14. ギルド長の采配
「——あれだけ独立に興味を示さなかったお前が、どういう風の吹き回しだ?」
低く野太い声が、広い執務室にこだました。
白髪交じりの乱雑な髪、鍛え上げられた体躯を包むのは、何年も着込んだ分厚い革のコート。
ギルド長——グレイヴ。灰色の爪の最高責任者である。
「別に、大した理由はありませんよ。ただ、必要に駆られただけです」
「そうかそうか、大した理由はないか」
淡々と答えると、グレイヴは椅子に深く座ったまま膝を叩きガハハと笑った。
ユリウスは内心舌打ちする。
(この人の前だと、どうも調子が狂う)
グレイヴは特に苦手な相手だった。豪快な印象とは裏腹に、真正面から人を見据え、その本音を暴き出そうとするような鋭さがある。
曖昧な言葉を並べたところで、彼の前ではあっさりと剥がされてしまうのだ。
「まあ、お前のことだ。なにかしら考えがあるんだろうが……」
そう言いながら、グレイヴは机に肘をつき、ユリウスをじっと見つめる。
「このことをアデルには話したのか?」
その名前が出た瞬間、ユリウスの指がわずかに動いた。それを見逃すはずもなく、ギルド長は口角を上げる。
「……今の段階で話す必要はないですよ。正式に決まる前に余計な気を回させるのも面倒ですし」
ため息混じりに答えると、グレイヴは「まぁな」と腕を組み直した。
あまりにも適当な様子にユリウスの目が吊り上がる。
「そもそも独立の話を持ちかけたのはそちらでしょう。それなのに、いざ申請しようとしたら『承認が降りるか不明』ってどういうことですか」
憮然とした表情で問いただすと、グレイヴは肩をすくめ、面倒くさそうに息を吐いた。
「仕方がないだろう。お前の昇進は前例がないんだ。俺としては早いとこ独立してもらいたいところだが」
確かに、ユリウスの昇級は異例だった。
一つ階級を上げるのに最短でも三年はかかる、と言われている。ユリウスはその常識を覆した。
アデルに師事して約二年、特に最後の三ヶ月間で飛躍的な成長を遂げ、異様なほどの業績を叩き出した。
その業績は、既に上級隊員と同等と言えるほどの成果だった。
その結果、通常の昇級制度を大きく飛び越え、小級から一気に上級へと昇進するという異例の処遇を受けることになった。
これはギルドの歴史においても類を見ないほどの特例だった。
しかし、このような前例のない昇進を果たしたユリウスが、すぐに独立を希望するとなると話は別である。
彼の昇級自体が異例であったため、そのまま独立を許可することには慎重にならざるを得ない。
そのため、グレイヴが直々に独立の打診をしていたとはいえ、正式な承認には上層部メンバーによる厳格な審査が必要だった。
「それにしても、やはり俺の采配は間違っていなかったな」
「なんの話ですか」
椅子の背にもたれかかり、満足げに腕を組むグレイヴに、ユリウスは眉をひそめながら問い返した。
いまいち言葉の意図が読めない。
「あいつと組ませたことだよ」
「……」
にやりと口角を上げるグレイヴに、ユリウスは言葉を返せなかった。
どことなく気まずさが込み上げる。
「お前は優秀だが、どうも扱いにくい部分があったからなぁ。ことごとく上官との折り合いが悪くて色々なやつのところを転々としていただろう」
「……それは昔の話です。今はもう、そんなことにはなりませんよ」
「はは、どうだかな」
からりと笑うグレイヴに、ユリウスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
ユリウスが見習い期間を終えたのは十六歳のときだった。
その後は上層部からの推薦で、特級隊員のもとへと配属された。しかし、それも長くは続かなかった。
上官との衝突を繰り返し、所属先を転々と変え、気付けば二年が経過していた。
昇進の条件には、優秀な業績を収めることに加え、一定期間同じ師のもとで下積みをすることが求められていた。
しかし、ユリウスの場合は問題が違った。あまりにも上官と対立しすぎたのだ。
