<ティフェレト編>23.ハルピュイアの決断
23.ハルピュイアの決断
エスティは泣いた。
泣きに泣いて、泣き疲れたエスティはまたそのまま眠ってしまっていた。
・・・・・
・・・
どれくらいの時が経っただろうか。
誰かに揺り動かされ目を覚ます。
目を開けると目の前にケリーがいた。
「エスティ!目―さましたー!」
朦朧としている中でケリーの羽が元通りの綺麗な碧い羽になっているのが見えた。
一体何が起こったのか。
どこからが本当に起こった事で何が幻覚だったのか。
全て幻覚だったような気もするし、全て現実だったような気もする。
だが、エントワを刺した感触は生々しく残っており手が覚えていた。
「エントワおじさまがこのティフェレトに来ているはずがない。間違いなくホドで亡くなっている。あれはコグランが見せた幻覚。でもあの刺している感覚は本物だった。まさか・・悪魔のような力で冒険者崩れか使用人の誰かの死体をエントワおじさまに見せかけてあたしに突き刺させたの?」
「エスティ?何言ってるの?」
「ケリー?この場所に生きている人たちは居た?」
「うん。あそこにいる人たち」
ケリーが指差す方向に目を向けると、レネトーズ卿の使用人たちが並んで跪き天に向かって祈りを捧げている。
エスティは彼らの側に近づく。
「・・我らの・・神よ・・赦したまえ・・ブツブツ」
皆が同じ言葉を繰り返している。
「あの・・・・一体何があったんですか?」
「・・我らの・・神よ・・赦したまえ・・ブツブツ」
問いかけに反応しない彼らを見て、エスティは手前にいる使用人の顔を覗き込む。
目は大きく見開き、眉間にしわをよせ眉毛を八の字にし、口は不自然に上がった口角で不気味な笑顔に見えた。
そして全員が同じ顔で同じように神に許しを乞う言葉を呪文のように繰り返していた。
エスティは手前の人の肩を揺すってみるが、まるで反応がなく同じ言葉をただブツブツと繰り返しているだけだった。
「さっきからね、ずーっとむにゃむにゃ言っているよ?その人間たち」
(コグランの悪魔の力の影響?・・にしても神に祈りを捧げているのはおかしい。一体なにが?)
「そうそうエスティ!目をさましたらねえさまたちに会ってもらうんだったー。こっち来て?」
エスティは不気味な状況になす術なく、ケリーに案内されるままに崖にある一番大きな開口部の洞窟に進んでいった。
しばらく歩いていると、急に開けた空間に出くわす。
中央には大きな木が生えており、太い枝に椅子のようなものが付いている。
(こんな日光がささない洞窟の中にどうしてこんな立派な木が?)
「ねえさまたちー。エスティ連れてきたよー」
ケリーのその声に反応するように立派な木の後ろの暗闇から2つの影が現れ、枝に据え付けられている椅子に座った。
「エスティさんですね。妹を助けていただいたと聞きました。本当にありがとう」
鮮やかな緋い羽のハルピュイアがエスティに向かって語りかけた。
思わぬ展開に慌てふためいたエスティはたどたどしく応える。
「えっと、いえ・・その当然の事をしたまで・・というか、仲間のスノウという者がどうしてもケリー、いやケライノーさんを助けると言ってきかないのもあって」
「いくら妹を助けてくれたからといって所詮は下劣な人間のひとり。おねえさま、このような人間を信じてはだめよ。早く突き返した方がいいわ」
気の強そうな声で割って入ったのは深く吸い込まれそうな蒼い羽のハルピュイアだった。
「だまりなさいオキュペテ。礼は種族を超えます。礼を尽くさなければ無礼に滅ぼされます。失礼しました、エスティさん。私はハルピュイアのアエロー。そしてこちらはオキュペテ。妹の無礼をお許しください。ケライノーはご存知ですね。そしてもうひとり妹のポダルゲがおりますがまだ小さいのでご挨拶はご容赦ください」
「ああ、いえ・・そんな・・こちらこそ・・」
敵意のない礼儀正しい魔物に遭遇するのは初めてのため面食らったエスティは、顔を赤らめてたじろいでいる。
