82:クラッチ
「美桜ちゃん、大丈夫?ここにきて顔が真っ白だけど」
モニターを見て緊張していた私に萌奈ちゃんが声をかけてきた。
「……これがドーム公演の力なんだね。雰囲気に飲み込まれそう。夏のレトロフェスとは比べ物にならなさ過ぎる」
私の緊張が萌奈ちゃんに移ったのか、萌奈ちゃんも言葉を選ぶようになっていた。
「……あのときは屋外だったからね。人数も今日に比べたら少なかったから、今よりは余裕があったかもしれないけど、今回は屋内で、入る人数も決まってるからね。でも、クラッチパフォーマーの美桜ちゃんなら大丈夫でしょ。いつも不安そうにしてるけど、本番になると、不安はうそだったの?っていいたくなるくらいのパフォーマンスをするからさ」
クラッチパフォーマーか。そういえば、初めてのワンマンライブが終わった後のミーティングで同じことを翔稀に言われた気がする。ほかの人たちからもクラッチパフォーマーって思われているのかな。
私は、ただその場を全力で楽しみたい・楽しませたい。私自身がそう思ってるだけで動いている。そうじゃなかったら、たぶん、私はここまできていない。というか、来れていない。
「中川ちゃん、なに難しい顔をしてるの?普段だったらテンションは最高潮なのに。らしくないよ。本番前だけど、相談に乗ろうか?」
林さんは、私のことを『中川ちゃん』と呼ぶ。理由は単純。下の名前で呼ぶと、元メンバーと顔がかぶっちゃうんだってさ。だから、あえて苗字にチャン付けでむりやり紛らわしてるんだって。まぁ、本人の希望だし、私だって、どういう呼ばれ方でもいいんだけどね。ムーンライトスタートしてライブしているとき以外なら何でも。
「私は大丈夫ですよ。私はいつもの私ですから」
「またそういって強がっちゃって。不安なときは不安ってしっかり言わないと身が持たないよ。ここだけは千佳と違うわね。あの子は無邪気だったけど、弱いところは見せていたから。で、難しい顔をしてるのは、パフォーマンスのこと?それとも、薫のこと?」
ご丁寧にどちらにも当てはまらない。私が悩んでいるのは、クラッチパフォーマーって呼ばれることなんだよね。
「まともな答えが帰ってこないのはわかってますけど、私はクラッチパフォーマーに見えますか?」
「なによ。そんなこと?正直に言っていいなら、私は見えない。どちらかというと、笑顔のときは楽しんでると思うよ。まぁ、練習や振り合わせのときは本気の顔をしてるけどね。たぶん、薫もそう思ってるんじゃないかな。あの子、自分を追い込んでばっかりだったから、中川ちゃんのパフォーマンスを見てたら気持ちが楽なるっていってるくらいだし」
予想と違った答えが返ってきて少しあっけにとられる私。林さんや橋爪さんはそう思ってなかったんだ。楽しんでいる私を見てメンバーに入れてくれたんだ。それなら余計に頑張らないといけないじゃん。楽しむと同時にさ。
「だいぶ気分が晴れたみたいね。私の答えがどう響いたのかわからないけど、これなら十分に楽しませてくれそうね。私たちを存分に楽しませてよ」
「わかりました。その代わり、林さんも周りを楽しませてくださいよ。私も含めて」
「でた、大口を叩く中川ちゃん」
そういうと、林さんはウフフと笑った。
「みさ~、美桜ちゃ~ん、円陣組むよ~。ひとつ気合を入れるためにね」
まるで子供みたいな橋爪さん。早くといわんばかりにぴょこぴょこ飛び跳ねる。
今行く~。と返すのは林さん。私も林さんの後ろを追いかけるようにして後ろをついていく。
「ほんと、薫もいつまでも変わらないわね」
つぶやいたのが、私に聞こえているとはつい知らず、林さんは円の中に加わる。私も少し遅れて萌奈ちゃんと竹田さんの間に体を滑り込ませる。
