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13. 自覚



朝一番の風が排気煙と共に開けっぱなしの窓から入り込み、薄暗い部屋の中で細くとぐろを巻く。

アデルは柔らかな寝具に沈み込んだまま、仰向けで天井を見つめていた。


(……起きたくない)


布団のぬくもりに逃げ込むように、顔を両腕で覆う。淡く明けゆく窓の外とは裏腹に、胸の奥はどんよりと暗かった。


『私たちは師弟だろ!!』


思い出したくもない記憶が、無遠慮に頭の中へと押し寄せる。

ユリウスに言葉をぶつけた瞬間、彼の表情がどんどん陰りを帯びて行く様が脳裏をよぎっては心が締め付けられる。


(あーもう、どんな顔して会えばいいんだ!? そもそも謝る必要あるか!? なにに対して!?)


わけが分からなくなり、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。

ぐるぐると考えているうちに、また気まずさが込み上げてきて、思わず「うがーっ!」と声を上げてしまう。


(……落ち着け。あまり過去を引きずるのは良くない。それに向こうだって気まずい思いをしてる……はずだ、多分。しっかりしろ、師である私が取り乱してどうする)


悶えたところで状況が変わるわけではない。それに、今日は二連休明けの仕事の日。どうしたってユリウスと顔を合わせることになる。

深呼吸を何度か繰り返しているうちに、少しだけ頭が冷えた気がした。


「はぁ……また前みたいな空気になるのだろうか」


ぽつりと独り言のように呟いた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。




***



ギルドの朝は慌ただしい。

受付には新規の依頼を持ち込む者が列をなし、数々のテーブルでは緊急任務の打ち合わせが繰り広げられている。

奥の掲示板には新たな汽化獣討伐依頼が貼り出され、それを確認しようと隊員たちが群がっていた。


アデルはいつもの席に腰掛け、慌ただしく流れる時間の中で、少しだけ気を落ち着かせようと深く息を吐く。

そのとき、ふと足音が近づいてくる気配を感じた。


「師匠、おはようございます」


柔らかな声音に、アデルはびくりと肩を揺らした。

顔を上げると、ユリウスがいつものように微笑んで立っていた。


「あ……ああ、おはよう」


思わずぎこちなく返事を返す。

一方ユリウスは、いつもと変わらない気さくな笑みを浮かべながら正面の椅子を引いた。


「今朝の貼り紙見ました? 下層付近で大型汽化獣の目撃情報が相次いでいるみたいですよ」

「それはまた、物騒な……」


アデルは努めて平静を装いながら応じるが、内心では別のことが引っかかっていた。


(いつも通り……気にしていない……?)


変わらない態度、何気ない会話。

まるで、一昨日のことなどなかったかのように。


「そうだ。はいこれ、師匠の分」

「……!」


アデルは思わず息をのむ。ユリウスがそっと差し出した紙カップからは湯気がゆるく伸び、花を蒸したような香りが淡く上品に立ち込めていた。

彼がいつも飲んでいる紅茶だ。


「師匠、飲みたいって言ってたから」

「そう、か……ありがとう」


そっと手を伸ばし、受け取る。カップの温もりが、ひどく心に染みる気がした。

このまま、彼の好意に甘えてなにもなかったことにするべきなのか。それとも——


「ユリウス」


呼びかけると、目の前の青年はすぐに顔を上げた。

その表情は変わらず穏やかだ。


(この前は言い過ぎた)


言わなければ、と思う。謝るなら今だと、分かっているのに。


「……っ」


いざ謝ろうとすると、妙な緊張が喉を塞いだ。

言葉にするのは簡単なはずなのに、なぜか言葉が詰まってしまう。


「どうされました?」


ユリウスの声が優しく響く。その柔らかな声色に、余計に胸の内がざわついた。


「その——」

「ユリウスー、ギルド長が呼んでるぞー」


なんとか言葉を紡ごうとした瞬間、声が割り込んできた。

声の主は別の隊員だった。ユリウスは一瞬だけ考え込むような素振りを見せたあと、ふっと笑った。


「——すみません、少し席を外します。十分過ぎても戻らなかったら先に潜ってもらっても結構ですので」

「ああ……」


言いそびれた言葉が喉の奥に沈む。

ユリウスは軽やかに踵を返し、足早に出入り口へ向かっていく。

その背中を見送りながら、アデルは微かに息を吐いた。


(気のせいか、視線がうまく合わないような……)


ふと、そんな違和感が胸をよぎる。

こちらを見ているようで、わずかに焦点をずらされたような感覚。

神経質になっているだけだと言われてしまえばそれまでだが、普段と変わらないやり取りの中に引っかかりを覚える。


(まぁ、今考えても仕方がない。それよりも、ユリウスが戻ってくる前に今日のやるべきことを整理せねば)


疑念を拭いきれないまま紅茶を喉に流し込むと、静かに席を立ち掲示板へと向かった。

朝の一番忙しい時間帯を過ぎたからか隊員の数も先ほどと比べて少なくなっており、特に並ぶまでもなく掲示板に辿り着いたアデルは、無造作に張り出された新規の依頼書を一瞥した。


