表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/21

17. 想い



ぼんやりとした視界の中で天井の木目がゆっくりと焦点を結ぶ。

消毒薬の匂いが鼻をかすめ、かすかに揺れるカーテンの向こうからは淡い街灯が漏れていた。


「……ここは……っ……」


鈍い痛みが背中に走り、アデルは眉を寄せる。

——頭が重い。身体が思い通りに動かない。

指に力を込めると、布の感触が伝わった。どうやら、医療施設のベッドの上らしい。

意識を完全に取り戻したのは、その直後だった。


「やっと気が付きましたか」


聞き慣れた声がした。ゆっくりと横を向くと、そこにはユリウスが座っていた。

椅子の背にもたれ腕を組み、目元に濃いくまを作ったまま、じっとこちらを見つめている。


「ユ、リ……ウス……?」


声を出すと、自分でも驚くほど掠れていた。

ユリウスは深くため息をつき、額に手を当てる。


「ったく……勘弁してくださいよ。一生目覚めないかと思いました……」

「ど……のくらい」

「一週間ですよ。一週間も、ずっと……」

「そう、か……一週間——」


アデルはぼんやりと霞んでいた意識が次第に鮮明になるにつれ、慌てて上半身を起こそうとした。


「けほっ……あれから……どうなった……!? 巨大汽化獣は……くっ……!」


けれど、すぐに襲ってくる倦怠感と鈍い痛みに阻まれ、ベッドに身を沈める。

そんなアデルを宥めるようにユリウスは肩に手を添えた。


「落ち着いてください師匠。もう大丈夫です。ちゃんと討伐できましたから」

「討伐、できた……」


その言葉を聞いて、ようやく記憶が追いついてくる。

必死に戦ったこと、そして最後の瞬間——ユリウスや仲間と共に仕留めたことを思い出し、アデルは大きく息を吐いた。


「そうか……そうだったな……」


呟きながら、アデルは天井を仰ぐ。

まだ全身が重い。それでも、巨大汽化獣を倒したという事実が、心の奥に確かな安堵を落としていく。


隣から盛大なため息が聞こえてきた。

その音に促されるように視線を向けると、ユリウスがベッドの端に肘をつき、掌で顔を覆っているのが見えた。


「……ユリウス?」


掠れた声で呼びかけても、すぐには反応がなかった。

代わりに、彼の肩がわずかに震えているのがわかる。


「……ずっと、生きた心地がしなかった……」


くぐもった声が漏れ、指の隙間から覗く額には深い皺が刻まれていた。

何かを必死に堪えるように息を漏らす。


「業務時間外になっても師匠が戻って来ないし、単独任務だから全然足取りが掴めないし、地底の様子もいつもと違うし……あなたの身になにかあったんじゃないかと……」


低く抑えられた声には、隠しきれない恐怖が滲んでいた。

ユリウスがここまで感情を露わにするのは珍しい。

それだけ、心労をかけてしまったのだと思うと、いたたまれない気持ちになる。


「心……配、かけた、な」


ようやく言葉を紡ぐと、ユリウスは大きく息を吐いた。


「——本当ですよ。元気になったら覚えておいてください」

「それ、は……怖いな」


薄く笑いながらそう応えると、ユリウスは僅かに口元を緩める。

ユリウスのことだから、きっとまた容赦のない条件を叩きつけてくるに違いない。

けれど、久々の軽口の叩き合いは不思議と心地良かった。

アデルも存外、この応酬が気に入っているのかもしれない。

まるで、いつもの二人に戻ったみたいだった。


「ひとまず、師匠の意識が戻ったことをギルド長に報告してきます。それまで安静にしていてください」


ユリウスが椅子から立ち上がる。

アデルの目の前から彼の存在が遠ざかろうとするのを見て、思わず手を伸ばし——気付けば彼の袖を掴んでいた。


「……師匠?」


ユリウスが振り返る。

その優しげな眼差しに、喉の奥が焼かれたように疼く。


「どうしたんですか、急に。ひょっとして、寂しくなりました?」


まるで普段通りの冗談めかした口調。

いつもならここで「ふざけるな」と一喝していたところだろう。

けれど今は、彼のからかうような言い方が、酷く心に沁みた。


「……うん」


ユリウスの表情が一瞬固まる。

頷いた瞬間、自分の中で何かが決壊した。


「——行かないで、ずっとそばにいて」


声が震えそうになるのを必死に堪える。

それでも胸の奥に積もったものが、堰を切ったように溢れ出して止まらなかった。


「本当は……寂しかった。ユリウス、が……独立することが。それを、相談もされなかった、ことが……」


視界が滲む。息が詰まる。

ユリウスが独立すると聞いた時の、あのどうしようもない喪失感。

気づかないふりをして、割り切ったつもりでいたのに。

どれだけ平静を装っても、彼が遠ざかることが、たまらなく悲しかった。


「ユリウスの、ことが……好きなんだ」


言ってしまった。

胸の奥に押し込めていた想いを、ついに。



「……なんで、今なんですか」


ユリウスの声が静かに震える。

普段はどんな時でも冷静さを崩さない彼の声が、感情を滲ませて揺れるのがわかる。

一度深く深呼吸をした後、ユリウスの瞳が真っ直ぐアデルを見据えた。


「——俺が、独立を決意した理由を知ってますか?」


問いかけられて、胸の奥がざわつく。

この先に続く言葉を——本人の口から直接告げられるこの瞬間を、心のどこかで恐れていた。

意気消沈しながら首を横に振ると、ユリウスは苦笑気味に口を開く。


「師匠と弟子という関係性から脱却して、もう一度あなたに告白するため、だったんです」

「……え」


告げられた真実に思考が止まる。理解が追いつかない。

彼が独立を決意したのは……告白のため?


言葉の意味を理解した瞬間、心臓が大きく跳ねる。

ユリウスはアデルを見限ったわけではなかった——それどころか。

不器用で奥手なアデルに自分の気持ちを伝えるために、弟子という立場を捨て対等な存在になるために、ユリウスは自ら独立を選択したとのだ、と。


「それしかないと思ってました。どうやっても、あなたは俺のことを弟子としてしか見てくれなかったから」

「ユリウス……」


掠れた声で彼の名を呼ぶ。それ以外に、なにを言えばいいのか分からなかった。

言葉を詰まらせていると、ユリウスの顔がゆっくりと近付いてきた。熱を帯びた視線が絡まる。


「——もう一度、言ってくれませんか」

「……っ」


低く囁くような声に、アデルの喉が鳴る。

視線を落としそうになった瞬間、ユリウスの指先がそっと顎に触れた。

その先を促すように、逃がさないとでも言うように。


「……好きだ、お前のことが」


震える唇から紡がれた言葉。

それを聞いたユリウスが、僅かに目を細める。


「もう一度」


まるで確かめるように、優しく、けれどどこか意地悪く。

ユリウスは微笑みながら、アデルの言葉を待っていた。


「……ユリウスのことが、好——」


その先の言葉は続かなかった。

噛み付くように唇を遮られ、口の端からくぐもった息が漏れ出る。

刺激を与えられる度に肩が跳ね、ぎゅっと閉じた眦から一筋の涙が溢れる。

まともに抵抗も出来ない中、ただ、なされるがまま、何度も何度も、角度を変えるように深く口付けられた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