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一話

 すべてを捧げても構わない。

 そう思えるほど、恋焦がれている人がいる。

 この時はまだ、その想いがいかに危険であるか知らなかった――。


 貴族学園の入学式を終えた放課後。

 わたくしが校舎内を歩いていると、廊下ですれ違う生徒たちが足を止め、振り返った。

 生徒たちはため息をこぼし、なにやら囁き合う声が聞こえてくる。


「あぁ、ベラドンナ(美しき貴婦人)さま。名が(たい)を表す通りのお美しさ。同じ女ですら魅了されてしまいますわ」

「お美しいだけではなく、首席で新入生代表の挨拶を任されるほど優秀なお方だ。ベラドンナさまは皆の憧れの的だろう」

「才色兼備と名高い公爵令嬢。ベラドンナさまほど、王太子の婚約者として相応しいお方は他にいないでしょう」


 褒め称えるような言葉の数々に、内心ほっとして胸を撫でおろす。

 彼の婚約者として恥じない淑女になるため、これまで努力してきたのだ。そうでなくては――。


「ベラドンナ嬢」


 名を呼ばれて振り向くと、上級生らしい制服タイをした男子生徒が近づいてくる。

 ふと、見覚えのある顔だと気づく。


「これは、殿下の側近のジークベルトさまでございますね。ごきげんよう」


 粗相があってはならないと思い、丁寧にカーテシーする。

 遠目に顔を見たことはあるものの、言葉を交わすのはこれが初めてだ。


「ごきげんよう。入学して早々ですが、この後お時間をいただけますか? 殿下からお話があるそうです」

「はい、時間は問題ございません。もちろん、お伺いいたします」

「では、生徒会室で殿下がお待ちですので、案内します。こちらへ」


 促されて横に並び、生徒会室へと向かって歩いていく。


「殿下は生徒会長も務められていらっしゃるのでしたね」

「ええ、王子が務める伝統がありまして、殿下も例に漏れず。側近や婚約者も生徒会役員になるのが通例ですから、私も副会長を務めています。ベラドンナ嬢へのお呼び出しもその件でしょう」


 多忙なため、姿を見ることもままならなかった彼に会うことができる。

 これからは、同じ学園で共に過ごすことができる。

 そのことが、とても嬉しかった。


 政治的な理由から、幼い頃にわたくしと彼の婚約が結ばれた。

 けれど、わたくしはひと目見たその瞬間から、彼に恋焦がれている。

 物陰から覗いていて目にした、本来の彼の優しい笑顔に、心を奪われてしまったのだ。


 まだ幼かったわたくしは、彼が女嫌いであることも知らず、仲良くしたいばかりに、触れてはいけなかった彼に触れてしまった。

 そのせいで、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われ、避けられるようになってしまったのだけれど。

 それからは、もう嫌われないようにと、距離感を改め、接触も控えてきた。


 政略結婚だとは初めからわかっている。

 それでも、想いを寄せる彼のため、隣に立つ妃として相応しくなるため、懸命に努力し続けてきた。

 恋愛感情を持ってもらえなかったとしても、妃として彼を支えることができるのなら、それだけで幸せだと思えたから。


「ベラドンナ嬢のような優秀な方が生徒会に加わってくれるのは、大変にありがたいことです。ですが、殿下の()()のこともありますから、不用意に近づきすぎませんよう、十分お気をつけください」

