<ケテル編> 126.夜の雫
126.夜の雫
「ニュクス‥‥」
夜の顕現。
闇から眠りと夢と苦悩、死と死の運命を吐き出し、復讐や争いまで引き起こす源を生み出した女神。
スノウは改めて神々の身勝手な思考を痛感した。
神だから救いを与えるなど誰が約束したのか。
結局は自分の興味や、存在価値を認識するために人々を救ったり滅ぼしたりする身勝手な存在でありヘラクレスの言っていた言葉が正しいのだと理解した。
「随分と俺たちを弄んでくれたじゃないかニュクス様」
「人聞きの悪いことを言う者ではないわヘラクレス。妾はお前達を試したのじゃ。妾と対等に話せる者かどうかをのう。フフフ」
苛つきを抑えながらスノウが一歩前に出て話に割って入った。
「結果はどうあれあなたが欠伸をお持ちなのは分かりました。あなたの手元に欠伸がある以上約束は果たされたことになる。約束通り夜の雫を頂きましょう」
「あは!‥‥そうじゃったのう‥‥プフ!‥‥それじゃぁ授けようかねぇ‥‥ふあぁぁぁぁ‥‥おや‥‥涙は出ないねぇ。夜の雫とは妾の涙じゃ。これじゃぁ夜の雫を与えることはできないねぇ‥‥仕方ない。そろそろこのやり取りも飽いた。帰ろうかねぇ」
「待ってくれ!約束が違う!それにこれは血の盟約で縛られているはずだ!」
「盟約?!‥‥ああ。このことかい?」
ニュクスは徐にスノウの血を浴びた手を前に差し出した。
ボロン!‥‥ドデェ‥‥ジュワァァ‥‥
「!」
スノウは驚きと怒りの表情で地面に落ちたものを見ていた。
ニュクスが差し出したスノウの血を浴び盟約となったはずの手はニュクスの体からずり落ちて地面に腐った果実が潰れるように落下し酸で溶けるようにして煙を出しながら解けた肉カスとなった。
どうやらスノウと盟約を結んだときに差し出した手はニュクスが別の肉片から作り出した義手だったようだ。
ガチャ‥
「マスター。いつでもいけます」
「僕も覚悟はできてますよスノウさん」
シアとシンザは戦闘体勢に入った。
スノウの沸騰状態の怒りのオーラが周囲を包んだ。
ウカの面を被っているなら間違いなく鬼神の面に変わっていただろう。
「ニュクス‥‥手前ぇ‥‥神だからって調子に乗るなよ‥‥」
「何?今何と申したのじゃ?妾に向かって口の聞き方を知らぬようじゃなニンゲンの分際で」
ズン‥‥
スノウ達の前にヘラクレスが立ちはだかった。
「スノウ。怒りを抑えろ。お前の気持ちはよく分かるが、怒りに任せて刃を向けて勝てるほど原初の神は簡単じゃねぇ」
だがその声はスノウに届いていなかった。
バルカンの灯火を絶やさないようにエターナルキャンドルを手に入れるこの旅は時間との戦いであり、それを個人的興味で勿体ぶっているニュクスの態度はスノウに我を忘れるほどの怒りを生じさせた。
バシュン‥‥
「!」
ズザン!バザザザン!!
螺旋を練り込んだスノウの凄まじいフラガラッハのラッシュがニュクスを一瞬で八つ裂きにした。
ドッバァァァ!!
斬り刻まれた体とそこから飛び散る血飛沫が周囲に散らばる。
「おい!やっちまったかよスノウ!」
ヘラクレスはスノウの凄まじい攻撃にも驚いているがニュクスが斬り刻まれた事にも驚いていた。
(まさかこれであのニュクスが死ぬとは思えねぇが、それにしてもスノウの戦闘力がここまでとは思わなかったぜ‥‥)
ヘラクレスは状況を整理している。
一方スノウの怒りモードはニュクスを八つ裂きにしても治っていない。
その怒りのオーラを受けてシアとシンザも戦闘体勢を解除していない。
「おい、スノウ!一旦落ち着け。ニュクスはこの通りバラバラだ!」
「お前の目は節穴かよヘラクレス。こいつがニュクスだって言うのか?」
スノウの言葉にヘラクレスは冷静にバラバラになったニュクスの死体を見た。
「!!」
何かに気づいたヘラクレスは周囲を見渡す。
「おいおい‥‥」
ヘラクレスは自分が殴り倒して担いできたオイジェスが服だけを残してその体が消えていることに気づく。
目の前でバラバラにされているのはオイジェスだったのだ。
「なかなかやるではないか」
スヴァン!!
