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「静香は気に入らないか?」
『めとるのは春。我らは何も言わぬ』
突き放された気がしてそれ以上聞かなかった。
それ以来、週に1度仕事の終わる頃静香が訪ねてくるようになった。
執事も春雷が拒まないから静香を通していた。
その日も訪ねてきていたが、春雷の仕事が終わらずかなり待たせる形になった。
「今日は立て込んでいるから、と帰るよう使いを出したはずだが」
「いえ、お顔を見たくてお待ちしてました」
「いつ終わるかも知れないから次からは帰ってくれ」
「それでしたら人を増やしては如何でしょう。働き過ぎで春雷さまが体を壊されてしまいます」
「そんな心配は必要ない」
妙に押しの強い静香に春雷もうんざりしてきていた。
そんな話から10日ほどして、村に調査に行く事が決まり春雷も同行する事になった。
都から村までは2日。
白虎が共にきた。
念願だった村に到着したが、村の入口の門に張られていた結界だけが消えていた。
「これはどう言う事だ?」
『力無き者、結界は見えぬ』
春雷の問に白虎が平然と答える。
『我にも見えぬと思うは傲慢』
白虎の声が低くなって聞こえた。
中に入ると働いていた女子供の数が明らかに少なく、男手の半分は本当の農夫に変わっていた。
「祖父の企みか?」
『そのようだな』
「村から移したか」
がっかりしながら、村の屋敷を探索する。
使用人と、叔父、父は玄関先に黙って座っていた。
これが父か…こうして直に目の前にいるのに、実感が沸いてこない。
焦点の定まらない視線は呆けて宙を見ていて、だらしない顔付きは痴呆の老人の様だった。
あれほど熱望していた対面は残念な結果で終わった。
人目があって服の下は確かめられないが、父に折檻されている様子は見えずホッとした。
叔父に案内されて裏庭に向かう。
人魂の話の通り、隅に植えられている大木の根元に大きな岩が埋められていた。
これが人魂が言っていた結界の岩か?
探ってみるが、春雷の力では何も感じない。
白虎はと見ると険しい顔になっていた。
どうしたのか聞きたかったが人目があるので止めた。
「この村に結界を張ったのは誰だ」
「結界など」
叔父は馬鹿にしたように春雷を見た。
「これでも知らぬと言うつもりか」
春雷が合図すると白虎の体から陽炎が立ち、空に結界が見えた。
叔父の動揺する顔が白虎に向いた。
一瞬きっと睨んだ気がしたが、直ぐに伏せられた。
「それは万一の備え。敵意はない」
「張った祈祷師は?」
叔父はハッとして固く口を閉じた。
「旅の者、もう村には居ない」
「そんな身元も分からぬ者に張らせたのか」
叔父は苦し紛れに言ったのだろうが、そんな危ない結界を祖母が許すとは思えなかった。
「俺と父で張った」
「聖獣は張ったのはお前ではないと言っている」
咄嗟に口から出た言葉に叔父の顔色が変わった。
「使用人は入れ換える」
「そんな話は聞いていない」
春雷の言葉を隠し子が拒否する。
「権限は俺にある」
「違う、権限は私の父にある」
春雷が隠し子を横目で見て言った。
「明後日には分かる」
「何をする気だ」
隠し子の声は固かった。
「この村の管轄を祖父から執事に変える。明後日には都から手の者が到着するだろう」
「父が許さぬ」
「決定権は『印』を持つ俺にある」
隠し子が悔しそうに睨んできた。
その夜、裏庭に春雷と白虎の姿があった。
『この岩に集まる力の糸が見える』
白虎は力と岩が繋がっていると言った。
白虎の視線は屋敷の奥に向いた。
「外ではなく屋敷に隠しているのか?」
白虎が何も無い屋敷の横の暗闇を見た。
『この方向から感じるが』
白虎にもそれ以上は分からないらしい。
『気を探るは我より緋龍が勝る』
「今度3人で来てみよう」
今回緋龍が来なかったのは、祖父の行動か気掛かりだったから見張るためだ。
白虎が春雷の胸元を見た。
春雷は指輪になっている印を紐で首から下げている。
祖父がこれを狙っていると幼い日に知ってから、肌身離さず持っていた。
2日後、到着した執事の配下に後を任せ都に戻る。
戻った春雷をトラブルが待っていた。
「静香の親族を都の政策に登用すると言われたのか」
淡々と話しているが、執事がかなり怒っているのが伝わってくる。
「いや」
意味が分からず執事に説明を求めれば、静香の親族が春雷に頼まれたと本宅に来たらしい。
「その場は聞いてないと追い返しましたが」
「俺は頼んでいない」
「では何故?」
「今度静香が来たら訊ねる。同席してくれ」
「承知しました」
執事は納得してない顔で頷いていた。
翌日の昼、静香は数人の男を引き連れて訪ねてきた。
「この男を罰してくださいませ」
静香が執事を指差した。
「罪状は?」
春雷は意識して静香に聞いた。
「私に恥を掻かせたからですわ。春雷さまのためを思って親族の中から筆のたつ者を寄越しましたのに」