「ご忠告、感謝いたします。重々承知しております」


 懸念する側近に念押しされ、心配する必要はないと真剣な眼差しで答えた。

 側近は安堵したように頷き、生徒会室の扉をノックして声をかける。


「お連れしました」


 これから、わたくしも生徒会役員の一員になるのだ。

 少しでも多忙な彼のお役に立とう、砕骨粉身して尽力しよう、そう心積もりして身を引き締める。


 生徒会室の扉が開けられ、入室する。


 本当は、彼の力になれることが何よりも嬉しい。けれど、そんな想いは表に出してはいけない。

 わたくしは胸が躍るのを抑え、感情を包み隠した完璧な淑女の微笑みを浮かべる。

 そして、生徒会役員たちへ一部の隙もない所作でカーテシーしてみせた。


「生徒会の皆様へ、ご挨拶を申し上げます。本日より入学いたしました、アメシスト公爵家の一女、ベラドンナでございます」


 頭を上げると、正面の席に座っていた彼と視線が合う。


 こんなにも美しいものがこの世に存在するのかと、(おの)が目を疑いたくなるほど麗しい、凛々しくも容姿端麗なアレクシス殿下。


 しかし、わたくしを見据える彼の瞳には、温かみを感じられるものは一切なく、冷たく凍てついていた。


「ああ、やはり無理だ……」


 淡々とした無表情だった顔が引きつっていき、彼は重いため息を吐いて告げる。


「はぁ……単刀直入に言おう。私との婚約を解消して欲しい」

「「「!?」」」


 一瞬、何を言われたのか理解できず、言葉を返せずに固まっていると、彼の発言に狼狽した側近が声をあげた。


「殿下! 突然、何を言い出すんですか?!」

「前々から思っていたことだ。この際、はっきりさせておいた方がいいだろう。婚約を解消し、生徒会役員にするつもりもない」

「!?」


 わたくしは冷水を浴びせられた思いで、絶句してしまった。

 彼から告げられたのは、明確な拒絶だ。


 唖然としていた他の側近や護衛も、彼を止めようと声をあげる。


「急に婚約の解消なんて……あまりにも横暴です! お考え直しください、殿下!!」

「無理なものは無理だ」

「いくら殿下がご自身で仕事をまかなえるからといって、優秀な人材は多い方が――」

「不要だ。生徒会役員の人選は私に権限がある。余計な口を挟むな」


 取り付く島もない、断固とした拒否。

 予想だにしていなかった衝撃で息が詰まる。


「……っ……」


 張り詰めた緊張で冷や汗が滲んでいく。

 震える手を握りしめ、上手く出せない声を絞り出す。


「な……なぜですか? 理由をお聞かせ願えますか?」


 考えを巡らせても、何がいけなかったのかわからない。

 至らないところがあるのなら、なんとしてでも改善しよう、そう思い訊ねた。

 そんなわたくしを彼は険しい表情で見据え、声を低くして答える。


「その目だ」

「……目、ですか?」


 心底嫌そうに表情を歪ませ、彼は嫌悪と侮蔑を含んだ目でわたくしを睨む。


「君のその目が、熱のこもる目の色が、纏わりつくような視線が、気色悪くて不快極まりないんだ」

「!!」


 彼の表情が、視線が、言動がすべてを物語っている。


「そもそも、清楚な制服を身に纏っていても色香を漂わせる、君のような女性は生理的に受け付けない。同じ空間にいることも耐え難いんだ。怖気が立って苦痛で仕方がない……無理だ」


 彼から徹底的に否定され、わたくしは拒絶された。


 これまで積み重ねてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく感覚に陥る。

 大切に育ててきた想いはすべて、彼にとっては不快で不必要なものでしかなかったのだと、思い知らされた。


 血の気が引いていく。

 震えそうになる身体を抑え、なんとか冷静を装って言葉を紡ぐ。


「殿下のお気持ちは理解いたしました……ですが、王家と公爵家との取り決め……わたくしの一存でどうにかできる問題では、ございません……」


 無様を晒して彼を煩わせてはいけない。

 気丈に振る舞うことに必死で、本当に上手く話せているのかもわからない。


「わたくしと婚約を解消しても、次のご令嬢をあてがわれることになるでしょう……ですから、殿下の望む女性が現れるまでは……女性避けのためにも、婚約者の立場でいさせてください……」