(下層A地区……F地区……中層のG地区にも現れたのか。あいつの言ってた通りだ)


数ある依頼書の中でも、ひときわ目を引くのは赤字で記された危険度の高い討伐案件——それも、いずれも“大型”の名が並ぶ。

目撃情報に法則性はなく、また過去の事例を照らし合わせても一致しない。

なにかがおかしい。だが、原因がわからない限りは動きようがない。きっと上層部もそういう判断だろう。

上層部と言えば……とアデルは首を捻る。


(あいつは一体なんの用でギルド長に呼ばれたのだろう。それも、わざわざ名指しで)


不祥事であれば、監督責任としてアデルも呼び出されているはずだ。けれど今回はギルド長からの伝言すらない。

となると個人的な話か。だとすれば、一体どんな——。


釈然としないまま依頼書に手を伸ばした、その時だった。


「——聞いたか? ユリウスが独立するって話」


不意に耳に入ってきた言葉に、手がぴくりと震える。

背後のテーブルでは、数人の隊員たちがくつろぎながら談笑していた。


「昨日だっけか? あいつが独立申請書を提出したのは。ギルド内がちょっとした騒ぎになってたらしいぞ」

「元々上層部からの打診があったんだろ。華々しい昇進だよな」


乾いた笑いとともに交わされる言葉の数々に、胸の奥が妙にざわついた。

——独立? 一体なんのことだ。何故彼らが知っていて、師であるアデルが知らないのか。


「まぁ、若くて才能溢れる人材をいつまでも下の方で燻らせておくのも、ギルドにとって損失だからなぁ」

「なんにせよ、今までなかなか首を縦に降らなかったあいつがようやく独立を決意したんだ。これで少しは上級の負担も減ることだろう——」


(そんな話、一言も……)


目を伏せると、まぶたの裏に先ほどの彼の顔が浮かぶ。

変わらぬ態度、いつも通りの微笑み——視線や挙動の節に見え隠れする違和感。

言い出せなかったのか、それとも——


(見限られた、のか)


自分の中でその言葉が形を成した瞬間、胸の奥がじくりと痛む。


見限る——本当に? まさか、ユリウスに限ってそんなはずが。

けれど、もし仮にそうだとしたら、視線の意味も、無理に作られたような”いつも通り”の理由も、説明がついてしまう。

なによりも、独立という大事な話を一切知らされていなかった時点で、ユリウスにとってアデルはもう、頼れる師匠ではなくなってしまったことは明白だ。


(——そうか、そういうことだったのか)


ギルド内の喧騒が遠のいていく。

掲示板の一番隅に貼られた色の違う依頼書を引きちぎると、無言のまま廊下へ出た。


彼の独立に反対するわけではない。ただ、そのことを一切知らされていなかったという事実が、よほど堪えた。

まるで、師匠として弟子に頼られる存在ではなくなったのだと、現実を突きつけられたようで。


『俺があなたのことを心から師と仰いでいるとでも?』


いつの日だったか、ユリウスに言われたことを思い出した。

今になって、その言葉が鋭く胸に刺さる。

アデルが気付かなかっただけで、ユリウスの心は、とうに離れていたのかもしれない。


「あっけないものだな。師弟関係が崩れる瞬間というのは」


ふっと、笑いが漏れた。

こうなることをどこかで恐れていたのかもしれない。

けれど胸の内に渦巻くのは意外にも、虚無感と、少しの絶望と……清々しさだった。


(大丈夫……彼ならきっと大丈夫だ)


言い聞かせるように、アデルは拳を握りしめる。

アデルの手を離れたところで、ユリウスはきっと上手くやれるに違いない。

着実に実績を積み上げていって、ゆくゆくは特級に昇進するだろう。

そうなれば、やがて彼自身が弟子を持ち、誰かを導く立場になる日が来る。


(いずれ、弟子を取るようになれば、次第に私の存在が薄れていって……)


脳裏に浮かぶのは、知らない誰かと並んで歩くユリウスの背中。

自分に向けていた視線や笑みを、別の誰かに向けている姿。


(いつか、私のことなど忘れて——)


コツ、コツと鳴っていた足音が、不意に止まる。

アデルはふと立ち尽くし、目を伏せたまま静かに唇を噛んだ。


——ああ、嫌だ。

自分以外の誰かが彼の隣を歩くようになるなど、想像したくもない。


そこまで考えて、ふと疑問がよぎる。

——何故? 師匠としての矜持が邪魔をするのか?

……いや違う、本当に弟子のことを思うならば、感情に任せて彼の選択を否定するなど、悪手でしかないはずだ。

なのに、どうしてこんなにも胸の奥を締めつける。


(……ああ、そうか)


目を伏せ、喉の奥から押し出すように言葉を紡ぐ。


「私は、ユリウスのことが好きなんだ」


胸の奥が苦しい。

認めてしまえば、もう後戻りできない気がした。




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