴として語り継がれてきた。

 その力は圧倒的で、ひとたび翼を羽ばたかせれば嵐を呼び、全身を覆う鱗は鋼鉄の刃をも弾き返す。吐き出す炎は、あらゆるものを灰に帰す。

 ドラゴンと相対して、力ある魔族すら生きて帰れる保証はない。


 しかし彼らは、人間にも魔族にも属さない。

 どちらの陣営にも肩入れすることなく、ただ遠く、空の高みから二者の争いを見下ろしている。

 天を貫く霊峰の奥深くを棲処とし、迷い込んだ者には“試練”を与え、気まぐれに弄ぶと言われるが、真実は誰にも分からない。


 野心をもってドラゴンに近づくのは、とても危険だ。

 その目的は、彼らが持つ、叡智か、財宝か、あるいはその体自体が持つ価値か、いずれも例外なく、ドラゴンたちはその様な者たちに容赦はしない。

 もっとも、それは生物であるなら、至極真っ当な防衛本能ではある。

 しかし、極めて高い知能を持つ彼らから、それらを奪うことができた者は、未だ存在しない──


「居る場所も、どんなドラゴンかも分かってるんだけどさー。ダリっちを連れて行った方が、きっと喜んでくれると思うんだよね」

 ロロは、そんなドラゴンに会いに行くことを、まるで友人に会いに行くかのように気軽に話す。

 あの魔王城での動きから比べても、ロロの戦闘能力はダリアンと大きな差はない。たとえ二人がかりでも、ドラゴンを打ち倒すことなど、到底できはしないだろう。

 ロロの言いようは、少なくともそんな物騒なことを考えているわけではない、と暗示していたが、ダリアンにはそれが余計不安でならなかった。


 ──しかし、その時。

「あら、ロロくん。ダリアンさんにもお声をかけていたのですね」

 その声に振り向くと、リアラが立っていた。

 彼女はいつもの儀礼的な装いではなく、動きやすい旅装束に身を包み、その上から厚手の外套を羽織っている。

 その恰好は、まさに霊峰に挑むための防寒と機能性を兼ね備えた姿だった。


「うん、行ってくれるって。じゃ、僕も準備してくるね!」

 ロロは勝手に話を捏造し、そのまま駆けて行った。

「……は?」

 置き去りにされたダリアンは、言葉を失い、しばし呆然と立ち尽くす。

 それだけで、全てを理解したリアラが苦笑まじりに肩をすくめた。


 その無茶な要求を突っぱねることもできた、いや、すべきだったかもしれない。

 だが、ロロとリアラのふたりだけでドラゴンの済む山へ行かせるのは、どうにも気が咎めた。

 ダリアンは大きく息を吐き、諦めたように言った。

「──リアラ。その外套、予備はありませんか?」


 ──ドラゴンの棲む霊峰。それは、雲よりも高く聳え立つ、天空の要塞だった。


 山頂に吹き荒れる風は、山そのものが唸り声をあげているかのようだ。氷刃のごとき突風が岩肌を削り、風がうねるたびに雪煙が舞い上がる。陽の光は薄く、雲は途切れなく、稲光がその奥で鈍く閃く。

