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状態変化同好会 活動記録

もし生徒会長が『状態変化同好会活動記録』を読んだら

結構シリーズの内容前提のメタな内容なのでご留意願います。


──まだ残暑のしぶといある日、生徒会室にて。


「おかしいですわね……」


 生徒会執行部の執務室の最奥、ブラインドの下げられた大窓を背に、豪奢な紫壇のテーブル席にて、艶のある黒髪をポニーテールに結んだ切れ長な目の女子生徒が業務用電卓を片手にデスクトップのディスプレイに映し出された表計算ソフトのデータを睨みつけている。

 彼女はこの学校の生徒会長であり、毎日この生徒会室で仕事に打ち込んでいるのだ。

 その表情の鋭さはスラッと細い体格とともに彼女の厳格でストイックな人となりを印象付けている。

 夏服のブラウスの半袖から覗くほっそりとした二の腕は色が白く、室内灯の光を受けてその肌理の細かさが際立っている。


「会長、どうかしましたか?」


 会長席から向かって左斜め前の席に座っている男子生徒が証憑チェックの手を止めて会長に尋ねる。

 がっしりした体つきとオールバック気味に撫でつけた黒髪の七三分けが特徴的で、黒縁の眼鏡をかけている。

 彼はこの学校の副会長であり、この会長に常日頃付き従って事務作業の補佐を行なっている。


「夏休み期間中の、特別棟の経費の額……電気代が大きすぎるわ」

「特別棟、ですか」


 会長席に回り込んで、副会長も一緒に画面に映るデータを覗き込む。計算書類のとりまとめ担当は副会長であり、会長は副会長から上がってきた叩き台をダブルチェックするという事務フローとなっていて、気になったところはこうしてすぐ副会長に確認するようにしていた。


 特別棟はそもそも普通教室の面積が少ない。美術室や家庭科室、理科実験室などの特別教室が多く、例年夏休み中は通常期間よりも設備の使用量が激減する傾向がある。

 ところが、それが今年は例年ほど減っていない。前年同時期の数字と大きく乖離したため、表の該当箇所にアラートが立っていた。会長が気になったのもごく自然な反応だ。


 会長が指さした箇所を一瞥するなり、副会長は作成時のことを思い出し得心がいったような表情を浮かべた。


「……あぁ、そこですね。それなら問題ないはずです。この前年比での増加分は、状態変化同好会の空調代です」

「状態変化同好会……」


 会長は眉を顰めた。その同好会に対してあまり良くない印象を抱いている様子だ。



 結論を言ってしまえば、その電気代に関して問題はなかった。

 『夏休み期間中も精力的活動を継続する』という旨は同会から事前申請されており、その理由も『前年よりもメンバーが増えたため』という正当なもので、決裁も正常に完了している。請求書の内訳も含めて実績値との矛盾もない。活動中に着ぐるみなどの衣装をよく使うとのことで、夏場はその分空調代が嵩みすぎているきらいはあるが、年次予算の範囲内には収まっている。

 この点において、会長の懸念は杞憂だったわけだ。

 しかし会長の内心では、この件をきっかけに、今まで見過ごしてきた“状態変化同好会”というよく分からない団体への不信の念がいよいよ顕在化したのだった。



 会長も、以前から“状態変化同好会”とやらの存在自体はもちろん認知していた。最高権限者として、部活動や同好会活動に関する報告書には全て目を通しているからだ。

 ただ、その詳しい活動内容まで把握できているわけではない。


 一応、四半期ごとに活動報告はちゃんと上がってくるのだが、その回覧を読んでみても全然理解できないのだ。

 例えば、アーカイブで前回のクリスマス例会の報告書を見返すと、『イラスト生成AIによってケーキ化させられた女の子』を模した女子生徒ミッチーのコスプレ写真とともに『AIの創造性が人間社会における“フェティシズム”《物神崇拝》に及ぼす影響の考察──《呪物崇拝》から人間の《物象化》、《性的倒錯》への侵蝕まで──』などという大仰な題目のついた意識高そうなビジネス新書と古めかしい思想書をごちゃ混ぜにしたような長々黒々とした論文のようなものが添付されていた。

