<ケテル編> 92.人の醜さ
92.人の醜さ
ケテル各地で風の大破壊を生き延びている者たちの間でオアシスがあると噂になっていた。
ノトスで地下施設に避難し何とか大破壊を逃れた者たち約500人がかつて否國リプスと呼ばれた地域にある都市マパヴェを目指していた。
マパヴェは砂嵐の被害から住民を守るために古代遺跡であった地下空洞を利用した都市が形成され、既にそこで住民が生活していることから、ケテル各地で地下に身を隠し破壊の風の大被害を逃れた者たちはそここそオアシスなのだと主張し始めたのだ。
既に地下で生活できている都市なら地上がどうなろうと影響がない。
破壊の渦の数は多少減ったとは言え今尚猛威を奮っている砂嵐や砂嵐の衝突の被害を受けない場所となれば地下しかないというのが大勢の人々の理解だった。
500人の行列は元々2000人はいたのだが、ノトス周辺の沼地に足を取られ砂嵐に飲み込まれてしまった者や飢えで力尽きた者などが続出し4分の1までその数を減らしていたのだった。
「大丈夫かい?少し休んではどうだい?」
2メートル近い大男が小柄な女性を気遣っている。
「ありがとうバンダム。大丈夫よ。少し靴擦れしているだけだから、布で覆えば歩けるわ」
そう答えた女性はクレアだった。
彼女は元々かつてのノトス国にある小さな街リグに住んでおり、姉ティネの子フランを育てた女性だ。
ディアボロスに攫われたスノウを救うため、ケテルに越界したバルカンたちの中でバルカンとフランシアが着地した場所がこのリグの近くで、助けてくれたのもクレアだった。
現在フランはバルカン、フランシアと共に旅立ちレヴルストラの一員としてソニアックやワサンと共に西の都市ゼピュロスで街の復興に尽力しているが、そんなことは知らずいつの日かフランと再会する日を夢見て諦めずにオアシスを目指していたのだ。
そんなクレアに好意を寄せるのがバンダムと呼ばれた大男だ。
力はとても強く本気を出せば喧嘩も相当強いはずなのだが、優しいその性格からいつも周囲の男たちから揶揄われていた。
どんな揶揄われや悪戯を受けても笑顔で返していることから所謂いじめられ気質を持った男だった。
クレアはそんなバンダムに少し苛立っていた。
揶揄ってくる男たちを伸してほしいというのではない。嫌なことは嫌だという意思表示がない言いなり的なところが気に食わなかったのだ。
誰も持てないような重量タルを軽々と持ち上げるし、家を補修するとなれば、バンダムがいるのといないのとでは工期が倍違うほど、力持ちを生かした仕事ができるのにも関わらず、意思表示もなく周囲のいいなりとなってしまう。
クレアは靴擦れした足にハンカチを巻きつけて靴を履き直したが、彼の心の優しさを知っているだけにそんな彼にイライラし思いっきり力を込めて紐を結んでいた。
「よし、これで大丈夫。さぁバンダム、私の荷物を頂戴。これ以上あなたに背負ってもらう道理はないわ」
「大丈夫だよクレア」
「持てるかどうかを言っているんじゃないの。あなたどれだけの人の荷物を背負ってるのよ。見てみなさい?あそこで喋りながら歩いている男たち。本当なら皆と同じように自分の荷物を背負って歩いているはずなのに明らかに楽しているじゃない。全て返してくるべきよ。もし荷物肩代わりしたいと思ってもあんなやつらのじゃなくて、お年寄りとかの荷物にすればいいわ」
クレアの指摘通り、バンダムは自身の体の倍以上あるほどの巨大に膨れ上がった荷物の山を背負っている。
「ははは、僕を気遣ってくれているのかいクレア。ありがとう。それだけで力が湧いてくるよ!」
「はぁ‥‥そうじゃないでしょう?全く」
クレアはバンダムから自分の荷物を取り上げて背中に背負って歩き始めた。
このような避難民と化している状態のため、バンダムに荷物を押し付けて楽をしている他の男たちは本来なら年寄りや子供の荷物を背負うくらいの思いやりが必要なのに対し、何も言わずに押し付けられるまま荷物を背負っているバンダムにさらにイラつきを覚え、クレアはツカツカと早歩きで進んでいった。
「おいおいクレア。そんなに急いだらハンカチがずれて靴擦れが悪化してしまうよ?」
「うるさい、ほっといて」
しばらくすると前方の方からざわめきが聞こえてきた。
風の大破壊後の世界では黒雲が太陽を隠し、風が巻き上げた塵や砂が周囲の視界を奪っている上、破壊の風で地形も大きく変えられてしまっているため、自分たちの進んでいる場所も、あとどれくらい歩けばいいのかも分からない。
そんな中で前方からのざわめきは何か変化があったことを期待させた。
「どうしたの?何かあったの?」
クレアはその場の近くにいる人に話しかけた。
「分からない。俺も知りたい。早くこの鬱々とした状況から抜け出したいんだが‥‥」
まだ情報はクレアのところまで伝わってきていないようだ。
しばらく歩いているとざわつきが徐々に大きくなってきた。
そしてそのざわつきが歓喜の声に変わっているのに気づく。
クレアは話を聞いたと思われる者に訊ねた。
「ねぇ、どうしたの?」
「マパヴェだよ!先頭を歩いているやつらがマパヴェに着いたって言ってるらしいんだ!」
「えぇ?!本当?!」
「やった!やっと抜け出せる!助かった!」
「うおおお!」
クレアは急いで少し後方にいるバンダムのところへ戻っていった。
「バンダム!」
クレアが戻るとバンダムの周りに荷物を押し付けた男たちが数人集まっていた。
「おい、これ以上荷物背負えねぇって何ふざけたこといってんだデカブツが!」
「倒れそうなお年寄りが3人いて、彼らの荷物を持ってあげたいから元気な君たちの荷物は返そうと思ったんだよ」
「はぁ?!年寄りだぁ?!バカかデカブツ!今は世界が終わる寸前だぜ?!年寄りには早めにいなくなってもらうべきなんだぜ?前途有望な俺たちが生き残らないでどうすんだよ!いいから荷物は持てよな!」
「そうだぜ。じじばばの荷物なんざこうしてやれ!」
1人の男が老人の荷物を思い切り遠くに投げた。
視界が悪いため、その状態は見えなかったがグシャという音から中の荷物がばら撒かれたのは明白だった。
「ああ!何をするんだ!」
「お前ぇの荷物を軽くしてやったんだよ!ありがたく思えやデカブツ!」
「あぁ、わしの荷物‥‥」
投げられた荷物の持ち主の老人が悲しそうにつぶやいた。
「ついでにこのじじいもぶん投げるか!おいデカブツ!じじいも廃棄しちまえよ!」
「おお、それナイスアイデアだぜ!」
「やれやデカブツ!」
パシィ!
