5 ピメント=ヴァン=タカメッツという男(2)
◇ ◇◇◇ ◇
「ゴホゴホゴホッ! ゴホゴホッ! ゼー ゴブッ! ヒュー、ハー」
「おっさん、だいじょーぶ?」
朦朧とする意識の中で兄パーニシュのことを思い出していたら、突然新鮮な空気が肺に入ってきて、ピメントは思い切り咽た。咽ながらも、何度も何度も呼吸を繰り返す。
まだ死んでいないのだから、呼吸を止められていたのは、きっとそれほど長くないはずだ。なのに数十年分を思い出すなんて、あれが走馬灯か。やはり自分は死の一歩手前まで逝ったのだろう。
「おっさん落ち着いた?」
人が死の恐怖に背筋を震わせ、未だ呼吸が落ち着かない状態だというのに、首に脚を巻き付けている少年は、頭の上から能天気な声で問いかけてくる。
ピメントが散々暴れ、今も床に膝をついて前傾姿勢だというのに、それでも落ちないこの少年の脚力はどうなっているのか。それともバランス感覚の問題なのか。
「おっごほっ、ごほごほっ、ふーふー、はー、おっさんではない! 私はピメント=ヴァン=タカメッツ、伯爵家当主だぞ!」
「そうそう、まずは自己紹介からだよね? 僕、何も知らされずここに連れてこられたんだよ。
あなたにはまず、タカメッツ家現当主として、自分が何者であり、僕が何者であるか、過去に何が起こり、今回何を確認して僕をタカメッツ家に迎え入れることにしたのか、全て説明する責任がありますよね?」
なんとか息を落ち着けて威厳をかき集めて言い返してやればこの物言い。
しかも、能天気だった声が、途中から酷く冷たい威圧的なものにがらりと変わった。丁寧な口調がひたすらに怖い。6歳の孤児が出す声音ではない。
孤児だった少年が知るはずのない、その生まれも、パーニシュ一家を襲った悲劇も、全て分かった上で言っているのではないかという含みまである。
(ああ。ああ、やはり怪物なのだ。怪物の子は怪物なのだ)
胸の奥からこみ上げる感慨に、ピメントはもはや懐かしささえ感じる。
怪物は怖い。畏怖すべきものだ。でも、あの怪物には、ずっと生きていてほしかったのだ。突然死んでなんか欲しくなかった。
この怪物には、初対面から死の恐怖を植え付けられたから、今はもう畏怖ばかりだが。
それでも。首に巻きつく脚には、確かに兄の血が流れている。その温かさに、やはり嬉しさも感じるのだ。
「ピメント殿?」
冷えきった声とともに喉元をグッと軽く絞められると、途端に恐怖が蘇る。嬉しさなんてどこかへ飛んでいった。あっという間の短い命だった。
この怪物はどうにも容赦がない。
「ゴホゴホゴホッ ゼー ゴハッ ゼーハー
分かった。分かったから…」
とっくに観念しているピメントは、トーガシュを肩の上に乗せたまま、もう洗いざらいぶちまけることにした。貴族としての威厳なんてもう投げ捨ててやるしかない。
ピメントが初手を誤ったのは分かった。窒息とともによく思い知った。
でも、ピメントなりに考えた結果だったのだ。
まずは長い言い訳をさせてほしい。
事の始まりは10日ほど前の深夜。門番からの知らせだった。
叩き起こされたピメントが聞かされたのは、門の前にいつの間にか痩せこけた少年が捨て置かれていたこと、その少年の胸元に分かりやすく魔道具のピアスが置かれていたこと、ピアスの紋章がタカメッツ家のもののようであること。
慌てて少年を運び入れるよう指示し、いざ見に行けば、報告通りの薄汚れてみすぼらしい様の少年が意識を失い、高熱に喘いでいた。
褪せて荒れ放題ではあったものの、髪は確かに赤色だし、意識のない目を無理矢理開けてみれば、瞳は紫に見える。そしてピアスのない耳。