「俺は頼んでいない」
「私と会う時間もないほど仕事に忙殺されておいでなのに、将来の妻としては見過ごせませぬ」
「俺はめとる気持ちはない。迷惑だ」
静香が驚きで目を見開いた。
「何度も逢瀬を重ねていて気持ちが無いなんて、言わせませんわよ」
「ここでしか会ってないのに、逢瀬と言う気か」
冷たく言っても静香は怯まなかった。
「気持ちがあるから私と会ったのでしょう?」
静香の余裕の笑みに腹が立った。
「俺にその気持ちは無い」
静香が1枚の紙を見せてきた。
「私はあなたのお祖父様からもこの家の嫁だと認めていただいております」
静香の持っていた物は、祖父の手で婚姻を認めると書いてある手紙だった。
「この『印』が証拠よ」
静香が手紙の最後を指した。
執事が顔色を変えてその手紙を静香から奪い取った。
「…これは」
執事の目に怒りが沸いていた。
「これで分かったでしょ。お祖父様も祝福しているのよ。妻の親族が夫の仕事を補佐するのは当然」
「誰の『印』だ?」
春雷が固まっている執事に聞いた。
「昔大旦那さまが無くされて、賊が入ったと大事になった時の『印』に間違いありません」
執事は急いで警備の兵を呼んだ。
「その者を捕らえよっ」
執事の声で我に返った静香と男たちが逃げようとしても、兵は逃がさず取り押さえた。
「私じゃないわっ!私は盗んでないわっ!」
必死な形相で叫ぶ静香に、執事が冷静に返す。
「お前は旦那さまが盗んだとでも言いたいのか」
「違うわっ、違うけどその手紙は偽造じゃないわ!」
「結論は捜査の結果を見てからだ」
「え?捜査?捜査って何?何処を捜査するの?」
動揺し過ぎているからか、静香の口調はまるで子供のようだった。
「大旦那さまの『印』を盗んだ疑いだ。親族全て厳重に調べあげろ」
「え?違うっ、違うわ。私は盗んでない!『印』を押したのは私じゃない…」
そこでやっと、静香は自分が置かれた立場を理解してブルブルと震えた。
「旦那さまを罪人だと言うのか」
執事が先手を取って静香を黙らせた。
「…そんな」
力が抜けたのか、静香がその場にしゃがみ込んだ。
そんな静香を、執事は探るように見てから、一瞬だけニヤリと笑って、手紙に目を戻した。
祖父を蹴り落とすには証拠がいる。
執事は外堀から埋めるつもりだろう。
今は静香とその親族に疑いを掛け、静香たちでなければ誰が亡き大旦那さまの『印』を盗んだのか。
執事には、祖父が盗んだ確証はあっても証拠が無い。
だから静香と親族を餌にして炙り出すつもりだ。
最初、静香の調べは難航した。
それが、祖父と静香の父が賄賂で繋がっていると分かってからは速かった。
静香を春雷に近付けたのは祖父の配下の者だった。
執事が集めた見合い相手の中に静香の書類を差し込んだのも、その者だと知れた。
肝心の誰が祖母の『印』を盗んだのか、の問には各々の言い分が違い最後まで擦り付け合いになった。
盗んだのは祖父だと決定的にしたのは、静香の父の言葉からだった。
「悪いのは奴だ。奴は首に掛けてある袋から『印』を出してあの書類に押したんだ」
静香の父は祖父を指差して叫んだ。
すかさず執事が兵に命じる。
「捕らえよ」
驚きで動けない祖父を執事が捕まえさせた。
兵士が迷わず祖父を捕まえた事が、この都の勢力図を明確にしていた。
兵士の1人が祖父の首から袋を取って執事に渡す。
その袋から、ずっと昔盗まれた『印』が出てきた。
執事は罪人として祖父を投獄しようとしたが、それは邪魔が入って出来なかった。
覆面を付けた黒一色の男が突然現れ、祖父を連れ去り消えてしまったからだ。
それはあっという間の出来事だった。
大勢の中での尋問だから、と春雷が白虎と緋龍を連れてなかったのが裏目に出て結局祖父を取り逃がした。
「不利と見て祈祷師を待機させていたのか」
悔しそうな執事は直ぐ様手配を指図した。
「祈祷師が着いているとは計算外でしたが、大旦那さまの『印』はこうして取り戻せました」
執事は黒い笑みを浮かべて言った。
「罪人としての手配。よろしいな」
春雷は黙って頷いた。
罪人は、生死に関係無く捕まえれば賞金が出る。
この事からだけでも、祖父に対する執事の長年の執念が見える気がした。
「今までこの『印』を何に使っていたのか、急いで調べるべきでしょう」
「任せる」
あれが村に結界を張った祈祷師だろうか?
春雷の頭を占めていたのはそれだった。
どんなに剣の腕がたっても本宅に張られている認められた者しか通り抜けられない結界に阻まれるはずだ、密かにそれを抜けるには結界を張った者より強い呪の力が必要だった。
覆面で顔を隠していたが、動きや太目の体型から若くは見えなかった。
あの祈祷師を捕まえれば、村の結界の全容が掴める気がしていた。
春雷は祖父が雇った流れの祈祷師だと思っていたが、白虎から村の話を聞いていた緋龍は叔父の隠し子だろうと言った。