第14話 未歩ちゃん
広遠が
自分の事務所に戻ったのは、
もう午前1時ごろだった。
そんな時間でも、
空腹にはあらがい難かったようで、
なじみの定食屋まで
遅い夕飯を食べに行くことにした。
その店は24時間営業していて、
事務所から歩いて行ける距離にあるため、
広遠は普段から
ちょくちょく利用しているのだ。
広遠の事務所から、
国道沿いにあるその定食屋まで行くには、
ちょっとした
田んぼや畑に囲まれた中にある、
農道を抜けて行くのが近道だった。
所々に水たまりがある
足場の悪い小道を、
広遠遥名は
月明かりを頼りに歩いて行く。
客が誰もいない店内に入って、
カウンター席に座りメニューを広げる。
奥からでてきた店員の若い女の子が、
「こんばんわ」
と、お茶を出してくれた。
「あれ、未歩ちゃん」
行きつけの店なので、
この子とは顔見知りになっているのだ。
しかし普段は、昼間に見かける子だった。
「そうか。
もう高校を卒業したから、
こんな時間にも働けるようになったんだ」
「そうなんですよ」
と、未歩ちゃん。
今は保育士になるために、
短大に通っているのだと言う。
「何時まで働くの?」
「朝の6時までです。
8時間働くんですよ。
人が足りてないんで、
この前は10時間も働いたんです!」
不規則なシフトを組んでいるようだが、
それにしても、
この大学生は無邪気なもので、
長時間勤務を
なんだかうれしそうに話している。
「えらく頑張るんだね」
そんな会話をはさみながら
食事を注文して、
ふと厨房のほうに目をやると、
未歩ちゃんの他に、
店員は、
年輩の女性が一人いるだけだった。
「あれ、今日は女の人だけ?」
「そうなんです」
「危ないよ。
……もし強盗が来たらどうするの?」
こう尋ねてみると、
うーん……という感じで、
答えを持っていない。
「もしそうなった時は、
お金は明け渡すんだよ。
お金なんか
後からでも取り返しがつくからね」
深夜に女の店員しかいないというのは、
たとえ
たまたま今日に限ってはの話だったにせよ、
どう考えても不用心だ。
しばらくして、
未歩ちゃんが
注文した定食を運んできてくれた。
「家はどこなの?」
気になって聞くと、
すぐそこという感じで、
壁の向こうをちょこんと指さした。
広遠の事務所と同じ方角だ。
「この近くだったんだ。
じゃあ、
そこのあぜ道を通って来ているんだね」
「そうです」
「あの道も、危ないよね。
夜は人通りがほとんどないから。
……そんな場所で、
見知らぬ男から声をかけられたら、
無視して
早くその場を去らないといけないよ。
そしてもし、
襲われそうになった場合は、
大声をだして助けを求めるんだよ」
「そうですね……」
「そして万が一だけど、
暴漢に
体をつかまれたり
襲われてしまってからは、
――相手の目を突くんだ。
素早く強いめに。
ペンがあれば一番いい。
そしたら暴漢は、
病院に行くことが先決になって、
未歩ちゃんを
襲うどころではなくなるから」
未歩ちゃんは
ぞっとした顔色を浮かべている。
「これは、僕でもそうするよ。
身元が分からない者から
因縁をつけられたとき、
周りに助けてくれる人がいなかったり、
相手の体が大きいときは、
身を守る術は限定されるからね。
殺されてしまうような事件だって
実際にあるし。
もちろん暴漢が
1人とは限らないから、
これをすれば、
絶対助かるとまで
言い切れるわけではないけど、
何もしないよりかは、
助かる可能性が上がるんだ。
そしたら
安全な場所に逃げてから、
警察に通報するといい。
暴漢が病院に行けば、
そこから足がついて
逮捕に結びつくかも知れない。
問題は、
これをすると
こっちが悪人になるかも
知れないことだ……」
「そんなこと、できませんよ……」
「だよね。
一番いいのは、
誰でも知っているように、
危険な状況にならないように
気をつけることだけど……
今みたいに……、
――こんな時間に働くのは、
……自分から希望したの?」
「そうなるのかなぁ。
……たまにはいいかなと思って」
「そうやって、
色んな事情や偶然のせいで、
リスクが高い状況に
なってしまうこともあるからね」
「そうですよね……」
「あと、
目を突くのに
どうしても抵抗があるときは、
これだね」
と言って、
広遠は自分の指をつかんで、
反対に反らした。
「こういうことを
誰にでも教えていると、
人間のクズほど簡単にできてしまう。
その上、
クズは反撃されると、
さも自分のほうが
被害者であるかのように
話を作り変えてくるから。
何にせよクズは、
隙あるところに近寄ってくるんだよ」
と、広遠はお節介を焼いて、
「……だから、
気をつけるんだよ」
と、つけ加えておいた。
依然として、
店内には他に客はいない。
広遠は食べ終わってからも、
すこし未歩ちゃんと話をしていたが、
折りのよいところでお代を払い、
「じゃあ、またね」
と告げて、
店を後にした。
(第二章へ続く)
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