四話
わたくしはふらつき、横の机に置いてあった書類束も巻き込んで、その場に倒れ込む。
灼熱の苦痛で身動きができず、息を殺して蹲ることしかできない。
「っ……!」
すぐにフェリクスが入室してきて、生徒会室の中を見回す。
「……あれ? いない。帰っちゃったのかな?」
机の下で蹲っているわたくしには気づいていないようだ。
続いて、レオンハルトも入室してきてぼやく。
「まぁ、あれだけの仕事量を見れば、逃げたくもなるだろうけどな」
後から、ジークベルトと彼も入室してきた。
「おや、書類の山がきれいさっぱりなくなっていますね。すべて整理し終えたから、帰ってしまったんでしょうか」
「お前たち、生徒会以外の書類も構わず渡していただろう。内容を把握できていない状態で、こんな短時間ですべてを整理しきれるわけが――」
彼が机の上に仕分けされている書類束を捲り、いくつか内容を確認している。
「――できているようだな」
彼の手元を覗いていたジークベルトも、各々の机に配置された書類を確認する。
「きちんと役員の役割ごとに整理されていますね。生徒会の書類とそれ以外でも、それぞれ分類されています」
少し片付いた様子の生徒会室の中を見回し、レオンハルトが驚きの声をあげる。
「えっ、嘘だろ! 頼んだ書類の山どころか、無造作に棚に詰め込んでいた書類まで、整理し終わってないか?!」
「後で整理しようと思いつつ、そのままになっていた学園行事の書類ですか? かれこれ、二年分は溜まっていたはずですが……」
無理やり棚に突っ込まれていた書類も、ついでに整理整頓し、綺麗にラベリングしておいた。
「わぁ、本当に整理し終わってる。大項目ごとに分かれて、探しやすいように印まで付いてるね。文字順じゃなく、時系列順で並べられてるよ。これ内容を把握してないと、無理な作業じゃない?」
以前から、わたくしはいつでも彼を手伝えるようにと、これまでの仕事内容や今後の計画まですべて頭に入れて把握していた。
彼をお支えするのならば当然、不足などあってはならないのだから、ごくごく当たり前のことなのだ。
わたくしの仕事ぶりに生徒会役員たちは唖然とし、彼が小さく言葉をこぼす。
「まさか、こんな短時間で全部片付けたのか。それも一人で……?」
机の下に隠れながら、男体化できたわたくしは間一髪、なんとかバレずに済んだ。
机の陰からそろりと顔を出し、声をかけてみる。
「あ……あの、おかえりなさいませ……」
落とした書類を拾い、その場で立ち上がる。
「「「!!」」」
生徒会役員たちは、わたくしの突然の出現に驚いたようで、目を丸くする。
「びっくりした」
「なんだ、いたのか」
「姿が見えないから、てっきり帰ったものかと」
「そんなところで何をしているんだ?」
とっさに言い訳を考え、拾った書類を掲げて見せる。
「えっと……すみません。緊張で手が滑ってしまって、書類を落としたので拾っていました。そそっかしくて、お恥ずかしい……」
苦笑いするけど、内心はドキドキ、冷や汗はダラダラである。
「あ、そうだ。整理整頓のルールをお聞きしていなかったので、とりあえず大項目で分類して整理してみたのですが、いかがでしょう? ご要望があれば、すぐそのように対処いたしますが、どうされますか?」
尋ねると、彼は書類棚を見回して答える。
「そうだな……だいぶわかりやすく整理されているから、このまま運用してみよう。テオドールが豪語していた通り、非常に有能なようだ」
「ほ……本当ですか?!」
「ああ、この調子で協力してくれたら助かる」
彼に有能だと思ってもらえた!
書類の整理整頓なんて些細なことだけど、それでも微力ながら彼のお役に立てたのだ!!