 とりあえずなんかすっごく頑張ってるっぽい雰囲気だけは伝わってきたのでその場では回覧印を押して流してやったけれども、正直なところ、改めて読み返してみても書かれた内容が全く頭に入ってこない。


 部活動の活動内容の精査については、どうしても部長会議側に丸投げになりがちなのと、前任者がどうしていたかという慣例に基づいて作業化されている部分が多く、なかなか手がつけられずにいて、状態変化同好会の報告書も昔から代々似たり寄ったりだったこともあり、今までどこか見てみぬふりをしながら会長印を押していたところもある。

 しかし、その悪習もワタクシの代で断ち切らなければならない……と会長は前々から考えていた。

 もしかすると、この晦渋で抽象的な表現を多用した報告書は、活動の裏の都合の悪い部分を誤魔化してけむに巻くためのブラフかもしれない……。だとしたら、その活動実態をワタクシ自身の目で確かめるべきではないだろうか?


 言い訳みたいになってしまうが、会長がこれまで状態変化同好会の活動内容について深くメスを入れてこなかったのは、この同好会に所属しているミッチーという女子生徒を個人的に信用していたからでもある。

 彼女の人間性はまるで絵に描いたような優等生そのもので、また校内でも注目度が高く交友関係も広いことから社会的信頼もある。会長自身も以前彼女と同じクラスに属し、また委員会活動で一緒に仕事をしたこともあり、その人となりをよく知っていたので、『あんな良い子が所属している同好会なのだから、きっとクリーンな団体なのだろう』と軽視し、警戒レベルを下げてしまっていた部分があった。

 ここに至るまで、あのミッチーさんがまさかそんな不審な活動に手を染めている可能性があるなどとは、想像できずにいたのだ。



 会長が思うに…………疑うべきは、もう一人の同好会メンバー、チョメスケとかいう男子生徒である。

 あいつが、純粋無垢なミッチーさんをたぶらかし、こんなよく分からない同好会の活動に引き摺り込んだとしか思えない。


 考えてみると、色々おかしいとは思っていたのだ。

 クリスマス例会のものをはじめ、この同好会からの報告書にはほぼ毎回、活動実績を示すつもりなのか、ミッチー自身が被写体となった謎のコスプレ写真みたいなものが添付されてくるようになった。しかし、普段あんなにお淑やかで真面目な子が、自ら進んでこんな恥ずかしげもないおかしな格好をして、あまつさえフォーマルな報告書に載せる用の写真まで撮らせているとはどうしても思えない。

 信じて送り出した優等生少女が、状態変化の変態コスプレにドハマりして満面笑顔ダブルピースの報告書を送ってくるなんて……。

 ……いや、別に送り出してはいないか。


 ミッチーさんのコスプレ写真とともに送りつけてくるあの胡散臭すぎる論文もどきは、文体からして、同好会のもう一人のメンバーであるチョメスケという男子生徒が書いたものだろう。

 かわいそうなことに、真面目で純粋なミッチーさんは、この何が言いたいのかよく分からないゴチャゴチャした論理体系をどういうわけか真に受けてドツボにハマり、懐柔されてしまったに違いない。



 なるほど、そういうことだったのか。

 頭の中で、点と点が繋がった感覚があった。

 そうと分かれば話は早い。


「……副会長、ちょっと用事を思いつきましたわ」

「えっ、用事……? ちょっ、ちょっと!? 会長、どこに行かれるんですか?!」


 アーカイブから抜き出した状態変化同好会の活動報告書を左腕に抱え、会長は執務室をあとにする。会長の思うところを知らない副会長は慌てて制止しようとするが、その時すでに会長は扉を抜けて廊下を駆け出していた。


 どこに行くのか? 決まっている。

 ワタクシが、ミッチーさんをチョメスケという悪魔の手から救い出してみせますわ!





