<ケセド編> 64.観察者12
64.観察者12
高層ビルが立ち並ぶ大都会のとある交差点。
本来なら多くの人間が行き交うはずの交差点には誰一人いなかった。
人だけではない。
鳥も虫も、風や空気の流れすらなかった。
まるで時間が止まっているかのような静寂に包まれている。
最も大きな違和感は交差点の中心に5メートルほどの高さの木が生えているところだった。
その根元には美しい顔で眠っている子供が木にもたれ掛かって座っていた。
ピタ‥ピタ‥ピタ‥
そこに白狼がゆっくりと歩いて来た。
「今日は歌わないのか?」
白狼が木に話しかけた。
「ええ。ここは寒々しいもの」
木が答えた。
声は全体から響くようでもあり、どこか一点から聞こえてくるようでもあった。
いつもなら歌うのだが、歌っていなくとも心地よい響きの声であった。
「すまないな。ここしか思いつかなかったのだ」
「ああ〜そういうことですのね〜。彼を呼ばないのでここを選んだと言うことなのね〜」
「あやつのことは好かぬか?」
「あら、3次元の知的生命体みたいなこと仰るのね」
「魂に刻まれた遥か昔の揺らぎだ。許してくれ」
「許すも何も、私たちには不要で認識を留めておけないものですわ。お気になさらず〜」
「そうだな。それでは本題に入ろう。そやつの魂に触れようと思う」
「それは認められませんわ。私たち観察者にはどのような干渉も許されていないのでしょう?」
「干渉と観察は違う。事実を捉えるだけだ。そやつを起こそうなどとは考えておらぬ。もちろん志向を変えようともな」
「時がくれば目を覚ましますわ」
「我らに時間の概念はない。ハノキアに引きずられている時点で事態は深刻だと見るべきだ。次元降下の後では会話できない」
「分かりました。観察ならば私は何も言えませんわ〜」
白狼は子供の前で座り込んだ。
目を瞑り静かに首をと垂れた。
・・・・・
白狼の意識は子供の精神世界へと侵入した。
視界にはとある建物の内部が映し出された。
そこはケテルの人域シヴァルザにある終末ドグマの書が保管されている研究室の地下だった。
トリアとロクドウが終末ドグマの書を手に取ろうとしていた。
そこへディアボロスが現れ時ノ圍を展開した。
ディアボロスの耳から一匹の蝿が現れディアボロスと会話している。
ディアボロスは終末ドグマの書を奪いとると、そこから去ろうとするが、突如トリアとロクドウの首を掴み始めた。
ディアボロスは不敵な笑みを浮かべながらふたりの首を絞めていたが、次の瞬間トリスとロクドウはその場から消え去った。
どうやら視界の主である人物が何らかの力で別の場所へと飛ばしたようだ。
視界の主はウィンチだった。
ウィンチは明らかに動けるはずのない時ノ圍の中で行動できていた。
(僕としたことがこの世界に干渉してしまった‥‥生き物、特にニンゲンに憑依すると、そのニンゲンの潜在意識の影響を受けて意思とは無関係な行動を促す作用が働くのか‥‥これは一つ学びとして受け取っておこう)
次の瞬間、ウィンチの脳裏に衝撃が走る。
「XXX‥‥」
「ば、バカな!‥‥なぜ‥‥こんな些細な干渉じゃないか!このニンゲンに何かあるっていうの?!い、いや‥‥まだ完全に名付けられたわけじゃない。今の思念波のものは完全には聞き取れない状態だった。まだ僕は観察者のままだ。ここは一旦帰ることにしよう」
ウィンチはよろけながらも地面の中に潜るようにして消えた。
白狼の思念はウィンチと共に移動せずになぜかそこに留まった。
視界はその光景を見ていた存在へと移る。
シンザだった。
シンザは顎を触りながら何かを考えていた。
視界はそこで途切れ、白狼の意識は本体へと戻された。
・・・・・
「おかえりなさい〜」
「状況が理解できた。そやつは3つの干渉を行った。まず越界者の人間の精神世界に入り、一時的に主導権を奪ったようだ。その際に濁流のようにその人間が生を受けて以降の記憶と感情が雪崩れ込んだ。それを受け取ってしまったらしい。さらに秩序の配下の陰子傀儡から特殊な能力を持つ人間を救っている。しかもその現場を秩序の分霊に見られている。ふたつめの干渉の時点で魂の半分が次元から弾き出されてしまったようだ。まだ引き返せる状態ではあったが、さらに3つめの干渉が思考能力を停止させたのだ」