「殿下のお力になれて、すごく嬉しいです! 精一杯に頑張りますから、なんなりとお申し付けください!!」
少し褒められただけでも、天にも登るような気持ちになる。
感激して、嬉しさのあまり、満面の笑みで瞳を爛々と輝かせてしまう。
そんな姿を見て、側近たちがわたくしに声をかける。
「わぁ、おめめキラッキラだね。これは間違いなく殿下の熱烈な信者だ。憧れの殿下と一緒に仕事できるの、相当嬉しいんだろうね」
「有能な人材は大歓迎です。ただでさえ少数精鋭で人手が足りないのに、婚約者に任せるべき仕事まで抱えて、目を回していたところでした」
「いやぁ、むしろ殿下の武勇伝を教えるから、弟君に兄上を口説き落してもらって、生徒会に引き入れたいくらいだ」
聞き捨てならない重要ワードが飛び出してきて、わたくしは目を光らせ、食いつかずにはいられない。
「殿下の武勇伝、ぜひ教えてください! 殿下は幼い頃からその優秀さを発揮されて――(長文オタク語り)――辺境領の民にとっては命の恩人であり、困窮する民を救ってくださった救世主・英雄なのです。そんな尊い殿下のお力に少しでもなれるのなら、これほど光栄なことはございません! どんな些細なことでも、殿下のことは聞き逃さないようにしておりますが、お側で支える側近の皆さましか知らない殿下の素晴らしいところもたくさんありましょう! ぜひとも、教えていただきたいです!!」
おっと、推し語りが楽しくてつい、オタク特有の早口で捲し立て、熱弁してしまった。
「「「あー(察し)」」」
側近たちが声を合わせて相槌を打ち、口々にこぼす。
「本物だな」
「間違いないね」
「逆に知らないこと何かあるんですか?」
賑わう側近たちを後目に、彼が咳払いする。
「ごほん……いい加減、無駄話してないで早く仕事しろ」
「「「あ、はい」」」
側近たちは一斉に返事し、何事もなかったかのように切り替え、仕事に取りかかった。
わたくしもお役に立つためだと勇気を振り絞り、彼に声をかける。
「殿下、整理した書類の簡単な早見表を作ろうと思うのですが、項目の分け方はどれが良いか試案を見ていただいてもよろしいですか?」
「ほう、見てみよう」
彼は快く返答し、受け取ろうと手を差し出してくれた。
「では、こちらを――」
仕事に集中して真剣な表情で説明していると、妙に視線を感じる。
気にせず、手元の書類に視線を落として話していれば、前髪が顔に落ちてきたので掬い上げて耳にかける。そのまま耳の後ろに撫でつけるように首筋に指を滑らせた。
すると、ゴクリと生唾を飲み込むような音が聞こえ、音のした方へと目を向ければ、側近たちからさっと視線を逸らされた。
なんだろう? わたくしの様子を窺われている?
まさか、ちょっとした仕草に女っぽさが滲み出ていたりするんだろうか。
絶対にベラドンナだとバレないように気をつけなければ……。
気を抜かないようにして、彼との話を終える。
「――でしたら、兼用の枠を設ければ、問題なさそうですね。ご確認、ありがとうございます」
「……お前、ベラノクスといったか」
「はい、どうされました?」
不意に彼に髪を掬われ、目を覗き込まれる。
「なんなんだ、その妙な色気は? 男なのに……婚約者と顔の造形が似ているせいか? 色味が同じだからか?」
彼はわたくしの顔をまじまじと見つめて訊いた。
わたくしは間近に迫る彼の美貌に硬直し――
「……ふああああああああっ!?」
――ワンテンポ遅れて、悲鳴をあげた。
高速で後ずさり、壁にビタンッとぶつかり、お手上げして全面降伏する。
「ファ、ファ、ファ……ファンサがすぎます! 供給過多です!!」
「ファンサ? 供給過多? なんの話だ?」
バクバクと心臓が早鐘を打ち、わたくしは涙目で震えながら訴える。
「近づきすぎです、殿下! わたしの心臓がもちません! 心臓が破裂してしまいます!!」
「「「心臓が破裂!?」」」
「殿下が尊すぎて、死んでしまいます! 尊死します! すでに致命傷です!! ぐふっ!」
「近づいたくらいで死ぬな!!」
彼から突っ込まれたけど、高鳴りすぎて苦しくなる胸を押さえ、瀕死だと猛アピールする。
推しにお触りなどもっての他! 推しは愛でるものであって、安易に触れてはならぬ尊きもの、不必要な接触はオタクの風上にも置けぬ下劣な所業! いつも心に、YES推し、NOタッチ!!