「ミッチーお疲れ様。いやぁ、まだまだ今日も暑いね……あれっ?」


 チョメスケが状態変化同好会の活動場所である空き教室にやってきた。

 ミッチーと挨拶を交わそうとした彼だったが、当のミッチーは既にやる気満々で“変化”した姿を晒して教室の真ん中に突っ立ち、ロールプレイの体勢に入っているのだった。



 ミッチーは今、プールトイ化した姿になっていた。

 とは言っても、空調の効きが悪く蒸し暑い室内で着ぐるみを着込むほどの気概はない。

 チョメスケを先回りして自分ひとりで準備できる程度の、簡素な衣装である。


 端的に表すと、ミッチーの身体の大部分は、若葉色のラテックス生地の水着や長手袋、そして人魚のコスプレを思わせるような膝上からつま先までを包む尾ヒレ型の脚先衣装で覆われている。そして教室の真ん中にピシッと気をつけの姿勢で直立し、微動だにしないまま、チョメスケを待ち構えていた。


 まず、彼女の胴体はいわゆるスクール水着と同じ形状の若葉色のラテックス水着に覆われていて、素肌にピッタリと貼りつきテカテカした生地の表面には彼女の身体の丸みと素肌の肉感が浮き上がっている。二つの半球状の膨らみを包み込んでいる胸当ての上、左胸にはわざわざ我が校の校章マークが白色で小さくプリントされていて、それが彼女の身体をまるで学校の備品であるかのように見せかけているかのようだった。

 また、胸いっぱいに白いポリエステル生地の大きな名札が縫い付けられているが、そこにはまだ名前が書かれておらず空白のままである。


 ミディアムショートの黒髪はツヤ系の整髪料で頭に撫でつけていて、その過剰なツヤツヤ感を湛えてペッタンコになっている前髪の質感は、まるで安っぽいビニル製玩具のペラペラな生地のようにも見える。


 水着や長手袋や脚先衣装の合間、ラテックス生地に覆われていない彼女の肩や腋、脚の付け根から太ももの半分ほどまでは素肌のまま晒け出されている。元々彼女の素肌に水を弾くような瑞々しいハリがあるのと、さらにその上から全身にサンオイルのようなものをうっすら塗っているようで、ラテックス生地に圧迫され張った感じで露出した素肌が室内灯の光を受けてテラテラとした光沢を放っている様はなんだか人工物めいている。


 上腕から指先までを覆う長手袋と膝あたりからつま先までを覆う脚先衣装もやはり水着と同じ材質の若葉色のパツパツテカテカとしたラテックス生地である。

 よく見ると、手袋の指先は五本には分かれておらず、親指以外の指がひとまとめになった二股状になっている。その人差し指から小指までが一緒くたになっている平べったい感じが、まるでイルカのゴムボートのごとき印象を付加している。

 脚先衣装は膝から足先までをひとまとめに束ねた筒状である。徐々に先細りになっていく形状のラテックス生地の上には彼女のほっそりとした脚線美が締まり浮かび上がっている。左右一対の足先の形がちょうど人魚でいえば尾ヒレにあたる部分を表現していて、両脚がほとんど拘束状態になっている中でもこの尾ヒレだけで器用にバランスを取って床に直立しているのだ。


 そしてなにより、今のミッチーの姿を“プールトイ”だと決定づけているのが、彼女のその口に咥えられている空気弁である。

 若干アヒル口気味に尖らせている血色の良い唇の中央、プール遊び用の風船やビニールプールなどについている透明な樹脂製のバルブ式の空気弁がチョコンと飛び出ている。この弁になっている空気孔からゴムボートみたく全身に空気を吹き込んで膨らませる仕組みらしい。口が塞がっているせいか、鼻息がいつもより荒い。

