122:ヲタクとセミファイナル
「とりあえず、女子の1バタやな。宮武選手と大神選手のほかにどんな選手が決勝に上がってこられるか。期待は1組3レーンの林田真琴選手やねんけどな」
「でも、意外と宮武選手の裏に隠れているけど、田辺優子選手も侮れないんじゃない?」
「ほんま、女子のバッタはようけおるよな。しばらくは安泰とちゃうん?」
「そんなことも言ってられないと思うけどね。意外と世代交代ってすぐだし、いつでも記録に追われているイメージだし。まぁ、そんなこと言ってるガヤはなんもわかってへんねん!って遊菜ちゃんが雑誌の対談の時に言ってたしね」
「せやな。うちもそう思うわ。なんだかんだ、泳いでると楽しいんよな。それに、自由に泳いでるときはなんも考えんでええし。気が楽やねん」
沙良の言うことは私もわかる。とくに、背泳ぎをしながら真夏の爽快に晴れた空を見ているとね。あれはマジで至福のひとときよね。
『大変長らくお待たせいたしました。ただいまより、第94回日本選手権、水泳競技、初日、準決勝の競技を行います』
『プログラムナンバー、7番、女子100メートルバタフライ、セミファイナル!1組の選手、入場です!』
準決勝と決勝って、公式レースだと、声が男性に変わる。そして、まるで実況のような立ち回り。たぶん、私にはできないことだろうな。なんて思いながら、レーンの外側から準決勝を泳ぐ選手たちが紹介され、少し堅かった雰囲気がさらに締まり、より堅くなった気がした。
「すげぇ緊張感やな。たぶん、BGMのせいもあるんやろうけど、選手の顔も少し引き締まってんな。やっぱ緊張してるんやろうか」
翔稀がモニターを見ながら少し険しい顔で言う。ただ、この感覚は、翔稀だけではなくて、私と沙良も同じ気持ち。だけど、ここからさらに固くなるのを私たちは知っている。
全員の紹介が終わると、静かにかつ、鋭く、笛が4回鳴らされる。この音に、私も沙良も背筋が伸びる。
決勝に比べると、まだ優しいものだと思うんだけど、決勝競技を経験したことがない私には十分すぎる刺激だ。
『テイクユアーマークス』
この声で、もうガチガチよね。びっくりするくらい身体が強張っているのが自分でもわかる。
そして、スタートの音が鳴って、詰まっていた息を吐きだす。そのタイミングはまるっきり沙良と一緒だった。
「二人してえらい緊張してんな。そんなに息が詰まるほどガチガチになるか?」
「競泳は一発勝負やねん。やから、なにより集中するのはスタートやねん。ここだけでも神経すり減らすのに、こんな合図のされ方なんか慣れてへんからなおさらやわ」
「ほんとに。私もこういうのにないから、もっとラフな雰囲気なんかじゃないとスタートできないかも」
「そんなもんなんか?」
「沙良も言ったけど、一発勝負だから、失敗なんてできないし、スタートを失敗したら、泳ぎ切ってもレースが終わったタイミングで失格通告されてゲームオーバーだからね」
「うちも一回だけスタートでやらかしたことあるわ。あのときはマジで凹んだ。予選突破できそうなタイムやったのに、やらかして顧問に怒られたもんな。忘れへんで」
「私は堅実だったからフライングを取られたことは一回もないけど」
「っていうか、あっという間に50メートル過ぎてるやん。やっぱ、トップは宮武選手か。わかってるとはいえ、速いな」
沙良と懐かしい話をしている間にレースはもう半分まで行ったのか。やっぱり速いな。トップクラスの選手たちの宴は。
ただ、それでも大きく離れているということもない。おそらく、全員が1秒以内くらいにまとまっている。と思っている。
あとは、どれだけ後ろの組にプレッシャーをかけられるか。かな。こんなレースになってくると。
『やはり、予選1組は、水の申し子こと、4レーンの宮武花梨が速い。このまま、トップで、今、泳ぎ切りました』
まぁ、実況通りよね。それでも、トップの宮武選手と2番手の林田選手の差は2秒ほど。やっぱり、速いな。遊菜ちゃんはどれくらいのタイムで泳ぐか。か。
『続いて、セミファイナル2組の選手、入場です!』
また気分を盛り立てる曲で登場する10人。そして、最後に出てきた遊菜ちゃんは、お昼にあった時とは全くの別人に見える。
「ほんま、すごい集中してるな。準決勝でもこんな集中せなあかんのか」
「さっきのレースの通りやからな。この2組に出た選手から上位8人しか明日の決勝に出られへんねんから」
「それがスイマーの本気か。すでにゴーグルしてるから、その目の奥は見えへんけどオーラがすごいわ」
翔稀がそんなことを口にすると、全員が位置に着いたのか、BGMが消えて、場内は静寂になる。
「シャイ!」
そんな静寂を切り裂くひとつの大きな声。
たぶん、遊菜ちゃんの声。初めての日本選手権で緊張しているのかはわからない。ただ、身体をたたいているところを見ると、落ち着かせて冷静を保っているようにみせているのか。
「えらい気合いの入りようやな。予選もこんな感じやった?」
「うーん。ここまでじゃなかったような気もするけど」
「ただ、あれやね。お昼にあった時と比べて雰囲気が全くちゃうな。ほんまにおんなじ人なんかって思ってまうわ」
「うん?まぁええわ。とりあえず、由佳、後でその話、詳しく聞かせてな」
あっ、由佳がやった。まぁ、これに関しては沙良のせいも少しばかりあるから、とりあえず詰めてきたらかわせるようにしておいて、今はレースに集中しよう。
『テイクユアーマークス』
さっきと同じで緊張させる声。そのすぐあと高い電子音が鳴って、選手8人が飛び出していく。
「相変わらず、力強いドルフィンやな。ほんま、あれだけグイグイ行くもんな。浮き上がりだけですでに頭一つやろ?ほんま、どこまで行くんやろ」
沙良がポツリと呟くように言うと、ちょうど浮き上がってきた遊菜ちゃん。お世辞には豪快とは言えないけど、丁寧なフォームで先頭を走る。その姿はまるでトビウオそのもの。
そんなフォームで飛ぶように飛ばす遊菜ちゃんは最初の50メートルを27秒で折り返していく。ただ、ほぼ横一線だから、差はつきにくい。それでも、バテやすい後半を粘って差をつけたいところ。
そして、前半は気にならなかった1組のタイムがじわりじわりと近づいてきている。少し焦りも出てくるだろうか。
ただ、それさえも気にさせない遊菜ちゃんの泳ぎ。さすがとしかいいようがないけど、どこからそんな力を出せるのか気になる。
それは、沙良も同じだったようで、モニターを見ながら、目を見開いて釘付けになっていた。




