<ケテル編> 20.ただいま
20.ただいま
幅10メートルほどの細い陸の回廊の上にいる一行は、慎重に馬車を進める。
これから向かう神の島と呼ばれる場所は本来であればエウロスという神がいるはずだったが、数日前に襲ってきた悪魔を追い払った女神ネメシスとエリスによれば、全能神によって滅せられたという。
その神の島には悪魔が集結しているという人類議会の情報を信じれば、既に悪魔によって占拠されている可能性がある。
そしてその悪魔を従えているのはスノウを拐ったディアボロスである可能性もあった。
どのような危険が降りかかるか読めないため、フランとロイグは馬車の中に入らせ、バルカンとソニック、ワサンが周囲を警戒しながら進む。
シンザは御者、シアは馬車の中から有事に備えている。
100メートルほど進んだところでワサンが何かを感じ取った。
「止まれ!」
ワサンは右手に剣を持ち、左手で馬車の進行を制した。
その声からいよいよ何か危険が迫っていることが容易に想像できた。
(どこだ‥‥?!)
ワサンたちは体を切り刻まれるような鋭いオーラを感じているが、それがどこから発せられているかが分からなかった。
緊張感が走る。
「上です!」
シンザが叫ぶ。
次の瞬間凄まじい音と振動が一行を襲う。
ズゴォォォォォォォォォォォォン!!!
バシュウゥゥゥ‥‥ズズズズゥゥゥン‥‥
突如目の前に直径1メートルほどで長さが5メートルほどの巨大な鉄杭が降ってきて目の前の地面に突き刺さったのだ。
その衝撃で海の水面に大きな波のような波紋が広がっていく。
先頭にいたワサンのこめかみから冷や汗が滴り落ちる。
「ワサン」
「ああ、分かっている」
バルカンの小声で発する言葉にワサンは反応する。
鉄杭の上に立つ人物に動けずにいたからだ。
日の光を背負っているため、鉄杭の上の者の姿がはっきりと見えない。
「お前たち‥‥神聖なこの場所に何用ですか」
鉄杭の上の人物が語りかける。
その声は耳で聞こえているのか、頭に直接語りかけられているのかわからず、聞いているだけで吐き気を催すようなものだった。
おそらく普通の人間には本来聞き取れない周波数で言葉を発しているのだろう。
薄灰色の肌に紺色に白い縁模様の入ったローブを纏い、腰からは白く眩く輝く美しい羽が生えている。
その羽はまるで羽単体が個別の生き物のように蠢いている。
美しい顔にある眼球は白目部分が黒く、黒目部分が輝く白になっており、その目はワサンを捉えている。
その手には黄金に輝くリンゴのようなものを持っている。
明らかに人間ではない。
そして悪魔でもなかった。
「女神‥エリス‥だな?」
ワサンが杭の上に立つ人物に問いかける。
ウロザナを襲った悪魔を退けた女神であるため、その場に居合わせたワサンとシンザはこの姿に強烈に見覚えがあったのだ。
「いかにも。‥‥お前は‥‥ウロザナを悪魔が襲った際に非力ながら争っていた者たちの中にいましたね。勇敢なニンゲンがいるものだと感心したのを覚えています。一応名前を聞いておきましょう。名乗りなさい」
「ワサンだ」
「ワサン‥‥ほう‥‥なかなか良い名ではありませんか。その名ならばまた近いうちに再会するのでしょう。それより‥‥この先が何か知らないわけでもないでしょう?即刻立ち去るのが良い」
バルカンは凄まじいオーラのプレッシャーの中、ワサンや仲間へ攻撃があるようなことがあればいつでも動き防げるように殺意を殺して攻撃体勢を取っている。
ソニックは馬車の中のフランとロイグを守ることを優先するような防御体勢をとっている。
一方のシアはスノウ救出を阻む相手の出現でこれ以上ないほどの怒りの表情を浮かべており、シンザが必死にシアの腕を掴んで押さえ込んでいる。
ワサンは、エリスの優しい話し方の裏にある強烈な殺意を感じ、慎重に言葉を選び返答する。
「実は‥‥オレたちの大切な仲間が悪魔に拐われているのだが、この先に悪魔が集結したという情報を得たんだ。そのため僅かな希望に縋ってこの先を目指している」
「神の島に悪魔など‥‥。お前は我ら神々が悪魔に屈しているとでも言いたいのですか?」
「い、いや‥‥そこまで深く考えているわけではない。とにかくオレたちの仲間を取り戻したいだけだ‥‥あんたたちの聖地を荒らすなんてことは考えていないし、何もなければすぐに引き返す。どうか仲間を探すことを許可してもらいたい」
「許可はできません。この先に進めるのは遥か昔よりこのエウロスにおける許されるに値する者のみ」
「‥‥」
(ど、どうする‥‥戦う‥‥リスクが高すぎる‥‥引き返す‥‥ありえねぇ!‥‥クソッ!)
ワサンのこめかみから更に汗が滴る。
「どうすれば許可を貰えるのか?」
「本来であればこの国の民に認められた存在であることが条件なのだが、お前にはそれがないようです。ですが、先般の悪魔襲来時のお前の働きに報いる必要はありますね。この先へ通すことは許可できませんが、お前の望む仲間とやらを救い出してあげましょう」
『!!』
思わぬ会話の展開に驚く一同。
「どういう意味だ?」
ワサンが愚者呼ばわりを承知で質問した。
「少しここでお待ちなさい。良いですか?私の指示を無視してこの先に進むのであればお前たちを神に刃を向ける反乱因子とみなして滅します」
ヴァサッ!!
