<ケテル編> 122.突きつけられた条件
122.突きつけられた条件
「やばいな。何か地雷を踏んじまったみたいだ」
スノウは目を見開きながらこめかみ汗を滴らせて言った。
手をあげて武器を構えるシアとシンザを制する。
(次の出方で話が進むか戦いかが決まる。だがまだだ。今動いたら戦いの方に振れちまう‥‥)
スノウは慎重に次の言葉を選んで発した。
「そうです。夜の雫‥‥おれ達はそれをどうしても手に入れなければならない理由がある。そしてそれをお持ちなのはこのハノキアであなただけだと聞きました。おれ達は無知だからそれがどれだけ貴重なものかも知らない。あなたにとって無礼なことを申し上げているならお詫びします。ですがどうかお願いです。夜の雫を分けてください」
バッ!
スノウは深々と頭を下げた。
シュルルルル‥ガギ!
ニュクスは体を回転させながら近づき手刀をスノウの首元に突きつけた。
「お前、夜の雫とは何か知らずにいっておるのか?」
「おれが知っているのは夜の雫は減らない蝋だという事だけです。おれ達は溶けない蝋燭‥エターナルキャンドルを作らなければならない理由がある。それを作るためには夜の雫と呼ばれる減らない蝋が必要‥‥それだけです。それしか知らない」
スノウは落ち着いた表情でニュクスの目を見ながら話した。
「ほう‥‥いい目をしているのう。その目に免じて闇に消し去るのはやめてやろう」
シュルルル‥‥
ニュクスは回転しながら少し距離をとった場所で宙に浮いた状態で話し始めた。
「夜の雫‥‥それは妾の涙じゃ。退屈な昼間のせいで出る欠伸の際に滴る涙じゃ。その涙が地上に滴ると同時に昼が入れ替わり夜となる。お前達は太陽が沈めば夜がくると思うておるのだろう。だが、夜の本質は闇であり、眠りであり死じゃ。生きとし生けるもの全てに訪れる夜‥‥妾はそれを伝え、その闇の訪れに備えさせる役目も負っておる。故に生きとし生けるもの全ての命が輝くのじゃ」
スノウはニュクスの難しい話を正確には理解できなかったが言わんとしていることは何となく理解できた。
(要は夜の雫ってのは人の生の最期を告げる合図みたいなもの‥‥その存在を知っているからこそ、人は必死に生を全うするし輝こうと努力する。欠伸ってのは何だか拍子抜けだけどな‥‥)
「それを‥‥こともあろうに奪いおった馬鹿者がおるのじゃ」
「夜の雫を奪った者‥‥ですか?」
「そうじゃ。正確には妾の欠伸じゃがのう」
「欠伸‥‥」
「フハハ‥‥お前のようなニンゲンには想像もできぬであろう。だが妾が昼に飽いて欠伸をせねば、夜はこないのじゃ」
「なるほど‥‥それで欠伸を奪った者とは?」
ニュクスはニヤリと不敵な笑みを浮かべ話を続けた。
「娘のヘメラじゃ」
「娘?!」
「そうじゃ。ヘメラは昼を司る神でもある。妾が生きとし生けるものの命に光を与える闇であるなら、ヘメラは闇や死に対して恐怖を植え付ける光の存在なのじゃ。母娘お互いに助けおうて来たのじゃが、ある時ニンゲン共の下衆な懇願にまんまと乗せられおって、死への恐怖を取り払って欲しいという願いを叶えるために妾から欠伸を奪っていったのじゃ。夜の雫が流せなくなるようにとな‥‥」
「‥‥‥‥」
「ひどい話であろう?ヘメラは本質を理解しておらぬのじゃ。ニンゲンもまた自らの闇と向き合い来るべき死と向きおうてその命を輝かせることが輪廻における重要な行いであるのじゃがそれを理解しておらぬ。そうでなければ妾から欠伸を奪うようなことはせなんだ。そしてあろうことか妾をタルタロスの奥深くへ幽閉しおったのじゃ」
(おれ達に何かさせようって感じの話の展開っぽいな‥‥全く神ってのはなんでこうも利己的で人使いが荒いんだよ全く‥‥)
スノウは表情には出さず、心の声として漏れないように心の奥底で呟いた。
スノウの予想通り、ニュクスの迫真の演技と共に話が進み、いよいよ本題に入ると言った雰囲気になった。
