110:込めた思い
「よし。それじゃあ、軽く合わせようか。沙良は、確認するのが最後だから、ちゃんと感覚はつかんでおいてよ」
「あいよ。とりあえず、帽子やもんな」
そんなことを言った沙良を横目にスマホを操作して曲を流す。
今回は、私たちの意向もあって、久しぶりに両A面にしてもらっていて、どちらでもメインに使えるようになっている。
その中でも、迷わず〈テイクユアーマークス〉を選んで再生。曲の入りは、ステップする様に跳ねる。前奏は飛び出すのと同時に私が場内に向けて挨拶。そこから、沙良と掛け合いをしてAメロは私。そこからパートごとに掛け合って、サビのコーラスに亜稀鑼が入る。
振り付けに関しては、そこまで大きい動きはボーカルにない。難しいステップもない。なぜなら、誰でも踊れるようにいつもより何段階も難易度を下げているから。まっ、振り付け師の山添さんが、ファンを増やすことや、長い間使ってもらえるようにという意図を込めたところもある。
と、横目でメンバーの動きを確認しながら、振り合わせをした結果、沙良のハットは落ちることはなくこなせることが分かった。後のメンバーに気になる点はなかったみたい。
「オッケーやな。沙良もどうや?」
「問題なさそうやわ。風に吹かれたら飛ぶやろうけど、無風やったら問題ないかも。なんやったら、気づいてへんかってんけど、前よりワンサイズ小さいわ。深く被られへんようになってる」
「なんだ。まっ、よかったじゃん」
「ほんまやで。お騒がせしました」
とここまで来たのはいいんだけど、沙良が後はどうなるか。ここから堅くなって緊張するのか、はたまたこのまま緊張せずに本番を迎えるのか。本人次第だから、私からは見守ることしかできない。
「よし、それじゃあ本番まで待機ね。たぶん、石塚さんが呼びに来てくれるかなと思ってるけど、それまで体を冷やさないようにね」
「オーライ」
この声で、みんな一時的に解散。本番までそれぞれが思い思いの時間を過ごしだす。とりあえず、私は最後に流れの確認をしておくか。もうリハーサルできない代わりに。
「おはようさん。今日はよろしくな」
本部の控室で待機していると、長谷部さんが声をかけてきた。
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」
これ以上の言葉が出てこないことにちょっとびっくりしているけど、最大限丁寧に挨拶をする。
私に続いてほかのメンバーも長谷部さんに挨拶をする。
その姿を見て満足したのか、長谷部さんは場内に出られるドアの近くの窓まで行って、窓の外を眺めている。
「今年もこの季節が来たな。毎年だけど、選手の一年を大きく左右するレースだから、やっぱりわずかに漏れた選手は可哀そうだよな。中川さんも長谷川さんも気持ちはわかるかな?」
窓の外を見る長谷部さんは少し悲しそうな顔をしているように見えた。
「そうですね……。正直なことを言うと、うちも美桜もいわゆる弱小校のくくりで、そこまで競争はありませんでしたけど、今回、曲を担当させてもらって、元競技者として気持ちはわかります。……なんていうか、泣いてる選手を見てしまうと辛くなりますよね」
「私も選手が感じる“悔しい”という気持ちはわかります。去年、お仕事でとある選手と対談させていただいた時、その選手の学校のマネージャーの話を聞きました。その話を聞いただけで、私もつられて泣きそうになりました。そのときの話を少しだけ曲に組み込むことも考えました。けど、熱い思いが冷えそうと思い、周りが信じる熱い思いだけを歌詞に組み込みました」
そういうと、沙良は、クイッと私のほうを見た。初めて聞いた話だからびっくりしたのだと思う。
だけど、すべて実話。とある選手というのは、友人の大神遊菜ちゃん。そして、マネージャーというのは、伊藤美咲さん。
この曲には、スイマーはもちろん、支えるマネージャーやコーチ陣の“なんとか頑張ってこい”という思いを少し詰め込んだ。
「ハハッ。石塚くんも適任を探すのがうまいな。私も最初、この歌を聞いた時、身震いしたんだ。細かい描写の中に決して頑張れとは言わないけど選手を鼓舞する言葉。そして、原石という殻を破って宝石になれよ。と。たしかに、今までの選曲の中に、背中を押すような曲はいくらでもあったけど、どれも水泳で使うことことを考慮していないから、どこか他人事のように聞こえて、少し寂しかったんだ。だから、こうして水泳専用で使える曲ができたこと、それに、こうやって鼓舞できるような曲ができたこと嬉しく思うよ」
しっかりと意図が長谷部さんに届いている。そう感じるのに時間はいらなかった。
「歌詞を構成してくれたんは美桜です。直接的な表現は色だけにとどめよう。って言って。というのも、水泳は競泳だけじゃない。水球や飛び込み、アーティスティックスイミング。幅広い種目がある中で、それだけに焦点を当ててしまうと、ほかの選手に申し訳ないって」
「だけど、専門用語を使わないと、水泳っぽくならないんで、少しだけ入れてますけど」
「それくらいがちょうどいいよ。さて。もう少しでレースが始まるな。選手にエールを送れるようによろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そういって、長谷部さんは音響室に戻っていった。それと入れ替わりで石塚さんが本部室に入ってきた。
「お疲れ様です。それでは、移動しましょうか。初めてのことなんでみんなバタバタしてるので、なにかしらミスがあるかもしれませんがご了承ください」
「こちらも初めてなんで、こっちもバタバタするかもしれませんがお願いします」
ここはもう持ちつ持たれつってところかもしれない。だけど、ここから私たちミアシスのミスはできない。やるしかない。
「よっしゃ。ここから集中やな。亜稀鑼、気張らず楽しむぞ」
「わかってるって」
亜稀鑼の顔はいつもよりにこやか。びっくりするくらい落ち着いている。なんなら、見たことないくらい。
対しての沙良は。と、言いたかったところだけど、沙良もいつもより落ち着いている。静かなのは、緊張よりも集中しているみたい。声はかけないでおこう。
あと、由佳は……いつもどおりか。心配することは何もなさそう。というよりも、メンバーが全員いつもより心強いのはなんでだろうか。
それでもいい。ここからは一発勝負。私もメンバーのことを気にせず、自分のことに集中しよう。




