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9. 決意



夕刻を告げる汽笛が鳴り響く頃、ギルドへ続く石畳の道を歩く二人の姿があった。

いつかの険悪だった頃の雰囲気は面影もなく、アデルとユリウスはいつものように軽口を叩き合っていた。


「今回の業績、また俺の方が上だったんじゃないですか?」

「そう何度も弟子に超えられてたまるか。こっちはお前が休んでいる間も潜ってるんだ。結果は目に見えている」

「残念でした。俺も師匠が休みの日はこっそり潜っているんです」

「な……許可した覚えはないぞ!」

「師匠こそ抜け駆けしまくりじゃないですか」


ユリウスが悪戯っぽく笑うのをアデルはじとりと睨んだが、弟子の方はまるで意に介さない。

そんな何気ないやり取りを続けていた時だった。


「ユリウス!」


ギルドの入り口で待機していたらしい一人の隊員が駆け寄る。

どうやらユリウスの同期らしい。


「外そうか?」

「いえ、このままで」


アデルの申し出をやんわりと断りながらユリウスは隊員の方を向く。

隊員はというと、隣にいるアデルの姿を見るなり一瞬驚いたような表情を浮かべるが、すぐさま我に返り「あ、お疲れ様です!」と礼を取った。

無理矢理笑みを浮かべて挨拶に応じるアデルであったが、心の底では「またか……」と落胆した。


——ユリウスと共に閉所から救出されたあの日から、二人の間には妙な噂が流れるようになった。

『二人は恋仲なのではないか』という噂だ。


あの日、ユリウスの厚意で助けが来るまで暖を取らせてもらうことになったのだが、彼のジャケットに包まれている内につい気が抜け——そのまますっかり眠りこけてしまった。

それを助けに来てくれた不特定多数の団員に見られてしまったのだ。

それからだ、ユリウスと行動していると、周囲から好奇な視線を送られるようになったのは。


もちろんアデルは否定した。

けれど肝心のユリウスはこの状況を面白がっているのか、一切否定も肯定もせず、意味深な態度を取るばかりだった。

それが余計に噂を助長させていた。


「ユリウス、上級昇格おめでとう! 同じ時期に入隊したのにお前すげえな!」

「おお、ありがとう」


軽く手を上げて応じるユリウス。

互いに気安い間柄といったところか、ユリウスの口調もどこか雑である。


「俺らの間でもすっかり噂になってるよ、同期に大物が現れたって!」

「へぇ、そうなんだ。見習い後はすぐ飛ばされたから、あまり同期と会う機会がなかったんだけど、みんな元気にしてる?」

「元気も元気! ほら、いつも女の子にフラれてばかりだったあいつにさ、この前ついに——」


アデルの頬が自然と緩む。普段あれほど軽口ばかり叩いている弟子にもちゃんと交友があることを知り、少し安心したのかもしれない。

気兼ねない二人のやり取りを微笑ましく眺めていると、


「——そういえば、ユリウスは一足飛びで上級に昇級しただろ。となるとやっぱり、独立を目指しているのか?」


隊員の言葉に、アデルの目が大きく見開いた。


独立——。

それは、ある程度の実績を収めた隊員が師のもとを離れ、一人前の隊員として活動を始めることを指す。

多くの者が昇格後すぐに独立を選ぶ。より自由な立場で実績を積み、やがて最上級階級を目指すためだ。

そして、ユリウスほどの実力者なら、なおさら独立するのが当たり前なのだろう。


思わずアデルはユリウスの横顔を盗み見る。

だが、当の本人は特になにも気にする風でもなく、呑気に肩をすくめてみせた。


「さぁね。特になにも考えてないや」

「はは、お前らしい。でもユリウスならきっと、独立しても上手いことやっていけるんだろうな」

「んー、どうだろう。手続きとか色々と面倒くさそうだからなぁ」


なんとも要領を得ない回答だ。

そうこうしている内に「じゃあ、またな」と二人は手を振り合った。


「——お待たせしました、師匠。行きましょうか」

「あ……ああ、そうだな。ユリウス、今の……」

「彼ですか? 俺と同時期に入隊した仲間ですが」


そんなことが聞きたいのではない、と言いたげにユリウスを見つめるが、彼にしては珍しく察しが悪い。

真面目な顔で「どうしました?」と尋ねられればもう、なにも聞くことができなくなってしまった。


「すまない、なんでもない」


取り繕うように再び歩き出したが、内心のざわつきはまだ収まらなかった。






「——さすがに今回は師匠の勝ちですね」

「当たり前だ。言っただろ、そう何度も超えられてたまるかって」


ギルドに今回の任務を報告した後、その足で広場の張り紙へと向かった。

結果は——接戦を強いられたものの、僅差でアデルの勝利。


「ふぅ……」


思わずホッと胸を撫で下ろすアデルを見て、ユリウスが口元を緩める。


「そんなに安心しちゃって。もしかして、負けるのが怖かったんですか?」

「……くだらないことを言うな」


誤魔化すように張り紙から目を逸らすアデルだったが、ユリウスはなおも面白がるように覗き込んでくる。

そんな二人の様子を好奇の目で見る者もいたが、それを鬱陶しく思いつつも、アデルはまるで気にしていないとでもいうように顔を上げた。


「そんな仏頂面してると、余計に勘ぐられますよ」

「お前なぁ……」