だが、エスティには聞かなければならない事があった。
「あの・・・・聞きたい事があるのだけどいいかしら?」
「もちろんです」
「図々しいわね、人間の分際で」
「オキュペテ!」
「ふん!おねえさまは甘いのよ。だから3度も人間の手にかかってしまうのよ。あたしはもう嫌なの!こそこそ生きて、見つかるたびに羽をむしられ拷問されるのは!」
そういってオキュペテは奥に引っ込んでしまった。
よほど辛い目にあったのだろう。
それはオキュペテ自身だけでなく仲間のハーピーたちへの仕打ちを含めてのことだと容易に想像がつく。
だが、エスティを責めてもしかたがないと分かっているのだろう、自分の気持ちのやり場に困って当たりつけるだけしかできないようだった。
「エスティさん、すみません。お見苦しい所をお見せしました」
「いえ、いいのよ」
一度深呼吸したあとに聞かなければならない事に触れる。
「ちょっと聞きたいのだけど、あたしが最後に見たあなたたちはその・・・・羽がむしられてひどく傷ついていたのだけど、今のあなたたちはすごく美しい羽でとてもついさっきまでむしられた状態だったとは思えない。一体何があったの?」
「え?!全てエスティさんが治して下さったのではないのですか?」
「いいえ。あなたたちは見えていなかったから分からないでしょうけど、迂闊にも冒険者崩れに捕まったあと、ケリーやあなたたちを拐うよう命じた本人が登場したの。冒険者崩れが欲に目が眩んで依頼主に金品を要求したのを知ってやってきたのね。そこで皆殺しにされたのよ」
「!・・で、ではエスティさんはその私たちを拐うよう命じた者を倒し、私たちを回復して下さったのですね?」
「ううん、違うの。その命じた者というのは・・・・実は強力な悪魔で・・・・正直あたしはまるで歯が立たなかった・・・・」
「それでなぜ私たちが元通りになっていたのか聞かれたのですね」
「ええ。もしかしたら幻覚を見ていたのかもとも思ったわ・・・・」
「ですが、襲われたのは事実で何事もなかったかのように元通りなっていた。仲間のハーピーと私たちを襲った冒険者崩れたちを除いて・・・・」
「仲間のハーピーが襲われたの?」
「はい。人間たちが襲ってきた際に私たちハルピュイアを庇って。おそらくあなたたちを待ち伏せるために死体があっては不味いのでどこか別な場所に捨てたのだと思います。羽をむしるだけむしって・・・・」
「ひどい・・・・ご、ごめんなさい。何の謝罪にもならないけど」
エスティは同じ人間として恥ずかしい、と言いかけてやめた。
今まで魔物を何体も殺してきた自分がどの口で言うのかと自問したからだ。
「いいのです。所詮人間にとって私たちは魔物。ですが、魔物も仲間を失えば悲しむのです。妹の無礼な言葉もその悲しみからです」
「ええ、わかってる。本当にごめんなさい」
人間と魔物、相容れない存在同士ではあると認識していたが、仲間を思う感情は同じなのだと知ったエスティは、人間と魔物が争うのはなぜなのだろうと思った。
コグランは悪魔だった。
その悪魔がハルピュイアたちを襲った。
悪魔と魔物は同類ではないのか?
自分たちが向き合っている相手は誰なのか。
エスティは混乱した。
こういう話は自分ひとりでは整理できない。
スノウに相談しなくては、とエスティは思った。
「・・・・そういえばさっき、オキュペテが3回って。あたしが知っているのはケリーが拐われた時と今回の2回。あと一回襲われた事があったって事?」
「はい・・・・そうです。でも何度襲われても私たちはこの地から離れる事はできませんから」
「いえ、えっと、それはあとで伺うとして、あと1回襲われたのはいつなの?」
「ケライノーが攫われる一月ほど前です。襲われたというより眠らされて気づいたら仲間のハーピーが数体殺されていたのです。羽をむしられて」
「!!!」
(まさか!言霊?!コグランだとすれば眠らせて数体殺すといったまわりくどい事はしないはず。となれば他に言霊を使える存在というと・・・・プレクトラム王?!)
