2. 弟子の成長
厚く立ちこめる煙の向こうに、無数の灯りが揺らめく。
高くそびえる鉄の塔、無数に張り巡らされたパイプ、轟々と響く汽笛の音。
ここは煙の国──地底資源によって繁栄を遂げた、蒸気の時代の中心地である。
この繁栄の礎となっているのは、膨大なエネルギーを生み出す特殊な動力源——通称”メトロスチーム”。
しかし、その代償として排出される煙は国中を覆い、日光を遮り、あっという間に暗黒地帯へと変えていった。
昼間でさえ薄暗く、夜と昼の境界が曖昧なこの国では街灯を絶やさず灯し続けなければならない。
文明の発展と引き換えに、この国は煙に包まれることとなったのだ。
メトロスチームによる弊害はこれだけではない。
老朽化したパイプが剥がれ落ち、制御下を離れ暴走することで生まれる怪物——汽化獣。
この脅威に対抗するために組織されたのが、討伐隊「灰色の爪」である。
彼らは鉤爪状の武器──クロウを手に、地底へと巣食う汽化獣を狩る。
そして今、一人の上級隊員と、彼女に師事する若き弟子がこの地へ降り立った——
「最近、やたらと大型汽化獣の目撃情報が続いてません? これで四日連続ですよ」
任務完了まであと一体——アデルとユリウスは依頼書の汽化獣を倒すべく準備を整えていた。
静かに腰を下ろし愛用の武器「クロウ」の刃を研いでいると、おもむろにユリウスが口を開く。
アデルは肩をすくめながら、刃先に付いた研磨剤を丁寧に振るった。
「付近の階層で鉄パイプの崩落でもあったのだろうな。それを取り込んだ個体が肥大化して大型にでもなったのだろう」
そう答えながら磨き上げられた刃に不備がないか、角度を変えながら入念に点検をする——なかなか良い出来だ。
鈍色の鏡面に映る長い黒髪が、湿った空気を含み膨張し、地底の風を受けて穏やかに揺れている。
金色の瞳を細めて真剣に刃先を見つめるアデルだったが、鏡面越しにユリウスと目が合い、鬱陶しそうに眉を潜めた。
「なに見てるんだ」
「いえ、集中しているなー、と思って」
「笑う要素がどこにある」
「こんな殺伐とした地底の片隅で黙々と刃物を研いで、しかもなんか嬉しそうに鼻を鳴らすから。ああ、出来栄えが良かったんだなー、って思うとなんだか微笑ましくて」
「余計なお世話だ」
アデルはユリウスの軽口を受け流しながら、頭では別のことを考えていた。
——昨夜、掲示板で目にした討伐成績。
そこに刻まれた弟子の名は、自分のすぐ上にあった。
(ここ最近、ユリウスの成長が目覚ましい)
もともと才能の片鱗は見えていたが、今やそれが一気に花開きつつある。
ついこの間まで、危なっかしくて目が離せなかったというのに。それが、いつの間にか自分と肩を並べ、そしてついに追い越してしまった。おまけに——
「——見て、あそこ」
「あ、本当だ、ユリウスだ」
不意に、ひそひそとした声が耳に届く。人の気配を感じて振り向けば、通りすがりの女性隊員が二人、こちらを見ながら何かを囁いていた。
どうやら目の前の弟子のことを噂しているらしい。
二人の視線に気付いたユリウスがにこやかに手を振りかえすと、きゃあ、と黄色い歓声が上がり、頬を赤く染めたまま足早にその場を去っていった。
(モテるんだよな)
アデルは遠い目をした。
ふざけた態度が目に余る弟子だが、表向きは人当たりがよくて社交的。
同期の中では断トツの実力を誇り、上層部からの期待も厚いと聞く。見た目だって悪くない。
よくもまぁ、将来有望株が自分の元にやって来たものだ、とアデルは落胆する。
アデルは自分の実力が決して低いとは思っていないが、他の上級隊員と比べて経験不足を感じることはあった。
それこそユリウスの教育係を任された時は、自分の至らない部分が足を引っ張って彼の成長を妨げてしまうのではないかと震えたものだ。
けれど、それも杞憂だったのかもしれない。アデルの心配をよそにユリウスは逞しく、そして図太く成長していったのだから。
「——ところで師匠、後方に見える汽化獣の群れはリストには載っていなかったと思うんですが、あれ放置するのマズいですよね」
ユリウスの一言で現実に引き戻される。
通路の奥をじっと見つめる彼の視線を追うと、煤けた鉄柱の向こうで数匹の汽化獣が群れを成していた。
数は十体ほどだろうか、身体を纏う鉄塊が鈍く軋み、規則的な足音を立てながらこちらへ向かってくるのがわかる。
アデルはチッと舌打ちする。
「最終研磨がまだだというのに」
「俺が片付けますよ」
「え、ちょ……」
座り込んだままのアデルの前に出るや否や、ユリウスは手元のクロウを展開し、素早く駆け抜けた。
麦色の髪が無造作に跳ね、緑の瞳が細められる。
その瞬間、先頭の二体を大きく薙ぎ払い、容赦無く鉄柱に叩きつけた。
(——は?)
