61:美桜さん、決意する
「おざ~す、って、美桜だけかい」
いつも能天気な挨拶は翔稀だ。
「なに?文句あるの?」
「いや、ねぇけど、田村さんか小村さんもおるはずやのになぁ。って思って」
「2人とも今日はハイアスが出演予定の大型フェスの打ち合わせだって。夕方まで帰ってこないよ。それとも急ぎの用事があるの?」
「いや、特に何にもないけど、事務所に美桜だけやったら迫力ないなぁって」
「何の迫力を求めてるのよ。……そうだ。翔稀。私宛にさ、とんでもないメールが届いたんだけど、見てもらっていい?」
「なんや、珍しいな。いつもやったら田村さんに相談してるのに」
「田村さんには相談した。翔稀だったらどうするのかなぁって。とりあえず、これを読んでよ」
そういって無理やり翔稀に、印刷したメールを見せる。
「なるほどなぁ。俺はありやと思うで。自分自身が成長できるんやし」
「せっかく頑張ってきたミアシスはおろそかにしていいの?」
「別にそんなことは一言たりともいうてへんやん。スケジュールの中心はミアシスにおいて、その再結成するグループはスケジュールに余裕があるときでええやんって話。それやったら無理なくいけるやろ?」
そうか。その考え方もありか。合間に技術を吸収して、ミアシスに生かせたらそれでいいのか。でも、そんなに簡単なことじゃないはず。でも、やってみるだけのことはあるか。
「また相談に乗ってよ。ご飯おごるからさ」
「美桜がそういうのは珍しいよな。本気で悩んでるん?」
「かなり本気でね。けっこう大きく進退がかかってるんだから。こういうのは慎重にならないとダメでしょ?」
「そこまで本気で悩むんは珍しいな。なんか起きるんちゃう?半年くらい前もそうやったやん。振り付けにキレがないとき、ほぼ同時くらいにいろいろ問題抱えっとったんやろ?詳しくは知らんけどさ。そのときと同じ顔してんで。なんもないんやったらそれでええねんけど」
そういえば、あの時もあんまり調子はよくなかったな。あのときと同じ顔か。自分ではまったくわかってないんだけど……。
「まぁ、すぐに答えを返さなあかんわけとちゃうんやろ?それやったらゆっくり考えたらええやん。俺も相談に乗るしさ」
「お疲れ様でーす」
翔稀に結構本気の相談をしている中、事務所に入ってきたのは、ローテンションの沙良。いつも入ってくるときは結構テンション低いけど、振り合わせになると、テンションが一気に上がる。
「え~、何々?グループ内恋愛?聞いてないんですけど~」
そんなことをいいながら一気にテンションが上がった沙良が茶々を入れる。
「んなあほなこと言いな。美桜から相談を持ちかけられたんや。活動のことでちょっと話したいって」
最近、沙良が恋ばなに目を輝かせるようになった。何かあったんだろうかと心配になるほど。
「なんの相談なん?うちも乗るで!」
沙良はなぜかノリノリ。難しい話と感じていないんだろう。まぁ、確かに、沙良とは難しい相談をしなかったからそうなるよね。とか思いながら自分のデスクを立った。
「難しい話はおしまい!さっ、振り合わせするよ」
「なんや、やっぱり、美桜がいつもとちゃうな。怪我はすんなよ。いつもと違うお前はなに起こすかわからへんねんから」
「はいはい、気をつけますよー」
ということで、亜稀羅も由佳も合流したところで振り合わせに。
持ち時間40分の中に7曲も入れるというダンサーの豪快っぷり。このせいで、ボーカル陣はフラフラよねとか思いながら振り合わせに挑んでいる。
土日のライブをいろいろなハプニングがあったものの、なんとかやり終えて、週初めの月曜日。私は、ようやくといっていいほど悩んで決めた。
何が起こるかわからないけど、オファーを受けたムーンライトスターのサポートメンバーを全うすることを。
そのことを田村さんにこのあと伝えるつもり。あの一件があるから何を言われるかわからないけど、ようやく決まった。
たぶん、決め手は、私のノートだと思う。
今じゃ、滲んで微かにしか読み取れないけど、『がむしゃらにやるだけやって見せろ』と書いた私の文字と、最近になって書き加えた『諦めるのは死んでから』と書いた私の文字。この言葉に背中を押されて全てを決めた。
