<ケテル編> 175.クロノス
175.クロノス
約1000人の村人がグザリア跡を目指して歩いていた。
禁断区域を出発してかなりの距離を進んでいた頃、突如立っていられないほどの地震が襲って来た。
皆地面に這いつくばり、ただ地震がおさまるのを待つしかなかった。
しかし地震はおさまるどころかさらに激しくなり、地割れが発生するほどの揺れになった瞬間、このケテルの象徴であったアルカ山の頂上を隠している黒雲の天井が突如真っ赤に染まった。
次の瞬間、まるで大地が猛り狂っているかのような爆音を轟かせ始めた。
そしてその怒りの矛先をこのケテルに住む者達に向けているかのように岩石の雨を降らせた。
幸いにもスノウの指示が早く的確であったため、真っ赤に燃え盛っている溶岩や岩石の雨の降る範囲外におり九死に一生を得たかのように一同肝を冷やしていたが、地割れに飲み込まれる者が数人いたため全く無事とはいかなかった。
一同はそれぞれ誰かを掴みながら進み、地割れに飲み込まれようとするものを助けながら、少しでも進もうと一歩一歩手足を前に動かした。
這いずりながらも何とか前に進み地割れ影響のないところまで来た時、一同は振り返ってアルカ山を見て驚愕した。
“山から山が生まれて来た”
美しく雄大に聳え天をも貫く高さを誇っていたアルカ山はあろうことか左右に裂け、その裂けた部分からせり出て来た超巨大な影がまるで山のように見えたのだ。
「ゴルルルァァァァ‥‥‥‥」
まるでこれ以上低い音がないと思われるほどの重低爆音のうめき声がケテル全土に響いた。
ビリビリビリビリビリビリ‥‥
そのうめき声に反応し地面が振動している。
地面だけではなく、空気も振動しそれを感じる皮膚には痛みすらあった。
「あああああ!」
もはや言葉にならない声が至るところから埋もれでた。
なぜなら、真っ二つに割れたアルカ山の谷間からせり出た巨大な影から雲を黒い雲海を切り裂かんばかりの高さまで伸びる巨大な腕が見えたのだ。
そしてその巨大な腕はそのまま地面に振り下ろされる。
ドッゴォォォォォォォォォォォォォン!!
まるで隕石が落下したかのように地面が上方に向かって吹き飛び、その衝撃波は周囲の砂嵐を一瞬で吹き飛ばすほどであった。
約1000人の村人は泣き叫びながらグザリア跡に向かって走り出した。
・・・・・
そこから少しアルカ山寄りの平原を凄まじい速さで走る馬車があった。
レヴルストラの面々を乗せた装甲馬車だった。
「なんだよありゃぁ!!」
装甲馬車の屋根からアルカ山を見ているワサンは思わず叫んだ。
その横に立っているヘラクレスは目を見開いてつぶやいた。
「クロノス‥‥何で出て来られた?!」
バシュゥゥゥゥゥン!!
先ほどの衝撃波が装甲馬車を襲う。
普通のものなら吹き飛ばされているであろう凄まじい風の津波であったが、レヴルストラの面々は何なく耐えた。
しかし、アルカ山からの距離を考えると空気を破裂させたような鋭い波動がワサンたちのいる場所まで届いても尚、その勢いを失わないところから衝撃波というにはあまりにも稚拙な表現に思えてしまう。
「クロノスとは何なの?!」
シアがヘラクレスに問いかけた。
「大地を司る原初の女神ガイアの世界を統べていた天空神ウラノスの子であり、親であるウラノスを殺してその世界を手中に収めた巨神族の王‥‥それがあの巨大な山みてぇな姿をしたクロノスだ。巨神族を率いていたクロノスはゼウス率いるオリンポスの神々によって討ち滅ぼされたと聞いていたんだがな」
トン‥
「いや、正確にはタルタロスの最下層、奈落の底の深淵に幽閉されていたのだ」
馬車の中にいたシルゼヴァが重力を感じさせない動きで屋根に登って来て言った。
「そうなのかシルズ」
「ああ、間違いない。やつらは不死の部類だ。いや、正確には有機生命体に不死など存在しない。単純に命を奪うだけの力がこの世界に存在しなかっただけなのだが、困ったゼウスたちはやつの手下もろともタルタロスに幽閉したのだ」
それを聞いたヘラクレスが再度質問した。
「だが、タルタロスの最下層の深淵といやぁ自力で這い上がることなどできない無限空間なんじゃないのか?」
「さぁな。俺は行った事がない。だが行って戻って来たやつはいるな」
「ディアボロス!‥‥たった7日間だったけどニュクスによって深淵まで落とされたはずよ」
「そうだ。つまり、ニュクスはやつを深淵まで落とし引き上げた。引き上げる術はあるという事だ」
その会話を聞いていたワサンが眉を潜めながら割って入った。
「そんなことはどうだっていい!スノウのことが心配だ!すぐに引き返せ!オレはあいつを守り助けなければならない!」
ワサンの脳裏にホドでホウゲキたち三足烏との死闘の末、地割れに飲み込まれた状況が浮かんでいたのだ。
幸運にもあの後ゲブラーで会う事はできたが、今回は話が違う。
流石のスノウであってもあれだけの破壊的大噴火と超巨体の神クロノスの出現の状況を考えると無事でいられる想像は難しかったのだ。
「おい、バリオス、クサントス!今すぐ引き返せ!」
「しょ、正気ですかワサン殿!」
「お前、流石の俺でもあそこに飛び込むのは自殺行為にしか見えねぇ!俺は拒否するぜ!」
ワサンは武器を手にして力付くで半神馬たちの方向を変えようと試みるがそれを抑えるものがいた。
ガシィ!