 大地は絶えず唸りを上げ、時折、遠雷のような音が谷間に木霊する──それは、ドラゴンの咆哮か、山の呻きなのか、人には判別できない。


 その足元には、数百年も前に凍りついたままの魔物の屍が眠り、来訪者を出迎える。

 そして、さらに奥へと誘い込むように、すぐそばの崖には天然の水晶が魔力を帯び、青白い光を放っている。その輝きは美しくも不吉で、近づく者の体温と命を奪う。


 この霊峰を踏破した者はいない。だが、誰もが知っている──此処こそがドラゴンの棲処であると。

 雲を割り、雷氷を孕むこの山域は、太古の伝承が今なお息づく”神話の地”。

 神々が造り、魔すら畏れ躊躇う、世界の天蓋──


 ──その霊峰の麓に、三つの影が立っていた。

 見上げれば、雪煙に包まれた峰々が天を貫き、冷たい風が頬を刺す。その中でひときわ小柄な影が、ためらいもなく一歩を踏み出した。

「さ、行こっか」

 まるで近所の散歩にでも出かけるかのように、軽やかに歩き出すその背を追い、二つの影がゆっくりと後に続く。

「それじゃあ、ロロくん。道のりも長いことですし……そろそろ、事情を詳しく聞かせてもらってもいいですよね?」

 後から続く一つの影がそう切り出すと、もう一つの影は無言で頷いた。


「えっ~~、まだ言ってなかったっけ?」

 ロロは両手を広げておどけて見せたが、ふたりの厳しい視線に射抜かれ、肩を落として静かにその手を降ろした。

「……実はさ、禁術書を渡したひとにね、”禁術を解いて欲しい”って、頼まれっちゃったんだよね」

 その口から洩れた言葉に、空気が一変した。

 あまりに突拍子もない理由に、ダリアンとリアラは一瞬、息を飲んで顔を見合わせる。

「……そんなことは、許されるのか?」 ダリアンの口から思わず疑問がこぼれた。


 ──ネクロハイヴ禁術書館には規則がある。その規則に則って、ダリアンはこれまで司書としての務めを果たしてきた。

 だが、今ロロが口にした「ここに来た理由」は、明らかにその一線を踏み越えているように思えた。


◆ネクロハイヴ禁術書館の規則◆

一、来訪者は、魔王カイリスの像の前において真の名を名乗ること。

 その誓言をもって、来訪者は望む禁術書を一冊、貸与される権利を有する。


二、禁術の行使に際し、来訪者が求める場合には、書館はこれを支援する。

 ただし、支援は司書の裁量とし、また、書館は禁術の妨害ならびに積極的干渉を行わない。


三、禁術書の返却に期限は設けられない。

 ただし、使用を終えた場合は、速やかなる返却が望ましい。

 返却がなされぬ場合、または必要と認められた場合には、書館は独自の手段をもって回収を行う。


四、書館内での暴力は、いかなる理由があっても禁止される。

 これを破った者は、上記で認められた権利を剥奪し、速やかな退館を命ずる。


五、貸与された禁術書の保有および使用に関する一切の記録は、書館により秘匿される。

 この秘匿は永久的かつ絶対的なものであり、いかなる権限をもってしても閲覧を許されない。


 この規則は、マクスやアルテア本人から明文化されたものを渡されたわけではない。

 だが、これまでの経験とやり取りの中で、このような内容を共有しているものだと、ダリアンは感じ取っていた──。


 そのダリアンの疑問を受けて、ロロは少し考え込んでから答えた。

「……んー、この場合は大丈夫なんじゃないかな。

僕たちが勝手に禁術を解いたら問題だけど、禁術の使用者から解呪の依頼を受けることは、禁止されてないはずだよ」

 そう言って、ロロは肩をすくめ、さらに言葉を添えた。

「まっ、と言っても──そんな依頼を受ける義務も、僕たちにはないんだけどね」


 ロロの言葉には理屈としての正しさがあった。

 確かに、渡した禁術書の行使を妨害したり、術者から被術者を守るような行為は規則に抵触するだろう。だが、この場合は、それには当たらないようにも思える。

 ただ、ダリアンにとってロロが請け負ったこの依頼は、今まで聞いたこともない特異なものだった。