男の1人を突然平手打ちしたものがいた。
クレアだった。
「いい加減にしなさい!この助け合わなきゃいけない時に貴方たち最低ね!」
「んだぁ手前ぇ!ってクレアか!カッコつけやがって!前から気に食わなかったんだよお前!偉そうにしやがってよ!」
男がクレアの腕を掴もうとした瞬間、前方から歓喜の声が上がった。
「マパヴェに着いたらしいぞ!」
「助かった!」
「何やら人数制限があるらしいぞ!」
「何?!助からない可能性があるのか?!」
そんな声が聞こえてきたため、クレアに食ってかかっていた男たちは、一気に前に走り出した。
「人数制限だとぉ?!おい、やべえぞ、こんな奴らに構ってる場合じゃねぇ!」
「おいバンダム!必ず俺たちの荷物持ってこいよ!」
「クレア覚えとけよ!」
「おい!急げ!間に合わなくなるだろ!」
男たちは列の前方に向かって走って行ってしまった。
「クレア‥大丈夫だったかい?」
その言葉に一気に怒りのボルテージが上がるクレア。
「貴方がだらしないからでしょ!本当に情けない人ね!」
「ごめん‥‥」
「!!‥‥もういいわ!」
煮え切らず情けない姿を晒すバンダムに苛立ちを抑えられないクレアは彼を放って前方にツカツカと早歩きで進み始めた。
しばらく進むと視界の悪い中でも大勢のざわめきと人だかりが見える場所に到着した。
マパヴェは砂嵐の影響を受けないように地下空間に形成された街で、過去ワサンとシンザが訪れたことのある場所だ。
この街にはグインガ域長という人々をまとめている長がいる。
これだけの大勢が押し寄せている状況を考えればグインガ域長またはその部下が出てきてもおかしくはないのだが、中からは誰も出てくる気配はなくただただ狭い入り口に大勢が集まっている状態だった。
我こそはと人々をかき分け混沌状態と化した入り口付近では押しつぶされて倒れ踏みつけられ命を落とす者まで現れた。
どうやら狭い入り口から入ろうとする大勢の狂気にも似た状態が、街へ入れる人数が制限されているという噂になり、後方に伝わったようだ。
なんとか入り口にたどり着いた者たちが順番に階段を降りるとそこには地下でありながら広い空間に所狭し並んでいる家々が見えた。
1km四方に広がる空間にはさほどよい暮らしとはいえないレベルの家々が並んでいるのだが、この場所に入ってきた者たちはしばらくしてその違和感に気づく。
この地下街の中に誰ひとりいないということだった。
「これはまるで私たちのために用意された街みたいだな‥‥」
「まさにオアシスか!」
「いや、待てよ。ついこの間まで人が住んでたみたいだぜ?なのになぜここには只のひとりもいないんだ?」
「これだけ広いんだ。どこかに隠れているんじゃないのか?!俺たちが入ってきたことでビビってどっかに引っ込んで隠れてんだよ」
「そんなことは知ったことじゃねぇ。ここには水もある。あとは食料だ。食料がなけりゃここもノトスと大して変わらねぇってことになる。奪ってでも食料確保が先決だ」
バンダムに荷物を押し付けた男たちも会話に参加してこの先どうするのか議論し始めている。
1時間が経つ頃には8割の者たちが地下街に入ってきていた。
1割はまだ外でこの地下街に入るかどうか考えあぐねていた。
なぜなら、残りの1割がこの地下街に入るのに押しつぶされて死んでしまっていたからだ。
人の心の醜さをまざまざと見せつけられて、困惑しているのだ。
そして怯えていもいた。中に入ればここで死んだ者たちと同様に自分も殺されるのではないかと。
残った者は老人や女子供たちだった。
その中にはクレアやバンダムもいた。
(狂ってる‥‥。こんな恐ろしいことが起こっているのに地下に行った者たちは自分たちが生き残ることしか考えていない‥‥おかしいよ‥‥)
クレアは地下に入るかどうか決断しなければと思っていた。
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