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2年目、7月 後編

 しばらく待って、人通りの多い一回の日の当たらない窓のそばのソファに居座って何を期待していたっていうんだ僕は、

「なにやっているんだろ、僕」

 既に午後になっているのに『今日の午後に着く予定』なんて「もう、到着しているはずなのに」以外の意味があるわけがないなんてことは少し考えればわからないことではないはずなのになぜ分からなかった。

「空の切れ端が赤いな」

 窓枠の中の空にそんな感想しか抱けない。

「やっ! ひさしぶり!」

「うわっ」

 気が抜けていたところに後ろから声をかけられて驚いてしまう。

「そんな驚かなくても……」

「いや、すまん。そうだな。ひさしぶりだな! サリヤ!」

「うん、えっと、元気ない?」

「なんで? そんなことはないけど」

 心に元気がないのは、本当は否定できないのかもしれないけど、身体は無事だからそういうことにした。

「そうだ。お前の姉と……兄に会ったぞ。兄はなんか怪我をして治療のために髪を剃ってたけど、結構元気そうだった」

「そっか、姉っていうのは……アズハちゃん? バドリちゃん?」

「バドリ! バドリって名乗っていたよ」

「そっか、流石にそうだよね。よく考えたらさっきまで私と一緒に居たからアズハちゃんじゃないことは聞くまでもなかったわ」

「そうか…………お前の兄さん、大丈夫なのか?」

「詳しいことは私には分からなかったけど、信頼できる人が今は大丈夫だが、いつどうなるかわからないって」

「そうか、……」

「ちょっと、一緒に街に出ていかない?」

「え?」


 ◆


 作業はすべて終わったようじゃないが、いくつかは作業を中断して麻布で作業中の戦いの傷跡を覆う。

 ただ歩いているだけの麦畑が広い。

 城下町の街のすぐ横に農村がある奇妙な位置関係であることに、フェルメイアと歩いていた時の僕は余裕が無くて気付けなかった。

「城のすぐそばに麦畑があるんだな」

「そうだね。ルッツスター領では農地が珍しいからね」

「……そうなの?」

「えぇ、この辺は山岳地帯だらけで農地にできる土地が少ないからこの土地では農地が特別な価値を持っていて、要塞を農地の側に建てるようになって領主の城下町の側に農地として広い土地があるってことになったのね」

「そう、か。麦畑がこの土地では一番価値があるってことか」

 黄金の風が吹き抜けて揺れる穂の波に、赤くなりつつある空の美しさに、余計に自分の曖昧さがみすぼらしく見える。

「僕は、先の戦闘で役に立てなかった」

「……そう、そんなの、誰にだってあることでしょう?」

「だが、僕は、淡緑色の騎士(ペイルライダー)を殺すチャンスがあった。なのに、肝心な時に日和って脚を引っ張ってしまった」

「それこそ誰にでもある失敗でしょう。自分が生きているだけマシと考えなきゃ」

「そうかもしれないけど、人を殺すその瞬間、迷ってしまうんだ、僕が聖騎士としてやっていくなら、こんなことで迷うべきじゃないのに」

「うーん、ならさ」

 涼しいはずなのに温かい風が吹き抜けて、小高い農道でサリヤの髪を世界が愛しているように梳いて流れる。

「投げ出してもいいんじゃないの?」

「…………できない」

「たしか、貴方はやりたくて聖騎士になろうとしているんじゃなくて、むりやり聖騎士にされたんでしょ? 本当にそうなら、義務でもなんでも、勝手に押し付けられただけじゃない」

「……俺がやらないとみんな、死ぬ。そういう状況だった。まだ解決もしていない」

「もし、みんなに死なれると貴方はどうなるの?」

「悲しい。辛い」

「あの時もそうだったね」

 サリヤの魔術で連邦南側に空間転移して戦ったときのことを思い出しているのだろうか? なのに、僕は

「届くはずの命に手が届かないことに責任なんて感じなくていいのよ? 貴方は貴方が助けたいものだけを助ける気楽な生き方でも許されていたはずよ。なんで他人の都合で責任を背負わされて、殴り返さないの? 貴方のわがままなんて、嫌がらせした相手にしたささやかなものばかりで、貴方は国に何を望んでも許されるだけの貢献だってしているのになんで自分を責めるの?」

「……できる。から」

 風のように熱いため息が吹き荒れる。

「『できるから』ねぇ。それはちょっと貴方に対してだけ不平等じゃないかしら? それに責任を背負いたくもないけど、無責任にもなりきれないって感じかしら? そんな貴方に甘える愚者に貴方が苦しむ理由が貴方にあるのかしら?」

「そんなことは……いや、そうだ。僕は……どうしたのかな」

「なにもわからないのなら、話し合うべきよ」

「……仲間にもそう言われた」

「なた少なくとも、仲間と言える相手は貴方を理解しようとしているってことでしょう? なら、次は貴方が胸を開くべくよ。人を殺したくないなら、そう言いなさい。貴方にはどれだけ生まれつき強くでも、生まれつき人殺しの適性がなかった。そういう話よ。兵士の訓練ではよくあることね」