 単なる物品感を出すために、彼女はなるべくチョメスケの視界に入っている時は瞬きを我慢している様子で、顔は無表情のまま固まっている。


 こんな感じで、ミッチーの身体は喩えるならゴムボートか、あるいは風船人形のような形態をなしているのだった。

 ラテックスのパツパツテカテカした質感越しにも彼女の全身の柔肌の感じはよく分かり、非常に抱き心地が良さそうだ。



 ──さて、部屋に入って早々ミッチーのプールトイを目の当たりにしたチョメであるが、どういうロールプレイがしたいのか、彼女から前もって要望は聞いていない。

 ミッチーはたまにこうしてその場の思いつきだけで突発的にロールプレイをおっ始めることがあり、その場合はチョメも空気を読みつつ即興で対応することになる。


 ミッチーは、今回は一体何をどうしてほしいと思っているのだろうか。思いつきで変身してみただけで、そこから先のことは本人も深く考えていないのかもしれない。


 プールトイの用途といえば、やはりプールなどの水面に浮かべて、しがみついて泳いだり乗っかったりして遊ぶことだろう。

 しかし、あいにくこの教室でビニールプールを広げて水遊びするわけにもいかないし、学校設備のプールも水泳部が練習中なので使えない。

 というか、不特定多数の前でミッチーの身体にまたがってはしゃぐような勇気はないので、学校のプールは正直使いたくない。

 それ以前に、ちゃんとプールトイ・ミッチーは水面に浮くのだろうか?

 両脚を拘束された状態で水の中に入ること自体危険ではないかという懸念もある。


 ……その旨をチョメが告げると、唇に咥えたミッチーの空気弁からフシュウ……と空気が抜けるような音がして、その分凹んで下がった眉尻に、露骨に残念そうな表情が浮かんだ。

 そんなにプールで遊んでほしかったのか……。でもそれなら事前にちゃんと打ち合わせてくれないとチョメとしても困る。


 ミッチーは明らかに機嫌を損ねている。

 普段、ロールプレイでモノ扱いする一環としてのスキンシップについては彼女は結構喜んでくれるのだが、とりあえず今日みたいにテンションがダダ下がりしている場合は下手に刺激しない方が良い。

 程よいモノ扱い程度に留めてやり過ごすのが得策だろう。



 モノ扱いという点で言えば、目につくのは空白のままになっている名札である。

 すぐそばの机の上には、この水着の胸元についている名札が入っていたセロハン・パッケージと、その横にこれ見よがしに極太黒マジックペンが置いてある。

 ……このマジックで空白のままの名札に『私の名前を書いてネ!』ということなのか?

 チョメの視界の隅、ミッチーがクイクイと身を捩って胸を張りながら、ウインクで目配せしてきたように見えた。


 ……チョメは少し考えて、机の上のパッケージの中にまだ残っていた名札を一枚取り出し、真っ平らな机の上に敷いて、極太黒マジックペンで『ミッチー』という名前をキュッキュと書いてやってから、ビニールテープでもってプールトイ・ミッチーの胸元の名札の上に重ねてペタペタムニュッと貼りつけてやった。


 …………プールトイ・ミッチーは目を細めて、いよいよ不機嫌そうな態度を強める。


 いや、さすがに勘弁してほしいよ……とチョメスケは内心嘆く。

 経験上、こういう水着についている中途半端な強度のカップの上の名札に直接名前を書こうとしても、設置面がフニフニとのたくって書きづらいったらないのだ。ちなみに、ちゃんとしたパッドの付いている下着の上からならまだマシなのだが、それはあくまで“比較的マシ”という話に過ぎず、結局書きづらいことには変わりない。なんなの、この日常生活では一切役に立たない知識は……。