「シ、シア!?‥‥何でお前が止めるんだ?!真っ先に引き換えそうと言いそうなお前が!」
「マスターは大丈夫だと言われたわ。私はそれを信じるだけ。マスターはこの宇宙で最強の力を持つ人よ。こんなところで死にはしない」
シアはアルカ山を割って這い出て来ているクロノスを見ながら真剣な面持ちで言った。
ワサンはスノウを信じてやれていない自分を恥じつつも、目の前の天変地異級の状況に居ても立っても居られない複雑な心境で心のやり場がないのか、突如自分のナイフの刃の部分を掴んだ。
バシュゥゥ‥‥
ワサンの血が風に舞って飛んでいく。
「スノウ!信じてやれなくてすまなかった!きっとお前は帰ってくる!もうお前を疑わない!」
まるで血の誓いのように叫んで言ったワサンを見て、シルゼヴァもヘラクレスも微笑みを見せていた。
「約束通りこのままひとまずグザリア跡に向かうわ」
シアの指示の下、装甲馬車はそのまま南へ向かって疾走して行った。
・・・・・
・・・
――神の島――
カタカタカタ‥‥
神殿の中にある大広間でこの島の主人である原初の女神ニュクスを囲み彼女の子供達が座っていた。
死の運命を司る神ケール、死そのものを司る神タナトス、あらゆる者を眠りへと誘う神ヒュプノス、相手を夢の世界へと陥れる神オネイロス、復讐の化身である神ネメシスという面々が座しており、もしこの場に人間レベルの生き物がいたら、数秒で発狂して死んでいたに違いないほどの負のオーラが充満していた。
「この声は‥まさか?!」
ニュクスが思わず立ち上がって言った。
他の神々には聞こえない声がニュクスには聞こえたようだった。
タルタロスの深淵に閉じ込められた者だけが何かの縁で紐づけられたかのように感じる心に響く叫びだった。
「どうかされたのですか母上」
ネメシスが心配して言った。
ニュクスがこのような驚きの表情を浮かべることを見た事がない他の者達も心配そうにニュクスから返されるであろう言葉に耳を傾けた。
「ありえぬ‥‥。ゼウスによって奈落の深淵にまで落とされたはずのあの者がこの地上に這い出てくるなど‥‥」
「??」
「何が這い出て来たというのだ母上?」
ヒュプノスが痺れを切らしたように質問した。
「クロノスじゃ。妾とヘメラに光と闇の役目を押し付けた忌々しいガイアの小倅のウラノスを殺し王の座についた欲深き巨神じゃ」
「何ですって?!」
「なんと!!」
「有り得ん!」
皆立ち上がって驚きの声をあげた。
「そのような事が?!母上をあの奈落から引き戻すのにどれだけの時間霊力を溜め込んだと思っているのですか?!それをあの膨大な質量のクロノスで考えると不可能としか言いようがありませんわ!」
「お前の常識で測ってはならぬぞネメシス。妾はあの地獄から抜け出て以降あの深淵に魂の一部を縫い付けられた。それによって他の者をあの深淵に送ることも引き戻すこともできる力を得た。つまり、あの深淵からクロノスを引っ張りあげた愚か者がこのケテルにいるということじゃ!」
「ま、まさかあの秩序の犬のアスタロトでは?!」
「それはない。たかだか七日程度いたところであの深淵に魂のアンカーは打ち込まれぬ。そもそも魂を持たぬ者は何日何年何千年いようと無理だがねぇ」
「クロノス‥‥あの馬鹿でかい図体であればタルタロスの壁をよじ登ることも出来るんじゃねぇのか?」
乱暴な口調で言ったのはケールだった。
「それはない。タルタロスの深淵は無限の奈落。あの場で質量など無意味。やはり何者かがあれを引き上げたに違いない」
「どうされるのか主人よ」
「母上!」
「主人!」
皆ニュクスの指示を待っている。
クロノスがこの地に顕現したとなれば、これまでの勢力争いというレベルではなく、一方的な破壊的暴力でケテル全土がそこに住む生物もろとも消し去られ何も残らない世界とされかねないのだ。
「今から出向く。まだタルタロスから出て来たばかりであればその力は完全ではないだろう。あれを再度奈落に叩き落とすのであれば今しかないわ!」
チョロチョロ‥‥
ガタン!!
突如何かの音に反応したのか、ニュクスが立ち上がった。
「ちっ‥‥とんでもない者が妾の神殿に入り込んできたわ‥‥」
ニュクスは不満そうにとある一点を見つめていた。
壁の一部からいつの間にか水が滴っており、周囲が水浸しになっていたのだ。
そこから人型をした水が現れた。
「おやおや貴方は水の神エアではありませんか。シュメールの旧神には礼節というものが存在しないようですねぇ」
ニュクスを守るようにしてオネイロス人型の水の前に立ちはだかった。
「これは失礼した。こやつは我の命に従ったまで。全ては我の指示。心から詫びよう」
鼓膜が破れると思うほどの不快な周波数で放たれた言葉の主が水溜りからゆっくりと浮上してきた。
その声を聞いたツィゴスの神々は一斉に緊張し身構えた。
水溜りから現れたのは白い楕円球体に6つの目をもつ異様な存在だった。
「お前は‥‥アプスー」
ニュクスの威圧的なオーラが大広間に広がった。
いつも読んで下さって本当に有り難う御座います。




