・サイボーグ魔王、空を泳ぐ
その錆びだらけの正門はえらく調子が悪かった。門はまるで地獄の断末魔みてぇな金切り声を上げて、俺たちを砦の中へと迎えてくれた。
門を抜けてすぐの場所は屋根のない広場になっている。また四方にある城壁には弓やスリンガーを持った大柄なコボルトたちが立っており、交渉が破局で終われば『ズドン』となってもおかしくもない状況だった。
「ご、ごあん……っ、ごあんがきたワフ……」
「デス様ではないワン! あの者、何者だワン!?」
ま、どいつもこいつもヨダレたらして、俺っちが運んできた飯につられていたがな。
しかし目当ての女リーダーの姿はどこにもない。現状ここは360度全てがワンコの素晴らしい楽園だった。
「魔将ヴィオレッタ・デ・アルブケルケに会いたいんだが、今いるか?」
「ヴィオレッタ様は沐浴中ワン、少し待って欲しいワン」
「もっ、沐浴っっ、だとぉぉっっ?!!」
「そ、そうだけど、それがどうかしたワン……?」
「ヴィオレッタ様は『汚れた姿でお客様を迎えるわけにはいかない』と言って、さっき飛び出していったワフ」
「ほ、ほぅ……っ、俺っちのためにか……!」
魔将軍と聞いていたのでもっと豪快な女性をイメージしていたのだが、魔将軍ヴィオレッタは人と会う前に身なりを整えるタイプらしい。
俺は新たに得た情報を元に、これから自分がどうするべきかを考えた。
「そうか、ちなみにだが、普段沐浴はどの辺りでやっているんだ……?」
「お、お兄ちゃん……っ!?」
「ちょっとアンタッッ、まさかのぞきに行くつもりじゃないでしょうねーっ!?」
「んなわけねぇだろ、参考に聞いただけだ。 でっっ、どの辺りなんだ……っっ!?」
これから会う交渉相手に何かあってはまずい。俺は左目を閉じてステルス状態のスパイドローンを砦上空に呼び寄せた。
「あっちの森の中に小さな湖があるワン。すぐそこだから、5分もしないうちに戻ると思うワン」
「おおっ、そりゃ急がねぇとなっ!!」
「ワフ……?」
首を傾げるレトリーバー型のワンコの前で俺はもう片目を目を閉じた。スパイドローンを急行させると、確かに森の中に湖があった。
「お、おおぉぉぉぉ……っっ?!」
背の高い女性の姿もだ。デスに聞いた通り、その女性の頭に羊の角が乗っていた。
「な、何……? なんなの、アンタ……?」
「お、お兄ちゃん……っ、なんだか挙動不審だよぉ……っ」
「ふっ、ふほっ、ほっ、ほほぉぉぉ……っっ!?」
ドローンカメラと己の視覚をリンクさせて、俺はその女性に上空から近付いた。
「この人、何してるワン……? 泳ぎの連中ワン……?」
「今度のお客様は変な人ワフ……。ごあん、早く食べたいワフ……」
肌はみずみずしく張りのある褐色。軍人という割に肢体の肉付きがいい。胸は宇宙にも行けそうなほどの見事なロケット型で、パイアに次ぐほどにでかい。Hカップは堅いだろう。
俺は目前の極楽浄土を最高画質で脳内デバイスに録画していった。
ところがその時、魔将軍ヴィオレッタがこちらを見た。ステルス状態のスパイドローンを目視できるはずがないというのに、美しいその女将軍は何かを疑うようにこちらを見つめている。
「おい、そこに誰かいるのか?」
痺れるほどにクールなボイスで、スパイドローンとリンクしていた俺は声をかけられた。
慣性制御で浮遊するスパイドローンはほぼ無音。だというのに彼女はこちらの方角を確実に見抜き、湖からこちらに右腕を差し出す。
「ぬぉっっ、あ、危ねぇっっ?!!」
魔将ヴィオレッタが水滴を爪弾いた。水滴は弾丸となってスパイドローンを打ち抜く――寸前に俺はエネルギーシールドを展開させた。
「痛っっ、な、何すんだよ、パイアッッ!?」
「何してんのかしんないけどーっ、恥ずかしいからそれもう止めてよっ!」
「言われなくとももうしねぇよ……。危うく撃墜されるところだった……」
ちなみにエネルギーシールド発生装置を使うと、ステルス状態が解除されてしまう。タコに似たスパイドローンは魔将ヴィオレッタの目の前で緊急上昇し、地上から姿をくらました。
「魔将ヴィオレッタ。かつて魔剣デスと張り合ったという話は伊達じゃねぇみてぇだな……」
「当然ワフッ、姉さんは魔界最強なんだワフ!!」
「そうワン! 先代の嫌な魔王が死んだ今、僕たちのヴィオレッタ様が魔界最強ワン!」
「おう、特に勘の鋭さがすげぇな……。ありゃとんでもねぇわ……って、デスが言ってたぜ」
「そういうおじさんは何者ワン?」
「俺か? 俺ぁ、お星様の世界からきた神様だ」
ステラかパイアにツッコミを入れて欲しかったんだが、ツッコミはなかった。ツッコミどころか『もしかしてアンタ本当に神様なの?』という目で見られていた。
「あ、きたワン! 姉さんっ、お客様だワンッッ!!」
コボルトたちが一斉に遠吠えを上げた。
すると砦北部の空に鷹のように何かが跳ね上がり、それがどんどん大きくなって俺たちのいる広間に降ってきた。
「わっ、わぁぁっっ?!」
「お、おおっ、すげぇなぁ、コイツァッ!」
まるでルネサンス期の大砲が降ってきたような、ド派手な登場を魔将ヴィオレッタは見せつけてくれた。
つーか、沐浴の意味あんのか、その砂埃まみれの登場はよ?
「デスよ、遅くなって申し訳ない。しかし某はこれでも一応貴族の出の女、最低限の礼儀を――む、おい、このオヤジは誰だ?」
相手が魔将でなければパイアは爆笑していただろう。コボルトたちは一斉にふせをして、そこに立つリーダーに尊敬の眼差しを送っていた。
「悪ぃな、デスは今、カカシの仕事が忙しいみてぇでよ」
「そうか、楽しみにしていたのだが当てが外れたようだ」
黒い三日月の意匠が特徴的な巨大な槍で、彼女は軽く地を突いた。
「当てっていうのはもしかして、稽古相手の当てか?」
「そうだ、デスには無理を言って、毎回3合だけ付き合ってもらっていた」
「へぇ……。ちなみにデスと姉ちゃんはどっちが強いんだ?」
「強さなら今は同等といったところだろう。しかしデスがあのカカシの肉体を捨てれば、恐らくは新しい魔王にすら匹敵するだろう」
「はは、今はカカシの方が楽しいみてぇだぜ」
俺は魔将ヴィオレッタの前に歩み出た。すると彼女はこちらに槍を構えて一歩後ずさる。こちらは気にせずにさらに一歩詰めた。