 ちゃんと文字が書けなかったら怒られるし、変なところに筆先が当たっても怒られるし、なんなら心当たりがなくても怒られる時がある。

 触らぬ神に祟りなし。まぁ触らなかったことで逆に怒られる恐れもなきにしもあらずだが、とりあえずアドリブに迷ったら無難な策を取っておくに限る。



 チョメが積極策を取ってこないことに業を煮やしたようで、今度はミッチーからアクションを起こしてきた。

「フシュウウゥ…………」

 そんな大きな溜め息みたいな吐息を漏らしたかと思うと、ミッチーはへなへなっ……とその場にしゃがんでへたり込む。

 どうしたのかと思ってチョメが見ると、何かの拍子でミッチーが咥えている空気弁のバルブの蓋が完全に外れてしまったようで、体内の空気が抜けてしまったらしい。


 ラテックス生地に覆われた人魚みたいな脚を折り曲げて正座みたいにしゃがみ込んだミッチーが、上目遣いで物欲しげにチョメスケの方を見つめてくる。

 空気弁に息を吹き入れて、膨らませ直してほしい、ということらしい。



 ……数瞬、二人の間に沈黙が流れる。

 しかし、やがてチョメスケも諦めて、自らも片膝立ちになって、仰向け気味に身を反らせたミッチーの背を、腕と片膝で恭しく抱え支える。

 回した腕に触れた彼女の素肌、柔らかい肩から体温が直に伝わってくる。あと、オイルのせいで若干ヌルヌルしている。

 彼女の顔を見ると、覚悟を決めたように目を瞑っている。空気が抜けるとプールトイも瞼を閉じるのだな。


 …………一つ溜め息を吐くと、チョメスケも観念したように、自分の顔を彼女の顔に……唇を唇に近づけていった。

 なるべく、バルブの先っちょだけで事を済ませられるように、慎重にゆっくりと………………。



 ──と、その時だった。

 ガラガラガラッ!と部屋の扉が大きな音を立て、開かれた。


「うおっ!?」

「……グエッ!!?」


 その音に肝が潰れるほど驚いたチョメスケは、反射的にプールトイ・ミッチーを支えていた両腕と膝を引っ込めて扉の前から後ずさった。

 あわれ、目を閉じたまま急に放り出される形となったミッチーは、両脚を縛った状態なので上手く体勢を整えることも難しく、床にビターンとつんのめる。


 何事かと思ってチョメスケが見やると、ノックもせずにこの部屋の扉を開けたのは、この学校の生徒会長だった。なんか、目が据わってて怖い……。

 チョメからすると、会長が集会などで前に立って話をするところは何度となく見たことがあるので、彼女のことは一方的に知っている。いつも凛としていて、曲がったことが大嫌いな人なんだろうな、という印象を勝手に持っている。ただ、彼女とは直接話をしたことも同じクラスになったこともなく、またチョメスケ自身は校内では地味で目立たないタイプでましてや有名人などではないので、まさか会長が自分のことを認知しているとはゆめにも思っていなかった。

 ところが、会長は扉から入ってきて部屋全体を見回すや否や、面識があってある程度仲が良いはずのミッチーのことは全く気にも留めず、険しい表情を崩さないまま、チョメスケの方へ真っ直ぐ迫ってくる。

 えっ、ぼ、僕……?!


 やがてチョメの目の前で彼女は立ち止まり、二人は2mほどの間合いを挟んで相対する。

 そして、敵意を剥き出しにしたような口調で、会長はこう言い放った。


「ミッチーさんを解放しなさい! この変態野郎!!」


 突然罵声を浴びせられて、チョメは困惑する。

 いまだ床から起き上がれずに見上げる格好となっているミッチーも、唖然とした様子で会長の背中を凝視している。その唇に挟まっていた空気弁がポロンとこぼれ落ちる。



 押し入ってくる会長の姿を目にした時、チョメの頭を過ぎったのは『とうとうガサ入れが入ったか……』という考えだった。

 状態変化同好会は学校の公認のもと活動している団体である。毎期首にはきちんと予算案と活動方針を生徒会の窓口に提出して承認を得ているし、四半期ごとにきちんと『こういう活動をしました』という報告書も上げている。

 ……のだが、ここだけの話、その活動の全貌を包み隠さず学校側に報告しているというわけではない。

 理由は単純で、たまにロールプレイの内容の中に『これ、公序良俗的にどう考えてもアウトだろ……』というものが混じっているからだ。ほぼほぼミッチーの嗜好のせいである。このようなセンシティブ情報が外部に漏れたら最後、同好会ごと吹っ飛んでしまうのは目に見えているので、毎回報告書を作る時にはその辺はうまいことボカしつついかにも『学術的探究を頑張ってます』感が出るようにそれっぽい内容を長々と書き連ねて紙幅を稼いで且つ熟読する気が失せるように工夫してきたつもりだ。

 しかし、インチキはいずれバレるというのが世の常である。

 特に、ミッチー本人には状態変化のことを思い浮かべた途端にオツムがゆるゆるになるという悪癖があるので、いつかはボロを出すのではないかとチョメも薄々覚悟はしていた。

 まさか、文面による警告などを通り越して、生徒会長が直接乗り込んでくるとは思ってもみなかったけれども……。



 ……そんな思索を巡らせていたチョメスケだったが、しかしそれにしては会長の言動がおかしい。

 変態呼ばわりはともかく、ミッチーを解放しろとな……?