声のする方向にスノウの凄まじい速さの斬撃が放たれるが空を切った。
「どうやらお前の実力を過小評価していたようじゃ。妾を驚かせた褒美に夜の雫はくれてやる。じゃが、ただではやらぬ。これは正真正銘夜の雫をくれてやる試練と思え」
「信じろってのか?」
「信じるも信じないも関係ない。お前は妾から夜の雫を入手しなければならない理由があるのであろう?であれば受ける以外に選択肢はない」
「試練とは何だ?」
どこまでも相手の嫌な部分をついて話をしてくるニュクスに更なる苛立ちを覚えたスノウは必死に怒りを抑えながら言った。
「試練とは深闇の七日間じゃ」
ズバン!!
スノウは発する度に場所を変えるニュクスの声のする方向に向かってフラガラッハを振ったが再度空を切った。
「何だよそれは!」
「妾は長らくこのタルタロスに幽閉されておった。それはもう退屈でのう。どうにも気が狂いそうであった。それと同じ思いを味わってもらう。タルタロスの深淵の牢獄に七日間!死なずに出てくれば約束通り夜の雫をくれてやろう。たとえ気が狂ってしもうても死んでなければくれてやる」
「いいだろう。だが今回はお前を信じるだけの保証を貰う」
そう言うとスノウはヘメラの前に立った。
ズバン!!
「え!!」
「何をするのじゃ貴様!!」
ヘラクレスだけでなくニュクスまで驚きの声を上げた。
なんとスノウはヘメラの首を切断したのだ。
シュルルルル!!ギュワン!!
突如何もない空間から荊のような蔦が現れ、体と頭部それぞれの切断された部分に巻き付いた。
ジャギン!
スノウは頭部に巻きついた荊を斬った。
「お前、このヘメラが必要なんじゃないか?お前は夜の化身、ヘメラは昼の化身だ。ヘメラは毎日自分が昼をこのケテルに顕現させなければならないと言った。それは夜も同じなんだろう?昼と夜、この二つが揃って初めてケテルを支配できるんじゃないのか?」
「知った風な口を聞くなこの下衆なニンゲンが!」
「まぁおれの推測が当たろうが外れようが関係ない。お前に縛りを課せられればそれでいいんだ。もしその深闇の七日間とやらをクリアしても夜の雫を渡さないっていうならヘメラが消滅すると思え。そんなことをしても痛くも痒くもないなら放っておけばいい。おれにはヘメラがどうなろうと関係ないからな。この場で消滅させることにするだけだ」
「ちっ!分かったわ!必ず夜の雫を渡すと約束しよう。渡したら必ずヘメラの首は妾に返せ。よいな!必ずじゃぞ!」
「約束はしてやる。だがこれは盟約じゃない。守るかどうかはお前次第だ」
「きぃぃ!まぁよいわ!お前など妾が本気を出さずとも滅することができる存在。それで妾の試練を受けるのはお前か?そこな女か?ヘラクレスか?」
「俺がやろう」
『!!』
一同は驚きの表情を浮かべた。
それもそのはずで今まで非協力的であったディアボロスが試練を受けることを申し出たからだ。
「お前‥‥何を企んでいる?」
スノウは無言でヘメラの首をシアに渡し、ディアボロスの前に立って言った。
「近づくな、ニンゲン臭ぇのが移るだろうが。お前、この試練の本当の恐ろしさを分かってねぇのか?」
「どういう意味だよ」
「タルタロスは原初の神カオスの子だ。カオスとは深淵そのもの。有と無を混在させそれを投獄されたものに与える。簡単に言えば生きながら死に、死にながら生きている状態にされるってことだ。普通の精神じゃ耐えられねぇんだよ。それを俺が買って出てやると言っているんだ。感謝されてこそあっても文句を言われる筋合いはねぇな」
「ちっ!本当だろうな?」
そこへヘラクレスが詰め寄る。
「スノウ、ここはこいつに任せた方がいいぜ。こいつの言っていることは本当だ。正直俺も七日間を耐える自信はねぇ」
「‥‥‥‥分かったよ」
「決まったのか‥‥秩序の犬め‥‥貴様が狂いもがいて発狂するところが見られるならそれもまた一興よのう」
そう言うと、ニュクスは実態を現した。
ガチャ!
