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4:お願い

 関東では主流の自動放送じゃない車掌の声は優しく柔らかいように聞こえた。機械の声みたいに「キーン」ってならないし。


 そこからまた10分。電車に揺られてまた同じ駅に戻ってきた。

 だけど、今は、重い荷物は何もない。少し軽い足取りで田村さんの後ろを歩いた。少し商店街を抜けると細い道に出て、そこからずっとまっすぐに歩き出した。

 何もないただの道。車の通りも少ないけど、田村さんが言っていたとおり。オフィス街で高い建物ばっかりでなおかつサラリーマンばっかり。しかも、若干たばこのにおいもする。……こりゃ参ったな。ここに1年間通うのか。まぁ、事務所近くも同じような感じだし諦めようか。

 この先ですね。田村さんが言って左を向くと、私もつられて左を向いた。道路を渡る体操服姿の生徒が何人か見えた。


「東森町商業高校。中川さんが通う高校です。詳しくはスマホで検索して確認してください。全校生徒は600人決して多くはないですが、なかなか色の濃い高校だと思いますよ」


 こんなオフィス街に本当にあるんだ。珍しいね。……あっ、そんなことより、ひとつだけ気になることを聞きたかったんだ。


「田村さん、さっきの顔合わせでアーティスト活動よりも学生生活を優先していいんですよね?」

「うん?そうだね。一回限りの学生生活ですからね」

「だったら……部活、入っていいですか。小さいころから水泳を続けてて、せめて高校卒業するまでは水泳はやめないって。入学した時に決めたんです。なので、あと1年だけ。いや、9月末までやらせてください」

「許可しないってことは言いませんが、どうしてです?」

「泳いでるのが楽しいんです。考え事も全部吹き飛ばしてくれるし、なんにも考えなくさせてくれるんです。泳いでて気分がよくなるっていうか、なんていうんでしょう。とにかく続けたいんです。お願いします!」

「……わかりました。いいでしょう。本当ならレッスンだけに集中してほしかったんですけど、私が言いましたからね。ただ、ルールがどうかはわかりませんが、所属を変えるとその年は出場できなくなる可能性もありますけど、それでも?」


 いいです。私は言い切った。それほど長く続けていた水泳を続けたかった。


「わかりました。ただ、部活に関しては何もこちらではできないので、また学校に通い始めたころにお願いしますね」


 わかりました。それだけ言って、小さくガッツポーズをしたのを覚えてる。それだけ嬉しかったのかな。水泳ができることに。

 学校の周りをふらっと歩いて、田村さんがこれくらいでいいですか?と聞いてきた。

 道はまた迷うかもしれないけど、大丈夫です。と田村さんに言ったら、苦笑いされながら、じゃあ、今度はひとりであの家に帰って明日からの準備をしてください。と言われた。

 わかりました。とだけ答え、来た道を戻って駅で田村さんと別れた。

 記憶力はいいほうの私。来た道の風景はある程度頭の中に入っていた。その記憶をたどりながら駅まで歩いて行った。

 そしてそのまま記憶を全部思い返した私は、問題もなく新しい住まいに戻ってくることができた。ただ、問題はない代わりにかなりギリギリで帰ってこられたって感じなんだけど……。


 まだ陽も暮れないうちに帰ってきた私。晩御飯にしようとしてもまだ早すぎる時間。とりあえず、この荷物だけどうにかしよう。そうしたらちょうどいい時間になりそう。

 女子高生が生活するには少しもったいないかなと思う八畳の和洋室が一部屋ずつ。正直言って家具とかも置いてあるけど、それでも広く感じたりするのは気のせいなんだろうか。

 とりあえず、改めてスーツケースを開いて部屋着を取り出した。それをテーブルの上に置いたのをはじめに、タンスの中に服をかけていった。

 スーツケースの中に入っていたのって、よくよく考えればほとんど衣類なんだよね。で、やっぱり持ってきてしまった水泳用品。辞めることはやっぱりできないで、愛着のあるものばかり持ってきてしまった。

 ……時間があったら今からでも泳ぎに行きたいなぁ。なんて、一瞬思うけど、もうそんな時間とかってないよね。ふと時計を見ると、時計は6時を指していた。

 買い物行こうかな。そう思うと、空になったスーツケースを押し入れにそっと置くと外に出た。


 暗くなった空に街灯が優しく歩道を照らしている。そんな中を私は戻ってくるときに見えたスーパーに足を運んだ。

 近くにコンビニもあったんだけど、なにかと高いしね。だから、ちょっと遠くてもいいから、ちょっとでも安く手に入るスーパーに足を運んだ。

 ちょっとした当たりはずれはあるかもしれないけど、ここが一番便利かも。おいてる商品とかも多いし。あっ、あと、レッスン用にノート買おうっと。あまりそんなことをしている余裕はないんだけど、活動のため。目をつむろう。