「え、えっと、会長、一旦落ち着きましょう? ミッチーがどうかしたんですが?」


 会長と目を合わせて対話の姿勢を示しつつ、その背後、ミッチーの方へと露骨にチラチラと目配せして『直接彼女と話した方が早いんじゃないですか?』とも促すが、会長は意に介さずチョメを睨みつけたままである。


「しらばっくれても無駄ですわ! ちゃんと分かってるんだから!

 あなたがミッチーさんをこの同好会に縛り付けているんでしょう。催眠術か何かを使って!」

「……はい?」


 いよいよ意味が分からず、チョメは閉口する。それを手応えと受け取ったのか、会長は畳み掛ける。


「ほら、前にあなたが上げてきた報告書にも書いてあるじゃない。催眠アプリを使ったって! 証拠を自ら提出してくるなんて、墓穴を掘ったわね!

 ミッチーさんが入会したのもちょうどこの頃でしょう? 催眠術をかけられたミッチーさんは、自分の意思に反して入りたくもない同好会に参加させられた挙句、おかしな格好をいくつもさせられてきたんだわ! そうに違いない!」


 会長は抱えていた報告書のアーカイブをチョメに突きつけながら、胸ポケットに挿していたボールペンで該当箇所にものすごい筆圧でグリグリと波線を引いていく。鬼の首を取ったかのような騒ぎようだ。

「………………」

 何と言い返したものか、チョメスケはすっかり黙り込む。

 とりあえず、ガサ入れの事由はミッチーがおセンシティブなお漏らしをしたことではなさそうだった。しかし代わりに、事実無根の誤解をされているみたいである。



「ちょっ、ちょっと! 会長、落ち着いて!

 何かすんごい勘違いしてるよ!?」


 床に倒れてしばし唖然としていたミッチーだったが、まもなく会長の様子がおかしいことに気づいて、衣装のせいで動きづらい中なんとか立ち上がり、チョメに飛び掛かろうかという勢いの会長を抑えようとする。

 背後から両肩を掴まれた会長はギョッとして振り向く。


「キャッ!? ラブドールがひとりでに動いたわ?!」

「ガーン!! ラ、ラブドール?!!」


 突然友達にラブドール呼ばわりされたミッチーは、あからさまにショックを受けて青筋立った表情を浮かべ、もう一度バランスを崩して床につんのめる。

 どうやら会長は、この部屋の床に倒れ込んだプールトイに扮したミッチーを、今のいままで本物の空気人形だと思い込んでいたようだった。

 ひとりで動くはずのない人形が勝手に動き出して自分に襲い掛かってきた……会長の視点からはそう捉えられたらしい。


 チョメスケはもう呆れるしかなかった。しかも、よりによってラブドールって……。


「こんないやらしいものがその辺の床に転がってるなんて、ホント穢らわしい!

 なんて穢らわしいところなの…………えっ!? よく見ると、これ、ミッチーさん?! あなた、なんでこんなところにそんな格好で……?!」


 嫌悪感を示しながら人形の手を払い除けた会長だったが、まもなくその人形が本物のミッチーだったと気づいて狼狽する。

 信じられないものを見たという表情で、その場に突っ立ったまま固まっている。

 あ、ガチで本物だと思ってたんだ……とチョメスケは思う。

 もしかして、ミッチーの変身って、僕が慣れきってしまってるだけで実は人の目を欺けるぐらいハイクオリティなのか……? それとも、会長がものすごくアホなだけなのか……?

 チョメスケはだんだん自分の感性に自信がなくなってくる。


「あの、会長……なんか誤解されてるみたいなので一応説明しておきますけど……。僕、ミッチーに催眠術をかけたり、何かを強制したりしてませんよ?

