97:スプリント超特急
「うわっ、あの女の子、えらい男子に食い下がるやん。すげぇ」
沙良が言うほうを見ると、ダッシュで泳ぐ二人。たしかに、スタートの差こそあるけど、大きく離されることはなく、50メートルを泳ぎ切る。上がった姿を見れば、原田くんと遊菜ちゃんだった。
そりゃ早いはずだ。と納得するよね。なんせ、大学1回生ながら、『水の申し子』の異名を持つ宮武花梨さんの大学記録を更新していくんだから。そして、ついていったのが、こちらも大学1回生ながら、大学記録を更新した原田直哉くん。
まぁ、大学記録を更新してるから、原田くんのほうが早いのは見てわかるけど、これに食らいつく遊菜ちゃんが本当にすごいと思う。
「遊菜ちゃんか。納得やわ。ほんで、前を泳いどったのが、新星エースの原田くんやろ?二人揃ったらほんまに鬼に金棒やな。日本選手権にも出られるんとちゃう?」
「さぁ?どうかな?本人たちは、この記録会次第ってところじゃない?とは言っていたけど」
「そうなんや。もっと行けると思ってたんやけど」
「どうしても泳げるプールが限られてるからね。夏は出身高校で泳いでるらしいし、冬は公民プールで泳いでるらしいし」
「そっか。屋内プールがあるんやったら、まだしも、ほぼ無名校やもんね。強豪校に進んだんやったら固いんやろうけど」
「まぁ、本人たちの希望だしね。強豪校で泳ぐより、無名校でゆっくり泳ぐほうがいい。っていうしね。強豪校だと泳ぎにくいって言ってるし、私は逆に刺激になっていいと思うけどね。まぁ、あの二人は変わってるから仕方ないよ」
「美桜に言われたら終わりやろ。美桜以上の変態はおらへんで」
「う、うるっさいなぁ」
ただ、これ以上、沙良の言葉に返す言葉がない。小さな恥ずかしさを隠すようにまた目線を場内に移す。
ちょうど反対側で遊菜ちゃんと原田くんがしゃべりながら歩いている様子が見えた。腕を回したりしているところを見ると、フォームとかの話をしているのかなって思ったり。
「おっ、そろそろやな。招集が始まってるんちゃう?……あっ、待って。なんか行けそう」
それだけ言うと、沙良はスマホを取り出して、指を動かし始めた。
そこから、集中しだした沙良の耳には音が届かなくなったみたいに反応がなくなる。ミアシスのときとはまた別だ。
そんなことを思っていると、スターターのテスト、御幣島大学監督の挨拶、注意事項が伝えられ、気づけば記録会が始まろうとしていた。しかも、遊菜ちゃんが泳ぐ半フリ(50メートル自由形)からスタートらしい。それなのに、沙良はいまだにスマホとにらめっこ。
「沙良、遊菜ちゃんのレース始まるよ。見なくていいの?」
ただ、私の言葉にも反応しない。というか、まったく届いていないように感じる。そんなことはよそに、レースは始まり、遊菜ちゃんをはじめとする10人が飛び出していく。
飛び出した遊菜ちゃんは、自慢のキックを惜しみなく打って、浮き上がってくる頃には、すでに身体半分のリードを奪ってレースが進みだす。
そして、最近では主流になっている、浮き上がってくるように力強いというような泳ぎではなく、丁寧に滑るように泳いで進んでいく。
明らかに泳ぎ方が違っていて、見分けが良くつく。
本人は、パワーがないから、抵抗の少ないフォームで力いっぱいに泳いでいると言っていた。
短距離になればなるほど、力で持っていこうとするのと力みがつながって空回りするから、丁寧にリラックスして泳ぐことをマネージャーさんによく言われているそう。
それだけ意識しているフォームでさらに後続を突き放す遊菜ちゃん。ハーフラインを超えたところで、身体1つくらいのリードに変わっていた。
そんなことを思っていると、あっという間にフィニッシュ。タイムがどれくらいなのかはわからないけど、これくらいぶっちぎって泳いだことにびっくりした。
そして、対岸でみえにくいけど、遊菜ちゃんはまだまだ余裕といった表情さえ見せている。まさに女王の貫録といったところだろうか。
「よっしゃ、これでどうや。うまい感じにいったと思うで。……あれ?レース始まってるやん。うわっ、半フリやん!遊菜ちゃんは⁉」
久しぶりに顔を上げたと思ったらその心配か。
「残念ながら、遊菜ちゃんのレースは終わったよ。声もかけたのに、ずっとスマホを触ってるからだよ」
「マジで⁉マジでやったわ~。めっちゃショックやねんけど。あっ、でも、歌詞、ええ感じにあがりそうやで」
そういう沙良の顔は満足そう。やっと前に一歩出られたって感じかな。こうなってくると、私も続かなきゃって思うよね。
「で、どんな感じにできたの?」
「まだ途中になるとは思うけど、ある程度は」
それでもすっきりした顔を見せているということは、きれいにつながったということなんだろう。それだけでも大きな進展だよね。
「ちょっと見せてよ。私もそこからつなぎたい」
「オッケー。ほんなら、はい」
沙良からスマホを渡されて、少しの間、画面を見つめる。
「繋げられる」
そうつぶやいた自分の声は、沙良の耳にも届いたみたい。
「行けるんやったら頼むわ」
「そのかわり、原田選手のレースになったら教えてよ。見逃したくないから」
「よほど集中してたら、ちゃんと言うたるから」
どうなることやら。まぁ、大丈夫だろうけど。
さて、ここからどうやって繋げるか。
沙良が書いた歌詞は、招集中の緊張感を表現している。ここからはスタート直前を表現して、飛び込ませ、レースの熱を書いてみるか。
『テイクユアーマークス』
この声が聞こえて、稲妻が落ちたかように、頭の先から足先にかけて、バシンと落ちてきた。
これだ。これがほしい。これがないと、誰もスタートはできない。あとは、燃え上がらせるだけ。
……あれだな。イメージとしては、どんな選手でも磨けば宝石になるし、やっぱり、頑張っている姿はどこを見てもキラキラしている。そういった意味合いで水の色に合わせた寒色系の宝石の名前を入れてもいいかも。
「美桜、原田選手のレースやで」
沙良に声をかけられてハッとする。そんなに時間が経ってないように感じていたけど、そこまで来てるのね。




