<ケセド編> 145.月裏
145.月裏
「シンザ‥」
「!!」
ルナリはシンザをじっと見つめながら言った。
「ル‥ナリ?喋れるの?!」
「シンザ‥」
「やっぱり喋れるんだね!」
スタ‥
「シンザ。ゆっくりと “それ” から離れろ」
いつのまにかシンザから少し離れた場所にアリオクが来ており、真剣な表情で言った。
「アリオクさん!ルナリが喋ったんですよ!」
「それはルナリではない。ダブハバナの核だ。お前の名を呼んだのもルナリではない。核がルナリの体の声帯を使って話している」
「そ、そんなことはないですよ!ルナリ!」
「‥‥‥‥」
ルナリは無言で立ち上がった。
「‥‥‥‥」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ‥‥
ルナリは俯いている。
そして不気味な笑みを浮かべて髪の隙間から鋭い眼光をシンザとアリオクに向けていた。
「いかにも‥‥我は負の核‥‥イシュタルによって生み出され、この地に縛り付けられていた存在‥‥だが、この体に入り込むことによって自由を得た。我はここから抜け出す。邪魔をするなら貴様らの意識を破壊してやる」
「ル、ルナリ?」
ルナリから発せられた声は女性のものであったが、その口調は男性そのものだった。
「シンザ離れろ。今すぐにだ」
「いや、ルナリですよ!ルナリ?」
「哀れなニンゲンよ。この体には元々ルナリという意識もルナリという人格も存在していない。空虚な存在であり、貴様が勝手にこの体に人格が存在していると誤解していただけだ。さぁ我に負力を捧げよ」
ルナリはシンザの頭部を両手で掴んだ。
「んんんあぁぁぁぁぁ!!」
シンザは白目を剥いて叫び出した。
「あああああがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
口から泡を拭き始めた。
アリオクは魔長刀、獅子玄常を構えた。
「仕方あるまい。シンザ諸共核を斬る」
ヒュゥゥゥゥゥゥン‥‥
アリオクは躊躇する事なく魔長刀をシンザの背中から突き刺そうと強烈な踏み込みを入れた。
ガキィィン!!
「何?!」
ルナリの体から黒い手が出現し、アリオクの魔長刀を掴み、突きを防いだ。
「何だ?体がいうことをきかない‥‥何が起こっているのだ?」
突如ルナリの体を乗っ取った負の核は困惑した表情で言った。
負の核のコントロールが効かないのか、ルナリの背後から黒い手が2本出現し、シンザの頭部を掴んでいる手の手首を掴み引き剥がそうとし始めた。
「こ、これは?!ぬぅぅぅぅ!!」
ドサァ!
黒い手がルナリの手を広げたことでシンザは解放され地面に膝をついた。
「ル、ルナリ‥」
ニュゥゥ‥
さらに2本の黒い手が出現し、ルナリの頭部を掴んだ。
「何をする!」
凄まじい力で黒い手はルナリの頭部を掴み押さえつけている。
ググググ‥‥
そして徐々に手を上に動かし始めた。
ニュゥゥ‥‥
さらにもう一本黒い手が出現し、アリオクの持つ魔長刀を指差した。
それを見たアリオクは立ち上がり、魔長刀を構えた。
「ま、まさか!あり得ぬ!あり得ぬぞ!この体には何もなかった!意識も人格も!何の痕跡もなかったはずだ!こやつは一体何なのだ!」
ググググ‥‥
ルナリの頭部を押さえつけて上に引っ張っている黒い手はさらに力を込めてまるで頭を胴体から引き抜くような勢いで上に持ち上げていく。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ルナリは怒りと恨みと威嚇と痛みが織り混ざった雄叫びをあげた。
バフュゥゥゥゥゥゥゥゥン!!
「!!」
ルナリの頭部を掴んでいる手が一気に上に持ち上がるとルナリの頭部から黒い煙の物体が引き抜かれた。
シュゥゥ‥ズバババァァァン!!