「だが!ヘメラは我が娘。妾を貶めたことを恨んではいない。奪われた欠伸ももはやどうでもよかったのじゃ‥‥それをお前が思い出させるものだから、妾の忘れていた生きとし生けるものへ授けるべき恩恵の重要性を再認識してしまったではないか!この苛立ち!どうしてくれようぞ!」
スノウは相変わらず表情を変えずに心の奥底でうんざりといったため息を吐きながらニュクスに話しかけた。
「お話は大体分かりました。おれ達のような只のニンゲンに貴重なお話を頂き有難うございます。ヘメラ神があなたの欠伸を持っている限りおれ達があなたから夜の雫を分けていただく事はできない‥‥そういう事ですね」
「その通りじゃ。だが叶わぬ話というわけでもない。お前達の行動にかかっておるのじゃがのう」
「おれ達の行動?何をすればよいのですか?」
ニュクスは一瞬不気味な笑みを浮かべた後真面目な表情になり言葉を返した。
「ヘメラから妾の欠伸を取り返すという事じゃ。だがそれはタルタロスの入り口にあるあの子の館に赴かねばならぬ。ヘメラの怒りに触れればタルタロスの深淵に落とされるであろう。そこはニンゲンでは精神を保っていられぬ無限の責め苦を与える場所‥‥そのような場所にお前達を送ることは妾にはできぬ‥‥」
「分かりました。あなたの欠伸‥‥おれ達がヘメラ神から取り返して来ます」
「あは!‥‥いや‥‥やめておくがよい。ニンゲンであるお前達には無理じゃ‥‥」
ヘラクレスは頭をポリポリと掻きながら前に出て割って入って来た。
「俺も行く。必ず取り返してくるからその時は夜の雫、必ず分けてもらいたい。エターナルキャンドルが作れる程度で構わない」
「ほう‥‥お前も同行すると申すかヘラクレスよ‥‥そこまで言うなら仕方がない。ヘメラから妾の欠伸を取り返すことを許可しよう」
(はぁ‥‥おれ達に取り返してこさせようと誘導しているくせに、取り返しに行くことを許可しようってなんだよ。全く神ってのはどいつもこいつも横柄だな‥‥)
もちろんうんざりした感情は表に一切出さずにスノウは深々の頭を下げた。
「ニュクス神‥有難うございます。重ねて申し訳ありませんが、あなたの欠伸を持ち帰った際は夜の雫‥‥必ず頂けるという事でよろしいですね」
ニュクスは一瞬怒りの表情を浮かべたが、ため息混じりの表情に変えて言葉を返した。
「ふん‥‥ニンゲンが思い上がるな。だがまぁよい。妾は寛大。ラグナの子の我儘も聞いてやる度量を持っておるのじゃ。腕を出せ」
言われるままにスノウは握った拳を前に出した。
スッと目の前までニュクスが移動してきたかと思うと、人差し指を立てて長く鋭い爪をスノウの腕に当てた。
シャッ!
「くっ!」
ガッ!
スノウの腕から血が吹き出しニュクスの腕に掛かった。
それを攻撃と見做したシアが武器に手をかけて襲い掛かろうとしたが、ヘラクレスはそれを制した。
ここでミスっては全てが水の泡だと判断し、持てる全力でシアの腕を掴み押さえている。
シアはその意味を理解しつつもニュクスに恐ろしいほどの怒りの目を向けた。
「これは‥‥」
「血の約束じゃ。妾とお前のな。お前の血を受けた約束じゃからお前を裏切れば妾とて罰を受ける。信じたか?」
「有難うございます」
スノウは横目でヘラクレスの方を見て、微かに頷いたヘラクレスの姿を確認し礼を述べた。
どうやらニュクスと交わした血の盟約は生きているようだ。
「それではさらばじゃ」
差し込んだ光が空に向かってゆっくりと消えていくのに合わせてニュクスも消えていった。
一気に緊張感が解けた。
スノウを傷つけられたためシアだけは怒りを治めるのに必死だったが、他の者達は安堵のため息を吐いた。
そして徐にヘラクレスがスノウたちを抱え始める。
「話の整理は後だ。まずは一旦馬車に戻るぜ」
そう言うと思い切り跳躍した。
ドシュゥゥゥゥゥゥン!!‥‥‥ヒュゥゥゥゥ‥‥ドズゥゥン!!
