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二話

 わたくしの男体を目にした義兄の顔がどんどん強張っていく。


「えっと……」


 どう説明したものかと考えていれば――


 ダンッ!


 ――瞬時に腕を捻り上げられ、押さえつけられて、床を這う姿勢にさせられた。


「い゛っ!」


 痛みに呻き声が漏れる。

 一拍置いて、わたくしは不審者だと誤解され、義兄に取り押さえられたのだと気づいた。

 早く誤解を解かなければと焦り、義兄を見上げる。

 すると、見たこともない鬼気迫る形相の義兄と目が合った。


「ひっ!」

「ベラドンナをどこへやった!? この惨状はなんだ!!?」


 鼓膜が破れそうな怒号と物凄い剣幕に震え上がってしまう。

 惨状とはなんのことだろうと、恐る恐る辺りを見回すと、先ほど脱ぎ捨てたわたくしの制服が散らばっていた。


 暴れ回ったかのごとく散乱する衣服、そこに当の義妹の姿は無く、居たのは見知らぬ裸の男。


 こ、これは不審者どころか、とんでもない誤解をされている気がする。

 早く訂正しなければ、大変なことに――


「あの……これは、その……い゛っ!」


 ――後頭部の髪を乱暴に掴まれ、上向かせられた。

 手荒な扱いに怯え、震えているわたくしの耳元で、義兄が低い声を響かせて恫喝する。


「俺の義妹(いもうと)の身に何かあれば、死よりも恐ろしい目に合わせてやる。義妹が見つかるまで、拷問にかけていく。八つ裂きにされたくなければ、早く義妹の行方を吐いた方が身のためだぞ」

「ひ、ひゃいっ!!」


 怖すぎて失神しそう。

 尋常じゃない殺気をビンビン感じて、肝がキュッてなる。

 いつもは家族思いでとても優しい義兄なのに、こんな恐ろしい側面を持っていたなんて、まったく知らなかった。

 さすが、王国最強の騎士軍隊を率いる辺境伯家の子息、公爵家の跡取りとして養子になっただけのことはある。

 決して怒らせてはいけない傑物だった。


「ご、誤解です! 誤解なんです、テオ兄さま! わたくしがベラドンナなんです!!」


 義兄の表情が一層険しくなり、殺気立つ。


「ふざけたことを抜かすな。殺すぞ」

「軽率に殺さないでください!」


 そんな安易に殺されては、たまったものではない。

 すかさず命乞いし、精一杯に声を張り上げて訴える。


「本当なんです! 性転換する秘薬を作ったので、試してみたんです。一時的に男になっているだけで、しばらくしたら女に戻りますから……信じてください、テオ兄さま!」

「秘薬で男にだと……俺を欺いて逃げ出す魂胆か? そう簡単には騙されんぞ」


 義兄は押さえつけていた力を緩め、わたくしを起き上がらせ、疑わしげな目で見据える。

 わたくしは近くに落ちていたブラウスを拾って前を隠し、なんとか態勢を整えた。


「よく見てください。性別が変わっただけなので、顔だって同じ系統でしょう? 体格や背丈は少し大きくなっていますが、髪や目、顔はほぼ同じはずです」


 必死に主張すると、わたくしの顔をまじまじと見つめ、義兄が目を眇めて言う。


「……似ているような気もするが、ベラはもっとこう……可愛くて美人で天使で小悪魔で妖精で女神で、この世のものとは思えない神秘的な美少女だろう」


 義兄の美化されまくっているわたくしのイメージに唖然とし、口があんぐりと開いてしまった。

 けど、わたくしは首を横に振り、負けじと気を取り直す。


「びっくりするくらい身内贔屓がすぎますね! どれだけ色眼鏡を重ね掛けしてるんですか? 色眼鏡全部取っ払って、もっと現実を直視してください!!」


 義兄は少し考える素振りをした後、堂々と(のたま)う。


「自慢じゃないが、何を隠そう俺は筋金入りのシスコンだ。色眼鏡なんて標準装備のものは外しようがないだろうが。可愛いものは何をどうしたって可愛いんだからな!」

「うわぁ、開き直っちゃった。これは何を言っても駄目なヤツじゃないですか? お手上げですよ、お手上げ。わかりました。降参するのでよく見てください。何をしても可愛い義妹が男になったら、可愛いと思いませんか? ほら、可愛く見えてきたでしょう? 真のシスコンは義妹が男になっても、可愛いはずですよね?」