 彼は逡巡する素振りをし、訝しむような視線でわたくしを凝視する。

 嫌悪と侮蔑を含んだ、汚らわしいものを見るような目で。

 わたくしは耐えられず、目を伏せて俯いた。


「女性避けか……下心を持たず、何も期待しないと誓えるならそれでいい。私が君に何かを望むことはない。接触もしたくはないから、ここへはもう来ないでくれ。婚約もいずれは解消する。……君はそれで本当にいいのか?」

「はい、殿下のお望みのままに」


 わたくしの返答に彼は大きなため息を吐き、渋々といった様子で呟く。


「……わかった。下がってくれ」

「はい、失礼いたします」


 目を合わせることはもうなく、生徒会室を退室した。


 ◆


 彼は懸想(けそう)してくる女性を何よりも嫌う。


 わかっていた。わかっていたことだったのに。

 だからこそ、決して心の内を悟られないよう距離を置き、家のために責務を果たす忠実な淑女を装ってきたのだ。

 それなのに、目が合った瞬間、わたくしの本心は彼に見透かされてしまった。


 その後、どうやって公爵家の邸宅へ帰ってきたのか、よく覚えていない。


「おかえり、ベラ。学園の入学初日はどうだった?」

「ただいま戻りました。わたくし少し研究の続きを……」


 義兄(あに)に声をかけられて正気に戻っても、おざなりな返事をしてしまう。

 それから、庭園に設けられた薬草用の温室、魔法薬研究の調合室へと逃げ込んだ。


 ここは人目を気にしなくていい場所。そう思ったら途端に緊張の糸が切れ――目から熱いものがこぼれ落ちる。


 膝から崩れ落ち、涙があふれ出て止まらない。


「……どうして……どうして……どうしたらいいの……」


 こんなにも想っているのに、彼だけを想い続けてきたのに、誰よりも彼を想っているのはわたくしなのに。


 拒絶する彼の冷徹な表情や視線が脳裏をよぎり、胸が張り裂けそうに痛む。

 苦しくて悲しくて堪らない。耐えられなくて気が触れてしまいそう。


「……殿下……殿下っ……」


 行き場のない想いから、愛憎の念が募っていく。


 この想いを彼も理解してくれたら――。

 そんなことを思ってしまえば、良からぬ考えが頭に浮かび、思考が支配されていく。


 人の心に作用し、恋焦がれる想いを植え付けることができたら――。

 いけない、そんなことをしてはいけない。そう理性ではわかっているのに、感情的な衝動が抑えられない。


 泣き濡れながら、目の前の器具に手を伸ばし、魔法薬を調合していた。

 (いにしえ)の魔女の血筋であるわたくしは神経を研ぎ澄まし、本能的な直感で材料を選び、混ぜ合わせていく。


 人魚の鱗、真珠の涙、世界樹の種、三日月の雫、妖精の尻尾――。

 最後の材料は、叶わぬ恋に涙する魔女の魂の欠片(高純度の魔力)


 大きな効果を得るためには、大きな代償が必要。

 わたくしは自分の胸に手を当て、魂の一部を掻き出すように魔力を抽出した。

 生命にも関わる魔力量を注ぎ込むことで、魂が不安定になり、自我が揺らいでいく。


 ――仄かに光り揺らめく小瓶の薬液。

 魔法の光りが収まり定着すると、秘薬は完成する。


「……できた」


 妖しい光彩を放つ、紫色から桃色に変わる秘薬。

 これは、飲んで最初に目を合わせた者に恋焦がれ、求めずにはいられなくなる秘薬・()()()


