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12. とある休日の昼下がり



「師匠ー、おはようございまーす」

「……」


玄関を開けると、そこには満面の笑みを浮かべる弟子の姿があった。

何故、彼がここに……? 寝起きでぼんやりとする頭を撫で付けながら思考を巡らせていると、唐突にユリウスが身悶えし出す。


「え、待って、髪結んでる師匠……かわっ……え、俺のために……?」

「休日に一体なんの用だ」


手の甲を口元に当て顔を赤らめるユリウスをじっと睨み付けながらアデルは要件を問う。

髪を纏めたのはあくまでも寝癖を誤魔化すためであり、ユリウスのためでは断じてない。


「丁度近くを通ったんで顔を見せに伺いました」

「帰れ」

「これ、お土産です。手ぶらもなんですし」

「……! それは……!」


ユリウスが紙袋を見せた瞬間、アデルの瞳がかすかに揺れる。

茶色い紙袋の端には小さく店のロゴが印字されていた。


「師匠、この店のクッキーが好きって言ってましたよね。数量限定な上に、普段は仕事が忙しくて滅多に買いに行けないとか」


わざとらしく目の前で紙袋を揺らすユリウスに、アデルは「くぅっ……」と目を逸らす。


言った……確かに言ったが、相当前の話だ。

それも、何気ない会話の中で一度だけ話題に出したに過ぎない——下手をすれば、言った本人でさえ記憶が朧げになっているほどの些細な話である。

逆によく覚えていたものだ、と感心したいところだが、ユリウスの思惑通りになってしまうのはなんとも癪だ。

かといって、受け取っておきながらさっさと追い返すのも気が引ける。

悔しさを滲ませながらも、アデルは観念したように呟いた。


「……茶くらい出そう」

「よければ俺が淹れますよ」


心なしか、ユリウスの声が弾んでいる。

扉を広げながらアデルは静かにため息をついた。




「……んん〜!」


出来立てのサクサクとした食感、ほのかな甘み、口いっぱいに広がるバターの風味。

好物のクッキーを頬張りながら目を細めるアデルをユリウスは満足そうに見つめる。


「本当、幸せそうに食べますよね」

「……? 当たり前だ、その方が食べ物冥利に尽きるってものだろう」

「まぁ、ご満足いただけたようでなによりです」


首を傾げながらアデルはティーカップに口を付ける。

香りを楽しむように一口飲み、すぐに驚いたような表情を浮かべた。


「それにしても、お前は紅茶を淹れるのも上手いよな。普段の茶葉がまるで高級茶葉のようだ」

「お望みなら、毎日でも淹れて差し上げますよ」


茶化すようにユリウスが言うと、アデルの目がぱっと輝く。


「え、いいのか? お前が毎朝ギルドの休憩所で飲んでいるの、ちょっと羨ましいなと思っていたんだ」


無邪気なまでの反応に、ユリウスは思わず「はぁ」とため息をついた。


「それは別に構わないですけど……」

「な、なに?」


急な態度の変わりように、アデルは不安げに目尻を下げた。


「今、俺が口説いていたの、わかってます?」

「——あ」


言われて初めて気がついたらしい。アデルは目を瞬かせた後、じわじわと顔を赤くしていく。

ユリウスはそんな師匠に半ば呆れながらも、どこか楽しそうに肩をすくめた。


「……師匠、俺が言うのもなんですが、もう少し自覚を持ってくださいよ。ただでさえ無防備過ぎるのにその上超絶鈍感とか、逆に今までどうやって生きてきたんですか」

「なんか……悪口増えてね?」

「言いたくもなりますよ。いつか悪い男に騙されるんじゃないかって心配になりますし」

「お前が言うか」


悪びれもせずニヤリと笑うユリウスをアデルは、じとっ……と睨んだ。



***



正午の汽笛を合図に、あちこちの露店から立ち上る香ばしい匂いが風に乗って漂う。

道端では旅人や商人が言葉を交わし、露店の主人たちは大きな声で客を呼び込む。

子供たちが笑い声を上げながら駆け回る傍ら、テラス席では客たちが談笑しながら食事を楽しんでいた。


外へ足を踏み出すと、排気煙によって遮られた灰色の淡い陽光がその身を包み込む。

夜とは違う、生き生きと動く街の姿——それをアデルとユリウスはギルドの扉をくぐりながら眺めた。


「悪いな、休日なのに付き合わせて」

「師匠に同行するって言い出したの、俺ですから」


隣を歩くユリウスをちらりと見やると、彼はまんざらでもなさげに微笑んでみせた。


アデルは元々、今日の休日を使ってギルドへ行くつもりだった。

目的は仕事道具の新調申請。そのための書類を準備し、手続きを進めるのが主な用事だ。面倒ではあるが、避けては通れない。

それをユリウスに伝えたところ、彼は「俺も同行します」と言い出したのだ。

ギルドに着くと、想像していた通りの手間が待っていた。道具の新調には細かい審査が必要で、いくつもの項目を埋める必要がある。

だが、ユリウスはそんな煩雑な作業を手際よくこなし、必要な書類を次々と整理してくれた。

おかげで、当初は昼を過ぎても終わらないかもしれないと覚悟していた手続きが、思ったよりも早く片付いた。