「さぁ、いよいよ本番ね。私がムーンライトスターを復活させようと動き出したのがもう二年前。本当なら、四十周年記念の七月に動き出したかったけど、ちょっとずれちゃって、ようやく記念ライブをすることができます。ここまで来られたのも、みさをはじめ、皆さんのおかげだと思っています。この場を借りて先にお礼を申し上げます。ありがとうございます。そして、この場を用意してもらったスタッフの皆さんにも合わせてお礼を申し上げさせてもらいます。 やっとここまで来ましたけど、私はここがゴールだとは思っていません。ここからだと思っています。ここから皆さんでムーンライトスター、そしてサンシャインをさらにいい方向に持って行きましょう!」
下を向いたままだけど、無理に強がって言う橋爪さん。その声は泣くのを我慢しているようにも聞こえた。たぶん、オリジナルメンバーを意識したんだろう。
「カオルさん、泣くのは早くないですか?泣くのはすべてが終わってからにしましょうよ。そうじゃないと、エアリー、とても心が持ちそうにないです~」
鬱陶しくて、扱いにくいキャラだということはわかってるけど、雰囲気を和ませるために、コンサート序盤に出てくる『エアリー』という妖精を入れてみた。すると、やっぱり、急に入ってきて驚いたのか、空気が少し和んだ気がする。これはこれであたりだったのかな。まぁ、そう思っておくことにしようか。
「それじゃあ、行きましょうか。最高のライブを目指して。いきましょう!」
「ゴー!!」
市原さん発案の掛け声で気合をしっかり入れた後、ミアシスの癖でハイタッチをしようとして、誰も合わせてくれず、静かに下ろし、本番に備える。私だけ舞台袖から移動して、サブステージの舞台下でスタンバイ。私がここからサブステージに上がり、時間になれば、魅惑の世界に連れて行く。私はそのキーマン。
まぁ、ここで魅惑の世界に引き込めなくても、チャンスはもう一回。〈ダンスフロア〉で観客全員をムーンライトスターが作り出すライブに引き込む。
ここでの私の仕事は、魅惑の世界に連れて行くことだけ。そして、さっきも顔を出したエアリーは魅惑の世界と現実世界を繋ぐキーマン。華麗に舞って、時間という空間を忘れさえるフェアリー。
……よし、行ける。行こう。
それだけ思うと、一緒に持ってきていたいつものドリンクを一気に飲み、タオルを顔に当てて集中力を高める。そして、顔を拭き、スタッフさんに預ける。
「舞台袖にお願いします」
それだけいって軽くお辞儀。そして、膝に巻いているサポーターを強く巻きなおす。
いつもと声が違うことは私でもわかっている。それほど集中できている証拠とでも思っておこうか。
「奈緒美、準備オッケーです」
イヤモニターを通して静かに伝える。私のこの合図がなければ、ステージが始まらないことになっているから。
『奈緒美さん準備完了。了解。時間通りスタートします。場内暗転後、エレベーター上昇です』
ここまで来たら引き返せない。ぶつかるしかないな。そう思いながら、エレベーターの中央で横になる。
『時間になりました。場内暗転します』
静かに伝えられ、そっと左耳にはめているイヤモニターをはずす。そして、周りの音がどうなっているのか少し探る。
……うっすらだけど、ざわめきは残っている状態。
スタッフさんの『エレベーター上昇します』との声と同時にしたから突き上げる感覚。徐々に場内のざわめきがしっかりと耳に届くようになる。
やがて突き上げる感覚はなくなり、薄目を開けてどこにいるのか確認する。
もちろん、サブステージ上。何時かわからないけど、あと少しでツアーの本当の始まり。ここはすごい緊張しているけど、思いっきり楽しんでいこうか。
ようやくステージの幕が開けます。
不安が拭えない美桜さんは、なんとか林さんのアドバイスで少し気が楽になったのかもしれません。
暴れようはどうでしょうか。お楽しみに




