<ティフェレト編>5.音の支配する世界
5.音の支配する世界
「おお!目ぇ覚めたか!」
何やら鉄製のような容器を両手に持ったスタンが部屋にやってきてスノウが目を覚ましたのを見て驚きの声をあげた。
「あなたうるさいわよ!スノウさんはまだ目を覚ましたばかりで安静にしていないといけないのに!」
「あぁ!!す、すまん‥‥」
あまりの大声にローリーが見かねてやってきてうるさい夫を嗜めた。
素直に謝るスタン。
この夫婦は本当に仲がよいようだ。
「ちょっと2人にしてあげないと」
「あぁそうだな」
2人はそっとドアを閉めた。
「スノウ‥‥よかった。エントワおじさまが亡くなってあなたまで失ったら‥‥あたし‥‥」
「エントワ‥‥今だに信じられないんだけど‥‥本当にもう‥‥」
「間違いないわ‥‥。エントワおじさまのところに急いで駆け寄って目の前で確かめたし、ロゴスのライフソナーで生命反応を確認もしたもの‥‥でも‥‥何もなかったの‥‥」
「そうか‥‥」
スノウは胸が抉られる感覚に襲われたが、毅然とした態度に徹しないとと思い堪えた。
「ここがどこかわからないけど、とにかくなんとかして戦闘の場に戻らないとな‥‥」
エスティはエントワが息絶えた状況を思い出したのか泣き出した。
スノウはそんなエスティにかける言葉も思いつかず、そっと手を握るしかできなかった。
エスティは、しばらく泣いて泣き疲れたのか少し放心状態になっている。
ぐぅぅぅぅぅ!
思わず目を合わせる。
エスティの顔が急激に赤くなる。
「あ、お、おれの腹がなったな!いやー腹減ったなぁ!」
(少しわざとらしかったか‥‥)
ボカン!
エスティからゲンコツが降ってくる。
「スノウ!あなたねぇ!今ここにはあなたと私しかいないのにその下手な誤魔化しってあり得ないでしょ!逆に辱められたわ!」
(なんだかなぁ‥‥この極度の恥ずかしがり屋‥‥八つ当たりで他人に危害を加える時点で恥ずかしがり屋の域を超えているぞ全く‥‥)
「あのローリーっていう奥さんが朝食作ってくれているから食べに行くわよ!まさかあんな嫌味が言えるくらいなんだから歩けないとか言わないわよね!」
「はいはい、自分で歩きますよ」
流石に病み上がりというより大怪我上がりなだけあって、元気よく歩くというわけにはいかなかった。
少しよろけながらエスティの後を追ってダイニングに向かう。
「お!起きてきたな!一応自己紹介しておこう。俺はスタン。この家の主人だ。いち早く目覚めたエスティはあまりの衝撃で記憶喪失になっているみたいだがあんたはどうだがばっ!!あぁぁぁ!‥‥い、いやまずは朝飯だな!だはは!」
好奇心が止められない主人を見かねた妻が夫の尻をつねっている。
「ごめんなさいねスノウさん。私はこのスタンの妻のローリーです。あとうちの子供達、トマスとエリスよ。まだ全快じゃないと思うからどうぞゆっくりしていってね」
(おそらくエスティがうまく関係を築いたのだろう、とても親切な振る舞いだ。しかし、記憶喪失?さっきの口ぶりじゃぁそんな感じではなかったが‥‥なるほど、何か様子を見ているんだな?口裏を合わせた方が良さそうだ。おれも記憶喪失になっていることにしよう)
そんなことを考えながらスノウは用意された席に座る。
目の前にはパン、目玉焼き、サラダ、スープといったスノウが元いた世界のいわゆる欧米地域によくある定番メニュー的なものが並んでいる。
その横で白い液体がコップに注がれていた。
先ほど入ってきた時にスタンが持っていた大きな缶は牛乳だったようだ。
(牛乳?!それに目玉焼き!懐かしいがこの世界にそんなものがあったのか?!)