 この同好会に入ったのも、報告書の写真にあるような格好をしたのも、今のこの姿に扮してるのも、全てミッチー自身の意思によるものなんですけど……」

「自分の意思?」


 チョメスケの説明を聞いても、会長の顔から疑念の色は消えない。


「でも、報告書にはこの通り、ちゃんと『催眠アプリで強制変身させた』って書かれているわ! 今更それを覆そうとでも?」

「うーん……」


 苦笑を浮かべつつ、チョメスケはなるべく当たり障りないように言を繋ぐ。


「えーと、その……催眠アプリっていうものは、実在しない、んですよ……」

「実在しない? 実在しないものを、報告してきたと?! 虚偽報告……!」

「いえ、そうではなくてですね。ロールプレイを……『強制変身アプリが実在するという世界観で、同級生を強制変身させてみた』っていう設定のごっこ遊びをしました、っていう報告を上げただけでして……なので、あの内容自体はただのフィクション、です」

「…………全然意味が分かりませんわ。なんでそんなことをする必要がありますの?」

「なんで、と言われますと……それはそういう同好会だから、としか言えないんですが……」


 同好会の代表者として会長のヒアリングに応えているうちに、チョメスケはだんだん自分の方が恥ずかしくなってきた。

 今からでも、僕の方がミッチーに催眠術かけられて同好会に入れさせられた、ってことにできないかな……。



「……そう言われても、やっぱり信じられませんわ! あのミッチーさんが、自ら進んでこんな格好をするなんて。誰かに無理やり着させられてるというならともかく! 私の知っているミッチーさんとはまるで別人ですもの!」

「…………」


 ここまで説明してなお、会長は納得がいっていないようだった。

 チョメは徒労感で膝から崩れ落ちたくなる。

 ていうかあんた、ミッチーとはそこまで深い付き合いではないでしょ……。なんでちょっと仲良いだけで、自分の中のイメージ一つでそんなにヒートアップできちゃうの……。もしかしてガチ恋勢なの……?


「だって、ミッチーさんみたいな真面目でお淑やかな良い子が、こんな破廉恥でスケベったらしい格好に、自分から好きこのんでなるとは思えないわ!

 水着にしては生地が無駄にテカテカし過ぎですし、身体に密着しすぎてて泳ぎにくそうですし、長手袋も脚のこのよく分からない拘束具みたいなのも表面に柔肌の質感が浮き立ちすぎてて素肌の面積が減っているはずなのに逆にいやらしいですし、こんな実用性のかけらもない、まるで扇情目的のためだけに作られたような衣装をミッチーさん自身が嬉々として着込むところなんて想像できませんわ!

 しかも、それをあなたみたいな煩悩が服着て歩いてるような血気盛んな年頃の男に自分から見せつけてるなんて、まさかそんな成人向け漫画に出てくる痴女みたいな真似をあのミッチーさんがする訳あるまいし!」

「めっちゃ言うやん」


 視線はチョメに向けたままミッチーの方を指差して息する間も無く語り続ける会長を眺めているうち、チョメはなんか逆に可笑しくなってきた。

 会長の肩越し、もう一度立ち上がったものの声を掛けるタイミングを完全に失ってしまってモジモジしているミッチーの様子を横目でチラと盗み見る。

 破廉恥でスケベったらしい……だそうですよ? ミッチーさん?

 会長のレビューを聞いているうちにだんだんその顔が朱色に染まっていってるのが分かる。

 会長、うしろうしろ! すっごい効いてますよ! ミッチー的には満更でもなさそうですよ! 良かったですね!



「ていうか……会長って、まだ成人してないのに、成人向け漫画読んだことあるんですね。そんなに語れるってことは」

「……っ!」


 会長がこんなに面白い人だとは知らなかったので、チョメスケの口から思わず素朴な感想がこぼれる。

 それを耳にした会長はこめかみをピクと震わせて、ミッチーを追い越す勢いで真っ赤になっていく。


「いえ、ワタクシが申し上げたのは、あくまでイメージ! “成人向け漫画ってこんな感じだよね”という世間一般的なイメージをもとに話しただけですので!」

「イメージだけで語った割には、随分内容が具体的でしたけど? ……まるで熟読したことがあるみたいに」

「……っ!!」


 会長は図星をつかれたというような表情を隠せずにいるが、ここで引いたら言い負けると思ったのだろう、今度は開き直り始めた。


「…………あーはいはい! そうですよ、ワタクシは確かに成人向け漫画に“目を通した”ことならありますわ!

 でもそれは、風紀委員が持ち物検査で生徒から没収してきた品を“点検”したというだけのことです! 検査が正当に行われているか、最高責任者であるワタクシがチェックしないといけませんから!