 できるだけ可愛くて美人で天使で小悪魔で妖精で女神な感じになるように……って無理なので、キュルルンとした瞳で見つめ、精一杯の淑女スマイルをして見せる。


「うっ……たしかに、面影が……あるかもしれない……いや待て、義妹が男になったら、義弟になるのではないか? それはシスコンではなく、ブラコンだろう。真のシスコンってなんだ? 論理が破綻しているぞ」

「ちっ、バレましたか」


 つい舌打ちしてしまった。

 もうちょっとだったのに、惜しい。


「これだから勘の良い人は面倒なんですよ。厄介なシスコンめ」

俺の義妹(ウチの子)はそんなこと言わない! 俺のことを厄介なシスコンなんて言わないぞ!!」

「今言ったので言いますよ。幻想を抱きすぎです。イマジナリー・シスターですか」

「イマジナリー……なんだそれは? 幻想の義妹と現実の義妹がいたら、義妹がいっぱいいて幸せ、みたいなことか?」

「頭が沸いているんですか? いや、頭に義妹が湧いてましたね。さすがに引きますよ、義妹ドン引きですよ。自重してください」

「なんか幻想の義妹にまで引かれた……すまん」


 義兄が狼狽えて謝ってくる。

 わたくしが義妹だとはまだ確信できないけど、可能性がなくはないと思ったのだろう。

 ならば、もう一息。


「わたくしはテオ兄さまの趣味趣向もよく存じております。好きな食べ物は肉系で、特にローストチキンが好きです。嫌いな食べ物は塩辛いもので、特に塩漬けの魚が嫌いですよね」

「そんなもの、前もって調べておけばわかることだ」


 そう簡単には確信してくれないか。

 それなら、共通の思い出とかどうだろう。


「思い出といえば、辺境伯領の海辺に連れて行ってもらった時、拾った貝殻でテオ兄さまがお揃いのお守りを作ってくれて、わたくしとても嬉しかったんです」

「ベラから聞き出していればわかることだ」

「しぶといですね。この厄介シスコン」


 埒が明かない。

 大きなため息がこぼれてしまう。

 かくなるうえは、手段を選んでいる余裕などない。


「はぁ……仕方ありませんね。ついに奥の手を使う時が来てしまいましたか。この手は使いたくありませんでしたが、テオ兄さまにわたくしがベラドンナであると信じてもらうためですから、止むを得ません」