「明確な意志を持たないまま魂が私たちの次元から抜け出てしまっているのね〜。私たちの次元に戻ることは難しそう〜」
「解せないのはこれほどの干渉があったにも関わらずこの程度で留まっていることだ。本来、ふたつの人間は秩序の陰傀儡によってその生涯を終えるはずであった。これをそやつが干渉によって変えてしまった。ふたつの人間は陰傀儡の生み出した時ノ圍の中でも視界を確保していた。これは普通の人間ではない。これらの存在の輪廻を変えたことはアノマリーを中心とした予測不可能性を加速させたはずだ」
「時の暴走?」
「そうだ。ムズルーの真理に行き着くならば、これは大きな問題となるだろう」
「この子は本来なら3次元に堕ちていると仰しゃるのね〜」
「そうだ。だがそうはなっていない。これはそやつにまだ観察者としての役割があることを指しているのであろう。我らならそやつを引き戻すことは可能だが、それは干渉となる。宇宙意志に任せるしかあるまい」
「そうですわね。私ももう少しこの美しい寝顔を見ていたですわ〜」
「もう一つ解せないのは、そやつがなぜあのような行動するに至ったかだ。言うなれば我に次いでハノキアへの干渉を避ける発言が多く見受けられた。元々安寧がそやつの志向。自らその安寧を乱す行為はしないはずなのだ。秩序の陰傀儡による均衡の変化が意に反したのか、それとも魂を一時的に繋いだ人間の記憶と感情によって突き動かされたか。いずれにせよこのような事象は異例だ。ハノキアの有機体が別次元にいる我らに影響を与えることは不可能だが、それが現実として発生しているのかもしれぬ。我らとて危うい存在と成り果てたのだ。やはりムズルーの真理がどの段階に及んでいるのかを把握する必要がある」
「それは何もしなくても次元引力が発生しているということですわね〜。確かに異常な現象ですわね〜。彼をこの場に呼ばなかったのはこれが理由ですわね〜。ところでゾウルからその後思考の伝達はないのかしら〜」
「閉ざしている。だがそれこそが第7段階へと進もうとしている答えでもあるのだと我は考えている。だとすればそやつがハノキアの有機体の影響を受けたことと辻褄が合う」
「ここに彼がいたら終わらない議論になっておりましたわね〜」
「いつかは認識されよう」
「私はこの子が戻ってくる因果に備えることにしますわ〜」
「我は再度ゾウルに会おう」
白狼はビルの谷間の暗闇に消えた。
木は子供を巻き込みながら枯れていき、その場から消え去った。
・・・・・
白狼は次の瞬間、マルクトの北欧にある雪がかった山脈の麓の小さな丸太小屋を訪れた。
ここで以前ゾウルという人物に会っている。
「自ら輪廻の川へ魂を流したか」
白狼は丸太小屋の中へと入っていった。
小屋の中の暖炉の近くで色白の大男が椅子に座っていた。
だが、彼の目は見開いたまま真っ白に変わっており、呼吸も脈拍もなかった。
それは以前白狼が会った男、ゾウルの変わり果てた姿だった。
近くにあるテーブルの上には薬が置いてあった。
「‥‥‥‥」
白狼は大男の腿に前足を乗せる形で話しかけた。
「この肉片に残された記憶を読み取らせてもらう」
白狼は目を瞑った。
数秒後に目を開いて、前足をゾウルの腿からおろして床に座った。
「外のあの木。ムズルーと交信を試みてはいたようだな。だが届かなかったか。そして肉体の停止の原因。そこの薬ではないことは明らかだが記憶が削り取られている。我らの存在を知る何者かが観察できぬように細工をしたか」
白狼は何かに気づいた。
それはゾウルの握っている手だった。
念じると手がひとりでに開いた。
手の平には血文字で “7E” と書かれていた。
「7‥7度目の文明段階に入りEND‥終わる。そこで宇宙反転が起こるというのだな。其方はそれを漏らさぬよう守ったのか」
白狼が念じると手の平の血文字が跡形もなく消えた。
「念の為、ゾウルの肉体に刻まれた記憶と残穢も消しておこう。そしてやはり、ムズルー本人に会わねばなるまい」
白狼は丸太小屋から消え去った。
いつも読んで頂き有り難う御座います。