「そう、なの? か」

「本来なら、そういう兵士は適正がどうこうで追い出されるか、出世する前に他の仕事に就くことを促されるんだけど、貴方はいきなり聖騎士だったから」

「そうか……うん、そうだ。僕は人を、あんまり殺したくない」

「そうね。それは本来いいことよ」

 しばらく黙って歩いて、城下町の方へ戻ってくる途中、サリヤが口を開く。

「全部終わったら、私は話すべき事があるの」

「…………重要なことなのか?」

 麦畑の穂先が低くなったオレンジ色の太陽を反射して淡い黄金のような輝きをバックに僕らは周囲に誰もいないあぜ道の中で抱きしめ合う。抱き合ったなかで口元を僕の胸に隠した彼女

「うん、一つ、貴方にお願いをしなくてはならない時が私には迫るかもしれない」

「一つ、一度、決断に迫られるってことか」

「でね、私がお願いをした時は……お願いがあるの」

「お願いとお願いのためのお願い……か、なんだ? なにを」

「目の前の私よりも貴方の大切な人を優先して欲しい」

「………………? そんなの当たり前だろ」

「そう、そうだね。君はそういうことを言う人なんだ」

 彼女の躊躇うような唇が優しく僕の唇に触れ合う。

「色仕掛け?」

「うん。そうよ」

「いや、違うな」

「いや、そうよ。なんで違うと思うのよ」

「僕は専門家だぞ?」

「色仕掛けの?」

「あぁ」

「……貴方も大変だったのね」

「生きるために働くなんて誰でもやっていることだ。僕が生まれた場所が娼館だったことを考えれば、生まれて殺されなかっただけで十分な苦労をかけたと思うよ」

「そうね、私も」

 彼女の背に手を回し僕は回し、貪るように口腔内を舐り、僕らはお互いの相性の良さに原始的な生物でも持っている野性の感覚を沸き立たせる。

 お互いの舌を引き、受け入れてくれる彼女の目は、悲哀ではなく驚嘆。意識の外から何かがきたような顔、僅かに微笑み、また毅然とした顔になると僕の胸に納まる。

「意外ね。私なんかに、本気になったの?」

「恋なんて感覚は初めてだ。性愛を求めて恋愛感情どうこう言い出す客のことを心の底で馬鹿にしていた事実に衝撃を受けている。これでも、初恋なんだ」

「素人童貞ってやつ?」

「素人としかやったことが無いだけだ。プロとしてじゃない、素人としての本気が初めてなんだ」

 あまりにも緩慢な、ゆるやかに離れようと背中を向けた彼女の肩を砕かないように、飴細工の装飾を体温で融かさないように気をつけて触らないように触れるような、柔らかい力の腕で彼女を抱きしめる。

「一緒に生きる努力はできないか?」

「そうだね。生きるための努力なら誰だってやってる。だけど」

「だったら」

「私は、生きるために働いていたわけじゃなかった。死なないために戦ってきた。だから、死ぬことを前提に使い潰されそうだから、逃げ出すための作戦に乗った。乗るしかなかった」

 一瞬しか悲しそうにしない胸の中の彼女の顔に僕はその一瞬の短さに怖くなる感覚を覚える。

「もし、お願いした選択を強いられた時、貴方が辛いなら、手を貸すこともできる。だけど、私も貴方も同じ。恋人や恩人は裏切れても家族は裏切れない」

「そう言われると、確かにお前と同じだ。僕らは【家族のために戦っている】」

「私は卑怯者よ? 貴方の恋心を利用しようとさえしている」

「それこそ、同じだ! 自分の感情の揺らめきでさえ利用しようと嘘のための真実として演技に使い潰す。家族のためになるように常に考えている癖に結局、自分が一番したいことを探している。そんな姑息な自分を僕は好きになれない」

「クロヴィス、やっぱり、私たちは」

「ルイスだ」

「え?」

「クロヴィスは形式的に貰った名前。本名はルイスの方なんだ」

「そう、なら、名前を呼んでも?」

「サリヤな望むなら……僕の名前を呼べばいい」

「ダメよ。クロヴィス……私も、ルイス、私は貴方が好きよ。だけど、私と貴方は同じなのよ。私も私が嫌い。私と同じような貴方の想いには応える気にはならないわ」

 腕からするりと抜けていく彼女身体に、いたずらっぽく微笑む彼女の笑顔と、彼女の口から出てきた女の名にどういう感情を抱けばいいのかわからなくなる。

「フェルメイア……」

「なに?」

「フェルメイアを見る目、太陽にあぶられた真夏の空の下のロウソクのように眩しくて辛そう」

「そうだっけ? 南の鉄と不毛の大陸に行った時にそんな感情……持ってなかったとは言えないけど」

「私はあの子をまともな目で見られない。今の貴方はどう?」

「どうって、なにが」

「そう、きっとなら、今日だけは」

 手を引いて、彼女と僕は城下町の兵舎でない方向に向かい、その日は宿舎に戻らず朝になってから帰った。

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