アリオクが魔長刀でその煙の物体を斬り刻んだ。
「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
断末魔の悲鳴が聞こえた後、黒い煙は消えた。
「斬ったのか‥?」
アリオクを魔長刀、獅子玄常を見ながら言った。
「ダブハバナの核を支配していた自我は消えた」
『!!』
シンザとアリオクは驚きの表情を見せた。
ルナリが同じ口調で話始めたのだ。
すぐさまアリオクは魔長刀を構えた。
「武器は不要だ。我は月裏」
「ル、ルナリ‥?なの‥‥?」
シンザが眉を顰めながら不安そうにルナリに問いかけた。
「そうだ。我のシンザ。無事で何よりだ」
そう言いながら月裏と名乗った者はシンザに背後から抱きついた。
シンザはルナリのあまりの動きの速さに最も簡単に背後を取られ抱きつかれてしまった。
だが、その感触はいつものルナリそのものだった。
「ルナリ‥ルナリなんだね?」
「無論だ」
「ルナリ!」
シンザは振り向いてルナリを抱きしめた。
「無事だったんだね!良かった!ううぅぅぅ‥‥」
シンザは嬉しさのあまりルナリを抱きしめながら涙を流した。
ルナリはシンザを優しく抱き抱えながら言った。
「我はお前を愛する者。お前に危害を加える者を我は許さない。だからお前が生きている限り我も生き続ける」
「うぅぅぅ‥‥」
アリオクは魔長刀を鞘にしまうとルナリに話しかけた。
「お前に一体何が起こったのだ?」
「説明する必要があるな。だがワサンが心配だ。まずはあの者を回復させ起こす」
そう言うとルナリは部屋を出てワサンの側に行くと、ワサンの頭部を両手で挟んだ。
すると、ワサンがゆっくりと目を開けた。
「ルナリ‥‥か?」
「目を覚ましたか」
「!!」
ワサンはルナリが男性の口調で喋っていることに驚いた。
「貴様はダブハバナの核より発せられた負のエネルギーに当てられ脳内の感情の機能が停止させられていたのだ。今その影響を取り去った。もう動けるはずだ」
「!!‥‥貴様って‥‥お前に一体何があったんだ?!」
「今からそれを話すところだ。貴様も聞くがいい」
ルナリは自身の身に何が起こったのかを説明し始めた。
「我にはシンザと出会って以降、自我が生まれた。シンザの優しさによって無から生まれた自我だ。そしてあの部屋の中にある黒い結晶体を見た時に賭けに出たのだ」
「賭け?」
「そうだ。自分の精神世界には我という自我は存在するが、ほぼ空っぽの状態だ。あの負の情念の塊を取り込めれば、シンザのために役に立てる存在になれる。そういうことだ」
「そんな無茶なことを‥‥」
シンザは心配そうな表情で言った。
「ありがとうシンザ。これはあの負の情念の塊を吸収して分かったことだが、ダブハバナとは負の情念の結晶から生まれた意識体だ。それ自体には自我はない。貴様たちも見た黒い球体の核の中にのみ自我があり、ダブハバナはその自我と同期した存在なのだ。故に黒い球体、つまり負の情念の核をどうにかこちら側に引き込む必要があった。情念の核の中にある自我を説得する必要があったということだ。だが、負の情念の核はイシュタルに激しい憎悪を抱いていた。復讐心だ。」
「なるほど。その負の情念の核の人格はイシュタルの創り出したこの世界の命の循環のしくみに利用され、復讐心を抱いていた。だがそれを閉じ込めているあの球体が復讐を許さなかった。だとすれば球体の器から溢れ出たダブハバナはイシュタルを襲うはずではないか?」
アリオクは最もな質問をした。
「ダブハバナは地上に出た瞬間に、イシュタルの結界によって悟りを開けない負の情念に飲み込まれた人族の意識を喰らうよう仕向けられていたのだ。故に復讐を果たすことができずにいた」
「なるほど。よくできた仕組みだ」
ルナリは話を続けた。
