86:込めすぎた想い
ここまできて、ようやく曲に移る。少し重たい雰囲気は、曲のせいでさらに重たくなる。
次の曲でこの雰囲気を打破することができるのだろうか。心配になるところではあるものの、そんなことに負けていられないという思いが強い。
不安を打ち消すようにもう一度ドリンクを口に含ませ、再度、モニターに目をやる。
まだサビにも入っていないのに、橋爪さんがしんどそう。
トークが後半になるにつれて、話し方も重くなった橋爪さん。
やっぱり思っていたとおりの事態になったか?ただ、思っていたよりも事態は深刻そう。橋爪さんは、モニターで見てわかるように、かなり小刻みに震えている。
この症状は過呼吸か?似てるけど、パニック障害じゃないよね?そんな話は聞いてないし、そんな橋爪さんを見たことがない。とりあえず、いってみるか。
「竹田さん、これからありえない行動を起こしてもびっくりしませんか?」
「程度によるだろうね」
「わかりました。それじゃあ、少しサブステージに行ってきます。くれぐれも、リハーサルどおりに動いてください」
近くにいたサンシャインのリーダーの竹田さんに声をかけると、えっとした表情が一瞬だけ見えた。だけど、そんなことはお構いなしに、ポーチの中をごそごそとあさり、酸素ボンベと、氷枕を固定するためのマジックバンドを取り出すと、ふくらはぎに固定させる。そして、イヤモニターとマイクを装着して、近くにあった黒い布をまとってステージに飛び出す。
その間、竹田さんが行かせまいと前をふさぐけど、私はするっとかわし、思い切って真っ暗なメインステージに飛び出す。萌奈ちゃんとすれ違いざまに「どこ行くの?」と聞いても答える時間はなかった。
事態はさっきより深刻になっている。
橋爪さんが林さんに寄りかかり、今にも2人とも崩れそうなほど。よく林さんが耐えている。
そして、もうひとつ確認できることがある。橋爪さんの声が途切れ途切れになっている。ここは、橋爪さんをカバーリングだな。
そう思うと、橋爪さんのパートを思い出しながら歌い、2人に近づくと、そっと橋爪さんを抱き寄せ、林さんから引き剥がす。
やたらと呼吸が速い。思ったとおりの過呼吸か?とりあえず、呼吸を先に抑えるか。
急に聞こえた歌声と、急に現れた私にびっくりした林さん。だけど、私を見ると、安心した表情を見せた。
私は、無言でうなずくと、林さんもうなずき、橋爪さんをライトの当たらないところに連れて行き、マイクをそっと手から離させる。すると、力なくするっと抜けて、私の手元に。
やさしくその場に座ってもらい、マイクと引き換えに酸素ボンベを手に取り、橋爪さんの口元に当てて話しかける。
「薫さん、聞こえたら大きく吸ってください。もっと、もっと、もっと吸ってください」
あえて、『薫さん』と呼んだのにはわけがある。オリジナルメンバーの梅田さんに間違えても混乱しないように。ただそれだけだ。
私の声が聞こえたのか、橋爪さんの呼吸は徐々に落ち着きを取り戻す。
そして、ふとこっちを見たとき、少しびっくりした表情で私を見た後、少し笑みを浮かべた。
「千佳!……そうよね。この曲はあなたたちに宛てたもの。私が歌いきらないでどうするのよね。絶対聞いててよ。歌いきるから」
それだけいうと、少しふらっとした立ち上がりだったけど、スポットライトの当たるほうへ歩き出した。
「薫さん、今はドクターに見てもらわないと……」
そういっても、薫さんは話を聞いていない。私を梅田さんと勘違いして、現実の世界と空想の世界が混ざり合っている。あの薫さんは今までに見たことがない。本気だ。ここは、私が引かないといけないか……。
……あっ、マイクを渡してない。……ここはせっかく梅田さんに間違えられてるんだし、どんな呼び方をしてたのか知らないけど、ちょっとだけなりきってみるか。
「薫、ほら、マイク忘れてるよ。あと、薫の想い、最後まで聞かせて。で、歌い終わったら、私の感想を舞台袖に聞きにきて」
そういうと、口元をほころばせ笑った。
