「チョコレートと目隠れ少女」
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教室の片隅、薄暗い窓際に彼女はいつもいる。目を覆うような長い前髪が特徴的で、その奥の表情はほとんど見えない。クラスメイトたちは彼女のことを「目隠れ少女」と呼んでいた。彼女の本当の名前を知っている人が、どれだけいるだろう。
僕はそんな彼女に、最近どうしても目が離せなくなっていた。正直に言えば、気づいたときには既に好きになっていた。
きっかけは些細なことだった。彼女が教室の隅でカバンから何かを取り出し、そっと頬張る仕草に目を奪われたのだ。あれは板チョコレート。いつも決まった時間に、一口だけ口にしては大切そうにしまう。その儀式めいた所作に、妙な魅力を感じていた。
「どうしてチョコなの?」
思い切って声をかけたのは、昼休みのことだった。いつものように小さな板チョコを手にした瞬間を見計らって。
彼女は少し驚いたように顔を上げ、長い前髪の隙間から僕をじっと見た。視線は確かに感じたのに、その表情までは読み取れない。
「甘いから」
そっけない返事だったが、どこか柔らかな響きがあった。一口かじった後、丁寧に包み紙を畳む指先が印象的だった。
甘いから――単純な答えなのに、何か秘密めいたものを感じずにはいられなかった。
それから僕は、彼女と話すきっかけを作るために、毎日チョコレートを持参するようになった。「これ、好みかな?」と差し出すと、彼女は微かに表情を緩めた気がした。
予想外だったのは、彼女がチョコレートについて驚くほど詳しかったことだ。カカオの産地や含有量について、時には熱心に語ることもあった。その瞬間だけ、まるで別人のように生き生きとしていた。
そしてある日、僕は重ねていた疑問を口にした。「本当は、どうしてそんなにチョコレートにこだわるの?」
「…これは私の秘密兵器なの」
彼女は珍しく前髪をかき上げた。その瞬間、息を呑んだ。大きな瞳が宝石のように輝いていたからだ。
「この目のせいで、よく言われるの。催眠術師みたいだって」
まさか、と思った矢先、彼女は一欠片のチョコレートを差し出してきた。
「食べてみる?特別なチョコレートだよ」
言われるまま口にした瞬間、不思議な心地よさが広がった。まるで彼女の言葉に導かれるように、心が温かくなっていく。
「私の言うこと、聞いてくれる?」
「え?これって...」
彼女は小さく笑い、初めて直接僕の目を見つめた。
「だから言ったでしょう?秘密兵器だって。でも安心して――私が好きな人にしか使わないから」
頭が真っ白になる中、気づけば彼女に手を引かれていた。
「放課後は、チョコレート専門店に行きましょう。これが私たちの初デート」
甘くて、でもどこか苦みのある予感に胸が高鳴った。彼女の笑顔が、揺れる前髪の向こうで優しく輝いていた。