「では──今回のドラゴンは、どちらなんですか?」

 ロロの行動の目的が見え始めたところで、リアラは問いを重ねた。


「うん、これから会う水龍ヴェルドールはね、呪いを受けた側なんだ。

ただ、依頼はもうずっーと昔の話。禁術書はとっくに回収してるし、使用者も……もうこの世にはいないかな」

 淡々と語るロロの声には、どこか遠い記憶をたぐるような響きがあった。

 ロロの依頼は、昨日今日の話ではなかった。その言い方からどれほど昔の事なのか、ダリアンには見当もつかない。

 ならばなぜ、今なのだろうと、新たな疑問が芽生える。


 ダリアンがその疑問を口に出す前に、ロロは予知しているかのように小さく笑った。

「だってさー、アルテア様の作った禁術だよ? そんなものを解くなんて、簡単にできるわけないよね。

だからさ、今日まで……ずいぶん時間がかかっちゃったんだ」

 言葉の最後にこぼれた笑みには、冗談めかした響きの裏にわずかな疲れが滲んでいた。


「でもね、ヴェルドールは話の分かる相手だから。僕らを歓迎してくれるよ、きっと」

 そう言ったロロの笑みは、子どものように無邪気で、そんな疲れを吹き飛ばすほど眩しかった。

 ダリアンもリアラも、ここまでの経緯に不信を抱きながらも、その笑みに気を許した。

 それが裏切られるとは、露も知らずに……。


 彼らはその後、霊峰の奥へと足を踏み入れた。

 吹きすさぶ風は針のように肌を刺し、踏みしめた雪は、かすかに悲鳴をあげるような軋みを返す。

 足跡もすぐに消える白の世界に、命の気配はほとんどなかった。


 空気は凍てつき、吐く息が瞬く間に氷の欠片に変わる。

 リアラは外套を深くかぶり、ダリアンは目を細めて、前を行くロロの背を見失わぬよう歩みを続けた。


 やがて、岩肌が裂けてできた大きな洞の前にたどり着く。

 そこに流れ込む風の音が、まるで何者かの低いうなり声のように聞こえた。


 ──そして今。

『きざまらぁ、私がヴェルドールと知って来たのかっ! そこに直れ、この下郎どもがぁっ!』

 咆哮が山を裂き、冷たい風が肌を切り裂く。

 ダリアンは、ロロの言葉を信じた自分を呪いたくなるほど後悔した。目の前にそびえ立つ水龍ヴェルドールは、理など通じぬ憤怒そのものだった。


 敵意を剥き出しにするドラゴンを前にして、ロロを信じたダリアンは退路の用意を怠っていた。まともに相手をして勝てる訳の無い相手に、その油断は致命的だった。

 退くことも、進むこともできず、死すら覚悟したダリアンの前に、ロロは一歩前に出た。


「やあ、歓迎ありがとう。待っていてくれたんだね」

 ヴェルドールの憤怒など、まったく気にかけていないかのように、ロロは笑顔を向ける。


『──よくぞ来た……、死を携えて。

我が前に跪け! 貴様らの息が絶えるとき、私は喜びに咆えるだろう!』

 ドラゴンの叫びは、怒号の中に歓喜が入り混じる歪んだ響きを孕んでいる。その咆哮に圧され、岩肌が軋み、雪煙が舞い上がる。


 両者の会話は全く成立しておらず、ダリアンとリアラは不可避の衝突を覚悟する。

 一触即発の緊張の中、それでもなぜかロロだけはただひとり、無防備に笑みを浮かべ、さらに一歩前に出た。


「今日は、仲間も連れて来たよ。退屈してるかなと思ってさ……。

さあ、顔をこっちに。君の呪いを解いてあげるよ」

 その声音は、恐怖を知らぬ子どものように穏やかだった。

 差し伸べられた手に、動きを止めたヴェルドールの巨体がわずかに揺らぐ。空気が張り詰める──それは、次の攻撃への予兆にも映った。


 ダリアンは息を呑み、警戒しつつロロの背後に忍び寄る。何かが起これば、引きずってでも即座に退避させるつもりだった。

 しかし、その手がロロの外套に触れかけたとき、思いもよらぬ光景が広がる。

 ヴェルドールはゆっくりと目を瞑ると、そのまま首を下げロロの前に頭を差し出したのだ。


「どういうことでしょう……。攻撃してきませんね」

