<ホド編 第2章> 74.ハノキア
<登場人物>
【ロン・ギボール】:ホドに存在する巨大な亀。九獣神と呼ばれる世界の自然の役割のひとつを担っている太古より生き続けている存在。その中でも四獣神と呼ばれる部類に位置付けられている。本体は精神体で青年の姿で現れる。自然エネルギーを実体化した姿が巨大な亀となっている。
74.ハノキア
(あの蛇を解放だって?!)
青年の姿をしたロン・ギボールの依頼にスノウは驚いた。
エントワ、ロムロナ、ニンフィーと共に彼のもとへ行き、半ば騙すようにして彼の加護である世界蛇の牙シェムロムを入手したのだが、解放した瞬間に騙された恨みで襲われそうだとスノウは思ったのだ。
(マジで勘弁だ‥‥あれに勝てる気はしないしな‥‥)
「ははは!そんなことを気にしていたんですか。大丈夫ですよ、解放してくれることでお釣りが来るくらいです。逆に彼から感謝されるはずですからね」
青年は笑いを堪えながら言った。
どうやらスノウの思考はこの世界では筒抜けらしい。
「ちっ‥‥まぁいい。それで、おれ達は何をしたらあんたらを解放出来るんだ?」
「ヨルムンガンドは簡単です。彼を閉じ込めている牢獄を開けてやればいい。鍵は元老院が持っているはずです。ヨルムンガンドも長年指蛇を放って鍵の在処を探ってきましたが、結界の力が強すぎて捜索範囲が限定されてしまっているんです」
「ってことは手がかりはなしってことか。まぁいい、どのみち元老院は潰すつもりだからな」
「侮れませんよ彼らは。ヨルムンガンドを結界に閉じ込めた力を持っているんですから。それにとてつもない力を持った者が3人。蒼市の方角に感じます」
「ひとりはニル・ゼントだな。もう一人はやつの従者のような存在のザザナールか。そして3人目はジライ‥‥いずれにせよ潰すのは変わらない。それであんたはどう解放すればいい?」
「僕は今この甲羅の心臓の中に封印されています。それを解除するためには外周に張り巡らされた結界の杭を破壊することと、この甲羅の心臓の中心にある結界膜を破壊することです」
「難しくなさそうだな」
「君ならばね」
「?‥‥どういう意味だ?」
「僕の心臓の外壁つまりロンギヌスの槍が刺さった心臓内部の壁の中は、超高濃度魔力で満たされています。魔力が煮詰まったような状態なんです。言うなればカルパと同じ状態。耐性のない者は一瞬の内に蒸発します」
「槍で刺された時に甲羅の心臓の内部にあった海水がホドの海に傾れ込んでいるじゃないか。海水にも超高濃度の魔力が混ざって流れ込んだっていうのか?」
「いえ、あくまで甲羅の心臓の内部だけです。ディアボロスたちが誰にも結界を破壊できないように超高濃度魔力で満たしたのです」
「‥‥おれはカルパを渡ることが出来る。おれならばあんたの結界を破壊できる」
「空っぽの意識の人、スノウ・ウルスラグナ。気をつけてください。カルパには流れがあります。つまり越界する時は流されている状態です。ですが、心臓の中には流れはありません。君の動きを封じ飲み込もうとするでしょう。抗わずに泳ぐのです」
「?‥‥抗わずに泳ぐってどういう意味だよ」
「行けばわかりますよ」
「それはそうと、何故おれのことを空っぽの意識の人って呼ぶんだ?」
「分かりません。何故かそう思うんです。説明は出来ません。スノウ・ウルスラグナ。僕の依頼を受けてくますか?」
「ああ。受けるよ。元老院‥‥いやニルヴァーナの策略やオルダマトラの計画を阻止できるんだろう?それにそもそもあんたらを救わないと世界が終わるって話だったよな?」
「ええ。‥‥依頼を受けてくれてありがとう」
「いや、礼なんていらないよ。だがアレックスが戻らないとなった今、あんたにも怒りを感じるが、そもそも罪はないことが分かった。原因はあんたをこの地に縛り付けた者たち‥‥つまり唯一神と天使達、そしてディアボロスらオルダマトラにいるやつらだよな?おれは絶対にやつらを許さない。必ず報いを受けさせてやる」
「そうですか‥‥もし、僕やヨルムンガンド、そして他の縛られている九獣神たちを解放してくれたら、九獣神は君に協力することを約束します。君にはどこか懐かしい感じを覚えるしね」
「??‥‥それで、何故あんたらを解放しないと世界は終わるんだ?」
「ひとつひとつお話ししますね」
青年の姿をしたロン・ギボールは晴天の空を見上げながら何かを思い出すように話始めた。
・・・・・
遠い昔の話。
宇宙のとある場所に全てが存在する楽園があった。
科学とは無縁。
産業など存在しない。
人は働かずとも全てを得て、喜びに満ち溢れていた。
死ぬことも病むことも怪我をすることも飢えることもない世界。
一度生を受けた者は後悔もなく未来永劫満ち足りて生き続ける。
そのような楽園が存在した。
科学とは不都合の裏返し。
産業とは破壊。
貨幣経済は支配。
この楽園ではそれらは存在しないし、利益不利益という概念すらない。
その地に生きる者達は自然に感謝と慈しみを持っていた。
いつしかその敬愛は具現化され、自然一つ一つに概念が生まれ、固有の思念が生じ、一つの精神体を形成した。
世界を優しく照らす太陽、楽園を包み込む宇宙と楽園の狭間、月の光、澄み渡る浄化の大気、芳しい命を運ぶ息吹、湧き出でる水、世界中のあらゆる作物を生み出す土、植物を強くする冷気、そして生まれ変わるもの全てを受け入れる海。