神殿の屋根を一部破壊しながら強烈な跳躍を見せたヘラクレスは神の島を飛び越え、本土に通ずる通路に着地した。
着地後そのまま走り、装甲馬車の前に辿り着いた。
神経毒に侵されることなく無事に帰還できたのだった。
神の島と繋げる道は、その着地によって地面が大きく抉れたため分断されてしまっていた。
ヘラクレスは兄弟の半神馬のバリオスとクサントスに出発を指示した。
とりあえず馬車を走らせたが、バリオスが訊ねた。
「どちらに向かうので?」
ヘラクレスがその問いに答える。
「グザリア跡地だ。一旦戻る」
「おお、戻ったら俺たちの役目も終わりってことっすね!」
「ばぁか!お前らは死ぬまで俺たちの馬車引くんだよ!いいから急げ」
2頭は驚きの表情を浮かべ苛立ちながら馬車を走らせ続けた。
一方車内では状況の整理が始まった。
スノウが仕切っている。
「状況を整理する。既におれ達はイヴリスの箱を手に入れているから、エターナルキャンドル‥‥溶けない蝋燭を作るための型は持っている状態だ。そしてティアマトからレムゼブルノーの燭台‥‥通称 “倒れない燭台” を手に入れた。エターナルキャンドルを立てておく燭台だが、これがあれば何が起こっても倒れて火を消してしまうことがない。残るはエターナルキャンドルを作るための材料である夜の雫‥‥通称 “減らない蝋” と それに灯す炎‥‥通称 “消えない炎” だ。“消えない炎” は朱雀種が吐く炎がそれに当たるが、現在シルゼヴァがその所在を確認してくれているはずだ。従っておれ達がとるべき行動はニュクスの依頼を達成する事‥‥つまりニュクスの欠伸とかいうのを昼を司る神ヘメラから取り返す事だ。そのためにはタルタロスとかいう場所にあるその神の館に行き、交渉か戦闘かわからないがとにかく入手する必要がある。ここまではいいな?」
一同は頷いた。
「おれには神々の母娘喧嘩的なものには全く興味がない。おれのやりたい事はただ一つ。バルカンの炎を消さない事だ。そのためなら何だってやる。ニュクスがヘメラを殺したいならそうする。そうする事で夜の雫が手に入るならな」
「いい覚悟だぜスノウ」
ヘラクレスが答えた。
「俺たちが相手にしてのは神々だ。既にお前も分かっているだろうが、あいつらは自分勝手で横暴横柄だ。とんでもない破壊的玩具を持ったガキがほとんどって事だ。そういう奴らを相手にするのに善とか悪とか良心とかそういうもんは一切意味をなさねぇと思っていた方がいい。そんなものより、一本筋の入った信念だ。何が起きてもどんな状況に陥っても揺るがねぇ軸が必要なんだ。神々や世界中を敵に回してもお前はバルカンを救うという選択をした。その潔さは正しいし俺も支持するぜ」
「私はマスターと共に生きる身。マスターがしたいと思う事をする。それだけよ」
「僕は‥‥善悪や良心という概念に縛られていると思っています。ですが、大切なものが何かってのは分かっているつもりです。そしてその大切なものは仲間‥‥レヴルストラ4thのみなさんです。僕は何があっても仲間を裏切るような真似はできません。ですから自分たちの行動が悪と捉えられることも、良心に反することであっても仲間の総意に従います」
続いて言葉を発したシアとシンザの話の内容を聞いて満足げなヘラクレスはそのまま話を続けた。
「いいだろう。上出来だ。想いはそれぞれだが向かうべき方向は同じ。それで十分だ。でだ!俺たちはこの後何をすべきかだが‥‥」
それに対してスノウが答える。
「タルタロスに入るんだな」
「そうだ。だが、タルタロスって言ってもハノキアのいくつかの世界を跨る巨大な牢獄の神だと聞いている。俺たちが向かうのはそのタルタロスの入り口だ」
「タルタロスそのものに入るって訳じゃないのか?」