「本当にとても助かったが、お前はそれで良かったのか? 休日くらい自由に過ごせばいいものを」

「まぁ、師匠の役に立ちたかったので。——それに」


軽やかに言葉を紡ぎ、そのまま、ふっと視線を絡めてくる。


「少しでも長く一緒にいたかったから、苦になんて全然なりませんよ。ほら、こうして二人で歩いてると恋人みたいですし?」


唐突な甘い言葉に、アデルの足が一瞬だけ止まりかける。しかし、それを悟られまいと、すぐに歩調を整えた。


「……なぁ、いつまでそれ続けるつもりだ?」

「それとは?」


とぼけるような口調で返すユリウス。その声音にはどこか余裕が滲んでいる。

アデルは眉を寄せながら、前を向いたまま静かに息を吐いた。


「だからその……好意を持っているフリのような」

「フリとか言っている内は止めるつもりはありませんね」


ユリウスの顔が急接近してきた。肩が触れそうなほどの距離に、思わずアデルは身を引く。

だが、まるでアデルの反応を楽しむかのように、ユリウスはその距離を更に詰めた。


「……私は——お前がわからない」


アデルはぎこちなく言葉を紡ぐ。緊張のし過ぎで声が少し震えた。


「こんなこと、今まで一度もなかったじゃないか。それが、なんで急にこんな……」

「あなたのことが好きだからです」


足を止め、アデルの言葉を遮るようにユリウスは告げた。

まっすぐな視線が、アデルを射抜く。


——心臓がドクン、と音を立てた。


思わずアデルは顔を伏せ、目を逸らした。胸の奥がざわつく。

今まで散々甘い言葉を軽々しく囁かれてきたが、「好き」だと直接言葉にされたのは今回が初めてだった。——けれど


(……間に受けるな。勘違いするな)


ユリウスのことはよく知っている。からかい上手で、悪びれもなく冗談を口にする男だ。

今回だってきっと、いつもの軽口の延長に違いない……そう思い込もうとすればするほど、何故か喉の奥が引きつり、心臓が一気に冷えていくのを感じる。


「お前のそれ、全部本気じゃないだろ」


アデルは無意識のうちに拳を握り締めていた。そうしなければ、心の奥底に押し留めているなにかが今にも決壊しそうで怖かった——それなのに


「本気ですよ」


迷いなく口にするユリウスに、アデルは目を見開く。

顔を上げると、ユリウスの表情がふっと曇ったように見えた——初めて見る表情だった。


「俺は師匠のこと——」

「もう、やめてくれ。嘘にしてはタチが悪過ぎる」


思わずユリウスの言葉を遮った。

気のせいだ。いつになく真面目な表情に見えるのも、あたかも好意があるかのように感じるのも、過剰に気にし過ぎているだけだ。

そんなものを真に受けて、期待して、あとで「冗談でした」と笑われて、勝手に傷付くのは……あまりにも愚かだ。


「……は? 嘘?」


ユリウスの表情が凍りついた。

漏れ出た声に、アデルは思わず瞬きをする。


「嘘って、何がです?」


ユリウスがゆっくりとアデルを見つめる。

その視線が普段とは違うことに気付き、アデルはごくりと喉を鳴らした。

いつもの軽い調子とはまるで違う、低く抑えた声。それがかえって、ユリウスの怒りを感じさせる。


「俺の言葉が、そんなに信用ならないんですか?」

「え、いや、その……」

「じゃあ、どうしたら伝わるんです?」


静かに歩を詰めるユリウスに、アデルは反射的に一歩下がった。


「どうすれば、俺の気持ちを"嘘じゃない"って信じてもらえるんです?」

「お、お前……?」

「教えてくださいよ、師匠」

「なっ……!」


囁くような声が耳をくすぐる。

逃がさないと言わんばかりの至近距離。ユリウスの顔がすぐ近くにある。

冗談めかして口説いてくるいつもの調子とは違う、真剣な響きに、アデルは戸惑った。


「俺の言葉、そんなに軽く聞こえます?」


彼の手がそっと伸ばされた。頬に触れるか触れないかの距離で揺らぐ指先。

アデルは息を呑んだ。なにかが限界だった。


「……ふざけるな」

「師匠?」


振り払うように言葉を叩きつけると、ユリウスは驚いたように目を見開き、手がピタリと止まる。

アデルの胸中を渦巻く、怒りとも悲しみともつかない感情が喉の奥で溢れた。


「なにを言ってるんだ? この茶番だってお前が戯れに『約束』を持ち出して勝手に始めただけだろう。なんの遊びか嫌がらせかは知らんが、信じる信じない以前の問題だ。振り回されるこっちの身にもなってみろ」

「まだ言いますか。俺は本気であなたのことを——」

「私たちは師弟だろ!!」


衝動的に声を張り上げた。心臓が痛いほどに高鳴る。

一度意識してしまうと、もう駄目だった。

どれだけ冷静を装おうとしても、激しい動悸は収まらない。火照った頬も、熱がこもったまま引く気配がなかった。

爆発するように叫んでしまったあと——目の前のユリウスが、一瞬だけ驚いたような表情を見せた。

けれど、それはすぐに変わる。


「……そっか。やっぱり、そこが引っかかるんですね」


どこか陰りを帯びたユリウスの表情。

その声音が妙に冷静で——アデルは胸騒ぎを覚えた。




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