<ホド編 第2章> 62.聖槍
<本話の登場人物>
【ラファエル】:ホドの守護天使。黒いスーツに身を包んだ金髪の女性の姿をしている。
62.聖槍
ドォォォン‥‥
ドォォォン‥‥
不気味な心音の衝撃波はホド全土に響き渡る。
甲羅の心臓が鼓動を刻むにつれて、ホドの水が大きく吸い上げられていく。
既に3分の2の海水が消え、浅い海底やホドカンを支えている部分の岩肌が顕になり、美しい水を湛えていたホドは見る影もなくなってしまった。
――蒼市――
大聖堂の出入り口にニル・ゼントとザザナールがいた。
「このままじゃホドに水がなくなってしまうぞ‥‥」
顎を手で触りながらザザナールが呟くように言った。
「その通りです。ロン・ギボールが何者に変態を遂げようとしているのか分かりませんが、いよいよ人間が住まうには過酷な世界になりつつあるようですね。海水だけでなく、真水も吸い上げられ始めました」
ニル・ゼントの指摘通り、蒼市に流れている川や湧水が重力が逆転し始めたかのように空に向かって登っていくのが見えた。
海水ならまだしも、生活水が吸い上げられホドカンから消え失せる場合、生物にとっては死活問題になる。
ホドカンには海水を真水化する古代の技術がある。
その海水はホドカンの下、普段であれば海中に埋まっている場所から海水を吸い上げて真水化しているのだが、水位が海水が回収できる場所以下となってしまったため、海水を吸い上げることは出来なくなり、今後生活水を生み出すことも出来ない状態になっていたのだ。
「さて、地上はしばらく住めませんね。我らも素市の民同様にダンジョンの奥深くへと向かいましょう。ダンジョンの下層であれば生活水を吸い上げることもできるかも知れませんし、このような事態も想定して物資をダンジョンの下層に運んでおいたのですからね」
「了解です。全く、どこのどいつがこんなことをしでかしたんでしょうね」
「中枢・ニルヴァーナの方々は大体の見当はついているようですね。残念ながら私には何の情報もありませんから、今は待って堪える時でしょう」
そう言うとニル・ゼントはザザナールとともにダンジョンに潜って行った。
――素市上空――
スタ‥
フランシア、ロムロナが立っている素市を防御する障壁の縁のところへスノウとアリオクが着地した。
「スノウボウヤ!ってあんた誰?!」
ロムロナはアリオクを見て警戒し武器を構えた。
アリオクの持つ魔王のオーラを感じ取り恐怖し、反射的に体が動いたのだ。
「ロムロナ、大丈夫だ。彼はアリオク。只者ではないと感じ取っている通り、魔王だがおれ達の仲間だ」
「ま、魔王?!これが‥‥」
ロムロナは予め聞いていたはずなのだが、初めて魔王のオーラを感じたことで驚かずにはいられなかったようだ。
「アリオクくん‥‥ちょっとそのオーラ抑えてくれるかなぁ?‥‥あまりに強すぎて皮膚が痛いわぁ」
「お前はロムロナだな。ここへ来る途中スノウに聞いた。スノウの魔法の師匠だとか。俺はアリオクだ。オーラは極限まで抑え込んでいるのだが、若干漏れ出てしまうようだ。だが、それを感じ取るとは流石スノウの魔法の師匠だな」
「漏れ出てこの恐怖心を煽る強烈さ‥‥アリオクくんが仲間でよかったわ」
ロムロナは不安そうな表情でスノウを見たが、スノウは意地悪そうな表情でロムロナを見ていた。
これまで見たことのない表情で、ロムロナでも怯えることがあるのだと思ったスノウは少し揶揄ってやりたい気になったのだ。
(しかし、男には誰にでも ”ボウヤ” をつけるのにアリオクに対しては ”くん” 付けになっているぞ。それだけビビっているってことか)
「マスター、次の行動のご指示を」
「お、おう」
スノウは天変地異の前触れという危機的状況であることを思い出し、甲羅の心臓を見ていた。
「海水も生活水を生成する限界水域を下回ったようです。このままではダンジョンの51階層への生活水供給が止まります」
「まずいな‥‥餼伽変換まで持たないかもしれない」
「餼伽変換?」
「説明は後だ。この後、何が起こるか分からない。是が非でも素市を守るぞ。アリオク、やはりこのまま全ての水をあの亀心臓に吸われるのはまずい。おれはあの亀心臓に攻撃を加えて亀裂のひとつも入れてくるつもりだ」
「分かった。俺も付き添う。だがスノウ、死を覚悟することだ。あのような状態になっているとはいえ、ロン・ギボールは我らが太刀打ち出来る相手ではない。攻撃がくることを想定しておくのだ」
スノウは頷いた。
そして甲羅の心臓に向かって飛び立とうとした瞬間。
キィィィィィン‥
“スノウ・ウルスラグナ‥‥私の声が聞こえますか?”