シアとシンザが武器を構える。
それをヘラクレスが制する。
「今からお前をタルタロスの深淵に飛ばす。準備はよいか?」
「準備だと?弁当でも持っていけとでも言いたいのか?さっさと送れよ」
「ふん‥」
不満そうな声を漏らすとニュクスは何やら呪文のような言葉を発した。
シュン‥‥
次の瞬間ディアボロスは一瞬で消えた。
「今より七日後、かの者を呼び戻す。それまで娘の屋敷で待つがいい。アノマリー、貴様がヘメラの首を斬ったことで昼が訪れなくなってしもうたから日にち感覚は消えてしまったがな」
「確実に呼び戻せよ。こっちも遊びじゃねぇんだ。日にちは数える」
「ふん‥‥」
そう言うとニュクスは消えた。
カシン!
スノウはフラガラッハを鞘にしまった。
未だ怒りが治まりきっていないスノウにヘラクレスが話しかけてきた。
「まぁいくらあの性格の悪いニュクスでも今回ばかりは素直に言うことを聞くだろうぜ」
「あいつの性格とかはどうでもいい。涙流さないなら目を抉ってでも流させてやるまでだ」
ヘラクレスはスノウのその言葉と表情に一瞬ゾッとした。
「ま、まぁでもよ、今回あのディアボロスが試練の役を買って出てくれるとはな。何の役にも立たないと思っていたが、やつにも契約に縛られた事情があるんだろうぜ。こっちとしてはラッキーだがな」
「どうだかな‥‥」
「七日間ですか。食料とかあるんですかね。あのヘメラ神の館は」
「なければヘラクレスに調達させればいいわ」
「そうですね」
「おいおい、お前達‥‥てかお前らまで緊張感ねぇのか?普通は原初の神を前にするとそれなりに畏まるもんだがな」
ヘラクレスは自分を棚に上げて言ったが一切気にしないと言った表情でシンザとシアが言葉を返す。
「僕一人ならそうだったかもしれませんね。でも僕はレヴルストラの一人。仲間が怒っている時にビビってどうするんですか?」
「ヘラクレス。あなたは絶対的に信じられる存在がいないのね」
「‥‥‥‥」
ヘラクレスはふたりの言葉に面食らって無言になってしまった。
(こいつら本当にニンゲンか?‥‥この中じゃスノウが一番ニンゲン臭いな。そして異常なほどのポテンシャルを秘めたスノウ‥‥アノマリーと呼ばれるのも頷けるが、一体こいつらはハノキアで何を成し遂げるってんだよ)
「シルズが気に掛けるわけだ‥‥」
「何か言いましたか?」
ヘラクレスのボソッと発した言葉にシンザが反応したが、ヘラクレスはそれを誤魔化した。
・・・・・
ズゥゥゥン!
亜空間のような場所を彷徨っていたディアボロスは突如地面らしきところに足をついた。
周囲を見渡してみる。
(ここがカオスの入り口か?)
見る限り想像していたような雰囲気はなく、僅かな炎がうっすらと辺りを照らしている地底奥深くにある牢獄に思えた。
どうやら狭い牢獄の中に閉じ込められているようだ。
ガシャァァァン‥‥
ゴゴゴゴゴゴォォォォォ
鎖を引っ張る金属音や、高いとも低いとも分からないようなうめき声、岩の壁面を叩く凄まじい振動音など様々轟音が響き渡っている。
(地獄と変わらねぇじゃねぇか)
ディアボロスは期待外れと言わんばかりの表情を浮かべている。
「ゴォォォォォォォ‥‥」
強烈な唸り声が響いてきた。
その方向を見ると無数の光るものが見えた。
(あれは‥‥ヘカトンケイルの目か!)
鼠一匹通すことを許さない、この牢獄を監視する100の目を持つ巨人ヘカトンケイルがこの地底奥深くの牢獄を見張っていた。
(ニュクスのやろう、どうやら何も知らなかったようだ。だがこれは好都合だな)
そう言うとディアボロスは不敵な笑みを浮かべた。
バゴオォン!
ディアボロスはヘカトンケイルが見えなくなったのを見計らって壁をぶち抜いて外に出た。
周囲を警戒しながら歩いていく。
ヘカトンケイルに警戒しながらしばらく歩くと広い空間に出くわした。
(なんだここは‥‥)
ギン!!
「うぐっ!」
突如凄まじい緊縛のオーラを感じて動きを封じられた。
(ヘカトンケイルか?!い、いや違う‥‥)
「ごしゅあぁぁぁぁl ‥‥‥こんなところに客とは珍しい‥‥」
「!!」
突如心臓を抉られるような低く響く声が聞こえた。
(こ、こいつはいきなりビンゴじゃねぇか!)
