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16. 巨大汽化獣



(まずい)


アデルは肩で息をしながら、背後を一瞥した。

巨大汽化獣が蒸気を噴き上げながら迫ってくる。

地響きが地底内に反響し、耳鳴りのような振動が体を締め付けた。

走るたびに肺が焼けつくように痛む。辛うじて攻撃を躱せてはいるが、いつまでも続けられるわけがない。


(どこかに撒ける場所は)


だが、周囲を見渡しても、巨大汽化獣の視線を逸せそうなものは見当たらなかった。

近くに他の汽化獣でもいれば標的をすり替えることもできそうだったが、このフロアの個体は皆、恐れを抱いて退散してしまったのだろう、どこにも気配がなかった。

最悪、地上に逃げれば助かるかもしれない。だが、アデルはそれをしなかった。いや——できなかった。


(あんなものが地上に出たら)


あの巨体が地上に現れれば、街がどうなるかは明白だった。

災害どころの騒ぎではない——下手をすれば街一つが滅ぶ危険すらある。そんなことは、絶対に許せない。


(……考えろ、考えろ、考えろ! あいつをここで確実に倒す方法を!)


その時、背後で鋭い音がした。


——キィィィンッ!


反射的に身を屈める。直後、背後に巨大な爪が振り下ろされ、通路の鉄管を豪快に引き裂いた。

破裂音と同時に白い蒸気が勢いよく噴射し通路を湿らせた。


「……っつ!!」


背中に焼けるような痛みが走った——爪が掠ったのだ。

衝撃で体勢を崩したアデルは通路先の開けた場所までゴロゴロと吹き飛ばされた。


背中に生暖かいものが広がっていく。

視界が滲む——出血量が多くなってきたのだろう。

肺が痛くて呼吸が苦しい。これ以上逃げ続けるのは厳しそうだ。


遠のく意識を必死に奮い立たせ、ゆらりと上体を起こす。

転落防止の手すりを掴み、立ち上がった時——不意に気が付いた。

フロアの中心——吹き抜けになっているこの場所。

ここから突き落とすことができれば、さすがの巨大汽化獣も無事ではいられないのではないだろうか。


視界の端では巨大汽化獣がこちらを捉え、鋭い蒸気を吹き出している。

アデルは思いつくままにポーチからワイヤーを取り出した。震える指先でワイヤーを柱に巻きつけ素早く固定する。


(間に合え……!)


しっかりと固定し終えた瞬間、汽化獣が咆哮とともに突進してきた。足元が揺れ、轟音が地底の奥深くまで響き渡る。

アデルは一歩、二歩と後退しながら、タイミングを見計らった。


(今!)


突き出された鋭い爪が目前に迫ると同時に、アデルは足元のワイヤーを思い切り引いた。

狙い通り、巨大汽化獣の足が絡まる。

蒸気で濡れた通路が潤滑剤となり、体勢を崩した巨大汽化獣が大きく傾いた——が、しかし


「くっ……!」


ワイヤーを引く手に力を込めるものの、巨大汽化獣は踏みとどまったまま動かない。

足元を滑らせながらも爪を食い込ませ、床を抉りながら必死に耐えている。

全力で引いているはずなのに、足りない。あと少しなのに。

背中の湿りがジャケットの下からポタリと落ちるのがわかる。

視界が少しずつ霞んでいく。


こんな時、隣にユリウスがいたら——ふと、そんな考えが頭をよぎる。

あと一歩及ばないところを、彼なら当たり前のように補ってくれた。あの飄々とした態度で、涼しい顔をしながら、軽やかに。


戦闘の最中でも、息を合わせるように動いてくれた。

少しの合図で理解し、躊躇なく背中を預け合えた。

作戦を立てる時も、アデルが考え込んでいると、隣でさりげなく助け舟を出してくれた。

日常の些細な場面でも、気付けば彼はいつも隣にいた。


(……怖い)