「表現が難しいな。タルタロスってのは見た目は大きくて深い穴なんだ。その穴が異常なほど深い。それこそ奈落の底ってのが表現としてはしっくりくるな。そしてその穴に両手両足を引っ掛けて跨ってる巨人がいるんだが、その巨人の背中にある屋敷ってのが、ヘメラのいる場所だ」
「そうすると厳密にはタルタロスの中じゃなく、まさに入り口ってことか」
「まぁそうだな。そしてその場所ってのがこのケテルの北に位置しているアルカ山の麓の不可侵領域と呼ばれる森の中にある。つまり俺たちはこれからそこに向かうってことだ」
「なるほど‥‥その森の中にタルタロスの入り口があるということですね?」
「自殺行為だな」
『!』
突如背後からディアボロスの声がした。
「お前‥‥肝心な時に尻尾巻いて逃げ出しやがって。やる気あんのか?」
「やる気か?あるわけねぇだろう?何が悲しくてニンゲンのお前に加勢しなきゃならねぇ‥‥その屈辱をお前少し学べよ」
「お前こそ契約の重みってのを学べ。従えないなら殺してやってもいいんだぞ」
「相変わらず威勢だけはいいんだな」
始まったディアボロスとスノウのやり取りを見かねてヘラクレスが割って入る。
「おいおいそこまでにしておけふたりとも。それでお前、自殺行為だって言った理由は何だ?」
「いちいち俺に聞くんじゃねぇよ。お前の系統の神なんざ興味ねぇんだからよ」
「まぁそう言うなよ。頼むぜ。情報くれぇ提供したって罰はあたらねぇぜ?」
「ふん。‥‥ヘメラの屋敷ってのは巨人アトラスの背中の上に乗ってんのはその通りだがな、両手両足が掴んでる場所が違う」
「どういう意味だ?」
「タルタロスの大穴の縁じゃねぇんだよ、あの巨人が掴んでんのは」
「何を掴んでんだ?」
「テュポーンがあそこにぶち込まれる直前に足掻いて打った4本の楔だ。タルタロスの大穴の内壁に楔を打ち込んでそこに引っ掛けてある鎖を引っ張って出ようって魂胆だったんだろう。それを臆病者のゼウスがアトラスに命じてその引っ掛かっている鎖を外させたのさ。そうしたらお前、バランス崩したアトラスはその楔を両手両足で掴んで堪える羽目になったんだが、その体勢のまま動けなくなったのさ。全く笑える巨人だがよ。それを見たゼウスがこれは使えるって思ったのか、そこにこのケテルを乗っけちまったのさ。だが、不可侵領域から入ったところで辿り着くのは大穴の縁だ。そこから楔を掴んじまってるアトラスの両手両足には行けねぇんだよ」
「なるほど‥‥なぜお前がそこまで詳しいのか、このケテルで一体何を企んでいるのかはこの際どうでもいい。どうすればヘメラの屋敷へ行ける?行き方知っているから態々指摘したんだろう?契約の縛りなんだろうが理由はどうでもいい。早く教えろ」
スノウの言葉にディアボロスは苛ついた表情を浮かべたが答えた。
「ちっ‥‥全く礼儀をしらない下劣なやつだ。答えは飛べる者が必要という事だ。それも奈落の引力を無視できるやつだ」
「ペガサスか!」
ディアボロスの言葉にヘラクレスが反応した。
「だが、あれは1頭のみ。とても俺たち全員を運べるもんじゃねぇな。一人で行くならいいかもしれねぇが」
「ふん‥‥策は出した。後はお前らで考えてお前らで何とかしろ」
バゴン!
ディアボロスに向かってスノウの蹴りが飛んだが、ディアボロスは異空間に逃げた。
「ちっ!」
スノウは苛立つ感情を抑えるべく装甲馬車の御者台に座った。
当然兄弟の半神馬が走らせてくれているので操舵は不要だった。
ただ、外の空気を吸いたかっただけのようだ。
「さて。シルズに報告と相談だな。今はゆっくり休む‥‥それしかできねぇ。お前達も休んでおけよ。忙しくなるかならぁ」
(さぁて‥‥どうするか‥‥)
そう言いつつヘラクレスは横になり思案を巡らせた。
馬車は一路旧ボレアス国の首都だったグザリアの跡地を目指して進んで行った。
いつも読んで下さって本当に有難うございます!