これら九つの奇跡に精神が宿った。
楽園の人々は九つの精神体の誕生を心から祝った。
太陽の暖かみと輝きは人々を元気にする言葉を降り注ぎ、月の光は子守唄を届けた。
香しい命の息吹は草木の新たな誕生を告げ、澄み渡る浄化の大気の囁きは人々に落ち着きと安らぎを与えた。
人々と九つの自然の精神体の会話が続いていくにつれて、楽園はさらに発展した。
だが、その平和も長くは続かなかった。
天変地異が楽園を襲い、終わることのない生命を宿した人々から不老不死の力が失われ、ある者は命を失い、あるものは見知らぬ世界へと飛ばされた。
九つの精神体は楽園の人々を救うため天変地異を抑えようと必死に抗った。
次第に精神体は壊されていく楽園の自然を身に纏い実体を得ていく。
こうして九つの獣が生まれた。
太陽からは “日の鳥アレテマー”。
次元の狭間からは “次元竜ウロボロス”。
湧き出でる水からは “源水の碧亀ロン・ギボール”。
世界中の実をつける土からは “世界竜ヨルムンガンド”。
月光からは “月光の狼ウタグ”。
香しい息吹からは “白虎ゼンガルエン”。
冷気からは “氷の青龍アガナンタ”。
浄化の大気からは “空の波動ゼン”。
全てを受け入れる海からは “海のカナロア”。
名を与えられた獣たちは古の神の力を宿した神獣となり、九つの世界に散った。
その時、九獣神たちは何者かの声を聞いた。
“憑依の器、依代にてふたたび顕現の時を待ち、偉大なる力が統治する時、鍵とともに器を満たし、世界は完全なる形をなす”
それから月齢が進み満月を迎えた日、突如楽園は終わりを告げた。
空から隕石が落ち、巨大な地震が発生したのだ。
地は裂け、海水は巨大な竜巻となり上昇し、火山は至る所で噴火し、空は黒雲に覆われ、黒い雨が幾日も続いた。
劣悪な環境の中、楽園にいた人々は必死に生きていたが、老いるはずのない人々の皮膚に皺が現れ、怪我をすることのない体に傷や骨折が生じ、病気を知らない内臓には疾患がで始めた。
あらゆるものが変わっていった。
楽園は次元崩壊を起こしていた。
美しい自然に溢れ、全てを持ち、満ち足りていた楽園は消え、本来ひとつであったエレメントは各地に飛び散った。
火に支配された世界、水に覆われた世界、風が吹き荒れ続ける世界、匂いに力を宿した世界、巨大な骨の柱を有する世界、音が魔力を得た世界など楽園の中で調和を保っていたエレメントは個別の世界を形成した。
そして九獣神はそれぞれの世界に引っ張られるようにして散っていった。
その時、複数の邪悪な存在が現れ、九獣神のうちの数体を本来いるべき世界とは違う場所へ送った。
そして世界は固定された。
・・・・・
「これがハノキアの始まりです」
「‥‥‥‥」
スノウは言葉を失っていた。
雪斗時代が人生のスタートであったため、スノウの起点はマルクと、すなわち地球だった。
地球を中心として、いくつかの異世界が存在しているのだと思っていたのだ。
「マルクトもまた楽園から分離して生まれたのか?」
「いえ、あれだけは特別です。これは僕や他の九獣神も話すことが出来ない。僕らを縛っている存在の力が働いてマルクトについて語ることが許されていないんです」
「九獣神を縛っている者‥‥もしかして唯一神か?」
「それも言えません。君の想像に任せます」
「‥‥‥‥」
(九獣神をそれぞれの世界に固定したというのが餼伽変換だろう。そしてそれを実行したのは、唯一神自身か天使と魔王だ。いずれにせよ天使と魔王、つまり唯一神を中心とした善と悪の存在だけが餼伽変換や瑜伽変容を行える状態だ。ほぼ間違いないだろう)
スノウの仮説が正しければ、隕石を落として楽園を破壊し9つの世界へと分離させたのは唯一神であり、自身の体を分割して九獣神に宿らせて各世界に固定した、となる。
「それで世界の崩壊が近づいているとかなんとかって話はどうなんだ?」
「ハノキアの形成には膨大な質量の魔力が必要なんです。それがカルパですね。カルパはそれぞれの世界を繋ぐ橋の役割も担っています。つまり膨大な量の超高密度の魔力がハノキアの各世界を繋いでいるので何とかバランスを保っているのです。ですがそのカルパを繋いでいるのはそれぞれの世界だけでなく、九獣神の力も働いているのです。僕は本来ゲブラーにいるべき存在です。それがホドに固定されてしまった。これはカルパの繋がりを歪めてしまっているのです。この歪みが限界を迎えた時、ハノキアは崩壊し、それぞれの世界は九獣神が繋げているエレメントの力を失います。つまり、僕の力があったからこそ、ハノキアのそれぞれの世界には雨が降り、飲み水になったり作物を育てる水になったりしているのです。ですが、その歪な状態もそろそろ限界を迎えます。ハノキアの異世界がハノキアの繋がりから解き放たれ崩壊するのです」
ザン!
スノウはあまりの突拍子も無い話に驚きを隠せなかったが、ロン・ギボールの精神世界にいるスノウにとって彼の言葉には嘘偽りがないことが伝わってきたのだった。
(ハノキアは崩壊する‥‥冗談ではなかった‥‥)
スノウはこれまでの認識が大きく覆され何も言わずにロン・ギボールを見ていた。
いつも読んで下さって本当にありがとうございます。