 本当は嫌なんですけれども!仕方なく!全部隅から隅まで!自ら目を通して確認してるんですの!! それで何か文句ありまして?!!」

「……はあ、さいですか」


 なんかものすごい勢いで言い訳し始めた会長に対して、チョメスケは面倒臭くなって適当に返事する。さてはこの人、ムッツリスケベだな……?


 チョメの気の抜けた態度に糸口を見出せず、会長は今度はミッチーの方に諭しかけようと試みる。


「ミッチーさん……目を覚ましてください。早くここを抜け出しましょう。

 きっと、自分では気づいていないだけで、本当はこの野郎に騙されているんだわ……。

 ここへ来る前にこの同好会の報告書には改めて目を通しましたが、あなたのような聡明な女の子が、こんなおかしな茶番劇を繰り広げているだなんて信じられませんもの!」

「いや、会長……チョメスケ君はそういう人じゃないし、それに私、そんな立派なものじゃ……」

「ワタクシの知っているミッチーさんは、ここまで奇天烈なことはしませんわ!

 球体化するときに胸の膨らみが邪魔になって悔しさのあまりバルンバルン飛び跳ねたり、バニーガールになって日本刀を振り回したりしてるところなんて読んでて頭痛がしましたわ。

 反物化とか、家化とか、内容が全く支離滅裂でしたし、特にドラゴン化の描写を厚化粧だけでゴリ押そうとするところとか……」


 どうやら会長は本当に報告書全てを熟読してきたらしかった。

 会長が続々繰り出す自分が演じたロールプレイへのツッコミに、ミッチーは真っ赤に染まった顔を俯かせて「あぅ……あぅ……」と悶絶するしかなかった。

 チョメスケの心境としては、さすがにミッチーのことが可哀想に思えてきたという気持ち半分、たまにはこうして自分が矢面に立たされるのも良い薬だろうと思う気持ち半分である。



 そんな調子でミッチーが嬲られているのを眺めつつ、すっかり状態変化レビュワーモードに入ってしまった会長にどうやって帰ってもらおうかと、チョメスケが途方に暮れていた、ちょうどその時だった。

 部屋の扉が再びガラガラ……と開き、新たな来訪者が現れた。その男子生徒は、この学校の生徒会副会長だった。

 この期に及んで新手が増えた……とチョメはうんざりする。厄介ごとはもう勘弁してくれ……。


 しかし、慌てたような様子の副会長は、チョメやミッチーには目もくれなかった。

 入ってくるなり、『ここはすごくエチエチだった。ここの描写は何が言いたいのかよく分からなかった……』とノンストップで感想をミッチーに伝え続けている会長を見つけると、羽交い締めに捕まえて、急いで部屋の外へ引っ張り出していった。


「会長、またご乱心を!? 独断専行で突っ走るのはやめてくださいっていつも言ってるじゃないですか!!

 ……皆さん、本当、ご迷惑おかけしてすみません! ウチの会長はこの通り思い込みが激しいもんで、私が油断して目を離した隙に、こんな感じになることがたまにあるんです!」


 後ろからほとんど恥ずかし固めみたいな形で抱き抱えられ、副会長の腕の中でもがきながら会長は部屋の外に運び出されていった。「離しなさい副会長!『ギャル化した時のキャラがフワフワし過ぎてる問題』についての話がまだ終わっておりませんわ!」などと喚く声がだんだん遠ざかっていく。



 結局、あの人は何しに来たんだ……?

 チョメスケは嵐が過ぎたあとみたいな気分である。



 ふと横を見ると、空気弁をおしゃぶりみたいに咥え直したミッチーが、ピンと腕を伸ばした気をつけの姿勢でプールトイに扮し直し「…………っ♡ …………っ♡」と目を閉じて悶えていた。

 自分の表現に対して第三者から初めて良いこと悪いこと引っくるめて直接感想を伝えられたことへのむず痒さ、嬉し恥ずかしの感情に、プールトイの姿というガワに閉じこもり浸っている様子だった。

 こういう何とも言い表し難い気分を味わえるのは、ある意味発信者側の特権だと言える。


 …………今日はこのまま余韻に浸らせてあげるのが良さそうだな、と思うチョメスケだった。

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