スノウはまだ自分がホドにいるものと思っている為、ホドに越界して以降食していない食べ物に改めて気づき心の中で小さく驚いた。
なぜなら、卵や牛乳といったものはホドでは非常に貴重だったからだ。
見渡す限りの海に座す巨大な都市のステーション。
だがいくら巨大と言ってもその敷地は限られている。
育てられる家畜の数は住まう人口に見合ったものではなく、そこで得られる肉や卵、牛乳といったものは高級食材で主に元老院や貴族に優先的に供給されてしまい一般人レベルにはほとんど出回っていなかったのだ。
一般人はもっぱら海で獲れるものがメインで魚介類、海藻などがメインだった。
主食はパンで原材料の小麦と一部の野菜だけは専用のプラントがあり計画的に栽培されていた。
いわば元老院が一般人を支配する為の餌であり、格安あるいはただで施しとして配給されるところもあったのだ。
そうして元老院は、自分たちが王族に代わって民衆を助ける救い人だとして特に貧しい階層の人たちの支持を得ていたのだった。
(この家やここの住人の服装を見てもとても貴族や元老院関係の人間には見えない。つまり、ここはホドの中でおれが行ったことのない場所か、あるいはホドではない別の世界に越界したか‥‥だな。エスティが自分を記憶喪失と言ったということは、おそらくここはホドじゃない。ホドならガルガンチュア総帥としての立場をうまく利用して仲間と連絡を取ろうとするはずだからな)
ほんの数秒でスノウは周りの様子から今自分の置かれている状況を把握した。
(しかも、この状況はあの三足烏との死闘の後とは思えない。おそらくだが、ホウゲキの一撃で吹き飛ばされた時に受け止めてくれたエスティと共に何らかの理由でゲートに入り込んでどこか別の世界に流れ着いたんだな‥‥)
横に座っているエスティは貴重な卵や牛乳が出てきて驚きと共に空腹も手伝ってテンションが上がっている。
「さぁ、では食べよう。まずはお祈りだ。聖なる原音プレクトラム様、本日も我らに糧をお与えくださり感謝します。キタラ‥‥」
「キタラ‥‥」
「きたらー」
「きたら!」
スタンの家族は両手を繋ぐように組みながら目をつむって何かを呟いている。
見様見真似でスノウとエスティも同じ動作をする。
(これはおれのいた世界でも見たことのあるやつだな。だけど聖なる原音?プレクトラム様?キタラ?何だろう。あとで聞く必要があるな)
エスティはとにかく食べたいだけのようだ。
お祈りがおわったようでみな一斉にスプーンとフォークが一体化したようなもので食べ始める。
「うまい!」
久しぶりの馴染みある食事に思わず声がでる。
それを聞いたローリーは少し顔を赤らめて嬉しそうにしている。
そんなローリーを見て妬いたのかスタンは食器をわざとカチャカチャならしながら食べている。
子供達は口の周りを黄身だらけにして一心不乱に食べている。
ついでもエスティもだが。
(もう少しレディの自覚が必要だな。エントワに躾けられたはずなんだけどな‥‥ははは)
「それでスノウ、あぁスノウって呼んでいいかい?あんたは記憶あるのかい?」
スタンはどうしても自分の好奇心を抑えられないようだ。
エスティから聞けないことをスノウに求めた。
「あぁ、スノウって呼んでもらって構わないよ。その前にとにかくありがとう。おそらく相当な傷を負っていたはずだけど、君たちが治療や看病してくれたんだよね?本当にありがとう」
まずはお礼だ。
これはどこの世界でも常識なはず。この礼儀を忘れずにするのと怠るのではその後の人間関係に大きな差が出るはずだとスノウは思った。
「いやいや、俺はあんたらを落下した納屋の方からベッドに運んだだけだ。どちらかというと家のカミサンの方がつきっきりだったな」
「あたしもだよー?」
食べるのに疲れ飽きたのか、注目してほしいのかエリスが話に割って入ってくる。
「そうだったんだね、エリスありがとう、ローリーもありがとう」
(おれたちはどこかから落下してきたという事か‥‥。つまりおれが日本というか地球からホドに越界して落下したのと同じようにこの世界に越界し、空から落下してきたと見ていいだろう‥‥。しかしこれでスタンやローリーにとっておれたちは好印象になったはずだ。)
スノウは三神雪斗時代ずっと目立たないように生きてきた。
目立つと必ず何かを失う。
人の妬み、裏切り、優越感に浸りたいがためのいじめ。こういう負の感情に翻弄されてきた雪斗はいつしか負の感情に触れないように自分を空気のような存在にする選択をした。
相手が自分をどう思っているかを常に敏感に感じ取り、関心を抱かないようにしてきた。
それはよく人を観てきたということだ。
逆に言えば、何をすれば相手を喜ばせられるか、何をしたら相手が怒るか、そいういう感情の起伏を見ることに長けているということだ。
もちろん本人は意識していない。
いつしか卑屈になってしまった為、冷静に自分を見つめる機会がなかったからだ。