 大阪に来る前に両親から餞別として2万円ずつもらった。あと、お母さんが預かっていた通帳とカードももらったから、しばらくは安心だと思う。無駄遣いしなかったら。まぁ、することはないんだろうけど。

 さっそく買い物を終わらせて家に帰って夕食の準備をして、お風呂にも入って……。気がつけば夜の9時。……。やることがない。寝るのにも早すぎてもったいない。

 そういえば、友達に高校を辞めてアーティスト活動するために大阪へ引っ越したこと言ってないな。

 今日1日起動させていなかったラインを開けると、普段からおしゃべりのクラスメートが主導しているグループで炎上が起きていた。

 たった半日見てなかっただけで700ものメッセージがたまることってある?そうなったらたぶん、異常事態だよね。

 見ると、春休み中の彼女たちが遊ぶ約束することしか表示されなかった。適当に読み流していると、私の名前があることに気付いた……。

『美桜~28日ディズニーランド行こう!』

 メッセージが届いたのは14時過ぎ。ちょうど不安な気持ちに押しつぶされながら新幹線に乗ってた時間くらいだ。

 ……。ディズニーか。行きたいな。絶対楽しいし、裏切らないし。そういえば、年パスがちょうど切れるころなんだよね。大阪に引っ越す前に行けばよかったと今さら後悔してる。

 大阪だったらユニバーサルスタジオジャパンになるのかな。行ってみてリピーターになりそうだったら年パス買ってみようかな。

 一通り未読だったメッセージをすべて読み流した。中はほとんどしょうもないことだった。けど、なんだか仲間外れにされてるみたいでちょっと寂しかった。


『お~い、美桜~起きてる?』

 そんなメッセージが一番下に出てきた。

『起きてるよー』

 一言メッセージを返した後に寝起きのスタンプを送る。

『どうする?ディズニー』『う~ん。ちょっと春休み中はちょっと無理かも』『なんで?』『家の事情ってものかな』『そっかぁ。じゃあ、また時間あったらまた行こうね』

 時間が合えばねぇ。あうことあるのかな。たぶん、夏休みとか長い休みの時って、ほとんどアーティスト活動してそうだもんなぁ。まぁ、機会が合えばまた行きたいよね。


 そんなことをしながらひとつ思い出した。東森町商業高校の調べものをしようと思っていたんだった。

 高校の概要は……。

 商業高校だけど、文系や理系にも分かれてるんだ。でも、やっぱり商業高校なだけあって、商業系の生徒のほうが多かったりするのかな。


 で、本命の部活は?

 吹奏楽部、軽音楽部やどこの高校にもありそうな文化部がそろって、運動部もありきたりな部活がそろってる中の真ん中あたりにひっそりと水泳部との表記が。思わず勢いでページを更新してしまう。

 あのときパッと見た限りプールはなかったから、やっぱり屋上っぽい。周りには何もなかったから、ものすごく日当たりは良さそう。

 ホームページを見た感じは、まったく強くなさそうに見えるけど、実際はどうなんだろう。華々しく優勝とか書いてるけど、どれも公式戦っぽくないし、公式戦の結果を書いてないところを見ると、なんだかものすごく弱いように感じる。ただ、私にとってはかなり好都合。強豪校だと練習ばかりでレッスンに参加できなくなりそうで、どちらかを辞めざるを得ない状況になりそうだから。

 そこまで力を入れてなさそうな学校だったら、途中で上がって、その日の部活を休んでも両立は図れそうだし。なんだか、行けそうな気がする。

 だいたいのことはわかったし、そろそろ寝よっかな。今日は朝早くから動きっぱなしだったし、ずっと緊張してたし。ものすごく疲れた。明日のこともあるし、早く寝ようっと。


 そこから3月末までスケジュール通りみっちりとレッスンを受けて、レコーディングもミュージックビデオの撮影も順調に進んで、気が付けば、来週は早くもデビューという大きな華を待つだけになった。

 それまでの間に、生活に必要なものもこそこそと買い集めていった。レコーディングやミュージックビデオの撮影などでいろいろやられたメンタル面を整えるためにと言っても全く過言ではないくらいに。

 別の日には、当てもなく学校の周りをふらふらとして周りに何があるのか見たりして時間をつぶしていた日もあったんじゃないかな。そんなことばかりして私の短い春休みはあっけなく終わってしまった。

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