ディアボロスは驚きと不敵な笑みが混ざった表情でこめかみに汗を垂らしながら身構えた。
目の前にはその全身が見渡せないほどの巨大な影が鎮座していた。
・・・・・
・・・
―――7日後―――
ヘメラの館にニュクスが現れた。
ガチャ!
スノウたちは一斉に戦闘体勢に入る。
「そう構えるでない。戦いに来たのではないことはわかっておろう?妾の気分が良いうちに素直に武器を収めよ」
ヘラクレスが軽く首を縦に振ったのを見てスノウたちは武器を収めた。
「さっそくアスタロトを戻すがよいな?」
「早くやれよ」
「ふん‥‥」
ニュクスはディアボロスをタルタロスの深淵に送り込んだ時と同じように何やら呪文を唱え始めた。
「来るぜ」
ヘラクレスがそう言ったかどうかの瞬間に目の前に何者かが現れた。
座禅を組んでいるディアボロスだった。
「ディアボロス‥‥」
ディアボロスは目を瞑っている。
そして深淵から戻ったのを察したのか、ゆっくりと目を開け始めた。
「‥‥‥‥」
一同はディアボロスが正気を保っているのかどうか分からず様子を見ている。
「ふぅぅ‥‥」
ディアボロスは大きく息を吐いた。
ゴゴゴゴゴゴゴ‥‥
緊張感が漂う。
ディアボロスはゆっくりと立ち上がった。
そして首を回し始めた。
「おい、ディアボロス」
「いきなり人の名前を馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇ。少しは労いの言葉でも言ったらどうだ?」
「おお!さすがは大魔王か!深淵は地獄みたいなもんだからな。お前にとっては庭も同然か!」
ヘラクレスは笑顔で言った。
「ふん。あれでどうやって気を狂わせればいい。くだらねぇ余興だったぜ」
「ちっ!つまらんのう。まぁよいわ。約束通り夜の雫をくれてやるわ」
そう言いうとニュクスは何もない空間から中瓶を取り出した。
それをポイッとスノウの方へ寄越すと大きな欠伸をし始めた。
ニュクスの美しい顔が欠伸の表情になる。
しかし、通常の口を開けるサイズを超えて更に口が開いていく。
開いた口は最早獣のように避けており、顔の大きさを大きく超えるほどとなっている。
歯茎と共に牙を剥きまるで怪物だった。
恐ろしいのは口の中が吸い込まれそうな闇であったことだ。
「ふあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
欠伸とは思えない悍ましい顔で欠伸の声を出すニュクスの瞳から涙が出てくる。
その涙が滴り落ちる寸前でスノウはそれを逃さず中瓶の中に入れた。
たった一滴だったが、中瓶の中で増えていく。
蝋燭を作るのに十分な雫が溜まった状態となった。
ガファン!
ニュクスは口を閉じた。
元の美しい顔に戻る。
そしてスノウを見た。
「さぁヘメラの首を返せ」
スノウはシンザに目配せした。
するとシンザは持っていた箱をニュクスに手渡した。
ガバッ‥‥ガシ!
ニュクスは箱からヘメラの首を取り出すとベッドに寝かされている胴体の首に近づけた。
何やら呪文のようなものを呟くと巻きついていた荊が縫合の糸のように細くなり、首を縫うように繋ぎ始めた。
「七日も空いてしまっては治療が必要じゃな‥‥」
「これで約束は果たされた。もうおれ達は無関係だ。もし何か妨害したり危害を加えてくるようなら容赦はしない」
スノウが怒りの表情で言った。
「ふん!こちらから願い下げじゃ。それはお互い様だからな。お前も妾の目的を妨げるようなことをするなら容赦はしない。今回は大目に見てやっていることを知れ」
そう言うとニュクスはヘメラを連れて消えた。
「ふぅ‥‥。とりあえず俺たちのミッションは完了だな。後はシルズが消えない炎を手に入れてくれてればバルカンの命は尽きることはない」
「ああ。帰ろう」
ヘラクレスの言葉に対しスノウは少しホッとした表情を浮かべて言った。
「お前はどうするんだ?一応契約は果たされたと思うぜ?」
ヘラクレスはディアボロスに言った。
「当然だ。今俺の契約が解除されたのを確認した。お前らとの旅は反吐が出そうだったぜ」
そう言うとディアボロスはそのままいつものように消えた。
ディアボロスを無視するようにスノウはシアたちに向かって言う。
「さぁ帰るぞ」
スノウの言葉に皆頷いた。
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