9_僕と呪縛と眉間のシワ
僕の名前は広瀬優斗。16歳、男、彼女なし。
新宿のファミレスの中――
「…大丈夫ですか?」
初詣から2週間が経過していた。
小林さんは徐々に頬がやつれ、顔色が悪く水ばかり飲んでいる。
「大丈夫だけど……心配なんだよ…」
『ドッグタグ』のリーダー芹沢さんとトレジャーバトルで勝負することになり、小林さんは僕が負ける心配ばかりしている。
(僕が大丈夫って何度言っても全然信じてくれない…難しい顔をするだけ…)
小林さんの眉間を人差指でぐりぐりとほぐす。
小林さんはイテテテ、と言ってメガネを外したり、水を飲んだり、自分で眉間を揉んだりと忙しくしている。
(ダメだ…信じてもらうには実績が必要なんだな…)
強く思いながらシーフードドリアを食べ終わる。
「小林さん…!」
弱々しい目を向けられる。
「僕が勝ったらご褒美ください」
「………へっ?」
「僕は僕のため、ご褒美のために頑張るんです」
小林さんはポカンと口を開けていたけど了承してくれた。
(よしっ、ご褒美のためにも絶対勝つ!そして小林さんが困るようなご褒美をねだるんだっ…!!)
ゴォォーだがメラメラだが分からないが、俄然やる気が湧いてくる。
ファミレスから出てゲームセンターに向かう途中、気になっていた疑問を僕は投げかけた。
「小林さんはドッグタグの新年会に参加したんですか…?」
ウゲッ、と呼吸が乱れ、むせかえるほどの咳をしている。
「だ、大丈夫ですか?」
「…大丈夫じゃない。水を買ってくる…先にゲーセンに行っててくれ」
「嫌ですよ、一緒に行きましょう。もう新年会のこと聞かないので…」
(ちぇっ、秘密主義者め…どうやって聞き出そうかな…?)
スーツをきっちり着ているサラリーマン小林は道端の自販を指さした。
「飲み物いるか?買ってくるけど…」
「温かいお茶が飲みたいです」
んっ、分かった、そう言うと一人、自動販売機へ向かう。
(お酒が入るといつもより口が軽くなるから…その時にさりげなく聞き出すとか…?)
考えていると、「こっちに来てお茶を選んでくれ」と呼ばれて走った。
交流会当日――
仲野駅で小林さんと待ち合わせした。相変わらず表情が硬い。僕は小林さんの眉間を人差指でぐりぐりとほぐす。
「…広瀬、マスクしてくれ、少しでも顔を隠してほしい」
僕の行動はスルーされた。
(本当に大丈夫かな…貧血起こして今度は倒れそう…)
小林さんは首にかかったシルバーチェーンを見つめている。
ゲームセンターへ共に歩く。到着すると交流会は始まっているようで、マネージャーさんが小林さんに声をかける。
「芹沢君なら奥のスペースにいるんじゃない?」
マネージャーさんは僕の方を見ようとしたけど、小林さんが僕を背中で隠す。そのまま僕を連れて奥の部屋に入る。
芹沢さんは革張りのソファに座っていた。
「待ってたよ、匡宏。後ろの弟君…ユウ君だったね」
初詣で会ったときと同じ毛皮のコートを着ている。
「匡宏、先週の新年会で僕に挨拶がなかったけど…どういうことかな…?」
芹沢さんが話しかけているのに、小林さんは無反応だった。不思議に思って小林さんを見たらヘビに睨まれて、いつものように動けなくなっている。
(今度こそ小林さんが干からびたカエルになっちゃう…)
「…芹沢さん、早く勝負しましょう。兄さん、行くよ!」
僕はガシっと小林さんの腕を掴み引っ張ろうとするけど、芹沢さんも反対からドッグタグを引っ張るので小林さんは苦しそうにしている。
「ねぇ、匡宏、この勝負、僕が勝ったら何かもらえるのかな?」
(この人、僕に負けるはずがないと思ってる…)
小林さんは首を抑えて苦しそうだから僕が返答する。
「僕が勝つので決める必要はありません」
(絶対に勝つ…!!)
勝ちたい、という気持ちが高まる僕を芹沢さんは無視する。
「匡宏、フィールドは弟君が決めていいよ」
僕との勝負なのに、芹沢さんは小林さんをからかって遊んでいる。
小林さんにダッフルコートを預けてトレジャーバトルの台に座る。
ゲーム画面を操作しているとき、初めて胸の高まりを意識した。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
(あれっ、心拍数上がってる…)
気持ちが先走り、体がついていけてない。
『BATTLE START!!』
シャークとチャーリーは走り出す。
(まずは様子見…)
相手の動きや攻撃の仕方、癖がないか確認する。
(こんなに慎重にプレーするの初めてかもしれない)
なかなか攻撃を仕掛けることができず焦りが生じる。
(僕は自分のことを過大評価していた…?本当に僕は芹沢さんに勝てる…?)
消極的なプレーばかりになっている。
(もし僕が負けたら…どうなるの…?)