「な、何をする気だ……ごくっ」


 わたくしの物言いに身構え、義兄が生唾を飲み込んだ。


「テオ兄さまの私室の本棚、上段の奥には表紙の装丁を変えて巧みに隠してある、小説のコレクションがあります」

「なっ、なぜそれを!」


 目を見開き、驚いた表情を見せる義兄。

 誰にも知られていないと思っていただろうから、動揺しても仕方あるまい。


「わたくしも拝借して愛読しておりますから。男性には珍しいご趣味だと思いますが、可愛いふわふわ癒され系の恋愛小説、とても良いと思います」

「ぐはっ!」


 凛々しく逞しさを感じさせる義兄が、まさかポエミーでファンシーでラブリーな恋愛小説を好んで愛読しているとは、誰が想像するだろうか。

 まぁ、ギャップがあってわたくしは可愛いと思うけれど。


「そして、これこそが真の奥の手……下段の裏側、わずかな隙間に隠してある手記――」

「や、やめろ、信じる! 信じるから!! ……だから、それ以上、つまびらくのは止めてくれ。俺が(羞恥心で)死ぬ……」

「そうですか? 信じてくれるなら、良いんですけど。わたくしはテオ兄さまの()()()、詩的な恋愛小説(夢小説)も好きですよ」

「なぜ知ってるんだーーーーっ!?」


 義兄の黒歴史(過去大作)を暴露したことで、なんとか信じてもらうことに成功した。

 精神的なダメージが大きかったのか、義兄はげっそりとした様子で、わたくしを恨めしげに横目で睨む。


「……男になったせいか、雰囲気というか、性格まで変わっていないか?」

「そうかもしれませんね……色々と振り切れちゃったのかもしれません」


 苦笑いして、そう答えた。

 実際は前世の記憶が混ざった影響が大きいのだけど、婚約者から徹底的に拒絶されたことで、振り切れたことも事実だから。


 一息ついた義兄が改めて質問する。


「それで、なぜ男になる秘薬など作ったんだ?」


 誤魔化すべきか少し迷ったけど、結局わたくしは正直に話すことにした。


「今日、学園で殿下に呼び出され、婚約を解消したいと告げられました」

「はっ!? あの男は何をふざけたこと抜かしているんだ! 王太子妃に相応しい者などベラ以外にいないだろう! ベラがどれだけ――」


 彼への怒りを露にする義兄へ、首を横に振って見せる。


「殿下の体質のことを考えれば、致し方のないことです。ですが、わたくしは諦め切れませんでした」


 真剣な顔で義兄を見据え、自分の想いを述べる。


「女では近づくことすらできないのなら、男になってしまえばいいと考えたのです。男の身体なら、殿下の体質の影響を受けません。男になって別人として、殿下を側からお支えしよう、お力になろうと決めたのです」


 固く決心したことなのだと、強い眼差しで訴える。


「女性避けのため、今は一時的に婚約者としての立場を許されていますが、一年後の卒業パーティーでわたくしは婚約破棄されます。ですからせめて、それまでは殿下のお側にいたいのです」


 義兄は何とも言えない複雑な表情をし、言葉をこぼす。


「それだけすげなくされて、よくそこまでできるな……」


 小さくため息を吐かれ、なかば呆れられているのかなとも思う。

 だけど、誰がなんと言おうと、わたくしの決意は変わらない。


「少しでも殿下のお力になれれば、これまでのわたくしの想いや努力は、無駄ではなかったと思えるでしょう。悲しい思い出ではなく、良い思い出として、記憶に残せるでしょう」