目の前で繰り広げられる光景に思考が追いつかず、アデルは呆気に取られた。
黒い煙を弾けさせながら崩れ落ちる鉄の残骸をよそに、ユリウスは次々に襲いかかる汽化獣を葬っていく。
「はい次、次——」
動きに迷いがない。視野が広い。戦闘中に的確な判断を下せる。
それでいて、この無駄口を叩く余裕。
「——師匠、研磨終わりました?」
最後の一体を討伐し終えたユリウスは、涼しい顔でアデルの元へ歩みを進める。
白銀の刃に付着した煤を指先で拭いながら、いつもの調子でへらへらと笑っていた。
——正直、研磨どころではなかった。完全に弟子の手さばきに見とれてしまっていたのだから。
(え……ええ〜っ!?)
アデルの心の中に衝撃が走る。
(そんなことある!? 汽化獣の群れをたった一人でせん滅させたぞ!?)
先ほどまでの戦闘を思い返し、アデルは頭を抱えた。十歩譲って小型の汽化獣ならまだ分かる。だが、中型まで含めたあの数を一人で、ものの数分で処理するとは——並の隊員ですら骨が折れるというのに。
「お、お前、いつの間にそんな強く……」
「率先して雑魚処理を引き受けている内に、自然と」
(自然と……!?)
事もなげに言ってのけるユリウスに度肝を抜かれるアデルだったが、ふと、ここ最近の任務がやけに順調だったことを思い出す。
討伐対象を探し出すまでに他の汽化獣に出くわすこともなければ、奇襲を受けることもほとんどなかった。
妙にあっけなく事が進むと思っていたが——どうやら原因は目の前の弟子にあったらしい。
(私の気付かないところで、周囲の汽化獣を一掃していたというのか……?)
背筋に悪寒が走るのを感じながら、アデルは改めて弟子の顔を見つめる。
「何故、そこまでして」
「何故って、師匠が発破をかけたんじゃないですか。『私を超えてみろ』って」
言った。確かに言ったが、あれはただの挑発であり、無茶難題を言ってみただけに過ぎない。
鵜呑みにする必要はないことなど、ユリウスなら察することができるはずなのに。
「俺も苦労したんですよ。言われたからには達成しないわけにはいかないですし。短期間で師匠に追いつくためには、どうしても数をこなす必要があったから」
ユリウスは首を少し傾け覗き込むように視線を合わせた。
穏やかな緑の瞳に狂気を感じ取ったアデルは思わず一歩後ずさる。
(い、意味がわからん……怖っ……! 普通ここまでするか!? 当て付けにしては執念深すぎやしないか!? 弟子、普段からこんな感じだったっけ!? ってか三ヶ月前の私の発言、相当恨み買ってるな!?)
アデルが身じろぎも出来ずにいると、ユリウスはにこりと微笑んだ。
「けどまぁ、頑張った甲斐がありました。おかげで師匠の新たな表情を見ることができましたし。それに……」
わざとらしく距離を詰めるユリウスに、アデルに緊張が走る。
「例の”約束”……楽しみにしていますので」
——なんでも言うことを聞いてやろう。
三ヶ月前に口走った言葉が脳裏をよぎり、思わず身震いする。
「ちょっと待て。それ、まだ有効なのか?」
「どう考えても有効でしょう。昨日は結局、師匠がビビって約束を果たしてもらえなかったですし」
「お前が変に脅すからだろうが!」
「さて、今のうちに新たな内容でも考えておかないとな」
「だから! そういう含みを持たせる言い方が——」
厳しくユリウスを睨みつけるアデルだが、彼はどこ吹く風とばかりにしれっと受け流す。
言い争う二人の声が小さくフロアに反響するのであった。