「……殿下に、これを飲ませれば……」


 わたくしの想いを彼も体感的に理解してくれる。

 想いが通じ合い、わたくしたちは結ばれて幸せになれる。


「……あぁ、殿下……」


 わたくしを愛おしげに見つめる彼を夢想する。

 一目惚れした時のような、本来の彼の優しい笑顔を。

 思い浮かべていれば、相反する感情が湧きあがってくる。


「……いえ、違う……」


 人の心に作用する薬で無理やり感情を作り変えて、はたしてそれで彼が本当に幸せになれるのか。

 彼の笑顔を想像すればするほど、強烈な違和感が膨れあがっていく。


「……これは、違う……、……違うっ!」


 脳内に知らないはずの場面が浮かぶ。


 わたくしは彼の本当の幸せを知っている。

 本当に幸せになった彼の輝くような笑顔を知っている。

 それが真実だと確信するのと同時に、頭が割れそうに痛む――


「あ、あああっ!!」


 ――知らない記憶が濁流のように流れ込んできて、激痛に呻いて蹲りながら、わたくしは前世の記憶を思い出していく。


「あぁっ!?」


 ◇


 前世はブラック企業に勤める社畜OLだった。

 仕事漬けの毎日。わずかな休憩時間にシリアルバーを齧りながらスマホをいじっていて、たまたま目にした乙女ゲームの広告。そこに映っていたドタイプな彼に一目惚れして、口からシリアルバーが落ちた。


 疲弊しすぎて何が楽しくて生きているんだかわからなくなっていた頃、そのゲームが唯一の癒しとなって、灰色の世界に鮮やかな色彩と生きる意味を与えてくれた。ようは、ドハマりして生き甲斐になったのだ。

 人生のすべてを捧げてもいいと思えるくらい好きになった〝推し〟がいたから、辛い仕事も推しに貢ぐ資金を稼ぐためと思えば俄然やる気が出て、まったく苦ではなくなった。


 推しの何が推せるかって、まず顔が良い。どこからどう見ても、どんな表情をしていても、麗しい完全無欠な超絶美形。見ているだけで幸せになれる、推しってすごい。ずっと眺めていられるし、むしろ一生眺めていたい。

 それもどことなく影があり普段は冷徹にも見える彼が、ヒロインにだけ見せる素の表情のギャップがヤバい。優しく微笑んだ時の顔がもう心臓をぶち抜いてきて、椅子ごとひっくり返った。


 彼が幼い頃から抱えている心の傷だとか、突き放すしかできない不器用な優しさだとか、本当は誰よりも慈愛深くて献身的なところとか、優しい愛を育んでいくピュアッピュアな純情キャラだとか、もうすべてが推せまくる。

 知れば知るほど堪らなく好きになって、愛しさと切なさと尊さが上限突破して、新記録を更新し続けてくる。推しが最強すぎて推ししか勝たん。

 どんなに苦しくても推しの笑顔があれば生きていける。画面越しに推しを眺めてそう思っていたのだ。


 けど、そんな気持ちとは裏腹に身体はとうに限界を超えていたようで、ブラック企業の度重なる無茶振りワンオペ・ハードワークで無理が祟り、ぽっくりと過労死してしまったわけなのだけど――――。


 ◇


「……はっ!」


 そんな前世の記憶を思い出したことで、とんでもないことに気づいてしまった。


 な、な、なんとなんと、超絶ハマっていた乙女ゲームの世界に転生していたのだ!

 しかもしかも、転生先は〝推し〟の婚約者である〝悪役令嬢〟だった!!


「は? え? ん? ま? お?」


 ……ってことはつまり、これってもしかして、直接的に推しに貢げる? 全力で推しに奉仕できる?? 絶好のシチュエーションなのでは???

 ゲームの知識があれば、推しを的確にサポートして、推し活できてしまうのでは?!

 その上、大好きな推しカプのイベントを特等席から眺められるとか、最高すぎるのでは?!!


 震える手で口を抑えても、衝撃が強すぎて声が漏れてしまう。


「そんなそんなそんな、そんなまさか……いいんですかーーーー?!!」


 美麗なスチル絵どころか、躍動感あふれる動画で! 2Dならぬ3Dで!! 息遣いまで感じられる、生きた推しカプを堪能できてしまったりするわけ?!!