しかし越界して心が解放されていくにつれて本来持っている観察力を発揮して状況を冷静に見ることができるようになっていた。
顔をまた赤らめるローリーに気づきスタンはまた食器をカチャカチャ鳴らし始める。
「それで記憶だが‥‥」
わかりやすい男だ。
スノウが自分の興味事に触れた瞬間嫉妬心はそっちのけで食い入るようにスノウと次の言葉を待っている。
「えっと、おれもどうやら記憶が曖昧みたいでうまく思い出せないんだ‥‥」
「え!‥‥‥‥そっか‥‥それは気の毒に‥‥‥‥残念だな‥‥‥‥」
その落胆度合いが激しいスタンの反応は、スノウが本当に記憶喪失になっているならあまりにひどいコメントなのだが、スノウも演技しているわけだからさほど気にせずに相手の反応をみている。
「もしかするとエスティと同じように名前と言語以外ほぼ覚えていないって感じかい?エスティはあんたの事は覚えていたようだが、あんたはエスティの事を覚えているのかい?」
スノウは少し汗ばむ。あまり特別な条件の記憶喪失、しかも2人揃って同じ状態というのは流石に怪しい。
(どちらかの記憶は問題ない程度に少し回復させて怪しまれないようにしなければ‥‥)
しかしこのスタン。話を振ると必要以上に情報をくれる便利な相手だなとスノウは思った。
「ああ、エスティの事は覚えている。きっとここに来る前にずっと一緒だったんだと思うんだ。だけど、まだそれ以外は思い出せない‥‥。多分だけど色々とこの世界のこととかを教えてもらえれば少しずつ思い出すんじゃないかって気がするんだ‥‥」
そういうと何故か顔を赤らめるエスティ。
ローリーはその表情を見逃していなかった。
(2人はきっと恋人同士なのね)
「そ、そうか!じゃぁ俺が教えてやるから何でもっほ!!」
ローリーがスタンの足を踏む。
スノウとエスティを見て、忘れていた恋心のような感情が久しぶりに蘇った瞬間に全てをぶち壊す夫の空気を読めない好奇心に苛立ちを抑えられない表情を浮かべるローリー。
「まずは朝食を食べ終えてからでしょ?」
笑顔だがローリーのこめかみは血管が浮き出て、体全体から鋭いオーラを発しスタンを突き刺している。
「あ、あぁもちろんだよハニー」
自分の抑えられない好奇心でまた妻を怒らせたと焦りながら取り繕うがなぜここまでイライラオーラを出しているかはスタンには分からなかった。
そして和やかな朝食の時間が続く。
(こんな平和に食事している場合じゃない‥‥一刻も早く三足烏との戦闘の場に戻らなければ。あれだけの劣勢だ、仮に生き延びられたとしても相当な重症を負っているはずだ。助けに行かなければ‥‥。そのためにはこの世界からホドに戻る方法を見つけなければならない。時間はない。)
スタンやローリーとの会話に笑顔で答えながらスノウは心の中で焦っていた。
ふとエスティを見ると空腹が治ってきたのか仲間のことが心配になったのと、改めて信じていたライジ (本名はジライだと判明したが) の裏切りで時折苦しそうな表情をしているのをスノウは見逃さなかった。
・・・・・
・・・
―――朝食後――――
「なるほど、ここはティフェレトという音が支配する世界で、この家はこの世界の東に位置するメルセン地方の牧草地帯の一角ってことだね」
(音が支配する世界ってなんだ?そこが重要だ。支配‥‥つまり支配するものとされるものがあるということだ。仮におれとエスティがホドに戻るにしても、この世界の構造や支配者について知った上で慎重に行動しないと‥‥いつ三足烏のような強敵が現れるかわからない。アレックスやエントワ、ロムロナ、ニンフィーといった精鋭がいても敵わなかった連中のような輩がこの世界にいないとは限らないからな‥‥。最悪ホドと繋がっていて三足烏・烈から何か情報を得ているかもしれない)
「スタン、その‥‥どうも記憶をなくしてしまっている度合いがひどいようで、 “音が支配する世界” の意味を忘れてしまっているようなんだ‥‥少しその辺りについて教えてくれないか?」
横でエスティは何か言いたそうにしているが、後で2人きりになってから聞くことにした。
「よし、いいだろう。あんたには音の波動は見えているかい?」
「音の波動?」
「ああ、音が出た時にその音が出た部分から光る糸くずみたいなのがでるんだが」
(見えない‥‥おれにはその才能がないのか?)
「スノウ、見るというより感じるって言った方がいいかも。見ようとして見えるものじゃなく自然と見えてくるから」
エスティが割って入る。
(!!‥‥エスティには見えているってことか!何だ光る糸くずってのは?!見ようとして見えるものじゃなく自然と見えてくる??‥‥これは “できないヤツ” の気持ちをしらない “できるヤツ” のセリフだ。できないことが理解できないからアドバイスが理解不能な感じになっているのに言ってる本人が気づかないって類の‥‥)
パチン!