アデルの肩が静かに震える。

このままだと汽化獣にやられてしまう。

まだ彼に想いを伝えてすらいないのに。


どれだけ心を誤魔化しても、否定しようとしても無駄だった。

弟子とかそんなものは関係なく、ただユリウスのことが好きなのだ、と。

でも、気付くのが遅すぎた。

師弟関係を理由に、頑なに彼の好意を受け取ろうとしなかった。

その結果がこれだ。


「ユリウス……」


思わず彼の名を呼んだ。

けれど、当然ながら彼はここにはいない。それがたまらなく苦しかった。

足を踏ん張り、残された力のすべてを振り絞るが、腕が痺れて力が入らない。

心臓は激しく脈打ち、視界が滲む。体力の限界が迫っていた。


「——……匠」


遠く頭上から聞き馴染みのある声が響いた。アデルは目を開く。

幻聴か? いや、違う。確かに聞こえた。


「——師匠……!!」


驚き顔を上げると、視界の端に見慣れた人影が映った。

遥か上のフロアから身を乗り出し視線を彷徨わせているのは、紛れもなくユリウスの姿だった。

何故? どうしてここに……目の前の光景が理解できないまま呆然としていると、彼の背後から続々と隊員が姿を現した——ギルドの隊員たちだった。

張り詰めていたなにかが緩みそうになる。けれど——今は感傷に浸っている場合ではない。


「……っ、ユリウスー!!」


力の限り叫ぶと、ユリウスの視線がかち合った。

緑の瞳が見開かれる。その瞳が僅かに細められた瞬間、アデルの顔に熱が集中した。


勢いよくフロアの床を蹴って飛び降りるユリウス。

そしてアデルの元に辿り着くと、怒りと安堵の混じったようなため息を漏らした。


「……無茶しすぎですよ、師匠」


そう言いながら、ワイヤーを奪うように手繰り寄せる。アデルの意図をすぐに理解したようだ。

アデルもまた、鼓動の収まらない胸を押さえながら「そう、だな……」と小さく息を吐く。


「でも、来てくれて助かった」


正直な気持ちだった。駆けつけてくれたのが彼で良かった。

ユリウスがいる——それだけで、心細さが和らいでいく。


「……本当に、間に合ってよかった」


ユリウスの声が低く響く。いつもの軽薄な態度は欠片もない。

一体どれほど彼に心配をかけてきたのだろう。


「ユリウス……」


呼びかけると、彼はわずかに眉をひそめた。


「言いたいことは後にしてください。まだ終わってませんよ」


そう言い、アデルの手に握られた残りのワイヤーを全てひったくると、即座に汽化獣の後ろを駆け抜ける。

遠心力を利用して汽化獣の足元に回り込み、そのままぐるりと一周させた。

足元を固定されて更に自由がきかなくなった汽化獣は、ぐらりとバランスを崩しそうになる。


上の方では巨大汽化獣に気付いた隊員たちのざわめきが広がっていくのがわかる。

アデルは腹に力を込めた。


「援護……援護を頼む!! 対象は目の前の巨大汽化獣、災害級の個体と判断!!」


アデルの叫びが地下空間に響いた。

上のフロアで動揺していた隊員たちは、アデルの声で我に返る。その時だった。


「砲撃班、用意!! 近くの者は速やかに二人の元へ!! このまま奴を地底へ押し込めるぞ!!」


背筋の伸びる、凛とした号令がかかる。この声——グレイヴだった。


(ギルド長……!!)


隊員たちの「「了解!!」」と勇ましい返事が地底に響き渡る。

すぐさま指示を受けて、次々と武器を構えた。


その間にも、汽化獣は咆哮を上げながら暴れまわっていた。

拘束された足を無理やり引き剥がそうとする動きで、地面に亀裂が走る。


「早く……!」


アデルは必死にワイヤーを握りしめた。その横で、ユリウスが額に汗を浮かべる。


「頑張れユリウス……! あと少しで応援が来る!」

「……っ、師匠こそ、気を抜かないでくださいよ!」


アデルは必死にワイヤーを引き、巨大汽化獣を吹き抜けの縁へと追い込もうとする。

しかし、相手の巨体はあまりにも重く、じわじわと押し返されそうになる。


歯を食いしばりながら、もう一本のワイヤーを持ち直し、一気に締め上げた。

筋肉が悲鳴を上げるが、ここで離せばすべてが無駄になる。

その時、上のフロアから怒号が飛んだ。


「増援到着! 援護射撃、入るぞ!」


次の瞬間、轟音とともに強力な砲撃が降り注ぎ、巨大汽化獣の背中が爆ぜるように揺れた。

衝撃で一瞬ひるんだ隙に、ユリウスがクロウを振るい、片足の腱を断ち切る。


「——アデル!!」


ユリウスの叫びに、アデルは最後の力を振り絞った。

全力でワイヤーを引くと、ようやく到着した隊員たちも加勢し、一気に汽化獣の体勢を崩す。


「落ちろ……!!」


巨大な体が吹き抜けの縁を超え、大きく仰け反る。そして


ゴゴゴゴゴォォ……!!


凄まじい音とともに、汽化獣は奈落の底へと落ちていった。







(終わった、のか?)


——肩で息をしながら、周囲を見渡す。

脅威は消え去り、戦闘の余韻だけが漂っている。

崩れかけた地面、充満する白い蒸気、あちこちに散らばる破片——それら全てが、この死闘の激しさを物語っていた。


「……やったぞ」

「倒したんだ……」

「あんなでかい汽化獣を……」


ポツポツと隊員たちの声が聞こえてきた。

安堵の入り混じった声が飛び交う中、隊員たちは互いの無事を確かめ合いながら勝利の実感を噛み締める。


(――ああ、ようやく)


アデルはゆっくりと息を吐いた。

だが、彼女の体は限界を迎えようとしていた。


「……師匠?」


ユリウスが振り向いたのとほぼ同時に、アデルの身体がふらりと傾いだ。

視界が大きく揺れる。意識が一気に遠のき、膝からがくんと崩れる。


「——師匠……! ……!? 怪我……、いつ……!」


断片的にユリウスの声が響く。

けれども、意識はそこで途切れた。




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