 ああ、わたくしは前世でどれだけの徳を積んでしまったんだろうか。

 これはきっと、前世で頑張ったわたくしへのご褒美に違いない。


 膝を折り、天を仰いで拝む。


「おお、神よ。感謝いたします。〝推し〟のいる世界に転生させてくださって、心より深謝いたします」


 幸いにもゲームのシナリオを思い返すと、悪役令嬢ベラドンナは断罪された後、辺境の厳しい修道院へと送られる結末なので、壮絶な死や残虐な極刑が待ち構えているということはない。

 悪役の結末としてはぬるい気もするが、ベラドンナの悪事は大体が未遂で終わり、心優しいヒロインが温情をかけてくれるので、死亡するようなことはないはず。

 なので、心置きなく推し活がエンジョイできてしまったりするわけだ。


「あ……そうか、わたくしは悪役令嬢なんだ」


 生まれ変わっても推し活ができると嬉しい気持ちになった反面、胸がズキンと痛むのを感じた。

 ゲーム知識がある今、悪役令嬢のベラドンナでは、彼を幸せにできないのだとわかってしまったから。

 自分が彼を傷つける存在になってしまうのだと、肌で感じて痛感してしまったから。


 現に感情的な衝動が抑えられず、わたくしは彼の心を捻じ曲げる惚れ薬を作ってしまった。

 ゲームでは、彼に近づくことすら許されないベラドンナが、彼に平気で近づくヒロインに嫉妬し、婚約者を奪われまいとして憎悪に狂っていく。

 そんな激情を体感的に理解できてしまうので、やはりわたくしは悪役令嬢そのものなのだ。


 ゲームの攻略対象である王太子アレクシス、彼は女性恐怖症だ。


 現国王に見初められた聖女・現王妃は近くにいる異性を虜にしてしまう、特異な魅了体質を持っている。

 そんな王妃の魅了体質をさらに強く引き継いで生まれてしまったのが彼だ。

 彼もまた、望まずにして近くにいる異性、特に身体に触れた異性を虜にし、理性を失わせる体質を持っていた。


 そのせいで、幼い頃に乳母や侍女たちから歪んだ愛情を向けられ、何度も誘拐されたり強姦未遂にあったトラウマを抱えている。

 最初は理知的に優しく接してくれていた人が、次第に豹変していく狂気的な姿は計り知れない恐怖だろう。

 心を許して信じていた者に裏切られ、欲望のままに襲われた、幼心の傷はどれほどの痛みか、想像を絶する苦悩だ。


 特に艶めかしい肉感的な美女や、表面上は貞淑な淑女に見える貴婦人も、彼にとっては嫌悪と恐怖の対象になっている。

 だから、どうしたってベラドンナの熱っぽい視線や妖艶な容姿は彼のトラウマを刺激する、心の傷を抉る要素でしかないのだ。


 彼が近づこうとする女性たちを徹底的に突き放すのは、女性たちを自分の体質のせいで狂わせて不幸にしないための不器用な優しさでもある。

 近づく女たちに勝手に取り合われ、傷害事件に発展したこともあり、彼は自分が関わらなければ彼女たちは幸せになれたはずだったのにと、拒絶しておけば良かったと後悔し続けているのだ。