ローリーが指をならす。
突然の動作だったが、ローリーの指あたりが火花でも散るように一瞬だけ光った。
「!!」
(わかった!おれのいた世界にも稀にそういう人がいると聞いたことがある。確か共感覚‥‥だったな。音が視覚的に見えるってやつだ)
「一瞬見えたよ!なんかローリーの指が光った」
「おお、あんたには見えるんだな!残念ながら俺にはあの程度の音じゃぁ見えないんだがな‥‥。でも妻やエリサにはかなり小さな音まで波動を捉えることができるんだぜ」
するとローリーはおもむろに暖炉の方に行き燃える木炭のパチン、パチンと弾ける音の方に人差し指を向ける。
そして指をくるくると回しながらそれをスノウのスープの方に向けて指を鳴らすように何かを飛ばす動作をする。
「お!光った!い、いや光の筋のようなものが見えるぞ!」
(見える!おれにも共感覚的なものがあったのか?!音が筋になって空気を伝って動いているのが見える!)
そしてその光の線はスノウの飲みかけのティーカップに当たる。
パチン!
「スノウさん、そのお茶飲んでみて?」
ローリーに勧められるままお茶を飲もうとティーカップに手を伸ばす。
「熱!!」
(カップが熱い!)
スノウが掴んだティーカップの把手が熱を帯びている。
持てないほどではない為もう一度触れてティーカップを持ち上げてみる。
そして、一口飲んでみる。
「おお!あったかいというか熱い!淹れたてみたいだ‥‥」
「そう!音に支配されているって意味がわかったか?音は全てのエネルギーを保存することができる。そして魔力の強い者はその音を操ることができるんだ。何をするにしても音を発するだろう?それを操れるってことだ。例えば、さっきみたいに暖炉の火の熱を木炭が弾けるパチンって音に閉じ込めて、ローリーはそれを操ってあんたのティーカップに飛ばした。すると木炭の熱がティーカップに移ったって寸法だ」
「すごいな‥‥」
(通常の魔法とは違う。言ってみれば自然を操る能力っていっても過言じゃない)
「魔力が強い人が音の波動を支配すると音に意味を持たせることだってできるんだ。例えば、俺が魔力の強い人だとして、大声で話している人に対して俺が 『黙れ!』 っていってその声の波動をその話している人に飛ばすと、その人は黙ってしまう。黙らせられるっていうことだな」
「すごい‥‥」
(言霊じゃないか!でもこれは慎重に確かめる必要がある。発する言葉が相手の意識に働く者なのか、それとも発した言葉が物理的で直接的に効果を発揮するのか‥‥さっきの例の黙れっていうのはある意味相手の意識に働いて作用したとも言える。だけど仮に物理的に直接的に言霊効果が発揮される場合、例えば “爆ぜろ” って言えば人を爆死させることだってできるってことじゃないか‥‥)
確かめる必要があるが、これは非常に便利かつ恐ろしいとスノウは思った。
音の波動を操る能力が魔力の高さによるなら魔力の高いものが支配する世界ということになる。
つまり、その魔力の高いものがもし元老院のような支配的な思想の持ち主である場合、音の力で意に反する勢力を淘汰するような世界になっている可能性があるということだ。
(まてよ‥‥。言霊が現実になるのなら、言霊でゲートを開くことだって出来るんじゃないか?ってことはおれたちは言霊を使える人物に接触する必要がある!それもできる限り早く!)
「たとえば魔力の強い人ってどんな人がいるんだい?」
「なんだ?藪から棒に。分からんけど例えば王様とかキタラ教会の教祖様とかじゃないかなぁ。実は俺も音に意味を持たせられる力のある人は見たことないんだ、ははは」
「そうか‥‥因みにその王様や教祖様はとどこにいるんだい?」
「多様は王都ラザレにいるよ。俺たち民のことを一番に考えてくれる良き王だよ。でも俺たちみたいな一般人が会える機会は年に一回の王の訓示の場だけかなぁ。キタラ聖教会の教祖様はほぼ会う機会はないよ。どこにいらっしゃるかわからないからな」
「ほう‥なるほど」
(良き王か‥‥)
よかったとスノウは思った。
決して裕福ではない生活のようだが不満を持っていない彼らの生活を見ると良き王というのは疑う必要のないことに思えた。
「そ、それで記憶はもどりそうか?」
この男の好奇心は底なしのようだ。
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