80:控え室
少しだけ休憩したあと、各メンバーがあわただしく動き出す。すでに時間は4時。ここからはあっという間なんだろうと思いつつ、この1時間で奈緒美さんから美桜に戻った気分と雰囲気をもう一度奈緒美さんに持っていく。
ここからはメークをとるまで奈緒美さんのままのはず。
そして、衣装は、夏のときに来ていた短いスタートではなく、ミアシスでもおなじみのロングドレスとショートパンツ。真っ白なのはいつもと変わりはないけど、ただ、やっぱり、アッセのときはさすがに変わる。
アゲハチョウをイメージしたような黒と赤の衣装と短めの黒いスパッツ。やっぱりね、丈は短め。まぁ、印象は正反対になるからいいんだけど、やっぱり、丈が短いのは気になるところ。
ただ、決まった以上は気にせずにやるしかないんだけどね。
さっ、とりあえず、奈緒美さんの衣装に着替えて気分をライブに持っていこう。
白い衣装を身に纏い、早くも「いよいよだ」ということを悟り、気分を変えるために、頭の少し高い位置でお団子を作り、前髪を少し横からたらし、細い棒にまき付けてヘアスプレーで少し固める。そして、いつもより少し濃くメークアップしてじっと鏡を見る。
「あなたは誰?」
鏡に映る顔はいつもの私じゃない。ほかの誰かに見えた。
「美桜ちゃん、誰に言ってるの?」
声がしたほうを振り向くと、衣装をつるしたT字キャスターを引いた萌奈ちゃんがいた。
「い、いや、なんでもないよ。ただの勘違いだから」
そういったけど、すでに顔を見せている私。私の顔を見た萌奈ちゃんはまさに「あなたは誰?」と言いたげのようだった。
こうなれば、ちょっとからかってもいいよね。
「あっ、益田由香里さんですね。スタイリストの黒川姫乃と申します。今日はどうぞよろしくお願いしますね」
「あっ、はい。こちらこそお願いします」
ちょっと困惑した様子の萌奈ちゃん。まぁ、仕方ないかな。だって、このリバイバルライブにスタイリストさんは同行しないから。
「……プッ、萌奈ちゃん、私だって。美桜だよ。気づいてよ」
ちょっとした沈黙に耐えられなくなった私は少し吹き、ネタばらし。本来だったらもうちょっと楽しみたかったんだけど。
「……あっ、美桜ちゃんか。ほんとに何してるのよ。びっくりした。ほんとに今スタイリストさんなんかいたかな?なんて本気で思っちゃったよ」
でも、うまくいったみたいだからいいとするか。
そこから私は、カチューシャ等の小物類を身に着けて、控え室に戻る。
あとは、リラックスさせながら、気分を『香川奈緒美』に持っていく。
とりあえず、控え室に戻ったら、お湯につけたタオルを目に当てて、目の疲れを癒しつつ、イヤホンでムーンライトスターの曲を流しながら歌詞の確認をするつもり。
ただ、それをやる前に、発声練習をしないと。さっきの最終確認でまったく声がでなかったから。それに、リハーサルでも歌わなかったから、今日はぜんぜん声を出していない。先に発声練習を優先だな。
それだけ思うと、控え室に戻り、音楽プレーヤーを持ち出し、別の部屋に。
そこで思いっきり発声練習をするつもり。
ミアシスのときなら、亜稀羅と一緒にギターを弾きながら発声練習をするんだけど、今日はさすがにできないか。ギターもないし、メロディーを弾く亜稀羅がいないから。
しかないし、音楽プレーヤーに頼るか。……自分の声が聞こえなくなるから、あんまり好きじゃないんだけど
発声練習の曲は、ミアシスのボーカルコーチの手作り。簡単なメロディーの中に、しっかりと声を出せる要素がたくさんある。
こう思うと、ミアシスは恵まれてるよね。こうやっていろいろミアシスをいい方向にもって行ってくれるんだから。ほんとに感謝しかない。
さっ、とりあえず、終わらせたことだし、一曲だけ簡単に歌うか。
ここは高音域の曲がいいか。だとすると、亜稀羅とよくやる〈翼をください〉かな。ミアシスの曲より相当高いから、これで大丈夫だとは思うんだけど、まぁいいか。
この大空に 翼を広げ 飛んでいきたいよ
……大丈夫そうですね。このまま行ってしまって、あとは、本番前にやることをすべて済ましてしまいましょうか。
先ほど持ってきた荷物を持って控え室に戻ると、オサムさんとユウタさんがすでにスタンバイ。私もすでに奈緒美さんモードに入っています。いや、奈緒美さんモードを超えて甘い声のスタッフさんモードかもしれません。まぁ、このまま行っても大丈夫そうですね。このまま行ってみましょうか。
「お疲れ様でございます。すぐにお茶を入れますね~」
それだけ言ってもまったく気づいてくれません。たぶん、お茶を出してから気づくでしょう。
「お待たせしました。ハーブティーです。オリエンタルライムさんからの差し入れです。奈緒美さんからのマーマレードもご一緒にどうぞ~」
「あっ、どうもご丁寧に……って美桜ちゃんかよ!びっくりした。声を変えられたら誰かわからないって」
どうやら、大成功のようですね。こういったいたずら、私は嫌いじゃないです。逆に楽しくて仕方ないですね。
2人分のハーブティーを置いて、ユウタさんが声を出したと同時に気づくオサムさん。その顔はなかなか面白いものでした。
「って、そう思ったら、自分の分もちゃっかり用意してるしさ」
「そんなに心配されなくても、ちゃんと橋爪さんや林さんの分も用意してありますし、まだまだおかわりはたくさんございますよ。事務所からたくさんいただいておりますので」
「ちゃんとみんなの分を用意してるんだね。やっぱり美桜ちゃんの行動は異次元だよ」
そういわれてもですね……。今の私は私なんですけどね……。
「すいません、遅くなりました」
そういって入ってきたユカリさん。今日も真っ黒の衣装に身を包んでいます。ただ、今はスカートではなく、ガーリーなショートパンツ。やはり最初はそうなりますよね。
私ですか?私は、このままでいいですよ。急にガーリーな服装になったらおかしいと思いませんか?少なくとも私はそう思いますが。
「大丈夫だよ。橋爪さんも林さんもまだ戻ってきてないから」
「よかった。ヘアスタイルが決まらなかったからどうしようなんて思ってたんですよ」
確かに今日はいつもと違いツインテールのユカリさん。こういうのは珍しいですね。いつもはシンプルにポニーテールか三つ編みのポニーテールのどちらかなんですが。
「あっ、ユカリさん、お茶をご用意しますね。少しだけお待ちください」
そういって慣れた手つきでさっとハーブティーを入れてユカリさんの前に出す。
「マーマレードもありますんで一緒に食べてくださいね」
「えっ、いつの間に買ってきたの?ぜんぜん気づかなかったんだけど」
魔法ですよ。なんてふざけていってみますが、皆さんからご丁寧にスルーされてしまいました。でも、ユカリさんの幸せそうな顔を見てると、こちらも一安心です。




