1 強く生きよ
こちらでは初投稿です。
お読みいただきありがとうございます。
街外れの孤児院に住むトーガシュの朝は早い。
今日も、街の一番鶏が鳴くきっかり5分前にパッと意識が浮上した。
……お年寄りって朝が早いよね! というやつではない。トーガシュはぴちぴちの推定6歳の男児。単に早起きが習慣づいているだけである。早起きというには早すぎるのだが。
覚醒してもすぐには目を開けない。周囲の様子を探り、自分の身体の上にまで乗り上げている他の子どもらを起こさないようにゆっくり起き上がる。
トーガシュは寝返りも打たず、直立不動をそのまま床に倒したかのような姿勢で寝ているのに、毎日必ず誰かの抱き枕にされ、誰かの夢の中での寝技の練習相手にされる。なかなかに寝苦しいから本当は心底やめてほしいと思っている。無理だから言わないけれど。六歳児にしては驚くほど冷静で我慢できる人間、それがトーガシュだ。
今はかろうじて深夜と言ってもいいくらいの時間帯だから、雑魚寝している他の孤児たちは当然夢の中。夜泣きしている赤子がいる場合は、トーガシュが世話をしてやり、寝かしつける。
皆が眠っているのを確認すると、改めて壁際の自分の寝床に足を揃えて立つ…のだが、今朝は周りの子どもたちに侵食されすぎていて右足は爪先立ちだ。まあいい。
気を取り直して、入口の扉までのルートを確認し、息を整えてから音を立てずに跳び上がる。
息をするように軽々と、側転にバク転、宙返りを繰り返して進む。地面に着いていいのは手か足の指のみ。トーガシュが己に定めたルールだ。
……起きて早々身体を動かしたくてうずうずしちゃうお年頃だぜ! というテンションではない。そもそも、この薄汚れた孤児院に元気が有り余る子供など存在しない。なんとか飢えは凌げるが、昼間の労働で疲れ切った身体は、陽が沈めば途端に力を失う。そんな環境で、トーガシュは毎朝、至って冷静に、ひたすら空中で回転しまくっている。
孤児の人数に比して室内は狭く、寝相の悪い子どもたちは折り重なるように眠り、そしてよく動く。夜明け前の暗闇を、トーガシュは子どもたちの隙間を縫って、子どもたちの寝相を見極めながら、音を立てずに進んでゆく。
(ラリーの髪の上に手をついてしまったな…起きなかったからよかったけど。
ルンがカノイを蹴飛ばしてカノイの腕がラリーの頭にぶつかったわけだから、ルンの動きを見落としてしまったのが敗因か。やはりまだ視野が狭いな)
自分の動きを確認し、原因分析するまでがルーティンだ。一体お前は何を目指しているんだ? とトーガシュに聞く奴はいない。誰にも見つからずにやり遂げるというのもトーガシュのマイルールだからだ。
廊下に出たら、次のミッション。
周囲に人の気配が無いことを確認しながら院長室まで移動し、耳のピアスに巻き付けている針金で扉を開錠。首尾よく忍び込んだら、隠し棚の金庫の帳簿をチェックし、金貨1枚を取り出す。どうやら昨日、大口の寄付があったようだ。室内を見渡すと、子ども向けの絵本や衣類が乱雑に積まれていた。おそらく今日、意地汚い大人らにより換金されるのだろう。今のうちに、とばかりに絵本類を流し読みする。知識を得る機会は逃せない。
一通りやりたいことを終えて再び廊下に出ると、跳び上がり、梁や壁を伝いながら廊下を進み、とうとう建物を抜け出して裏庭に着地する。
ここまで床に触れないというのも勿論、トーガシュが己に定めたルール。ここの床も当然、歩くために存在している。朝一番のトーガシュが歩いてくれないだけだ。
(このルートはだいぶ慣れてしまったな。手応えが無い。そろそろ新しいルートを開拓するか……)
……と、ぼんやり考えて、ふと首を傾げた。何故、自分は移動方法に手応えを求めているのだろう? と、今朝ようやく、トーガシュは己に問いかけた。トーガシュのマイルールに疑問を投げかけた初めての人間は、トーガシュだった。