もう、最後に近づいているけど、しっかりとした足取りでステージに戻った橋爪さんを見送ると、私は急いでステージ袖に戻る。
「橋爪さんに何かあったの?」
「たぶん、過呼吸だと思います。普段から感情豊かな人で、寂しい想いをしたあとで偲ぶ人を強く想いすぎたのかもしれません。一応、深呼吸だけしてもらって、ステージに戻ってもらってます。この曲が終われば、ステージ袖に戻ってきてとは伝えてるんで、戻ってくるとは思います。そのときのフォローはお願いします。そして、このあとのMCは私が行きます」
「それなら、先にステージ袖につれてきてドクターに見てもらうのが先じゃないのか?これで本当に何かの発作だったらどうするんだ」
いつになく強い口調の市原さん。過去にもこういうことがあったのだろうか。
「橋爪さんの強い想いに負けました。私を完全に元メンバーの梅田さんに間違えて、想いを伝えるから絶対に聞いててほしいといわれました。そんな状況で連れてこられると思うんですか。それなら、市原さんがバックヤードに連れてきてくださいよ!橋爪さんが罪滅ぼしというのは、来ていただいてるのだけのものではありません。一緒に活動してきた仲間たちへの思いです。橋爪さんは本気です。私でさえ止められませんでした。歌い終わったらステージ袖にきてというのが、私の精一杯でした」
ここまできて、私が泣きそうになる。橋爪さんが故人4人に届けたい思いは本気だ。生半端に私が、香川奈緒美が絡んで止められるものじゃない。
「……よくやったよ、美桜ちゃん。それだけでも十分だ。バックヤードは僕たちに任せてほしい。萌奈ちゃん、スタッフの方に頼んで、ドクターをここに連れてきてもらえないか交渉してきてくれないか。これ以上、橋爪さんを危険にさらしたくない。あと、美桜ちゃんは、このあとのMCはお願いできるかい?たぶん、今の状態では、フリートークが達者なのは君しかいない。とりあえず、時間をたくさん作ってくれないか」
そう言って竹田さんが優しく私の頭をポンポンと優しく撫でる。
「……わかりました。頑張ります」
「それでいいのかよ、竹さん」
「今の僕らにできることはこれしかない。いや、これしかできないんだ。橋爪さんは、曲に入る前にしっかりと言っただろう。『この曲は故人4人を偲んだ曲』だって。橋爪さんがこの曲にかける思いは人一倍、いや、何倍、何十倍も強い。お願いをされたら『イエス』とすぐに答える美桜ちゃんでさえ、歌うのを拒んだ曲だ。その想いを知っていたから、この判断をしたんだと思う。これが、美桜ちゃんと一緒にバックヤードに運んできて、林さんひとりに歌わせるほうも酷だと思うが。僕の言ってることは間違っているだろうか」
「ちっ、どうなっても知りませんから」
それだけいうと、市原さんは、少し奥へと引っ込んだ。
「よく見えていたね。さすがだよ」
まだ不安でモニターを見ている私の横に竹田さんが来て、同じようにモニターを眺めている。
「不安だらけでモニターを見ていましたから。今は橋爪さんの様態が気になりますけどね」
「今は、そのことは気にしなくても大丈夫だと思う。重くなったステージの空気をもう一度暖めてほしい。長引いてもいい。いや、長引かせてほしい。とにかく時間がほしいだろう。時間が押すなら、僕たちのトークを短くしたらいいだけだ。とりあえず、この場所は僕たちに任せてもらって、美桜ちゃんは、林さんを心配させないように、明るく元気にお願いしていい」
「わかりました。できるだけやってみます。いや、やってみせます」
そういうと、ちょうど曲が終わり、スポットライトが、いつの間にかメインステージにいる林さんと橋爪さんの二人を照らす。
そして、橋爪さんがお辞儀をし終わったとき、下手に体を向け、歩き出し、ステージ袖に隠れる。
私は、橋爪さんの視界に入らないように、少しずれたところからステージイン。
「はい、ということで、全部でもう五曲もお届けしております、リバイバルライブです」