「お前……外見と中身が一致していないと言われないか?」
「? ……特に言われたことはありませんが、そうなんでしょうか?」
雰囲気や性格が変わったんじゃないかと、義兄から指摘されたことはあるけど。
「殿下のことに関してのみ情緒がおかしくなるので、普段は冷静です。むしろ落ち着きすぎていて、大人びていると言われるくらいです」
「大人びているか……たしかに、妙な色気があるからか、黙っていれば年齢より大人びて見えるかもしれないな……」
彼がじっとわたくしを見つめている。
推しと見つめ合ってしまった。
推しに認知されていると思ったら、嬉しいやら恥ずかしいやら、照れてしまって顔が熱くなってくる。
推しを見ていたいけど、視線を合わせているのも落ち着かなくて、目が泳いで挙動不審になってしまう。
そんなわたくしの反応を眺めていた彼が呟く。
「本当に私のことが好きなんだな。面白いな、お前。ははは……て、うわっ!?」
彼の笑顔を目にした瞬間――滂沱の涙があふれた。
「……ぁ、あ、ああ、殿下が! 殿下が笑ってくれた?! 殿下が笑ってくれたっ?!!」
気づけば、わたくしは号泣していたのだ。
「本当に変な奴だな……」
呆気に取られていた彼は、わたくしの反応が可笑しかったのか、小さく笑って言う。
「まぁ、これからよろしく。ベラノクス」
眩しい推しの微笑みに心臓をぶち抜かれ、完全に情緒が崩壊し、膝から崩れ落ちた。
「あ、あ、ありがとうございますうううう! うわああああん!!」
思わず五体投地し、それから顔を上げて推しの尊い笑顔を網膜に焼き付けるべく刮目し、号泣しながら両手を合わせて拝む。
「お前は何をしているんだ……」
「すみません……んぐっ、殿下が尊すぎて、情緒がぶっ壊れてます……ぐすっ、抑えるようにするので、お許しください……ぐず、ずびっ」
鼻を啜って涙を堪えるわたくしを見て、呆れたような少し困ったような表情をする彼。
「仕事に支障がないなら構わないが、とりあえず落ち着け」
「殿下がっ、殿下が優しいっ! あ゛っ、あ゛っ、あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛っ! うわああああんっ! んぐっっっっっっ!!」
「声を抑えてても騒がしいな……」
こうして、わたくしは生徒会役員の仕事を任せてもらい、非常に有能で仕事のできる側近――というよりも、彼を崇拝する熱狂的な信者として、仕事はできるけど変なヤツとして、彼に認識されてしまったのである。
◆
女体に戻り、公爵家邸宅へと帰ってきたわたくしは、舞い上がりそうな心地で庭園へと駆けていく。
嬉しい気持ちが抑えられなくて、誰かに話したくて堪らなくて、愛犬のラブを探す。
「ただいま、ラブ!」
帰りを待ってくれていた愛犬に尻尾を振られて出迎えられ、わたくしは膝をついて、ぎゅうっと抱きつく。
「聞いて聞いて。殿下がね、殿下が笑ってくれたの! 笑顔を見せてくれたの!!」
嬉しくて嬉しくて、幼い子供のようにはしゃいでしまう。
「ラブ、覚えてる? わたくしが殿下に一目惚れした、あの日のこと」
幼い頃に見た、彼の優しい笑顔を思い出し、わたくしは過去に想いを馳せた――――。
◇