 背後から、リアラの声が凍りついた空気の中に溶ける。ダリアンも同じ疑問を抱いたが、ドラゴンを間近にして声に出すことができなかった。


 状況が飲み込めないふたりを背に、ロロは無防備なドラゴンの頭に手を添えた。

「風よ運べ、魂の名を。黒き縛鎖は、いま光に融けよ。始まりの言葉を取り戻す。

イン・マルグ・ドゥラ・アシェル、セラ・ヴェリナ・ノク・アトゥエル──」

 ロロの掌から、呪文と共に微かな光が滲み出した。

 それは柔らかな灯火のように、周囲を優しく包む。そして呪文が進むにつれて、光は徐々に形を変えて空中に淡い紋様を描いた。


 ダリアンとリアラは、その光景に思わず息を呑む。

 それはまさに、黒き禁術を打ち払う白き法術。とても魔族のものとは思えない、神聖ですらある光を放つその紋様は、まるで呼吸をするように周囲の空気を吸い込み、内側へと魔力を溜め込んでいく。

 やがて、限界まで満たされたその魔力は、一つの脈動を最後に、眩い閃光となって弾け飛んだ。


 瞬間、無数の光の粒が周囲に散り、星のように瞬きながらヴェルドールを取り囲む。

 粒子は互いに触れ合い、溶け合い、再び離れては瞬きを繰り返す。まるで生きた星々が、空中で戯れているかのようだった。


 そして、その光は渦を描くように集まると、幾重もの輪となってドラゴンの頭上に浮かび上がる。輪は呼応するようにゆっくりと回転し、その中心でロロの声が響き渡った。

「祈りの声を還せ──呪いの渦を鎮めよ!」

 その言葉に応じるように、光の輪が一斉に輝きを増し、祈りの声が満点の星空に震えた。


 光の振動がヴェルドールの巨体を貫き、氷壁を震わせ、凍てついた空気までもが悲鳴を上げたように共鳴した。

 ダリアンはとっさにリアラを庇い、身を低くしてその衝撃に備える。

 だが、嵐の中心に立つロロだけは、微動だにしなかった。ただ淡い光の奔流の中で、彼の衣の裾だけが舞い上がる。


 そして振動が限界を迎えた時、光が弾けた──。

 瞬間、振動がぴたりと止まり、氷壁を軋ませていた音も、耳をつんざく唸りも、すべてが静止する。

 世界が息を潜めたような突然の沈黙の中、ロロの声だけが響いた。


「……どうかな」 その声に応じるように、ヴェルドールの喉奥から音が漏れた。

『……よくぞ、呪いを解いてくれた。感謝する──』

 それは、先ほどまでの怒号が嘘のように、深く穏やかな声だった。


 何が起こったのか分からないまま、ダリアンたちは息を呑み、互いに顔を見合わせる。

 解呪が成功した──間を置かず、そこに思い至ったのも束の間。

 ぐはっ! と鈍い音を立てて、ドラゴンは血を吐き出し、その巨体を地に伏せた。


「……駄目だったか」

 ロロはかすかに眉を寄せ、残念そうに呟いた。

 そして静かに両手を掲げ、倒れ伏し、口から黒い蒸気のようなものが立ちのぼるヴェルドールに向かって、治癒の光を紡ぎ始めた。


 そのロロのそばに寄り、リアラも治癒の術を施しながら、口を開いた。

「──このドラゴンは、禁術『祈言訛僻言(テフィル・アラル)』を受けたのですね」

 ロロは、手をかざしたまま黙って頷いた。

「アルテア様の作った禁術は、やっぱり凄いよ……。これだけ大規模な解呪の術式を組んだのに、まるで歯が立たなかった……」

 その瞳には、今にも溢れ出しそうな光るものがあった。


『……哀れな術者よ。己の無力を抱いて、凍てる大地に沈むがいい……。

……祈りは、呪いに堕ちたまま……誰にも、還せぬ……』

 そのロロを責め立てるように、ヴェルドールは低い声で唸る。だが、その声には、怒りではなく、深い悲嘆があった。


 ロロは静かに手を降ろす。

「ゴメンね。次は絶対、上手くやってみせるからさ……」

 そう呟いた彼の背に、リアラはそっと手を掛ける。

 その小さな影の前で、巨竜は沈黙したまま、再びまぶたを閉じた──。


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