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン…。
「ユウ、いいぞ、頑張れ!」
後ろから声がしてハッと我に返った。
(そうだ、僕は勝つんだ。勝って小林さんの苦悩を取りつつご褒美をもらうんだっ!)
ゴォォーだがメラメラだが分からない活力が全身にみなぎってきた。
(相手の出方を待っちゃダメだ、先手必勝)
チャーリーを誘い出すため、無防備に沼地を移動する。
(来るなら来い、ここで決める!!)
実際に攻撃を仕掛けたら、あっという間に決着がついた。
(いぃやっぁぁぁぁぁっったぁぁ!!)
両手で拳を握りしめる。快感が全身に広がり体がふわふわ軽くなっていく。
後ろを振り返って小林さんと喜びを共感したいと思った矢先、「ユウ、行くぞ」と席から立たされて腕を引かれる。
足がもつれて転びそうになっている僕なんて全然気にしていなくて、逃げるように出口へ向かって歩いていく。
小林さんは途中、マネージャーさんにドッグタグを投げるように返却していた。ゲームセンターを出てもなお、引っ張られる。
(どこまで行くんだろう…?)
「あの、小林さん、自分で歩けます」
「あぁ……。コート…」
「ありがとうございます」
小林さんに預けていたダッフルコートを着込むとき、高揚感がよみがえってきた。
(勝ったんだ…僕…)
すごく気分が良かった。
そんな中、小林さんは眼鏡を外し、目元をぬぐっている。
「…悪いけど、肩かして」
僕の首に腕をまわして、しがみつく。
「あと10秒で…落ち着くから…もう少し…このまま…」
呼吸を安定させたいのか涙を出さないように我慢したいのか分からないけど、小刻みに震える振動だけが伝わる。
僕は小林さんを励まそうと思うのに、口から出る言葉は当てつけばかりで嫌になる。それなのに小林さんは頬が緩みっぱなしで満ち足りた表情。
「ご褒美は何でもやるからな、考えておけよ」
そう言われた瞬間、今度は僕が泣きそうになった。
(こんな表情が戻ってきてくれて…本当に良かった…)
「俺…ものすごく飲みたい気分なんだけど付き合ってくれない?」
小林さんはつきものが落ちたような、解放されたような雰囲気だ。
「提案なんだけど、俺の家で飲むのあり?」
「もちろん、いいですよ」
そのままデパ地下で買い物をして、タクシーで小林さんのマンションに向かう。
「お邪魔します…わぁ、広いですね…」
玄関を開けたらキレイなフローリングに白い壁。
1LDK、リビングダイニングの横にドアで寝室が仕切られている。
思わず探検したくなる。
カウンターキッチンは機能が豊富でボタン操作したくなる。
「寝室も見ていいですか…?」
「いいけど…たいしたことないだろう…?」
小林さんは買ってきた荷物の整理をしている。
(たいしたことあるよ、宅配ボックスとか、カードキーとか最新すぎる)
寝室にはウォークインクローゼットがあり、そのままお風呂やトイレ、ベランダも見て回る。
「男の一人暮らしだぞ、珍しいもんなんてないだろう?」
買ってきた惣菜などをお皿に取り分けながら、僕の行動に笑っている。
「あっ、手伝います」
僕は慌ててキッチンへと向かう。
「あぁ、いいよ、適当にテレビ見たり、ネットしたりしてて」
小林さんはご機嫌で鼻歌でも歌い出しそうだ。
準備が終わりテーブルの上には美味しそうな食べ物が並ぶ。
「それじゃあ、乾杯の音頭をお願いしていい?」
小林さんはワイングラスを持ち、僕はウーロン茶を持った。
「はい、小林さんの呪縛からの解放と僕のご褒美に」
「はは、俺のチーム脱退と弟の勝利に」
乾杯、と言って祝賀会は始まった。
小林さんは初めからテンション高くワインを飲んでいる。
「勝利の美酒に酔えるなんて最高だぜ」
開始10分でもう酔っているようだ。楽しそうで僕も気分が上がる。
「俺…スウェットに着替えてくる」
小林さんは急に立ち上がると寝室に姿を消す。
そのまま戻って来ない。心配になって寝室の前で声をかける。
「あの、小林さん?」
ドアをノックするが返事はない…というか寝息が聞こえる。
「開けますよ~?」
ガラっとドアを開け部屋の中を見ると小林さんはベッドにもぐりこんで寝ていた。
(えっ…?まだ19時前だけど…)
なんとなく寝顔をのぞきこむ。幸せそうに寝ている。起こすのも可哀想だ。
「仕方ないか…クマもひどかったし…」
メガネをそっと外してサイドテーブルに置く。
「…ひろ…せ…あ…りが…」
小林さんは、むにゃむにゃ口を動かして、またスゥーと寝息を立てる。
「ゆっくり寝て下さい」
部屋の明かりを消してドアをしめた。
2007年1月28日、兄さん(小林さん)に安眠が戻って良かったです