呆れたように言い捨て、ギルドの出入り口へと向かう。だが、その横でユリウスが含み笑いを漏らしているのが、やけに気に障った。



ギルドを後にした二人は、並んでそれぞれの家路を辿る。

夕刻の街は薄暗さと、仄かな暖色の灯りに包まれていた。細く入り組んだ石畳の道を進むたび、窓から漏れる橙の光が足元に揺れる。

見上げれば、鉄製のパイプが網の目のように張り巡らされ、所々からメトロスチームの白い蒸気がゆっくりと立ち上り、街灯に照らされた霧が淡く光を帯びていた。


「……」


アデルはふと歩みを緩め、無言のまま並ぶユリウスの横顔を盗み見る。

彼もまた何かを考えるように視線を遠くへ向けていたが、やがて気配に気づき、口角をわずかに上げた。


「どうしました、師匠?」

「いや……」


目を逸らしながら、アデルは静かに歩を進める。

二人の影が並んだまま、街の雑踏へと溶け込んでいった。


——ユリウスの昇進は誰が見ても納得のいくものだった。

実力、実績、才能——どれを取っても文句のつけようがない。だからこそ、気になって仕方がなかった。


「独立するつもりなのか?」


隣を歩くユリウスを横目で見ながら、アデルは慎重に問いかけた。

彼ほどの実力があれば、今さらアデルの指導を受ける必要などない。むしろ、彼に助けられる場面の方が多くなってきた。

師匠と弟子の関係は、とうに逆転していたのかもしれない。

その事実に、胸の奥が少しだけチクリと痛んだ。

ユリウスは微笑しながらアデルを見つめる。


「俺がですか? 師匠のもとを離れて、一人でやっていくかって?」

「ああ……お前ならできるだろう」


むしろ、そうするのが当然なのではないか。

規定上、弟子が単独で受けられる任務には限りがある。

故に、更なる実績を積もうとするのであれば、師の元にいつまでも居続けるわけにはいかないのだ。


「師匠は」

「え」

「どうしたいです?」

「……っ」


一人前になった弟子を快く送り出すのも師匠の大事な役目……それはわかっている。

わかっているのに、胸の奥がズキズキと疼いて仕方がない。

そんなアデルの沈黙をどう受け取ったのか、ユリウスは肩をすくめ苦笑する。

ああでも……とアデルは思う。


「——お前の意見を尊重したい」


静かな声でそう告げた途端、ユリウスが不意に足を止めた。

何事かと視線を向けると、彼は驚いたように目を見開いたまま固まっていた。

なにかを言いたげに一度口を開きかけ、一つ呼吸を置いて閉じ、かと思えば今度は不自然に口角が上がった。


「——なるほど?」


ユリウスの声が低く響いた。何故か瞳に仄暗い光が込められている。


「意見を尊重した結果、師匠の元を離れることになってもいいと?」


彼の一言に、アデルは言葉を詰まらせる。

寂しくないと言えば嘘になる。

ユリウスと過ごした日々が、軽口を叩き合いながら戦場を駆けた時間が、遠のいていくような気がした。 けれど——


「それが、お前の決めたことなら、私は止めない」


きっとユリウスのことだから、アデルの心中を察して当分は弟子のままでいると言ってくれるのだろう。

別に今すぐ独立しなければならない時期というわけでもない、などと、当たり障りのない理由を並べながら。

けれど、本当にそれで良いのだろうか。それが彼の好機を潰してしまうことに繋がるのではないだろうか。

……それだけは——嫌だった。

ユリウスの決断を邪魔することだけは、したくなかった。

彼の人生は彼だけのものだから。


そう思っていた矢先——ユリウスの口から、予想外の言葉が飛び出した。


「だったら、例の約束を使わせてもらいます」

「……約束?」


アデルは眉をひそめる。


「覚えてません? 俺が師匠の業績を越えたら、なんでも言うことを聞いてくれるって」


その瞬間、アデルの全身に緊張が走った。

忘れていたわけではなかった。ただ、あれからユリウスはなにも言わなかったし、もうてっきり済んだことだと思っていた。

そして何故だかわからないけれど、目の前の弟子は今猛烈に不機嫌だ。顔には出ていないが雰囲気でビシバシ伝わる。

この状況で「なんでも」と言われると、嫌な予感しかしない。


「お、おい待て、落ち着けユリウス——」

「師匠」


ユリウスはアデルが逃げないようにじっと目を見据える。

緑の瞳に囚われた途端、まるで捕食者に狙われた小動物のように、アデルはその場から動けずにいた。

彼の口が静かに、ゆっくりと開かれる。


「師匠……——俺と付き合ってください」


——思考が停止した。


「……は?」


冗談だろうか? いや、ユリウスの目は本気だ。

軽口ではない、真剣な告白だった。


「ま、待て待て待て!! なんでそうなる!!?」

「だって、俺が欲しいのは師匠だけですから」

「いやいや、そういう問題じゃ——」

「約束ですよね?」


ユリウスは涼しい顔で詰め寄る。

アデルはゴクリと唾を飲んだ。


(……これ、断れるのか……?)


——果たして、弟子に追い抜かれたのは実力だけなのだろうか。

あれやこれやと思考を巡らせるが、どうにも考えがまとまらず、アデルは手汗だらけの拳をぎゅっと握りしめた。




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