置かれていたというピアスの裏には、見慣れた紋章。紛れもなく当家のもの。しかも、当時、兄が嬉しげに語っていた通りの、母である元王女の髪色のカッパーゴールドに、パーニシュの瞳の色である真紅の宝玉が嵌められたピアスだった。
本当に兄の子なのか、なぜ、どうやって生きていたのか、とピメントは呆然とするも、やはり周囲は勝手に動いていく。
侍女長は、信頼の置ける限られたメイドらに少年の看病に取りかかるよう指示し、父の代から仕えている敏腕の家令により、医師が速やかに招ばれ、門番はじめ関係者に念入りな箝口令も出され、さらには魔力照合の手配もされた。
そこでハッと我に返ったピメントは、思わず家令を問い詰めた。お前は、トーガシュが生きていると知っていたのか、と。何故こんなにもすんなりとこの少年を受け入れているのか、と。
「知っていた訳ないじゃありませんか! 知っていたなら…パーニシュ様のお坊ちゃまがご存命だと知っていたなら! この命に換えてもお探ししお助け申しました!
…私どもは、今なすべきことをしようとしているだけです」
「そ、そうか。悪かった。あまりにも予想外で私は何も考えられなくて…いや、悪いことを言った」
「いえ、旦那様のお気持ちもごもっともです。
ただ…旦那様、ピメント様。私はあの日から、希望とも懇願ともつかぬ想いを抱いていたのです」
「な、何だ?」
いつも泰然としている家令の常にない様子に、ピメントはごくりと喉を鳴らした。
「魔力判別システムです、旦那様。パーニシュ様が開発されたあのシステムです」
「魔力判別システム?」
パーニシュの遺体の照合にも使われたこのシステムは、生前に魔力を登録しておけば、その魔力を解析することで個人の識別や、血縁関係の有無の判定も行うことができるというものだ。今回、トーガシュがパーニシュの子であるということも、このシステムにより判定された。
家令が言うには、このために、すなわち、トーガシュの身元を判別させるために、パーニシュは魔力判別システムを開発したのではないか。もちろん、表向きの開発理由は違うが、トーガシュをどうにか生き延びさせた後、きちんと保護させるためにこのシステムが不可欠であることは疑いようもないのであるから、もしかしたら、と。
家令は、パーニシュ一家襲撃事件について、ずっと大きな疑問を感じていたのだ。何故、あの傑物たるパーニシュが呆気なく殺されたのか。
そして、何故、赤子の遺体に魔力判別システムが反応しなかったのか。
当時は、生後間もないために反応しなかったのだと簡単に片付けられた。システムについて最も詳しいパーニシュが亡くなってしまったこともあり、それ以上の議論は全くなされなかったのだ。
しかし、家令は、誰にも告げたことはなかったが、赤子がトーガシュではない可能性を夢想せずにいられなかったのだ、と告白した。だから、今日この事態を前にしても、まるで夢が現実化したようにきびきびと動けている自分がいるのだ、と。
その上で、もしパーニシュがこの事態を予見していたのであれば、何か複雑な事情があるのかもしれない。だから慎重に慎重を重ねて対処せねば、と。
そんな進言を聞かされたピメントは、もう大混乱だった。こんなシリアスなミステリー、平凡な次男坊の手には余りまくる。
外れるはずのないピアスが外れたのも、亡きパーニシュの差し金なのか。
そもそも、誰が、何故、トーガシュをタカメッツ家の門前に置いたのか。
襲撃事件との関連はあるのか。
疑問ばかりが浮かぶが、どれ一つとってもヒントすら分からない。
当然、調査もさせたが、これまでトーガシュがタカメッツ家の領地内の孤児院にいたことしか分からなかった。ずっと近くにいたのかとびっくりした。