「先ほど負の情念の結晶体にある自我を説得する必要があると言ったが、イシュタルと繋がっている我らに核の自我が協力するはずもなく、我らに核を抑え込む力もない。貴様のその魔刀を持ってしても斬ることは叶わん。ではどうすれば核の力を手中に収めるかとなるわけだ」
「それでお前の空っぽの精神世界へとダブハバナの核を転移させ取り込もうとしたのだな。最初は楽観的な発想で動いたのだろうが、結果上手く行ったということか。だが、あの核の抱えている負のエネルギーはホムンクルス1体の精神世界に閉じ込めておけるものではないはずだ。あの黒い球体ですら、溢れる負のエネルギーをダブハバナとして放出している程なのだぞ」
アリオクが冷静な表情で言った。
「貴様は意識の本質を理解していないようだな。魔王とは名ばかりか」
「意識の本質とは何だ?」
アリオクは表情を変えることなく質問した。
「意識には容量は存在しない。意識を取り込む器である精神世界が米粒大であろうと、月丸ごとであろうと、関係ないのだ。意識とは思いの強さだ。その強さに勝る強さを持っていれば米粒大の精神世界であろうと取り込むことが可能だ。思いの強さが不十分であれば、相手の思いの強さに負け、取り込まれるか精神世界を支配されさらには溢れ出る相手の思いが情念となって拡散する」
「つまり、ルナリ、お前の思いの強さがダブハバナの核の情念を上回ったということか?」
「その通りだ。我はシンザと出会い愛を知った。むしろ愛しか知らぬ。シンザの愛から生まれたと言ってもよい。純粋な愛だけが我の自我であり、愛に勝る意識のエネルギーは存在しないのだ。あの核が持っている十の感情はいずれも負の感情だ。負の感情は純粋な愛の前では一瞬の感情の振れにすら値しない弱きものなのだ。ルナリの精神世界に入り込み、占有し体を乗っ取ったと思った核の力は既に我の純粋な愛の中に閉じ込められており、我は核の持つ負のエネルギーの中にある自我のみを取り出し、体外へ放出した。アリオク、貴様の魔刀で斬れる状態にしてな」
「何と。悪魔である俺には辿り着けない境地だな。だが、何故それを知り得たのだ?お前の単純な思いつきではあるまい?」
「イシュタルだ。あの者が我にそれを教えた。あの負の結晶を取り込むことが天使を倒す鍵のひとつだとな。そしてそれはシンザの運命を大きく変えることになると。我にとってシンザは絶対だ。シンザ以外に価値はない。シンザの運命を好転させ、シンザが幸福に生き続けられるのであれば、何をするにせよ我はそれに迷いなく全力を注ぐ」
「ルナリ‥」
シンザはルナリを抱きしめながら言った。
「シンザよ。愛している。今まで言葉を発することが出来ず、この思いを伝えることが出来なかったがこれからはいつでも言える。お前を守り続けると誓う」
「ルナリ!」
ルナリとシンザの様子をワサンは口をポカンと開けて見ていた。
アリオクは興味がないとばかりに脱出に向けて周囲を調べ始めた。
「おい、シンザ、ルナリ。お前らが好き合うのは勝手だが、そういうのは場をわきまえてくれよな。見ているこっちの背筋がむず痒くなるぜ」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ‥‥
ルナリは背中から千手観音のように無数の黒い手を出現させて言った。
「貴様、我のシンザへの愛情表現を邪魔するのか‥‥」
「ルナリ!ダメだよ。ワサンさんは僕たちのことを喜んでくれているんだ。ただ、ワサンさんには恋人がいないから少し僻んでいるだけ。悪気はないからその手はしまうんだ」
「そうか。承知した」
ルナリは無数の黒い手を消した。
一方ワサンはこめかみに血管を浮き立たせて言った。
「シンザ‥お前、それ本心か?だとしたら覚えておけよ‥‥」
だがシンザはワサンの怒りのオーラと発言に気づいていないとばかりにルナリを見て嬉しそうにしていた。
いつも読んで下さってありがとうございます。