 本当は女性たちに幸せになって欲しいと願っている。彼を傷つけた者たちにすら心を砕いている。そんな優しい人なのだ。


 彼の心の傷を癒せるのは魅了体質に反応しない、状態異常の無効化能力を持つ聖女・ヒロインだけ。

 彼女だけが自然体で彼に接することができ、優しく想い合える真実の愛を育んでいける。

 そして、彼がトラウマを乗り越えて本当に幸せになれるのは、ヒロインと結ばれるルートしかない。

 無効化能力を持つ彼女と共に居ることで、彼の魅了体質が打ち消され、やっと心の平穏を得ることができるのだから。


「ん? そうなると、必要なのはこんな薬(惚れ薬)じゃなく、推しをサポートして確実にハピエンに誘導できる薬なわけで――」


 思い立った衝動のままに、推しを幸せにするための新たな秘薬を調合する。

 古の魔女しか作れないとされる秘薬・惚れ薬を作れたくらい、わたくし(ベラドンナ)は天才的な能力を持っている。

 なら、やろうと思ってできないことなどないはずなのだ。


 これは前世の知識を思い出したからこそ、浮かんだ発想かもしれない。


 効能は状態異常を起こして身体を変化させる。

 一時的なものだから、代償は少ない。

 飲んだ時に多少しんどいけど。


 まぁ、どんなに代償が大きかろうとも、推しのためならやぶさかではないわけで、今注げるありったけの魔力と貴重な材料を惜しげもなくつぎ込んでいく。


 マンドレイク、妖精の輪の茸、不死蝶の鱗粉、古代竜の逆鱗、鳳凰の羽根――。


 ――妖しく煌めき揺らめく小瓶の薬液。

 魔法の光りが収まり定着すると、秘薬は完成する。


「……できた!」


 星の瞬く夜空と太陽の輝く朝焼けを混ぜ合わせたような色彩。

 群青から始まり、赤紫、赤黄色で終わる。

 移り変わるグラデーションの秘薬。


 やっぱり、わたくしは天才でしたわ。

 推しのためならば、なんだってできてしまうわけですよ。だってオタクだもの。


「では、早速」


 ぐびっと!


 完成した秘薬を一気飲み。

 もちろん、推しのためならなんだってする。まさしくオタクの鑑。


「っ! ……はっ、はぁ、はぁ……」


 飲み込んだ途端、息が切れ、身体が燃えるような熱さに襲われる。


「あ、熱い……きっつ、い……」


 焼ける熱さと身体の締めつけがきつくて、堪らずに服を脱ぎ捨てていく。

 急激な目眩と酩酊(めいてい)したような感覚に、足元がおぼつかず倒れ込む。

 灼熱に焼かれ、身体が変化していく不快感をひたすら耐える。


「うぐっ……ああぁっ!!」


 少しして、熱が引いていくと変化も納まり、呼吸が楽になっていく。


「はぁ……はぁ…………」


 自分が自分ではなくなったような感覚がある。

 見れば、豊かな膨らみが無くなり平たくなった胸。大きく筋張った手、肩幅の広さに戸惑い、喉仏の存在に違和感を覚えた。


 ふらりと立ち上がると視界は高く、窓ガラスに映った自分の姿に息を呑む。


 長い黒髪と紫眼は変わらないが、体形は大きく変化していた。

 細身ながらも筋肉質な身体は間違いなく、()そのものだ。


「……や……やったー! 【()()()】成功だーーーー!!」


 新たな秘薬・性転換薬(TS薬)の成功が嬉しくて、思わず歓声をあげてしまった。

 声も中性的な響きはあるものの、女の時よりも低い。


 そう、()では近づけないというのなら、()になってしまえばいいのだ!

 男なら魅了体質の影響を受けずに済むわけで、推しを側からサポートできる!!


 ゆえに、わたくしは【TS薬(制限時間付き)】で男になって、推しが幸せになれるよう、全力で推し活することにした!!!


「あ、服どうしよう。サイズが変わって、女物は着られそうにない……」


 着られる服がなくて、裸状態でどうしようかと考えていると、近づく足音が聞こえ――


 ガチャッ。


 ――不意に調合室の扉が開けられた。


「!?」

「また根を詰めすぎなんじゃないか? 食事くらい摂ったらどうだ」


 帰りが遅いのを心配して来てくれた様子の義兄、テオドールが扉から入ってきた。


「ベラ……?」


 あたふたとして隠れる間もなく、わたくしは裸のまま見つかってしまった。

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