時間ばかりが過ぎゆく中、トーガシュが回復しつつあり、ピアスも無事に装着されたとの報告を受けた。
ピメント自身が何も分かっていないのだから、何か聞かれても何も答えるなと、使用人らにはとりあえずの指示を出した。
治療と同時に、魔力判別システムを用いた魔力照合も行った。念を入れ過ぎて、生前登録されたパーニシュとその妻、それからピメントの魔力とも3回ずつ照合させたため、時間がかかった。結果は先述の通りだ。
家令にも尻を叩かれたピメントは、今日ようやくトーガシュと話す覚悟を決めた。
何をどう話せばいいのか。これまで、想定外の事態のときは、いつだって頼りになる兄が指示をくれたのに。でも、今はピメントが自分で、この少年をどう扱うか決めねばならない。
とにかく、タカメッツ家でトーガシュを保護するのは決定事項だ。もしかしたら、トーガシュを狙う者がまだいるのかもしれない。
確実に保護するためにも、必ず自分の言うことを聞くように言い聞かせねばならない。
しかし、何故トーガシュが生きていたのか、誰がどうやってタカメッツ家に連れて来たのかなど、ピメントには全く説明できない。
それに、あの兄の子とどう向き合えというのか。教え諭され導かれてばかりだった兄の面影がちらつくと、どうにも落ち着かない気分になる。
などとつらつらつらつら考え、どうにもならなくなったピメントは、分かりやすく最初にどやしつけて言うことを聞かせることにした。
わざとしばらく無視して、大声で貶めるようなことを言えば、孤児として育った哀れな子どもは、もはや自分に逆らおうなどとはしないだろう。哀れな生い立ちの甥を思えば心が痛いが、それが彼の身を守ることに繋がるのだ。
……と、そうなるはずだった。結果はご存知の通り、ピメントが死にかけただけだった。
まさか一言目から反抗されると思わなかった。あまりにも予想外で、酷く動揺し、簡単に煽られ、激昂してしまった。
所詮、平凡な次男坊なのだ。想定外のことに対応できると思う方が間違っている。
◇◇◇ ◇ ◇◇
という長い長い言い訳と、トーガシュの生い立ちや一家を襲った悲劇などを、ピメントは、ぽつぽつぐちぐちと思うがままに述べた。怪物相手に恥もへったくれもない。
肩にはトーガシュを乗せたまま。明日は腰痛が酷いだろう。
話は行ったり来たりしたし、とても分かりづらかっただろうが、トーガシュは一度も遮らず、質問もしなかった。多分、事前にほとんどの情報を知っていたのだろう。何故かは知らないし、知りたくもない。凡人の手には余るのだ。
ピメントが一通り話したいだけ話し終えると、トーガシュは、やはり音もなくピメントの前に降り立った。どうやっているんだ、それ。
膝をついたままのピメントの顔を、紫の澄んだ瞳が覗きこむ。あどけない少年の顔が、見れば見るほど、兄の面影と重なってしまう。目から熱いものが流れないように必死で眉間に力を入れなくてはならない。
そんなこちらの努力をまるでいなすように、兄と同じ赤髪の少年は軽やかに宣った。
「それは、愛ですね」
……意味が分からない。
それとは何だ。どこに愛が関係した。そんな単語、一度も言ってないぞ。むしろ一貫してサスペンスだろ、ロマンスの欠片もないぞ。怪物には今の話が愛の話に聞こえたのか。ああそうか、怪物から怪物への愛ということか、それなら凡人の私には分かりようもないから同意を求めるな。
と、つらつら愚痴が出てきそうになったが、ぐっと口を引き結んだ後、ピメントは、さも大事そうに一言返した。
「ああ、愛だな」
一応、甥の気持ちに寄り添う姿勢を示してやったのだ。
もちろん、凡人にこの甥を理解できるはずがないことはよく分かっている。
だって、甥も怪物なのだから。