初めての疑問に戸惑いつつも、次の行動に移る。どんなイレギュラーにも屈せず、ミッションをこなす。トーガシュにとってそれは信念にも近いルールだった。
未だ暗い裏庭の隅、古い石塀が崩れかかっているその隙間から、一塊の石を取り出す。周囲の石塀と同じ石に見えるそれは、実は中が空洞で箱になっている。その中に、院長室の隠し金庫からくすねてきた金貨をしまいこみ、またそっと瓦礫の中に戻す。この石の箱もだいぶ貯まってきた。そろそろ4個目の石の箱もとい貯金箱を作らねばなるまい、とトーガシュは満足げに頷く。見える成果はやはりやる気につながる。
その後、己に定めた訓練を一通り行う。窓枠に指を掛けて懸垂をしたり、鉄格子の門扉に腕や肩の関節を外して出し入れしてみたり、塀の同じ場所に連続して石投げしたり、枝をナイフに見立てて仮想敵と戦ってみたり、などなど。魔法の訓練として水や石などを延々作るのも忘れない。
訓練が終わる頃、ようやく孤児院で飼っている鶏も声を上げ始め、空も白んでくる。
トーガシュは、裏庭の井戸で軽く汗を流し、鶏たちの世話をしがてら卵を集め、厨房に運ぶ。トーガシュは働き者でもある。
井戸から水汲みをしていると、早起きの子どもたちが起きだし、手伝ってくれる。孤児院のいつもの朝が始まるのだ。
「トーガシュ、毎朝早起きだね!」
「またトーやんが一番かよ」
「今朝は絶対私が一番乗りだと思ったのに」
子どもたちに次々と声を掛けられ、曖昧に微笑む。
『何故、他の人間に毎朝の訓練を知られてはいけないと思うのだろうか』
『何故、僕は物心ついた時分から秘密の訓練を続けているのだろうか』
これまでぼんやりと感じていた違和感が、今日は何故か、明確な疑問となって頭に浮かんだ。
しかし、自問してみても、答えは出ない。
(でも、己に定めたルーティンを一つずつこなしていくことが、とてもしっくりくるんだよなあ)
即答できない問題はすぐに棚上げする人間、それがトーガシュだ。頭を振り、いつもの朝を送るべく気持ちを切り替えた。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇
その日の午後は、街のパン屋で配達のお使いをした。
配達を終え、パン屋に戻ると、長い間待たされた後、店主に「早く出ていけ汚らしい」と罵られながら小銭を投げつけられた。
トーガシュは何も言わず、小銭を拾って店を出る。いつものことだ。
「強く生きろよ少年!」
後ろから大きな声が聞こえて振り返ると、どうやら、パン屋からトーガシュに続いて出てきた体格のよい中年女性が声を掛けてきたようだった。
意味が分からず固まっていると、女性は大股で近寄ってきてトーガシュの頭をボンと叩いた。ポン、ではなく、ボンだ。勢いでたたらを踏む。
「おや? あんた、えらく揺らいでんねぇ。ちゃんと休むんだよ!」
揺らいでいる? いえあなたの頭を叩く勢いが強すぎて転びかけただけです、とは思ったものの、咄嗟に何も言えないうちに、女性はにかっと笑って大股で去って行った。ただでさえ大柄なのに、豪快な笑い方とか、肩で風を切っていく様とか、とにかく圧強めな人物だった。
しばらくフリーズした後、自分はどうやら励まされたらしいと思い至る。
ようやく歩き出しながらもうしばらく考え、パン屋の店主の心無い対応について憐れんでくれたのかもしれないと理解した。トーガシュにとっては日常の一場面でしかなかったので、なかなか理解しがたかったのだ。
ちなみに、トーガシュの感情というか情緒的なものは、少し欠落しているのか発達途上なのか、いずれにせよ乏しいと言わざるを得ない。
(そうか、ここでも孤児ってかなりの社会的弱者なんだな……でも、強く生きるって具体的にどういう意味だよ…うん? ここでも?)
物思いに耽りながらも、トーガシュの足は淀みなく孤児院へ向かう。
(今日は朝からなんか、もやもやすることが多いな。思い出せない大事なことがあるような…)
違和感に首を捻りながらも孤児院に戻ったトーガシュは、その晩、高熱を出して意識を失った。