「そうか……一生の思い出にするつもりなんだな。どうにもできない想いというのは、あるものだからな……もし――」


 義兄の呟く声を聞いていると、急激な熱さを感じだす。


「あ……熱い……はっ、はぁ、はぁ」

「どうした……大丈夫か?」


 TS薬の効果が切れたようだ。

 身体が焼けるように熱くなって、息が切れる。

 息苦しさに身悶え、倒れそうになったところを義兄が抱きとめてくれる。


「うぅ、あ! ああっ!!」

「ベラッ?!」


 灼熱に焼かれる感覚の中、背丈や肩幅が縮み、胸や尻が膨らんで腰はくびれ、元の女体に戻っていった。


「はぁ、はぁ……秘薬の効果時間か切れたようです。もう大丈夫です……」


 壁掛けの時計を見て、秘薬を飲んでからの経過時間を確認する。

 どうやら、TS薬は()()()しかもたないようだ。


 熱が納まって吐息をこぼすと、わたくしを抱えていた義兄が狼狽えた声をあげる。


「ベ、ベラ! 服を!!」

「え……あっ!」


 男体の時はそれほど気にならなかったけど、裸だったのをすっかり忘れていた。

 ブラウス一枚でかろうじて前を隠している、なんとも心許ない格好……いや、出るところが出ているこの女体では煽情的すぎて、極めて破廉恥な格好になってしまっている。


 床に落ちている服を掻き集めようとすると、義兄が慌てて自分の上着を脱いでかけてくれた。

 耳まで真っ赤にして、わたくしの身体を極力見ないようにしてくれている。


「あ、ありがとうございます。テオ兄さま」


 わたくしも男性に肌を晒したことなどないので、さすがに少し恥ずかしかった。

 顔が熱いから赤くなっているかもしれない。


 義兄は深呼吸して気持ちを落ち着け、何かを決意した表情で顔をあげた。


 わたくしをまっすぐに見据えて宣言する。


「ベラ……もし、王太子と婚約破棄することになったら、俺が(めと)る」

「!?」


 女性に対して非常に紳士的な義兄のことだから、女性の裸を見てしまった責任を取らねばと思ったのだろうか。そこまでする必要もないのだけど。

 もしくは、失恋するわたくしを慰めるために言ってくれているのかもしれない。


 真剣な眼差しでわたくしを見つめる、切れ長な群青の双眸。

 黒に近い焦茶色の髪がかかった精悍な顔立ちは整っていて美形。


「!」


 美貌を間近で眺めていてハイスペだなと感じ、ここにきてようやく、義兄も攻略対象の一人であったことを思い出した。

 乙女ゲーム『薔薇色乙女のエンゲージ・ジュエル ~真実の誓いは恋色に煌めく~』の宣伝PVで顔のアップが映っていた。

 このゲームはタイトルにジュエルと銘打つ通り、宝石がモチーフになっていて、攻略対象それぞれにイメージカラーや属性魔法がある。


 義兄はタンザナイト辺境伯家の三男で、アメシスト公爵家の跡取りとして養子になった、テオドール・アメシスト(木・植物属性)。

 タンザナイトと同じ群青色の瞳、焦茶色の髪、切れ長な目の美形。

 血縁関係としては、ベラドンナの従兄妹に当たる。


 ゲームでは、色恋に狂っていくベラドンナを止められず、正義感と家族愛との間で苦悩するテオドール。最後はベラドンナを自ら断罪することになり、義妹を救えなかったと心を病ませる。そんなテオドールを献身的に支え、癒したヒロインと結ばれるルートがあるのだ。


 そして、わたくしはアメシスト公爵家の一人娘、ベラドンナ・アメシスト(花・植物属性)。

 アメシストと同じ紫色の瞳、濡羽色の髪、切れ長な目が色っぽい美女。

 王太子アレクシスの婚約者であり、ヒロインを虐める悪役令嬢。


 ベラドンナはどのルートであってもヒロインの前に立ちはだかり、恋路を邪魔する悪役令嬢。

 だから、誰が相手だったとしても、ベラドンナの恋が叶うことはない。

 ベラドンナが誰かと結ばれて幸せになるルートは存在しないのだ。


 きっと、わたくしが恋焦がれれば焦がれるほど、想いを寄せれば寄せるほど、その攻略対象がヒロインと結ばれて幸せになれる確率は上がるだろう。

 推しの幸せを本当に願うのなら、わたくしは誰かに愛されたいと願ってはいけない……。


 そのため、優しい義兄の気遣いにも、是とも否とも答えられない。


「家族思いで優しいテオ兄さまにはいつも感謝しています。ありがとうございます……」


 わたくしが曖昧に微笑めば、義兄はわたくしの肩を掴んで顔を覗き込み、不安げに瞳を揺らめかせた。


「いいか、絶対に危険なことはするな! まずは俺に相談しろ。必ず助けてやるから、思い詰める前に俺に頼るんだ! いいな?」


 真剣な表情で義兄はわたくしに言い聞かせた。

 真摯な言葉に、家族として大事に思われているのだと実感し、心が温かくなる。

 この先、義兄から見捨てられて決別する未来があったとしても、今は素直に甘えてもいいだろうか。


「そう約束できるなら、協力してやる」


 優しい義兄の言葉が嬉しくて、笑みがこぼれる。


「はい、約束します。テオ兄さま」


 今だけは甘えさせてもらおう。

 そうと決まれば、頼みたいことはたくさんある。


 善は急げと、義兄の両手を取って、上目遣いで迫る。


「では、早速。お願いしてもよろしいですか?」

「あ……ああ、もちろん」


 わたくしの切り替えの早さに、少し虚を突かれた顔をした義兄。

 だが、すぐに微笑んで頷き返してくれる。


 実に頼もしい。

 やはり、持つべきものは頼りになるシスコンの義兄である。

 お願いしたらなんでも聞いてくれそうで、ちょっと怖いまであるけど。


 そんなこんなで、わたくしは義兄に頼み、制服や辺境伯家の名を借りることにした。

 辺境伯領から出てきた義兄の弟という設定にして、ベラドンナの代わりに生徒会役員の仕事を任せてもらうことにしたのだ。


 ◆

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