そこで彼の未来を案じたギルド長グレイヴは、二十二歳で上級になったばかりのアデルに彼を託すことにした。
女性隊員であるアデルの元ではユリウスの態度も多少は軟化するのではないか、そんな目論見もあったのだろう。
「なによりもあいつは、なんだかんだ言って忍耐強いからな。なにがあってもお前を決して見放したりしないだろうと思ったんだ」
——知ってる。ユリウスは悔しそうに笑った。
アデルを紹介された日のことを、今でもはっきりと覚えている。
彼女と対面した時、心臓が強く脈打った。まさか、と思った。
あの日、汽化獣から自分を救ってくれた人。名前こそ知らなかったが、その存在はユリウスの中で強く刻まれていた。
彼女は以前よりもずっと大人びていて、立ち振る舞いも洗練されていた。動揺のあまり、不覚にも数秒ほど動けなくなった。
震える心を必死で押さえつけ、あの日のお礼を言おうとした時だった。
『——はじめまして』
彼女の口からその言葉が出た瞬間、胸の奥がスッと冷たくなった。ああ、自分のことなんて覚えていないのか。
あれほど鮮烈な出来事だったのに、自分の中だけにしか残っていなかったのだと思うと、酷く落胆した。
その苛立ちを誤魔化すように、彼女に嫌な態度を取ったこともあった。わざと指示に従わなかったり、皮肉も沢山投げかけた。
それでもアデルは、どこまでも真正面から向き合ってくれた。
ユリウスの身勝手な振る舞いに手を焼きながらも、決して目を逸らさなかった。
いつ切られてもおかしくない状況の中、それでも彼女は最後まで自分を見捨てなかったのだ。
「お前もそんな顔ができるのだな」
我に返ると、目の前のグレイヴは顎髭をさすりながらニヤニヤしていた。
無意識のうちになにか表情に出ていたのだろうか。
ユリウスは咄嗟に口を引き結び、言い返そうとした、その時——
——コン、コン。
部屋の扉を叩く音が響いた。
失礼します、と入室したのは、ユリウスの同期だった。
「ギルド長、お話中に申し訳ございません。任務変更に伴いユリウスを連れ戻してもよろしいでしょうか」
「変更?」
ユリウスは眉をひそめた。予定ではこの後はアデルと合流するはずだ。
「ああ、構わん。引き留めて悪かったな」
グレイヴはあっさりと承諾する。
少しばかり愉快そうに顎髭をさすりながら、それ以上の言葉は発さなかった。
「お邪魔しました——ほら、いくぞ」
隊員に促され、ユリウスは反射的に立ち上がる。
状況が理解できず困惑の色を隠せない。が、今は指示に従うしかない。
隊員に倣ってグレイヴに一礼をし、そそくさと部屋を後にする。
ギルドを出たところですぐさま隊員は口を開いた。
「今日の任務は合同になった。急な話で悪いが、俺らと一緒に来てもらう」
「合同? 誰の指示で——」
「アデル隊員からだ」
「師匠が……?」
彼の言葉を反芻しながら、微かな違和感を覚えた。
そんな話は聞いていない。急遽合同任務? 彼女の指示で?
「なんでも急な単独任務が入ったらしい。それで、しばらくお前を預けたいと相談を受けたんだ」
隊員の言葉を聞いて、ユリウスの額に影が差した。
単独任務、それも"急な任務”。
——だが、それはおかしい。
ギルドにおいて、単独任務の依頼が急に入ること自体は珍しくない。
だが、それは基本的に指名制などではなく、要請があった時点で、その場にいる者が速やかに対応できる形態になっている。
裏を返せば——自ら進んで選択しない限り、単独任務に就くことはないのだ。
「……どういうことだ?」
「事情は俺らにも分からない。だが、人手不足な分、俺らにとってはお前が来てくれると心強いが」
隊員は申し訳なさそうに肩をすくめる。彼にこれ以上追求しても無意味だと悟った。
(……師匠、一体何を考えているんですか)
アデルがなぜこんな決定を下したのか——それは、後で本人に直接聞くしかないだろう。
ざわつく胸の内を隠しながら、ユリウスは足を踏み出した。