エスティは言霊の話をするのは控えた。
仲間を失った悲しみがあるであろう中で必要以上の情報を与えては誤解のもとになるし、なにより確証がない。
真実を伝える必要があるが、まずはその真実を突き止めてからだとエスティは思った。
「結局コグランが来て以降なぜあたしたちが無事だったのかは分からないけど、あなたたちこのままここに居ては危ないの。人間の言う事なんて信じられないかもしれないけど、しばらく身を隠せる別の場所に移動する事はできない?」
「先ほども言いましたが私たちはこの場所から動く事はできません」
「どうして?!あなたたちに既に起きたような事がまた起こるかもしれないんだよ?!」
「中央の祭壇を見ましたか?私たちはあの祭壇を代々守る事を掟とされているのです」
「祭壇?代々?どういう意味?」
「はい。私たちの命は有限です。私もいずれ死にます。寿命を全うするか、殺されるか、何かの病気で死ぬか。そうしてハルピュイアが死を迎えるとハーピーの中から新たなハルピュイアが生まれます。新たに生まれたハルピュイアにも掟が刻まれています。何故なのかはわかりませんが、どうしてもそうせざるを得ないのです。来るべき時を待つ間はこの祭壇を守り、離れる事はできない、そう掟が私たちを縛っているのです」
「そうなのね・・」
(で、でも何故コグランはハルピュイア4体全員を捕らえようとしているんだろう。もしかして4体一緒にいるのは不味いってこと?!)
エスティはコグランに4体同時に捕らえられる事に妙な不安を抱いた。
やはりあの恐ろしい悪魔に彼女たち全員を渡すわけにはいかない。
少なくともコグランの企みを知るまでは、とエスティは思った。
「あの、理解できない申し出だと思うのだけど、さっき話したあたしの出会ったコグランという悪魔は恐ろしい存在だったの。あたしは何もできなかった。ただただ強大な力に屈するしかなかった・・」
あのコグランと対峙した状況を思い出すと恐怖と自責の念で涙が出てくる。
だが、今は内面に落ちている場合ではない。
「あなたたち4体が揃っている場合、あの祭壇に影響するような恐ろしい事が起こる気がする。もしかするとあなたは自分たちは死んでもいいと思っているのかもしれないけど、このままではあなたたちの信じる掟も無意味になってしまう可能性があるの。だから・・・・」
「分かりましたエスティさん。ケライノーを連れていってください」
「!」
理解に苦しむ申し出にもかかわらず、自分を信じすぐ様意図を汲み取って答えるアエローに驚くエスティ。
「あたしたちがその悪魔の企みを突き止めて阻止するから!必ず!」
「はい。ありがとう。オキュペテにポダルゲを預けて数体の仲間のハーピーと共に隠れさせます。掟は私ひとりで守ります。そうすれば例え私が死んでも、私が転生するまで妹たちがこの祭壇を守ってくれる。そして、エスティさん。きっとあなたたちが私たちを救ってくれる。そうですよね?」
「ええ!」
何度も恐ろしい目に遭いながらもこの地を守ってきた長女のアエローは強い心の持ち主だった。
ひとりになることは如何に心細いであろうかとエスティは思った。
元々ガルガンチュアでこなしていたクエストはそのほとんどが魔物を退治するものだった。
それが次第に争う相手が悪魔や人間になっている。
そして今や魔物を守る約束している。
この世界で信じられるものは一体何なのか。
考えても結論の出ない事とは分かっていたが、今の自分の行動と決断が正しいのか分からず過ぎる不安をひた隠しながらエスティは目の前のアエローに救うと約束した。
・・・・・
・・・
「ねぇさん・・」
涙が止まらないケリー。
ケリーを強く抱きしめるアエローとオキュペテ。
「大丈夫。エスティさんが守ってくれます」
「おい人間!妹を命にかえても守り抜け!いいな!・・・・ケライノー辛かったらいつでも戻ってくるんだよ。その時はあたいも戻ってくるから!」
「ねえさまーー!!!」
「さぁ、行って!泣くのは今日で最後よ?あなたは強く生きなきゃいけない。私たちがついているから!」
ケリーは綺麗な碧い翼で涙を拭いた。
そうしてエスティとケリーはノーンザーレへ、オキュペテは幼いポダルゲと仲間のハーピーを連れて避難するためそれぞれの方向に進み出した。
12/21修正