そう言い終えると腰から生えている翼を広げて一瞬で地面と垂直に飛んでいった。
あっという間に雲の中に消えた。
「みんな動くなよ」
「ああ、分かっている」
「大丈夫です。ここにいる者皆あの女神の戦闘力の高さは理解できていますから」
知っていて尚攻撃を加えようとするシアは置いて置いて、この交渉の難しさを皆理解していた。
ひとつ間違えれば戦闘になりかねない。
そして仮に撃退できるとしてもこの中の何人かは消滅させられることを覚悟しなければなならい。
数分後、風を切る音がし始めた。
シュゥゥン‥‥
凄まじい速さで鉄杭の上に戻った女神エリスは静かに鉄杭の上に立った。
その手には大きな袋が握られている。
「受け取りなさい」
エリスはそう言うと、握っていた袋をワサンの方へ放り投げた。
ガシィィ!
袋を受け止めたワサン。
人間一人分の重さを感じて、心がゾワゾワとし始めた。
パチン!
女神エリスが指を鳴らすと袋が一瞬で消え、中身が露わになる。
『!!!』
ワサンの腕に抱かれていたのは全身を荊のロープで巻かれて拘束されているスノウだった。
ドォン!タタタッ!‥‥パシュパシュ!!
シアは一瞬で馬車を飛び出しスノウに巻かれている荊を切って拘束を解いた。
「マスター!!」
叫ぶシア。
「お前たちの目的は果たされたのでしょう。もしその者を拐った悪魔とやらと争いたいのであれば私を呼ぶのがよいでしょう。‥‥それでは約束通り引き返しなさい。この先は神の地。選ばれた者以外立ち入ることはできません。その禁を破る場合、お前たちには災厄が訪れましょう」
グゴゴゴゴォォォォォ‥‥
そう言うとエリスは足で鉄杭を掴み、引き抜く爆音を立てた後、美しい翼を広げて飛び去った。
タタタ!!
「マスター!」
「スノウ!」
「スノウ!!」
皆スノウのところへ集まる。
スノウは意識がなかった。
バルカンたちは急ぎ馬車を切り返して、ウロザナへ向かった。
・・・・・
・・・
ウロザナに戻って行こう数日経っているが、スノウはまだ意識を失ったままだった。
魔法が発動しないため、シアの回復魔法を試すこともできずただただ見守るしかなかった。
荊を巻かれて棘が刺さり無数の傷から血を流していた部分についてはスノウの超回復力が発動し、傷そのものはすぐに治癒したため、体を綺麗に拭き服を着替えさせ再度ベッドに寝かせた。
「マスター‥‥」
「スノウ」
シアとソニアは寝る間も惜しんでつきっきりで看病している。
バルカンたちは、ディアボロスの反撃があることを想定し、交代で見張りを行っていた。
「ワサンさん‥‥どう思いますか?あの女神エリス‥‥ものの数分でディアボロスからスノウさんを取り返した‥‥。あの女神エリスはディアボロスと繋がっていると思いますか?」
シンザがワサンに問いかけた。
「わからない。だが可能性は高いだろうな。あの場はそのことを問いただす余裕も、そのあとに対処できるだけの十分な戦闘力も無かったから聞きようがなかったけどな。神だかスノウの居場所を特定することなど雑作もないし、ディアボロスに対しても問題なく対処できると言われてしまえばそれまでだし‥‥ここからは推測の域を出ない」
「そうですね‥‥推測に過ぎませんが、ディアボロスと通じているか、ディアボロスが不在の中でスノウさんを救出したか‥‥どちらかだと思います。あのディアボロス‥‥いくら神だからと言っても数分で還すことは流石に無理でしょうからね」
「‥‥‥」
・・・・・
・・・
―――それから数日後のとある日の夜―――
夜空に一筋の流れ星が美しい線を描いた。
その流れ星はボレアス国の北、アルカ山の麓に流れて行った。
このケテルでその流れ星を確認している者が数人。
人類議会のウロザナロッヂの一室の窓から夜空を見上げている男。
「‥‥‥‥」
シンザは無言でその流れ星を見ていた。
南のノトス国の首都ルガロンにある孤児院の2階の窓から眺める少女。
「こんな時に‥‥」
ボレアス国首都グザリアの劇場の控室の窓から夜空を覗くマスクを被ったアルルカンの男。
「ククク‥‥面白くなってきたねぇ。さぁて今度は誰を踊らせようか‥‥」
この3人以外でその流れ星に気づき興味を示すものはいなかった。
そしてこの流れ星があるきっかけを作ることになったことも。
場面は戻ってエウロスの人類議会のウロザナロッヂ。
ベッドで意識を失い続けているスノウはゆっくりと目を覚ました。
シアとソニアが歓喜の涙を流す。
バルカンとワサンが大急ぎで部屋に入ってきた。
バルカンは大粒の涙を流して喜んでいる。
ワサンも静かに涙を流して頷いている。
しばらく天井を見つめて焦点の合わないような表情を見せていたスノウは、足、手、胴体と体の部分部分が少しずつ命を吹き込まれていくように意識と繋がり、その表情が生気を取り戻していく。
スノウの目が周囲に向けられる。
そして一人一人をゆっくりと認識しながら一通り確認した後、再度天井を見つめた。
そしてゆっくりと口を開いた。
「ただいま‥」
シア、ソニア、ソニック、バルカン、ワサンの5人は、喜びの涙と共にスノウの帰還を心から喜んだ。
次話から物語が次のステージに入ります。
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