でも、少なからず不安はある。ミアシスとして活動を始めるときと同じ不安が。
その不安さえ取り除ければ、両立は図れると思う。
「おはようさん」
いつもどおりの11時前。田村さんが出勤してきた。この前は、来たときに難しい顔をしていたから突っ込まれたけど、今日はいつもどおり。お昼前に話そうかと思ってる。
そんな今日もメールの処理から仕事が始まっている。まぁ、スケジュールは決まってきているから、だいぶ処理するメールが減ったけど。
「美桜、なんか報告することでもあるんか?いろいろすっきりしたような顔をしてるけどさ」
あれ?もしかして、今日も言いたいことが顔に出てた?まぁ、ばれてるなら正直に言おうか。
「田村さん、おっしゃるとおりで決めたことがひとつあります。以前にいただいていたサポートメンバーの件、引き受けることにしました」
「うん、そうか。わかった。ただ、契約は今から交わすから、契約しだいでは、受けないこともあるからそれだけ頼むな」
そうか。私がオッケーでも、事務所同士の契約が残っているのか。それに関しては、私がとやかく言う問題じゃない。
「できるだけミアシスの活動に影響が出ないようにとお願いするつもりではいるけど、ハードスケジュールになることだけは覚悟してくれよ」
「もちろんです。覚悟はできてます。そうじゃなきゃ、こんなことはいわないですよ」
「美桜はそういう性格やから、そうくるとは思ってたけど。まぁ、ミアシスのスケジュールに合間に挟む形になると思うわ。そうやないと、美桜のスタミナが持たへんし、倒れられたら困るしな」
田村さんもある程度の事情を知っているから、私の身体のことはある程度心配してくれる。まぁ、自分のことは自分自身がよくわかってるし、危ないと思ったら休もうとしているしね。
「いつまでも無理をする子どもじゃないですよ。それを去年1年でしっかりと学びましたから」
「そうやな。今までは、学校行って、部活して、ミアシスの振り合わせやったし、なにかと、毎日電車に乗ってたんとちゃう?」
「毎日ですよ。その分、今はしっかり休養できる時間はありますし」
「まぁ、無理はするなよ」
はい。そういうと、田村さんは目線を下げてパソコンをたたき出した。
さぁ、私は、確認メールを処理して、スケジュールの確認をしようか。
それが終われば、グッズの在庫確認して、帳簿記入を進めるか。
「美桜、お昼行くか?おごるで」
事務所の3階でミアシスとハイアスのグッズを計30種類くらいの在庫を確認。まだ半分も確認できていないのにもうこんな時間か。まぁ、1時間半でここまで着たらいいペースでしょ。
「ご馳走様です!」
「お前なぁ。まだなんも言うてへんやないか」
それでも、田村さんは仕方ないなぁ。という感じでため息を一つつく。これは、諦めている証拠だ。
時間は2時。さすがにこの時間だったらどこも空いてるでしょ。
「田村さん、私、今日はパスタの気分です。サイゼがいいです」
こういうときは思いっきり甘えないとね。おごってくれるって言ってるんだし。
ってことで、事務所近くのリーズナブルなイタリアンのお店に。ここにきて決まって頼むのがペペロンチーノ。これを食べてお昼からも頑張ろうって気にさせるよね。
「あっ、そうそう。ムーンライトスターの話やねんけど」
水を一口飲んだ田村さんが思い出したように言う。
「うまいこと行けそうやな。いま休みにしてる木曜日をメインに振り合わせをして、8月から本格的に始動するってさ。で、交通費は向こう持ち。振り合わせの時間を日当で、1ステージにつき手当をだすってさ。それでもええか?」
交通費も給与も出るんだ。ますます頑張らないとダメじゃん。まぁ、無給だったとしても、この気持ちは変わらないけどね。
「大丈夫です。年末調整が面倒くさそうですけど、まぁ、どうせ自分で処理することになると思いますが」
「まぁ、そこは仕方ないよな。ほんなら、これで本契約な。事務所に戻ったら全部メールで届いてると思うから、サインもらっていくし」
「了解しました~」
さぁ、これで、また3足のわらじを履くことになった。またなかなかしんどい時間を過ごすことになるそうだけど、充実した日々は送れそう。