「?!」
突如スノウの脳裏に声が響いた。
アリオクやフランシア、ロムロナを見るが全く反応がなく、スノウにしか聞こえない声だと思われた。
「どうかしましたか?」
怪訝そう表情のスノウを心配してフランシアが話しかけてきた。
「いや、大丈夫だ」
スノウは一旦自分ひとりで処理しようと思い、頭に直接響いてくるような声に集中した。
“私の声が聞こえいますね?”
(ああ、聞こえている。お前は誰だ?どこかで聞き覚えのある声に感じるが‥)
“私はラファエル。ホドの守護天使です。数年ぶりの会話なのでじっくりとお話ししたいところですが今は一刻を争います。すぐに今らから示す地点に来て私の自由を奪っている鎖を断ち切って頂きたいのです。あなたの持つ神剣フラガラッハであればこの鎖を断ち切ることが出来ます。急いでください”
スノウの脳裏にとある場所の映像が映し出された。
同時にそこがどこかも理解できた。
(地図見ているわけでもないのに場所が分かるとは‥‥天使の力か。でもやはりラファエルの声だった。アレックスを取り戻すのに探す手間が省けたな)
「すまない、おれはラファエルを救いにいく。やつが直接おれに語りかけてきたんだ。今は詳細を説明している暇がない。お前隊はここで待機し、何が動きがあれば対処だ。必ず素市を守ってくれ」
そう言うとスノウは素市と蒼市の中間地点あたりを目指して凄まじい速さで飛んで行った。
まだ5分の1程度の海水は残っているが、ラファエルによって指し示された場所は海底だった。
バショァァァ!
スノウはリゾーマタの空気系クラス1魔法のオキシプレスをボンベのように使い海の中へと潜っていく。
(あそこだな)
ラファエルによって指し示された地点が見えるとスノウは一直線にその場所へ泳いで行った。
シュワワァァ‥‥
(来ましたか。さぁフラガラッハで私を捕らえている鎖を切るのです)
海中にいるため念話で意思疎通を図ってきたのは、海底の岩に鎖で繋がれている黒いスーツに身を包んだ金髪の女性だった。
スノウには十字架に磔にされているように繋がれているこの女性に見覚えがあった。
(ラファエルだな。その前に約束しろ。アレックスを救うとな。それを約束出来ないならおれはこの鎖を切らない)
(天使と契約しようと仰るのですね。身の程を知らぬ者‥‥と言いたいところですが、あなたならば仕方ありません。アレクサンドロス・ヴォヴルカシャを解放することは容易ではありませんが、それは私も望むことです。アレクサンドロス・ヴォヴルカシャを共に解放するよう行動することを約束致しましょう)
(アレックスを救うと確約しろ。そのための犠牲は全て払え。出来ないならおれはこのまま去る)
(分かりました。アレクサンドロス・ヴォヴルカシャを救うことを約束しましょう)
スノウはフラガラッハ抜いた。
ガキン!ガキン!ガキン!
両手、足を拘束している鎖はフラガラッハによって簡単に斬られた。
スィィ‥‥
自由になったラファエルは自身が磔にされていた岩を思い切り叩いた。
ゴボォォォォン‥‥
(何をしている?)
(あれを止めるための聖具を取り出すのです。元々それを持ち出すためにこの地にやってきたのですから)
ボゴォォォ‥‥
岩が崩れるとその中から古びた槍が出てきた。
ラファエルはその槍を手にするとスノウ上昇するように促し凄まじい勢いで海面に向かって進み始めた。
スノウも同様に進み、海面から地上へと出ていく。
ラファエルは甲羅の心臓と同じ高さへと上昇するとそこで静止した。
「何だその槍は?」
「ロンギヌスの槍です」
そう言うとラファエルは槍を右手に持ち投擲の構えを取った。
そしてロンギヌスの槍を甲羅の心臓へと投げつけた。
ブワァァァン!!
軽々と投げたにも関わらず凄まじい速さで甲羅の心臓に向かって槍が飛んでいく。
ガキン!
甲羅の心臓に槍が突き刺さる。
「あんな小さな槍を刺したところでダメージなんて与えられないんじゃないか?」
「あれは神の御業です。神を消滅させることが出来るものはこの世界に存在しませんが、神に傷を負わせることのできるものは存在します。神はご自身の力が悪用された場合への対処法もお考えなのです」
バリン!ビギギギ!バリリリン!
甲羅の心臓に突き刺さった槍から甲羅に亀裂が入り広がっていく。
甲羅の心臓内に溜まっている海水の水圧に耐えられなくなったのか、一気に亀裂が生じ始めた。
バリボゴォォォォン!!
甲羅が割れ、直径100メートルほどの大きな穴が開き、そこから大量の海水が滝のように流れ始めた。
空に続いている異世界へと続く水の管も徐々に薄れて消え始めた。
「ハノキアの滅亡は避けられました‥‥」
ラファエルはホッとした表情で言った。
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